神様のお仕事
「わ、わかった。金ならいくらでも出す。貴様ら他に何か欲しいものはないか? そ、そうだ、私の力があればんな辺鄙な場所で古ぼけた家など使わなくても、一等地に店を出すことだってでき、あヒィイイイイ!」
ばらららららっ!
二丁のマシンガンの斉射を受けて、斑木は再び縮こまります。
「辺鄙な場所、のう」
「古ぼけた家、ですか」
斑木にしてみれば何が二人の癇に障ったのかわかりません。自分が化け物をディスっているなんて思いもよりません。
しかし面白半分にマシンガンを乱射してくるような相手ですから、怒りポイントが分からなくてもなんとか下手に出て宥めるしかありません。
「わかった。私が悪かった。この通りだ。二度とお前たちには関わらん。どうか勘弁してくれえ」
哀れな声を出して土下座する老人に、二人の化け物は化け物はやれやれとため息をつきました。
「さてどうするかの。明日も早いしこの辺りにしておくか?」
「私は構いませんよ。このような小物、これ以上いたぶっても仕方がありません。私も鬼ではありませんから」
地面に頭をこすり付ける斑木の耳がピクリと動きました。やった。化け物だか何だか知らないが所詮は小娘が二人。今さえ乗り切れば後はどうにでもなるのです。
「小物が。勘違いするでないわ」
内心ほくそ笑む斑木に、赤くて小さい方の化け物がぴしゃりと言い放ちました。
「儂らは帰る、と言ったんじゃ。あとのことはこ奴らに任せるということじゃ。たわけが。」
「うふふ。物の怪達は噂好きです。恨みを晴らせるチャンスと聞いて、大勢集まっておりますのよ」
……え? こ奴ら? 大勢?
老人はがばっと頭を上げました。しかしそこには二人の化け物以外に何もおりません。からかわれたのでしょうか?
いいえ、そうではありません。彼らは、いないのではないのです。いるのといないのの中間くらい。
「どれ、貴様にも見えるようにしてやろう」
そういって紅珠が懐から取り出したのは、紅珠の本体である鏡です。
「大妖狐紅珠が力を与える。物の怪達よ、託された心を映し出せ。妖狐神通:『後から録画鏡」』
金属製の鏡が紅色に輝きだし、そこから放たれた光がおよそ5,000発の銃弾でボロボロの壁に幾つもの映像を映し出しました。
煤けた工場の隅。
機械油と汗の臭いが漂う中、やせ細った男が帳簿に睨まれながら働き続けています。背後からは低く押し殺した声。
「契約書にサインしたのはお前だ。やめたければ違約金を払うんだな」
薄暗い部屋。
破れかけたカーテン越しに差し込む光の下、布団に横たわる老女の前で声を押し殺して男が泣いています。
「何もかも、全部持っていかれた……もう薬も買えない」
雨に濡れた夜道。
子どもを抱え、震える肩を隠すように歩く若い母親。しかし二人の背後に影が迫ります。
「おいおい、逃げられると思ったのかい? さっさと車に乗りな。まだ旦那さんの所に行きたくないだろう?」
壊れた家屋、土下座する男、泣き叫ぶ少女、机を叩く老人、高い高い場所から見下ろす夜の街。
大妖狐紅珠の力を借りた物の怪達が、地獄の閻魔の浄玻璃鏡さながらに斑木の罪を映し出しているのです。
普通ならば、それがわかるでしょう。
しかし当の斑木にはわかりません。これは一体何だ? 何を見せられているんだ?
「貴様に覚えはあるまい。恐らくは会ったこともないのじゃろ。じゃがそこに映っているのは皆、貴様に踏みにじられた者たちの心の声じゃ」
そういわれても、やはり斑木にはわかりません。この負け犬どもが、一体なんだというのでしょう。確かに銃を乱射する化け物は恐ろしい。だから嫌でも頭を下げるし従います。しかし何の力も持たない負け犬どもの姿を見せられて、一体何を感じればいいのでしょう?
「あらあら。分からないのですねえ。あなたが本当に恐れなくてはいけないのは、その方々だというのに」
藤葛の口調には侮蔑と一緒に、わずかながらの哀れみが含まれていました。
「わからんからこそ、じゃろうな。しかし随分と集まったの。旦那様のお陰で力を取り戻したとて、本体なしではちっと無理じゃ。山をクロに任せてきて良かったわい。不公平があってはいかんからのう」
紅珠の鏡が映し出しているのは、偶然その場に居合わせた物の怪達が見た過去の映像。しかし、それだけではありません。それはただの映像の記録ではありません。
人の心を食べる物の怪たちは、人の心に敏感です。
特に強い、恨みには。
「ヒッ!?」
鏡面の中の無数の目がざっと一斉に斑木を見据えました。
その場その時その人の元、偶然居合わせた物の怪達が、受け取った感情そのままに姿を変えていきます。鏡が映し出す映像の中、心を踏みにじられた者たちの姿が、別のモノへと変わります。
恨みを晴らすのに最もふさわしい姿、つまり彼らに感情を与えた人間が考える、最も恐ろしいものの形。
ぬらり、と濡れた髪の女の顔が爛れて無数の牙に変わります。老人の影は角を突き出した異形となり、口からは火のような吐息を洩らします。震えていた小さな子どもの腕が伸び、鉤爪へと変わります。
強い恨みを食べた物の怪は、ただの物の怪ではなくなります。
恨みという負の感情を大量に取り込んだ物の怪は、とある妖怪へと変化します。
即ち、「鬼」。
鬼と一口に言ってもその在り様は色々です。
ほとんどのモノは体を持たず、物の怪と大差ありません。せいぜいが恨めしい相手に体調不良を起こす位程度。いるともいないとも言えないような希薄な存在。
神秘の廃れた現代において、二本の角を持ち、トラのパンツをはいた大妖怪「鬼」となるには、それこそ長い長い時間が必要です。
しかし、ここには大紅珠がいます。
神鏡の化身である大妖狐紅珠が見たモノは、そこに存在するのです。
人が死ねばその魂は天に召されます。しかし彼ら自身とは別に、死にゆく者たちの感情を受け取るモノたちがいます。
そう、それは彼らの仕事です。
だから人よ。
どうか健やかに生き、そして安らかに眠りなさい。
「人の神、大妖狐紅珠が許す。鬼よ、物の怪よ、人に代わりて恨みを晴らせ。妖狐神通:『百鬼夜行』」
かくて紅色の光が空間を満たし、映像の怪物は現実へと反転します。
斑木が虐げたモノ達の恨みが、百の鬼となって斑木を取り囲みます。
鏡を以て罪を見通す閻魔がいるのなら、此処は地獄でありましょう。
そして地獄にて斑木を待ち受けるは、斑木に恨みを持つ鬼たちです。
大きな鬼、牙を持つ大きな鬼、牙を持つ鬼、爪がある鬼、角を持つ鬼。
巨大な槌や鋏になった腕、虫の脚に背中に背負う注射針の山。引きずられる鎖、身を焼く炎、腫れあがった顔と異様に肥大化した拳。
積もり積もったこの恨み、裂いて晴らすか、えぐって晴らすか。
「さて、では行くかの」
「そうですね。皆さん、どうぞごゆっくり」
去っていこうとする二人の化け物を、斑木老人は必死に呼び止めます。
「待て、待て、待ってくれ、何でもする。だから、置いていかないでくれ、助けてくれぇ!」
今度こそ本気の命乞い。でも残念。もうとっくに間に合わないのです。
「愚かなことを。百の鬼を私たちに止められるわけがないでしょう」
「言い訳も、交渉も、こ奴ら自身にするのじゃな。おお、それとも先ほど儂らにした様に素直に詫びてみるか? 踏みにじってすまなかった。命を奪ってすまなかった。謝るから、詫びるから、だから許してくれと地に伏して命乞いをするのじゃ。さすれば―」
紅色の美しい少女は、それはそれは恐ろしい顔でにぃと笑いました。
「一体位は、気を変えてくれるやもしれんぞ?」
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8月31日未明、原縁市内にある自宅から、資産家の斑木 丹皇氏(76)が行方不明になっていることが分かりました。関係者からの通報を受け、原縁署が行方を捜しています。
斑木氏は地元で複数の事業を手がける一方、強引な土地取引や不透明な資金の流れなど、長年にわたり「黒い噂」が絶えなかった人物です。
部屋には争った形跡は見られていませんが、警察では斑木氏が何らかの事件に巻き込まれた可能性もあるとみて捜査を進めています。
また斑木氏の失踪と時を同じくして、市内および近隣地域では過去の様々な事件に関する自首が相次いでおり、県警は「関連性も含めて慎重に調べる」としています。
突然の大物失踪と一連の異変に、市民の間ではさまざまな憶測が広がっているということです。




