第150話 暴力屋 九津原組
「クロ君。君は一体、何物なんだ?」
自分の影から現れて、集金屋から守ってくれたばかりか借金を帳消しにしてくれた男の子に、英は改めて聞きました。
先ほども同じことを聞きましたが、少々ニュアンスが違います。
なにせ、にょこにょこと十三人に増えた上、今は一人に戻っていて、しかもさっきまで高校生くらいだったのに今は小学生くらいに縮んでいて、その上ぴんと立った耳とぶんぶん動くしっぽが生えているのですから、普通の人間ではないのは明らかです。
「僕は狗狼という妖怪です。藤様……。じゃなくてえっと、藤葛様より英さんをお守りするよう仰せつかり、影に潜んでいたのです」
「妖怪。妖怪かあ」
この少年がそうだというのならそうなのでしょう。英だって子供の頃は人並みくらいには妖怪が好きでした。
となると、あの凄みのある美しい人も、ひょっとして。
「はい。おっしゃるとおりです。藤葛様は妖狸。かつてこの地を支配していた悪い人食い狸を成敗した偉大なお方です」
「ええっ、藤葛さんって、あの藤葛なの? ええええ、マジかよ……」
妖怪が好きだった英は、地元の退魔師藤葛の伝説を知っていました。そんな有名人と話をしていたとはびっくりです。サインでも貰っておけばよかったかな。
ま、そのチャンスならいくらでもあるか。それもこれも、兵太郎と件の藤葛のお陰です。
「ありがとう。本当に助かったよ。藤葛さんと兵太郎によろしく伝えてくれ」
「畏まりました。必ずお伝えします」
クロのしっぽがぶんぶんぶんと揺れました。
「しかしあいつ、とんでもない人奥さんに貰ったなあ。美人だしさ」
「はい。兵太郎の奥様はお二人ともそれはそれはお美しい方です」
そういえば昔話に出て来て妖怪の奥さんを貰うような者はみんな無欲でお人よしで、兵太郎のような男たちでした。
欲はなく、決して驕らず、いつも静かに笑っている。
宮沢賢治の詩の一説が思い出されます。
人はそんな風には生きられません。それはただの理想論。でも妖怪なんてものが本当にいるのなら、そんな風な生き方も悪くはないかも知れません。
「そっか。そうだよな本当羨ま……。……二人?」
無欲な友人の生き方にある種の理想の到達点を見出しかけていた英は、クロの言葉の中に聞き捨てならないものが混じっていることに気が付きました。
「はい。もう一方は紅珠様。縫霰山の神様です」
「神様。」
「はい。ボクなど足元にも及ばない強い力を持った御方です」
「……んでそっちも美人なの? 藤葛さんと同じくらい?」
「はい。それはもう大変にお美しく」
「…………」
えええ、それはないだろ、兵太郎。無欲どころか大強欲じゃん。
こんだけ借りを作ってなんだけど、いくら何でもそれは許せん。
なんとしても自分にも誰か紹介してもらわなくては。
「他に聞きたいことはありますか? 英さんはきっとびっくりするだろうから、何でも答えてあげてと主より言われています」
聞きたいことはなくもないのですが、これ以上聞いても理解できるかどうか。いずれいい酒でも持っていって、その時にでもゆっくり聞かせてもらうのがよさそうです。
でもそれでも、一つだけ。あの美人奥さんの使いで本人も超絶美形なこの少年に、どうしても聞いておかなくてはいけないことがあります。
至極まじめな表情で、英は幼い姿の妖怪に尋ねます。
「クロ君、君ひょっとしてお姉さんとかいないかな。年上の女友達とかでもいいんだけど」
******
斑木 丹皇は苦虫をすりつぶしたものを煎じて飲んでいました。
大金持ちなので噛みつぶすとかしないのです。はしたない。
先日、『心の芽生え塾』の講師が乱心して塾生たちからの信用を失い、『自己啓発セミナーシステム』が一つ崩壊するという事態が起きました。
導師統括を通じて「こくり家」と言う名の喫茶店を潰すことを指示した矢先のことで、斑木としては期待外れもいい所。
件の講師は入院中とのことで処分は先延ばしになっていますが、導師統括には既にきっちりと責任を取らせました。
更に昨日は『夢回収システム』の中核たる集金屋が何者かの襲撃を受けて壊滅。集金屋のボスは斑木からの事実確認の電話に対し、『ひぃいいいいい! 二度と連絡してくるんじゃねえこのボケ老人』と叫んで電話を切りました。
斑木はしかたなく暴力屋を使うことにしました。
欲しいと思ったものが手に入らないなど斑木丹皇にあってはならないことです。高くつくのは困ったものですが背に腹はかえられません。任せて安心暴力屋。いっそはじめからこっちに依頼してしまえばよかった。
そんなわけでこくり家の襲撃とついでに集金屋のボスの粛清とを依頼してやったのですが、暴力屋「九津原組」の親分は在ろうことかそれを断ってきたのです。
「斑木さんよ、あんたなんか勘違いしてるんじゃねえか」
電話の向こうのドスの利いた声に、斑木老人は思わず我が耳を疑いました。
「うちとアンタはあくまで対等な関係だ。こっちがやりたくねえことはやらねえよ」
暴力屋風情がこの斑木 丹皇に対して何という言い草でしょう。
「一つ忠告してやる。広域でもマフィアでも上等だ。他のとこ使ってあの家に手を出したら、あんた、その日から家の外に出られなくなると思えよ」
暴力屋の親分はそういって、ぶつりと電話を切りました。
斑木は何を言われたか理解できずに、つーつーと音を立てる電話機を見つめておりました。
******
さてお話とは直接の関係はないのですが、九津原 八尋という男について少々お話させていただきます。
九津原 八尋は暴力屋の親分です。
若い時分、彼は姉の梓音と二人で暮らしていました。その前はもっとたくさんいたのですが、皆それぞれに巣立っていったのです。
ある時、梓音の元にも良縁が舞い込みます。しかし姉は残される八尋を心配して縁談を断ろうとしていました。
八尋はそれに気づいて屋敷を飛び出しました。以来気に食わないことの全てにつっかかっていたところ、気が付くとこんな風になっていました。
必要悪や義賊等を気取るつもりはありません。暴力屋ですからいろんなことをやってきました。
父や母、それに梓音をはじめとする血のつながらないたくさんの兄弟たちの様に天国に行くとは、きっとできないでしょう。
合わせる顔もありませんのでありがたいことです。
そんな九津原ではありますが、それでもなんでもやるというわけではありません。
御年六十九。無理の利かない体になりましたが、斑木という老人よりは長生きしなければなりません。子分たちでは少々頼りない。今はこくり家という名前のあの家に、手出しをさせるわけにはいきません。
八尋は今、あそこにどんな人が住んでいるかは知りません。今そこで暮らす人間になんらの義理は在りません。
でもだからと言ってあの家を襲うなんてことはできません。襲わせるのだって許しません。それは兄弟たちとは違って道を外れてしまった自分にかろうじてできる恩返し。
あの家ではたくさんの子供が生まれましたが、そのなかで今も生きているのは自分だけ。少し前には朽木と言う家に嫁いだ姉の梓音も亡くなりました。真っ当に生きた兄弟たちが先に旅立ち、自分のようなものが残るなど不条理な話です。
もっとも兄弟たちは自分と違って所帯を持ちました。姉の孫が今は保健所で公務員をしていることは、風の噂で知っております。もちろんかかわったりはしません。もともと血のつながりは在りませんから、向こうも自分の存在など知りません。
九津原 八尋。苗字の「九津原」は、元は「葛原」と書きました。その屋敷を出たものは皆苗字に葛の一字を頂いています。
暴力屋の親分九津原 八尋は、かつて葛屋敷と呼ばれたその家で生まれた、最後の一人。
噂によれば、その血のつながらない姉の朽木 梓音の孫は、今は保健所で働いているそうです。




