あったまるお話
かぽーーーん。
「ええええ……」
藤葛が「直した」というお風呂場を見て、兵太郎は口をぽかんと開けて脱衣所に立ち尽くしていました。
「なんで家の中にお風呂屋さんがあるの……?」
そこに広がっていたのは、個人宅には全く似つかわしくない広い浴室、いえ大浴場でした。
数人がいっぺんに使っても余裕で足が延ばせるほどに広い湯舟はなんとヒノキ製。さらにはこれまた広い洗い場の床も、壁も、全てヒノキで統一。
木と湯が触れあって生まれる清廉で心地よい芳香が、湯気と共に広い浴室を満たしています。
「元の浴室部分を少々改造いたしました。本当は露天風呂や打たせ湯、サウナも作りたかったのですけど、それはまたおいおい」
「いやあ、十分だよ……」
たしかに十分。いえ十三分。これ以上藤葛の野望を叶えていくと、此処はカフェではなくスーパー銭湯になってしまいそうです。
「凄いねえ、藤さんは……」
「このくらいは当然ですわ。家を守ってこその妻ですから」
藤葛は何でもないことのようにすまし顔を装っておりますが、その口元が嬉しそうに上がるのを隠しきれていません。
面白くないのは紅珠です。
「ふん! 妻は家を守るものとか、最近はそういうのぜんぜん流行んないんじゃからな! 大体その家も貴様自身じゃろうが!」
「ええ、そうですが? 自分を守ることが兵太郎の帰る場所を守ることと同一なのです。まさに夫婦円満一心同体」
「なっ、わ、儂だって、儂だってなあ!」
「儂だって、なんですか?」
「ぐぬぬぬぬぬ」
取り澄ました顔で藤葛に聞かれても、紅珠はうまく言い返すことができません。
「だ、大体こんな広い風呂では燃料費だって馬鹿にならんのじゃ。兵太郎には借金があるんじゃぞ! それも沢山じゃ! その辺どういうつもりじゃ!」
別方面から攻めることにした紅珠の流れ弾がびゅんびゅんと兵太郎の方に飛んで行っていますが、兵太郎ですから大丈夫でしょう。
「あら、その辺は問題ありませんわ。狸流変化法タヌキュートを使っておりますので」
「タヌキュート。」
聞きなれない言葉に兵太郎は首をひねります。
「ええ。要は私の妖力で沸かしておりますのよ。まあ、お水は確かにたくさん使うことになりますが、ろ過装置もついていますから最終的には節水効果もあります」
「それって藤さんの身体に負担になったりしないの?」
「まあ兵太郎。私を心配してくれるのですか? ご安心くださいませ。兵太郎のお陰で私の妖力も回復してきました。この家の中でしたら風呂桶一杯くらいの湯を沸かすなど、簡単なことでございますのよ」
なんと、流石は大妖たる藤葛。とんでもない燃費効率です。
「凄いねえ藤さんは」
「いえいえ、全て兵太郎のお陰でございますから」
感心する兵太郎に、藤葛は鼻高々。紅珠はますます面白くありません。
「お前様、儂も頑張ったのじゃ。凄いのじゃぞ?」
「うんうん。紅さんも凄かったねえ。お陰でお店開けられるのがずいぶん早くなったよ。ありがとうねえ」
兵太郎ににこにことそう言われれば、簡単に機嫌が直ってしまうのが紅珠のいいところ。ふんふんと得意げに鼻歌まで歌いだしてしまいます。
「んじゃ、お風呂でケモノ?の臭い落としてくるから、ちょっと待っててね」
兵太郎はそういいますが、二人の奥さんは脱衣所から出ていく様子がありません。
「え、ええとお風呂に入ってくるね?」
「うむ」
「はい」
「え、ええと?」
「どうしました兵太郎? さあどうぞお風呂へ」
「どうぞって言われても、見られてると恥ずかしいんだけど……」
兵太郎の言葉に、二人の奥さんは顔を見合わせます。そしてさも愉快そうに笑い始めました。
「わっはっは。おかしなことを言うのう、兵太郎は」
「おほほほほ。夫婦なのですから恥ずかしいことはないのですよ。さあお背中お流ししましょうね」
「えええ、いやいや。そんなの」
「気にしなくていいのですよ。夫婦なんですからね」
「そうじゃぞ。まあどうしても気になるというなら、お返しに背中とか頭とか流してくれてもよいのじゃ」
「まあ、それは良い考えですね。ではそのようにいたしましょう」
二人の妖怪はまるで示し合わせたかのように、わははおほほと笑います。
普段の美しい顔のまま。それなのに何故でしょう、浮気を疑ったときの恐ろしい顔よりよほど凄みを感じます。
「話はまとまったの。じゃあ行くとするか。湯が冷めてしまってはもったいないし、やましいことなぞ一つもないし」
「ええ、ええ。お風呂ですからね。ごく普通のことです。通報される要素なんて何もありません」
「あ、あれあれあれ? きゃあああ~~?」
真昼間の山奥の一軒家に、絹を裂くような兵太郎の悲鳴が響き渡りました。
かぽーーーん。
妖怪の力があれば、異世界じゃなくてもお風呂は作れるのです。




