お友達のお帰り
「なるほど。そもそもあなたはたいして期待されていないのですね。うまくいけば儲けものといったところでしょうか」
美人の辛辣な言葉に英は深く項垂れます。まさにその通りでした。集金屋は自ら派手な動きをして警察に目を付けられるのが面倒だったのです。
集金屋にしてみれば英が「個人で」放火でもしてくれればこんなに楽なことはありません。
「いずれにしてもそしてその面倒くさいジジイとやらの意向で、借金を返しても当店は難癖をつけられるというわけですね」
またしてもその通り。英は顔を上げることもできません。
ただしあいつらがやるだろうことは難癖をつけるなんて生易しいものではありません。
いくらなんでも友人の家に火をつけるなんてこと、英にはできません。しかし奴らはやるでしょう。あるいは別の手段でこの家に攻撃をするでしょう。自分がこれまでに受けた仕打ちを思えばそれは間違いないのです。
家を元値で買い戻すというのは英の苦肉の策でした。兵太郎を騙してそれを承諾させれば、無事に済むと思ったのです。
自分も、兵太郎も。
それは確かに英の良心のかけらでもあるのですが、もちろんそれで感謝するものなどいません。そんなの、せいぜい兵太郎位のものです。
藤葛は冷たい笑いを浮かべたまま英を見下ろします。
「当店と兵太郎については、あなた如きの心配は無用です。私たちが憑いていますから。しかしご自身で火を放つという選択をしなかったのは賢明でしたわね」
そもそもこの家に火をつけることなどできはしません。家内安全夫婦円満をモットーとする藤葛です。火事と泥棒と泥棒猫への対策は万全です。
しかしそれとは別に、家に火をつけるそぶりを見せただけで、こくり家に住み憑いたやなり達がなにをしでかすかわかった物ではありません。縫霰山の物の怪達も同様です。
そうなれば兵太郎は悲しい思いをするでしょう。何より、友達が藤葛自身であるこの家に火をかけたことに傷つくでしょう。
優しい旦那様の為にも、この家そのものである藤葛は常に健康で美しくあらねばならないのです。
「予測通りではありますが、それなりに有益な情報でもありました。ではその集金屋の方々にこちらをお渡し下さいませ」
藤葛はそういうと、英に分厚い封筒を渡してきました。
「そのボケ老人……。失礼。面倒ジジイはともかく、貴方をここへよこした方々はお金が目当て。となれば金づるをそうやすやすと手放しはしないでしょう」
促されるままに中を覗いた英は息を飲みました。ずしりと重いその封筒には、かなりの金額の現金が入っていました。
これだけあればしばらくは集金屋からせっつかれることはないでしょう。ひょっとすると今の生活から脱出することだってできるかもしれません。
「さて、それを受け取るにあたり、あなたには二つのうちから一つを選択していただきます」
そういうと藤葛はその長く美しい指を一本たてて見せました。無償で金が借りれるわけはありません。どんな条件を出されるのかと、英は思わず身構えます。
「一つは、兵太郎からそのお金を借りること。いずれ必ず返していただきますが、曲がりなりにもあなたは兵太郎のご友人ですから、利子も期限も設けません」
断罪が当然である英に対して、それは破格の対応でした。
驚く英に藤葛は二本目の指を立てて、次の選択を示します。
「もう一つはそのお金を受け取り、返さないこと」
「!?」
理解が追い付きません。まさか、この金をただでくれると言っているのか? いくらなんでもそんなうまい話があるわけがありません。一体どんな裏があるのでしょう。
いぶかる英に藤葛が続けます。
「ただし、こちらを選んだ場合は、今後二度と兵太郎の友人を名乗らないでいただきます」
「それだ……け?」
思わず確認してしまった英に、藤葛は笑みを深くします。
「ええ、それだけです。私としましてはどちらでも構わないのですが、しいて言えばおすすめは後者でしょうか。私の旦那様の兵太郎は底抜けに優しいお方。ですがそれだけに、あなたのような羽虫がたかってよい方ではありませんのよ」
ただでさえ厄介なモノ達が押し寄せてくるこくり家です。厄介な友人など、妖と同じくらいには面倒。今のこくり家ならばこの程度、手切れ金としては安いものです。
「は、ははは、そうか。そうだよな」
英の口から思わず乾いた笑いがこぼれます。
兵太郎を守るため?
何ておこがましい考えでしょう。藤葛の言う通りです。今の英は兵太郎にたかる羽虫です。
そもそもこの店を見れば一目瞭然。この金額をさらりと用意できるほどの大繁盛ぶり。それを成したのは兵太郎です。そしてその兵太郎を支えているのは、きっと。
「そうだな。アンタの言うとおりだ。金をたかりに来るような友人は、いらないな」
英は金をたかりに来たわけではありません。しかし兵太郎の人の良さに、優しさに付け込んで救ってもらおうとしたのは事実。
兵太郎がお金ならと言い出した時にこれで助かったと思ったのも事実です。
全部が全部、自分のせい。なのに騙した相手に救ってもらおうなんて、あまりにも虫のいい話です。たとえ自分が羽虫だとしても。
「忙しい時間にすまなかったと、兵太郎に伝えてくれ」
そういうと、英は立ち上がりました。
「あら。持っていかれないのですか?」
机に置かれた封筒を見て、兵太郎の妻だという美人は不思議そうな声を上げます。
英はなんだかおかしくなりました。何もかもを見通すようなこの美しくて恐ろしい人に、少しだけ仕返しができた気分です。
「なあ、一つだけ教えて欲しいんだけど」
きょとんと可愛らしく小首をかしげる友人の妻に、英は聞きます。
「あんた一体、何物なんだ?」
その言葉に、その言葉以上の意味はありません。英がソレに気が付いたわけではありません。
しかし問われたその人は、とても愉快気にくすくすと笑いだしました。
「あらあらあら。これは驚きました。流石は兵太郎のお友達、といったところでしょうか」
そして藤葛は英に頭を下げました。
「私は藤葛。兵太郎の妻でございます。どうぞよしなにお願いいたします」
最初に会った時と同じ所作と同じ言葉。なのに受ける印象は全く違うのですから不思議なものです。
「兵太郎の友達の夕甚 英だ。藤葛さん、あの馬鹿のことよろしく頼むな」
「ええ、ええ。確かに承りました」
かちゃりと音がして、部屋の鍵が開きます。仕組みはわかりませんが、どうやら退出しても問題ないということのようです。
「では英さん、またのご来店、お待ちしておりますわ」
その言葉に英は笑います。お金を受け取らないことを選んだ英は、おそらくもう二度とこの場所に来ることはできません。この人もわかっているのでしょう。それなのにこんなに優しくて美しい笑顔。なんともまったく怖い人です。
「ああ。必ずまた来るよ。その時には遅ればせながら、開店祝いを持ってな」
「あらあら。それは楽しみでございます」
帰る車の中、英はなんとも満ち足りた気分でおりました。こんな気持ちは久しぶりです。
思えば馬鹿なことをしたものです。きっとすぐに後悔するでしょう。覚悟など苦痛の前には脆いものです。英はそれを既に体の芯まで叩き込まれています。
それでも残されたわずかな期間だけは存分に、この楽しい気分を味わいましょう。
散々集金に失敗した英には、もう後がありません。使えない集金屋がどうなるのか、英はよく知っています。人をお金に換える手段はいくらでもあるのです。
「どうせならあいつらじゃなくて、あんな美人が良かったなあ」
美しい友人の奥さんの、怖い怖い笑顔を思い出して、英は一人笑います。
引き裂いてしまおうか。
たしかそんな風に言われました。あの時は怖くて仕方がありませんでしたが、今ならそれも悪くないと思うのです。全く何処であんな美人を見つけてきたのやら。なんとも羨ましい限りです。
ああ、実に羨ましい。あの馬鹿が上手いことやったもんだ。なんとか奥さんのお友達でも紹介してもらえないもんだろうか。だって自分は兵太郎の友人で、あの家を兵太郎に紹介したのは自分なんだし。
なんて、今からじゃあ無理だよなあ。
妬み嫉妬と気が付いてしまえば、受け入れ方はあるものです。
カーラジオから流れるのは学生時代よく聞いた曲。音楽を聴きたいなんて、思ったのも久しぶり。
全てを覚悟した英の車は軽快に、縫霰の山を下っていきました。




