物の怪の歌
狸の奥様ご謹製、こくり家の薪窯は店の中と外とに一つづつ、合計二つございます。
煉瓦造りで直径1m、高さは1.5mほど。内の窯はカウンターの中にあり、客席からはちらりとしか見えません。ちなみに藤葛がその気になれば移動もできますから窯を囲んでの団欒も楽しめます。
マシュマロも焼けます。楽しみ。
外の窯は一階テラス席の近くにございます。非常に高温になりますのでお手を触れませぬようご注意ください。もっとも色んなアレの力で触れないようになっていますが。
お天気の良い日限定ではございますが、自分が注文した猪や鹿のグリルなどが焼き上がる様を見られるということで、映え狙いのお客様にも人気です。窯のてっぺんに可愛らしいタヌキ耳がついているのもポイント高い。
こんな素敵な窯を有しながらもこくり家では今までピザの提供がありませんでした。ピザはお師匠さんの大好物だったこともあり、兵太郎にとっても少々特別なものだったのです。
しかし今宵は素晴らしいチーズが手に入りました。これをピザにしないのはもったいない。
モッツァレラ、カチョカヴァロ、リコッタ、カッテージ。
ブッラータとチーズケーキを除くとヴィア・ラッテアの二人が持ってきたチーズは四種類。味見させていただきましたがどれもこれも予想通りの素晴らしい出来栄えです。
さてどうしましょう。
兵太郎は悩みに向かない頭で悩みます。
このチーズを使ったなら、間違いなくおいしいピザができるでしょう。
でも、二人が一番喜んでくれるのはどんなピザでしょうか?
普通ならその問題に答えを出すことはできません。今日初めて出会った二人の一番喜ぶものなんてわかりません。
しかし悩める兵太郎とは別に、二人を見守ってきたモノがいます。正確にはいるといないの中間くらい。
とても希薄な存在で、その声はとても小さく、聞き取ることができません。彼らの声は音とは違い、耳で聞くものではないのです。
でも世の中にはごく稀に、それを感じ取ることができる者がいます。
声なきモノ達のささやきを聞き、只人では決して出せない答えにたどり着くことができる者がいます。
彼らは五感を超えて供給される圧倒的な量の情報を処理しなくてはならないため常にぼーっとして見えます。
彼らは時に過程をすっ飛ばして人とは違う結論に至るため、人から理解されません。
彼らが人と相対したときに読み取る情報は膨大であり、それ故相手に敵意を持つことができません。
故に彼らは、人の世を上手く渡っていくことができません。
普通なら、ね。
とんとんからり、とんからり。
兵太郎の頭の中、声なきモノの歌に合わせて、四つのチーズが不思議なダンスを踊ります。
そうだ、そうだ、アレがいい。
想像で組みあがっていくその一枚は、本来の「アレ」とは大分異なります。そも本来の「アレ」には塩味の強い青かび系のチーズが必要不可欠ですが、フレッシュチーズをメインに扱うヴィア・ラッテアで青かびチーズは作れません。ノー、コンタミ。
しかしここは兵太郎の腕の見せ所。
この四種のチーズを使えば、本来の「アレ」とは違った、しかし最高の「アレ」ができるでしょう。きっとヴィア・ラッテアの二人はとても喜んでくれるはず。
想像の中で嬉しそうに笑う蘇酪と千雪に、兵太郎はにへらと締まりのない笑みを浮かべました。
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「はあい、お待たせ~」
兵太郎が運んでくる大きなトレーに期待の視線が集まります。
「おおっ、ピザでござるな!」
「おいしそう! マルゲリータですね」
チーズ工房をやっているくらいですからヴィア・ラッテアの二人はチーズが大好き。もちろんピザも大好きです。
こくり家農園の完熟トマトで作った真っ赤な自家製ソースの上に、大粒チェリー型のモツァレラチーズを贅沢にごろごろごろ。そこにトマトの相棒フレッシュバジルを散らしました。
トマトの赤、チーズの白、バジルの緑、食欲をそそる三色の調和。
焼きたてですからチーズがまだ熱を湛えてぷくぷくと膨らんでいます。
どれどれ早速。
蘇酪が一切れ手に取ると、チーズがとろりと糸を引きました。
これは間違いなくおいしいやつ。期待を胸に、チーズたっぷりの三角の先端を口に運ぶ蘇酪でしたが……。
ばりっ!
「!!!」
ピザなら自分たちでも作ります。丹精込めて作ったチーズを使いますから、それは間違いなくおいしいのです。しかし薪窯で焼いたピザはご家庭で作るものとは完全に一線を画します。
「まさかこれほどとはっ……!」
家庭用のオーブンの温度は250℃前後。焼き時間はピザなら7~8分と言ったところでしょう。
しかしこくり家自慢の薪窯の内部温度は優に400℃を超えます。ピザ一枚が焼きあがるまでの時間、なんと僅か90秒。
高温で一気に過熱することで、瞬時にチーズの表面を焼いて旨味を閉じ込めますから、モツァレラのような水分の多いチーズを使っても生地はパリッとしあがるのです。
小麦とオリーブオイルでできた皿の上、ぐつぐつと煮立つチーズの溶岩。その熱で摘みたてのフレッシュバジルがひらひらと踊ります。
こんなん、おいしいに決まってる。
「あっつっ。旨いのじゃあ!」
「わあ、チーズ伸びます。凄いですおいしいです」
「ん~! ぱりっとした生地がたまりません。兵太郎が薪窯を欲しがるわけですわね」
ぱりぱりとろり。
大きなピザですがみんなで食べれば一人の取り分はそう多くはありません。ピザは瞬く間になくなってしまいました。残念。
しかしそこにすかさず出てくるのが二枚目です。
「わあ、こっちもおいしそうです! 兵太郎、これはなんていうピザですか?」
「ん~、決まった名前はないんだけど。ベーコンと夏野菜のピザ、かな?」
猪ベーコン、ズッキーニ、トマト。チーズはモツァレラをベースにカチョカヴァロをトッピング。カラフルながらもシンプルな一枚目とはまた違った、にぎやかな二枚目です。
「ん~~っ! こっちもおいしいですわ。見た目も華やかで楽しくなります。でもよく見れば材料は先ほどのグリルと変わらないのですわね」
「ううむ言われてみれば。しかし味は全くの別物じゃの。グリルも旨かったが、ピザも素晴らしいのじゃ」
表面を覆うのはモツァレラ。トッピングされたカチョカヴァロの表面にはこんがりと焦げ目がついて被膜を作り、中はとろっとした半熟仕様。
薄切りにしたベーコンはパリパリに焼けて端がわずかに反り返っていて、グリルとはまた違った歯ごたえ。カチョカヴァロの強い香りと合うのはピザになっても変わりません。
完熟トマトの甘みと酸味、サクサク食感のズッキーニ、強めに効かせたブラックペッパー。
全ての味をいっぺんに乗せた豪華プレート。それを皿ごと丸ごと食べられるのですから、ピザとはなんと素晴らしい食べ物でしょう。
二枚目もあっという間になくなってしまいました。
「はあい。これが最後のピザだよ」
そういって兵太郎が持ってきたのは、今までの二つのピザとは少々様子が異なりました。
クロは目をぱちくり
「兵太郎、これがピザなのですか?」
クロが驚くのも無理はありません。そのピザには一切のトッピングがなく、ぺろんと白一色なのです。
今まで彩り豊かで見た目にも楽しいピザが続きましたから、ピザとはそういう物なのだと思っていました。兵太郎がトッピングを忘れたのではないかと心配になってしまいます。
しかしクロの主はなんだかえへらえへらと何かを期待するようないたずらっぽい笑いを浮かべています。その視線の先には。
「兵太郎殿、これはもしや」
「まさか。だってあのチーズじゃ……?」
驚く蘇酪と千雪に向けて、兵太郎はとっても嬉しそうな笑顔で言いました。
「はい。こちら、本日のスペシャルメニュー。“ヴィア・ラッテアのクアトロフォルマッジ” でございます」




