第140話 豆腐小僧と天の川
出来立てのモツアレラチーズをまだ温かいうちに引きのばして袋状にします。
中に入れるのはストラッチャテッラ。細く引き裂いたモツアレラチーズと生クリームを和えたもの。熟練の技にて手早く包み込み、袋の先をくるりと結んで封をします。
チーズでできたチーズの入った袋。これがブッラータ。
ナイフを入れるとぷるんとした白い外皮が静かに裂け、中からとろけるようなストラッチャテッラがあふれ出す。ふわりと広がる新鮮なミルクの甘みとほのかな塩気。
チーズをチーズで味わう、チーズ好きの為のチーズです。
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ぽー、ぷー。
ぽー、ぷー。
街にラッパの音が流れると、その白い不思議な塊を買い求めようと手に鍋を持った人々がこぞってやってきます。
アレがあれば、せっしゃの所にも人はやってくるのだろうか。多くの感情が向けられるようになるのだろうか。
そう考えた名もない妖は妖力「白いモノ」を作り出し、それを持って人里へと降りて参りました。
「おお、豆腐か。一丁貰おうか」
妖は喜んで白いモノを差し出します。しかし一口食べた男は即座にべっと吐き出して言いました。
「なんだこりゃ、ひでえ味だ。こんなもん食った日にゃ、体中にカビでも生えそうだ」
男の様子と向けられた感情に、妖はショックを受けました。
大きさも色も形も、豆腐と言うらしいあの白いモノにそっくりなのに。こんなにそっくりに作ったのに、何がいけなかったというのでしょう。
その後も妖は一生懸命に白いモノを作りました。でも誰も食べてはくれません。感情を向けてはくれません。
食べられない豆腐をもって人の後をついてくるその妖を、いつしか人々は豆腐小僧と呼ぶようになりました。
世の中には名を持たぬ多くの妖がいます。個としての名前はもちろんですが、種の名前を持つモノだってほんの一部にすぎません。
名前を得ることは妖怪が強い力を持つきっかけになります。しかし豆腐小僧という名前はあまりにも皮肉でした。
だって食べられない豆腐なんて。
やがて妖怪豆腐小僧は疲れ果て、人の後を追うことをやめました。
彼は元のとおりの名もない妖怪に戻りました。
そして時は流れて。
かつて豆腐小僧だった妖は、自分が何だったのかも忘れてしまっていました。夕刻になるとふらりと現れ、日が明ける前に消えていく。そういう数多の名もない妖の一体となり果てていました。
しかしそんなある日、彼は街の片隅のおしゃれなお店のショウウインドウに、四角く形を整えられた美しい白い塊を見つけます。
何て綺麗なんだろう。
これは。
なんだっけ、これ。凄く大事な物だった気がする。
「お席空いてますよ。良かったらどうぞ」
ショウウインドウの前で立つ尽くす妖に、店員がにっこりと微笑みます。暖かな感情を向けられた妖は、白くて四角い大事な物の名前を思い出しました。
「ご注文は、何になさいますか?」
「あの美しい豆腐を所望致す」
「お豆腐?」
一瞬怪訝な顔をした店員でしたが、すぐにまたにっこりと笑顔になりました。
「レアチーズケーキですね? 先ほどご覧になっていた」
そうか、あれはレアチーズケーキと言う豆腐なのか。
「如何にも。そのレアチーズケーキと言う物をお願い致す」
やがてそれが運ばれてきました。
白磁のように滑らかな白くて四角い塊。
何て美しいのでしょう。それは豆腐小僧にとっての存在意義。
そうだ、これだ。拙者はこれを……。これをどうしたかったんだっけ?
「お召し上がりにならないんですか?」
いつまでもそれを食べずに眺め続ける客に、店員が不思議そうに聞きました。
「失礼した。ありがたく頂戴致す」
そうだ。豆腐は食べるものだ。豆腐小僧はまた一つ思い出しました。
さっそくフォークで切り分けて口の中へ。食べてみてびっくりです。
「なんと美味しい豆腐だろう!」
「えっと、お客さん。それはお豆腐じゃありませんよ?」
冗談なのかもしれないけど念のため。目を丸くして驚く豆腐小僧に、店員が遠慮がちに声を掛けました。
足しげくその店に通ううち、豆腐小僧は星倉 千雪という名のその店員と親しくなりました。
「私はね。いつか自分のお店を持ちたいんだ」
仕事の後の自宅にて、固まり始めたフレッシュチーズを静かに混ぜながら千雪が言います。
「ふむ。千雪殿のお店であれば、きっと素晴らしいチーズケーキが食べられるのであろうな。ぜひとも寄らせていただきたいものだ」
「ん~。おしい、60点」
「ふむ? 此度は何処を間違えたのでござろうか」
「ふふ、内緒。でもありがと。ねえ、豆腐小僧さんの夢はなに?」
「夢。拙者の夢か……」
チーズに並々ならぬ熱意を持つ千雪と過ごす間に、豆腐小僧は過去の自分の過ちに気が付いていました。あの頃の自分はあんなに一生懸命に、いったい何を頑張っていたのやら。
なにせ豆腐小僧は豆腐を食べたことがなかったのです。それどころか、豆腐小僧が物を食べたのは、あの時のチーズケーキが初めてだったのです。
食べることを知らないモノに、食べ物が作れるわけがありません。豆腐を食べたことがないモノに、豆腐が作れるはずはありません。
ましてやおいしい豆腐など。
「じゃあ昔、豆腐小僧さんが作った白いモノっていうのは何だったのかな?」
「ううむ、何だったのであろうな? 何にせよ碌なものではあるまい。なにせ食した者は皆一様に、酷い顔をしておったからなあ」
千雪は声を立てて笑いました。豆腐小僧もつられて苦笑い。思えば申し訳ないことをしたものです。今ならそれがわかります。
「だが千雪殿のお陰で拙者は食べ物を作ることの意味を知った。ならば今こそ、食べたものが皆笑顔になるような豆腐を作ることが拙者の夢でござる」
思い浮かべるのは千雪の務める店でチーズケーキを食べる人々の笑顔。あのチーズケーキのようなお豆腐を作ること。それはきっととても大変なことで、けれどもとても素敵な夢でした。
「なればまずは豆腐を知ることでござるな。早速どこぞの工場にでも弟子入りを志願して……」
「ねえ、豆腐小僧さん」
素敵な夢のできた豆腐小僧に、千雪が遠慮がちながらも真剣な声で聞きました。
「それって、どうしても豆腐じゃなくちゃ、駄目?」
かくして二人の夢は重なりました。
やがて豆腐小僧は妖怪「蘇酪」となり、「チーズ工房 Via Lattea」という小さなお店が誕生することになるのです。
乳の道、すなわち天の川を示す名のそのお店は原縁市の隣、古原市の繁華街の外れにございます。小さなお店ではありますが、営業時間中は常に行列ができておりますので見落とすことはないでしょう。
看板メニューは、まるで豆腐のような見た目の四角いレアチーズケーキ。他にも数量限定売り切れ必至のブッラータをはじめ、様々なチーズを取り揃えております。
いずれもかのこくり家の店主もえへらと大絶賛の逸品です。
お近くにお越しの際は、是非お立ち寄りくださいませ。




