喫茶店からの刺客
ちっ。
宇三草士は大きく舌打ちをしました。
あの三人の様子、どうやら別の思考を上書きされたようです。便利な駒でしたが使いやすすぎるのも問題と言うことでしょう。
しかし塾と喫茶店とのトラブルは早急に起こさなくてはなりません。なにしろ導師統括よりもさらに上からの指示です。もたもたしていては職を失う程度では済みません。
「仕方ない。さっそく馬鹿どもを焚きつけてやるか」
宇三は塾生たちを集めて真摯な口調で訴えます。
「君たち、聞いて欲しい。懸命にして勤勉なる君たちの中には気が付いている者もいるだろうが、現在この『心の芽生え塾』はとある組織の攻撃を受けている」
ざわめきが塾生たちの間に広がっていきます。
いいぞ、騒げ。はは、訳知り顔で頷いている奴もいるな。あの辺は見込みがありそうだ
「その組織の本部は表向きは喫茶店なのだが、裏では色々と後ろ暗いことをやっていてね。それに気が付いた我が塾の花蕾が正義感から独自に調査していたんだ。こう言えば伝わるものもいるかな? そう。今朝の騒ぎの元になった三人だ」
そうだ、妄想しろ。想像しろ、創造しろ。
在りもしない攻撃者を作り出し、在りもしない物語に怒りと憎しみを募らせろ。
「見ただろう、優秀だった三人の変わり様を。おそらく彼らは喫茶店に関わる邪悪な秘密にたどり着いたのだ。しかし結果として彼らは……。口にするのも悍ましいことだが何らかの精神攻撃を受けたのだろう」
そうだ、これが真実だ。お前たちが戦うべき邪悪な敵だ。
何らかの精神攻撃。何らかのってなんだよってな。ハハハ。
「私はこれ以上、奴らの暴挙を黙ってみていることはできない。危険な戦いになるだろうが……。ついてきてくれるだろうか?」
涙を流す者、拳を突き上げるもの、只粛々と覚悟を決めるもの。
仲間の受けたむごい仕打ちに憤る塾生たちを、宇三は満足げに見やります。
「ありがとう。去っていった彼らの分まで、共に戦おう!」
「これで一丁上がり。ちょろいものだ」
「上からのリクエストはトラブル。大きさは問わないそうだが、大きいに越したことはないだろう」
「そもそも出だしこそ愚図どものせいで躓きはしたが、今回の事は上とやらにこの私の能力を見せつけるチャンスでもある」
「だいたい私はこんな田舎で「心の芽生え塾」支部などをやっているような人間ではないのだ。この件が終われば「まいにち日和」とまではいかなくても、せめて「はぐ組倶楽部」や「魂の精錬道場」位は任せて貰えるだろう」
「さて、そろそろ自室に向かわなくては。淑女を待たせてはいけない。やれやれ、こんな田舎では溜まったものを発散するのも一苦労だ」
「なにせ狭い集団の中では女ってヤツはマウントを取らずにはいられないものだからな。「あさって庵」から左遷された教訓は生かさないと」
宇三が部屋に戻ってすぐに、扉をノックする者がおりました。
「おお来たか。入り給え」
招かれて入って入ってきた超高級癒し出張館の女性スタッフは、上品な笑みを浮かべて恭しく頭を下げました。
「うむうむ。女はこうでなくてはな」
「棟内では誰ともすれ違わなかったかね?」
「よろしい。では早速願いしようか」
「飲み物? いや結構。それよりすぐに癒しを始めてくれ」
我ながら性急だとは思いますが、超高級癒し出張館の女性スタッフはそれに対して不満など見せません。宇三に言われるがまま、艶めかしくも挑発的に、自らの服に手を掛けます。
癒し出張館の女性スタッフとはいえ女性だけ先に脱がせるのは紳士の恥というものです。宇三は紳士らしくベルトを外し、ズボンを下ろしました。
そんな宇三の様子に女は上品な笑みを崩すこともないまま、
—ずるうり。
服ごと、その姿を脱ぎ捨てました。
「は?」
女性スタッフの姿は俄かにかき消えます。代わりに現れたのは和傘をかぶったチンピラのような風貌の男でした。
「な、なんだお前は!」
「あらや」
一体何が起きたのか。訳が分からず混乱する宇三に向けて、チンピラ男はニタニタと不気味な笑いを浮かべます。
「何処から入った!」
「かはい」
混乱の中何とか絞り出した宇三の言葉に、傘のチンピラはニタニタ笑いを崩さぬまま意味不明な答えを返します。そこには何とも形容しがたい不気味なちぐはぐさがありました。
それはまるで人の姿をした、人ではないナニかと会話をしているような。
自分で想像したその考えに、宇三は底知れぬ恐怖を覚えます。
何が起きたのかわからない、何を言っているのかわからない。その意味不明さが恐ろしい。理解できないことが恐ろしい。理解できぬモノは恐ろしい。
「ケケケケケ、そんなに驚くことでもないだろ。自分で言ってたじゃねえか。うちは喫茶店から精神攻撃をうけてるんだって。ソレだよソレ。精神攻撃ってヤツだ」
けけけけけ。
傘をかぶったチンピラのようなナニかは、まるで人の様に笑います。
「馬鹿な。精神攻撃なんてそんなものあるわけが……」
たしかに先ほどはそんなことを言いましたが、あれは塾生たちをたきつける方便です。愚か者たちの想像力を助長するために用意した都合のよい小道具に過ぎません。
「おいおい、自分で言ったこと簡単にひっくり返すなよ。お話の説得力がなくなっちまうだろう」
ナニかおどけるように大げさに肩をすくめました。
そんな馬鹿な。精神攻撃などありえない。
では一体どのような理由で、癒し嬢が突如チンピラに変わったというのでしょうか。どのような理由で人でないナニかが人のようにふるまうのでしょうか。
「なんなんだ、なんなんだよ。一体何が起きてるんだよ!」
ありえない、ありえない、ありえない。
精神攻撃なんてありえない。でも人の中からナニかが出てくることもあり得ない。
何が本当?何が嘘?
そもそもこれは、現実か?
「ケケケケケケケ。自分で描いた物語は楽しかったかい? それじゃあここからはもっと楽しいお仕置きの時間だ。だがおっさん、まずはその粗末なモノをしまえよ。観客がどん引いてるぜ?」
かんきゃ、く……?
傘男の言葉を認識した瞬間、ぐるり世界が回ります。
気が付けばそこはさっきまでいたはずの自室ではありませんでした。
共用通路のど真ん中、
ぴしりとアイロンのかかった上等なシャツ「だけ」を身にまとった塾長の宇三 草士を、大勢の塾生たちが驚愕の表情を浮かべて取り囲んでおりました。




