裁くのは誰?
「火を放った、か。そうか。この縫霰の山でのう……」
びりりり、と空気が震えます。
比喩表現ではありません。山の神様の静かな怒りに物の怪達が呼応しているのです。
「そのような者たちの侵入を許しておったとは。二人ともすまなんだな」
紅珠は颯と凪紗に頭を下げました。悪意をまき散らしながら縫霰の峠道を疾走する三人組は、以前翠川家を襲撃したのと同じ人物と言うことです。
「そ、そんなそのようなこと」
「おいおいよしてくれよ。紅ちゃんのせいじゃないだろ」
神様に頭を下げられた二人は慌てます。神通力によって映し出された賊たちが翠川家を襲撃したのはこくり家ができる前の話。紅珠は壊れた祠の中で眠りについていました。しかしそれを言い訳にできる紅珠ではありません。
「謝って済む問題ではないがまずは今の事じゃな。二人とも心配せんでも良いのじゃ。二度と手を出す気にならぬようこの儂が叩きのめしてくれる。そんなわけで客人が来とるのにすまぬが少々席を外させていただくのじゃ」
縫山の神として、こくり家の女将として、また颯と凪紗の友人として、捨てておける問題ではありません。侵入者どもには相応の報いをくれてやらなければ。
紅珠がちらりと厨房をのぞき込めば、えへらえへらと実に嬉しそうにお客さんたちに振る舞う料理を作っている旦那様が見えました。
カウンターのすぐ外の騒ぎにも気が付かないなんて困った旦那様です。こんな状況だというのに、紅珠の口元はつい緩んでしまいました。
「藤、兵太郎を頼むのじゃ。何、すぐ戻る。折角の宴じゃし兵太郎が張り切っとるのじゃからの。愚か者どものせいで食べ損ねては敵わん」
「承知いたしました、と言いたいところですが。なんでしたら私が行っても構いませんよ?」
びりりりり。
口調は穏やかな藤葛ですが、やはり放たれる妖気は凄まじいものです。
颯と凪紗はこくり家にとっても必要不可欠な二人です。
加えてこのところ凪紗は「刃の扱い」について藤葛に教えを乞うていました。生徒に手を出されたとあっては、優しい藤葛先生も平然としてはおれません。
「紅様、藤様。そのお役目、どうかボクにお命じ下さい。祝いの席でございます。奥様がお一人でも欠けるのはお客様にも申し訳ないかと思われます」
クロだって黙ってはいられません。颯と凪紗はクロが主のお役に立つのを手伝ってくれる大事な二人です。それにクロは山の神紅珠の使いです。主の顔に泥を塗るような真似は許せません。
「なあ、クロの兄貴。それなら此処は俺にやらせて下さいや」
立ち上がったのは川獺の川内でした。クロより川内の方がはるかに長く生きているのですが、妖としての格と言うものがあります。
それにクロは紅珠に仕えることを許された身。半端物扱いの自分などとは比べるべくもなく、川内はクロを目上として敬っています。
「……一応聞くが川内よ。貴様行ってどうするつもりじゃ? 山での人死には許さぬぞ」
紅珠が釘を刺すと、まさに紅珠の想像通りのことをしようとしていた川内は気まずそうに視線をそらしました。
「んだって、紅珠様よう。聞けばひでえ奴らじゃねえか。大丈夫だって。証拠なんざ残さねえよ」
「駄目じゃたわけが」
川内なら自身が言う通り、証拠など一切のこさず「事故」を起こすこともできるでしょう。途中には大きな川もあります。
しかし事故だとしても警察は動きます。マスコミだって来るかもしれません。縫霰山で事故が起きること、それ自体こくり家にとって死活問題です。
山を「危ない場所」にしてはいけないのです。
彼らは無事に、五体満足で返さなくてはなりません。その上で二度とこの地に足を踏み入れないように。そんな気を起こさないようにしっかりと罰を与えてやらなくてはいけません。
「あう。すいやせん。そっかなるほど。山の中ではダメかあ」
素直に謝った後ぼそり、と加えられた川内の言葉は小さく、最後まで聞き取れたのは、隣にいた伊達くらいでした。
「待て待て。お前ら何勝手に盛り上がってんだ。これは俺の領分だろ」
山路も名乗りを上げました。道祖神は道の守り神。道から悪しきモノが侵入を防ぐのも山路の「役目」です。
「こいつら前にも来た奴らだな。とりあえず追い払ったんだが甘かったか。ちぃとばかり灸を据えてやらんといけねえようだな。ああ、俺の分の料理は残しといてくれよ?」
山路は最後におどけたように付け加えましたが、話を聞いて前回彼らが来た時に車を故障させて追い払うだけで済ませてしまったことを強く後悔していました。ツケは払わせねばなりません。
今宵こくり家に集ったのは、皆それぞれ強大な力を持つ妖たちです。誰が出ても悪党どもはただでは済まなそうですが、さて……?
「皆さんありがとうございます。でもどうか、此処は私に譲っていただけないでしょうか」
思わぬ人物の発言に全員の視線が集中します。中でもその父の驚きは大きかったようです。
「お、おい、凪紗ちゃん……」
人に育てられた鎌鼬はその目に強い決意を称えたまま、優しい父に向かって微笑みました。