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誰そ我時の怪物

 日も落ちかけた夏の夕暮れ時、三人の若者を乗せて明かりなどない暗い縫霰の峠道を一台の車が走っておりました。


 法定速度を大きく超えておりますが、それは致し方ないことです。彼らが自身に課した使命を思えば、法律など些末なことです。



青二(せいじ)クン、この先ですね。野蛮な店があるのは」



 三人の中で最年長となる木端(きのはじ) 雑兵(ぞうへい)は、助手席に座る花垂(はなたり) 青二(せいじ)に声を掛けました。同じ階級同士では、名前の後に男性ならばクンを。女性ならばサンを付けて呼ぶのが塾のルールです。



「そうです雑兵(ぞうへい)クン。カフェなどという看板を掲げていますがそれは表向きだけ。裏では生き物を殺し、しかもそれを食べているなんて酷い話です」



 栄えある「花蕾」の中でも最年少の青二(せいじ)の声は、怒りと憎悪を隠し切れず震えていました。



「許せません。命をなんだと思ってるんでしょう」



 青二の言葉に後部座席に座る紅一点、三下(みつした) 弥津子(やつこ)も深く頷きます。


 彼らは真の正しさとは何かを追求する相互補助団体「心の芽生え塾」の塾生です。


 そしてまた三人は塾の「花蕾位」という階級に属し、他の塾生からは一目置かれる存在でもあります。



 「心の芽生え塾」の塾長、宇三(うぞう) 草士(そうじ)に出会うまで、彼ら三人の世界は等しく地獄でした。自分以外の人間は皆、自分を苦しめるために作られた怪物でした。



「君たちは優しい。だから苦しいのだね。世界に抗う孤独とその辛さをか君たちは知っている。きっと君たちのその痛みこそがいつか世界を変える光なのだろう」



 そう言う宇三の目には、うっすらと涙が浮かんでいました。


 師はこの世界でただ一人、彼らの本質と価値を理解してくれる人でした。


 ある時、自らの利益と快楽の為に殺生を行うことを知った師は彼らに向かって言いました。



「ただ生きていただけなんだ。だけど人はそれすら許さない。社会は、それすらも『資源』と呼ぶんだよ。鹿も猪も、木も水も、果ては心さえも値札を貼られて並べられる。これが傲慢でなくて何だろう」


「いただきます、なんて笑わせるじゃないか。儀式めいた言葉を唱えれば命を奪うことが正当化されるとでもいうのかね 。山の恵み? ちがうだろう。それは命だ」



 正に師の言う通りです。師の(ともがら)たる自分たちにはわかります。


 師に比べれば、自分たちの優しさなどまだまだです。でもそれに気が付けるということは同時に、自分たちが優しいこと、優れていることの証明でもありました。


 師の心の安らぎのため、塾内での地位と階級の安定のため。彼らが縫霰山にやってくるのはこれで二度目です。


 一回目は不当に生き物を殺す猟師への警告に参りました。


 きっと殺生が祟ったのでしょう。猟師はひどい悪人面をしていました。しかし三人は怯まず立ち向かいます。


 終始ひょうひょうとこちらの追及をかわしていた猟師に業を煮やし、雑兵は干してあった猪皮に火をかけてやりました。


 あの時の悪人面猟師の慌てた表情といったら。思い出すだけでも胸がすうっとします。


 そして塾に戻れば師の賞賛の言葉。



「行動無くしては叶えられないこともあるのだね。今回は君たちに学ばされたよ」



 そして他の塾生たちから向けられる尊敬と嫉妬の視線。特に他の花蕾位の者たちの悔しそうな顔。


 これこそが世界のあるべき姿です。こうでなくてはなりません。自分たちは本来、虐げられるべき存在ではないのです。


 さらなる戦果と快感を求め、先日も彼らは殺生をやめなかった猟師に天誅を下しに再び縫霰の山へと向かいました。しかしあろうことかこの時は、山の入り口で塾の共用車が故障してしまったのです。


 戦果ゼロで帰った時の師の落胆と周囲の視線といったら。


 車の整備を怠った青二の怠慢にはうんざりですが、表立って攻めることはしません。それは花蕾の階級にあるものとしてふさわしい行いではありません。


 かくて大失敗となった前回ですが、今回は違います。供用車の整備もばっちりです。


 嘆きながら師が言うことによれば、件の猟師が殺した生き物たちを調理して食べさせている店が近くにあるのだそうです。


 ネットで検索するとすぐに見つかりました。たしかに山で捕った鹿や猪を食べさせることをウリにしているようです。


 当然見過ごすことはできません。師は期待しているからこそ、自分たちだけにこの話をしたのです。期待に背くわけにはいきません。


 一行は、正義と使命を胸に険しい山道を進みます。正しくは舗装道路を車で、ですが、それは些細なことです。


 彼らは罪を恐れません。世界を正しく、あるべき姿に導くためならば、何年間も刑務所に入ることも厭いません。


 それどころか正義の為なら、命だって惜しくは在りません。


 彼らはそう思っていました。そう思っていると信じていました。



 —命など、懸けたこともないくせに。



 優しさと正義。その中に自分がいるという優越感と共同体意識。それは天下無敵の自己肯定。天上の美酒もかくやの快楽です。


 偶にはそれも良いでしょう。飲まずにはやってられない時もあるでしょう。


 しかし酒は飲んでも飲まれるなと申します。人生の酔っ払い運転は危険です。



 酔ってなんかいない?



 いえいえ、それは(まさ)しく酔っ払いの常とう句でございます。



 酔った彼らは気が付いていませんでした。


 彼らが真に優しかった頃に彼らを虐げた怪物たちと、今の自分たちが同じ顔をしていることに。

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