天ぷら大好き川内さん
さてかくも魅力いっぱいの喫茶こくり家でございますが、メインと言えばはやはり店主の作る料理でございます。
一度口にすればあの味をまたとなるのは当然のこと。一食を食べるために遠い山の中までやってくるお客さんもいらっしゃいます。
ぬっしーハンターをしている常連さんの中には、朝はこくり家のモーニングセット、昼はテイクアウトの「山路さんのおにぎり」、夕方閉店前に立ち寄って食事という猛者もおります。
「山路さんのおにぎり」はこくり家の長い私道の入り口に祭られています道の神様「山路さん」を模した大きなおにぎりでございます。
山路さんは昔は別の場所で祭られていたという話ですが、いつからかこの場所へと移されていたとのことです。しかしそれが具体的にいつだったのか、誰がどうやって運んだのかを知るものはおりません。
鶏ご飯に粒山椒、下部は苔に見立てた海苔で巻き、「山路さん」にしなだれかかる若木を模した三つ葉を添えた食べ応えのあるおにぎりです。
外で食べることを想定した濃い目の醤油味と伊達さんの鶏の出汁で炊いたご飯にごろごろ鶏肉。小粒でぴりりとからい山椒と三つ葉のさわやかな香りでその大きさにもかかわらず最後までおいしくお召し上がりいただけます。
山路さんは本来道の神様なのですが、寄り添う若木と一緒に収めた写真を携帯に保存しておくと恋愛成就のおまじないの効果があるという噂がネットで話題になったこともありまして、山路さんのおにぎりをカップルでシェアして食べるというのもひそかなブームとなっております。
ちなみに若木を外して写真を撮っても縁切り効果はありません。むしろ逆効果です。木の娘は一族郎党ヤンデレであることを忘れてはなりません。カミとは恐ろしいものなのです。正しく敬いましょう。
本来は道の神様である山路に恋愛成就の権能がまことしやかにささやかれるように、ネットというのは実にあいまいでいいかげんで自分勝手なものでございます。
こくり家の店主兵太郎の作る料理にも様々な意見がささやかれます。
曰く。
猪のカレーだけは食っとけ。桃のパフェ凄かった。何言ってんだ桃はタルトだろ。ケーキはチョコレート一択だろ? 常にあることの意味を考えろよ。苺ショート食っていってんのか? 限定に手を出すのはグランドメニュー制覇してからにするんだ。鹿のソテーが一番。ははあ、さては岩魚飯を知らないんだな、限定だからな。オムライスは見た目だけじゃないぞ。実は親子丼ていう裏メニューがあってだな。おまいら一度コーヒーを飲んでみろ。
さてさて一体誰の言うことを信じたらよいのやら。
どうしても迷ってしまった時には「本日のおすすめ」を選んでみるのも一つの手でありましょう。
ちなみに本日のおすすめは「季節の天ぷら盛り合わせ御膳」。
ナス、みょうが、かぼちゃ、オクラ、自家製とれたての夏野菜。キノコチームからはハナビラタケが参戦。
それぞれの食材に丁寧に適切に包丁が入れられており、食べれば衣かりり、中はホクホクでじゅわーっ。むほほ、たまらないでアリマスな。
そしてメインはこの—
「あっ!」
お気に入り帽子をかぶったまま、オムライスを頬張っていた小さなお客様が目をまん丸にして大きな声を上げました。その視線の先に在りますのは……。
おっといけない、揚げたてのてんぷらを前につい我を忘れてしまったようでアリマス。
「いまね、あそこにね、ご飯にね、ふわーってね、なんかなってね」
入り口付近の壁に設置された「ジノブンさんの分」と書かれた神棚を指さして、小さなお客様が今見た出来事を一生懸命お母さんに報告します。
お母さんが娘に促されてみてみれば、確かに先ほどまで見本宜しく神棚にあげられていた天ぷら御膳が、皿だけ残して綺麗さっぱり無くなっておりました。
「ええ、見れたの? すごいねえ。僕も見たことないのに」
珈琲を運んできた店主が小さなお子様と同じくらいまん丸な目をして驚いています。
それをお店のお子様向けの粋なサービスだと思ったらしく、お母さんは良かったねえと娘をあやしながら店主に感謝の会釈をおくり、店主もそれにえへらと笑顔で答えます。
さてさて姿がないのも忘れてがっついてしまうほどの天ぷら御膳、そのメインとなりますのは。
生息域の違う二種の川魚、岩魚と鮎の食べ比べでございます。
岩魚は朝のうちにクロと紅珠が捕まえて来てくれました。
鮎を持って来てくれたのはカウンター席で幸せそうに天ぷらを頬張っている川内さんという常連のお客さん。
天ぷらをつまみに、持ち込んだ自前の徳利から何やら飲んでおりますが、他のお客さんからはわからないよう誤魔化してしていますので特別にお目こぼしされています。
川内さんは竹で編んだ傘帽子がトレードマークで鮎釣りの名人。ついでに言いますと紅珠の古い友人で、その正体は妖怪川獺です。
獣としての日本のカワウソは残念なことにオオカミ同様姿を消してしまいましたが、近年では近縁種がペットとしても人気です。
獣としての彼らは仕草も姿も大変愛らしい動物ですが、妖怪川獺の語源は川恐。即ち川に住む恐ろしいモノの意。
本来その名の通り大変恐ろしい妖怪で、名持の川獺ともなれば文句なしの大妖怪。川内も昔は大層なやんちゃものでありました。
しかしご安心。
何百年か前に全盛期の紅珠から妖狐神通格付けパンチをくらってすっかり心を入れ替えております。
このところは縫霰川の中流で鮎釣りをして細々と暮らしていましたが、親戚筋の鼬の伊達から紅珠復活の噂を聞いて先日駆けつけてくれました。
その際差し入れのつもりで持ってきた鮎を兵太郎がてんぷらにして食べさせた所これを大層気に入りまして、以後定期的に持って来るようになりました。
川内の鮎は縫霰川の中流域、只人が入り込めない秘密の釣り場で捕えた天然物。それをこくり家店主兵太郎が黄金色の衣を纏う天ぷらに仕立て上げました。
かりりと軽い衣の下、ふわり広がる若草の如きさわやかな香りは香魚の別名に相応しい。これこそ鮎というものです。
対するは縫霰川の上流、苔むした岩の間を流れる真夏にあっても凛と冷たい清流に住まう岩魚。こちらも言わずと知れた極上品。
大物ですから三枚に下ろしまして、肉厚濃厚な味わいの身の天ぷらに加えて、中骨も素揚げでお楽しみいただきます。
山椒塩か兵太郎印の天つゆかはお好みで。
縫霰山が誇る二種の川魚を一度に堪能できる「こくり家夏の天ぷら盛り合わせ御膳」。
何にしようかとお迷いでしたらこちらを選んでみてはいかがでしょう。ただしご注意。天然もの故数に限りがございます。
あまり長く迷っていると、無くなってしまうかもしれません。




