桃にドレスを着せましょう
「おっかあ、おっかあ! 大丈夫だったの?」
「あらあ、こりゃあ魂消た。アンタほんとにいたんだねえ」
「な? だから俺はそう言ったじゃねえか。前にもよ」
「ちょっとアンタ娘相手に鼻の下伸ばしてんじゃないよいやらしい。だいたい先にその話をしたのは私じゃないか」
結論から申しますと、紅珠の心配はまったくの杞憂でございました。
「アンタがこの人たちを呼んでくれたんだってねえ。聞けば随分頑張ってくれたそうじゃないか。ありがとうねえ」
「おっかあ。よかった、良かったよう」
おっかあのおっきな愛とおっきな体に包まれて、たんたんころりんはわんわんと大きな声を上げて泣きました。
只の木霊が個としての心を持つまでに育ったのです。これまでに彼女が受け取ったであろう「感情」を思えば、二人がたんたんころりんを受け入れるのは当然の話でした。
「ううむ流石は我が旦那様じゃのう」
考えてみれば道理ではありますが、それを大して考えもなくやってしまうのが兵太郎です。
満足そうな紅珠に合わせて、もう一人の奥さんと家来もうんうん頷きます。感心していいのかどうか審議の余地がありそうですが、そこは痘痕も笑窪というものです。
「妖怪とは言え生まれたばかりじゃ。妖力など使えぬし人の子供とさほど変わらぬ。迷惑をかけることもあると思うが、どうぞよろしくお頼みするのじゃ」
「あれまあ。助けていただいた上娘まで授けていただいて。それでお頼みしますなんてあんたも随分変わった神様だねえ」
おっかさんはあっはっはという豪快な笑い声に心配性の神様紅珠も一安心です。
病院からの道中、紅珠たちの正体については説明済み。
最初は半信半疑の反田夫婦ではありましたが、夫婦二人とも「たんたんころりん」の存在に覚えがあったこともありまして納得することになりました。
妖怪なるものの存在についても、おんぼろ車の定員オーバーと言うことで、山道をぴょんぴょんと車と並走する狗耳としっぽを生やした少年を見れば納得するしかありません。
「なんのお礼もできないけど、桃ならなんぼでもあるからいっぱい食べていってねえ」
「オラが持っていくから、おっかあは日陰にいて!」
「おい大丈夫か? 重いぞ?」
よいしょ、よいしょ。
おっとうとおっかあに見守られて、たんたんころりんが籠いっぱいの桃を運びます。体は小さくともおっとうとおっかあの娘です。このくらいへでもありません。
果樹園の中に設置されたテーブルに、籠にこんもりと盛られた桃が置かれました。
「わあ、ありがとうございます」
用意されたのは今がまさに旬の小ぶりな品種。ころんとした可愛らしい見た目に反して、食べてみれば柔らかな果肉からあふれ出す果汁。
「ほおう、甘いのう」
「ん~っ。生き返りますわね」
「冷たくておいしいです。もう一つ頂きます!」
暑さも強くなってきたお日様の下、良く冷えた桃は何よりのご馳走です。
「どんどん食べとくれ。それにこっちもどうぞ。常連さんはみんな買ってくうちの人気商品なんだから」
テーブルに追加で置かれたのはトーストした食パンと反田果樹園で作られた桃のジャム。お昼も大分回っておりますからこれも嬉しいおもてなしです。
桃のジャムは普通白色です。しかし反田果樹園のジャムはうっすらと綺麗なピンクに色づいていました。
「わあ、このジャム凄くいい香りですね。桃の皮を使っているのかな?」
「あんれアンタよくわかるねえ。別に煮た汁を加えてあんだよ。それで色も綺麗につくんだ」
兵太郎の言葉に反田のおっかさんが目を丸くして驚きました。傍らで聞いていたクロはとても誇らしい気分です。ジャムの材料を香りで言い当てるなんてクロにもできません。流石ご主人様です。
「お土産にも持ってってねえ。なんせ売るほどあるんだから」
農家ジョークを飛ばしながら、おっかあは今度は箱いっぱいの桃を持ってきました。
「おっかあ、オラがやるから!」
「はいはい、次は頼もうかね。何でもやりたがって。この間なんかこの子、パフェになりたいなんて言い出してねえ。こんな田舎でパフェもないもんだろうに」
「も、もう。おっかあ、紅珠様の前でそったらこと言わんでも」
たんたんころりんが顔を真っ赤にして抗議します。
何せ「もうパフェになりたいなんて言いません」と神様にお願いしたのです。願いを聞いてくれた当の神様の前でそんな話をされてはかないません。
もっとも当の神様の方は何のことを言っているのかさっぱりわからないのですが。
「パフェ。桃のパフェかあ」
しかしその言葉、神様の旦那さんには何やら随分と響いたようで、桃を見つめる兵太郎の目が輝き出しました。
たしかにそのままでも絶品の桃ではございますが、この味、この香り、そしてこの大きさ。パフェの材料には申し分ありません。
こうなった兵太郎は止まりません。奥様達と家来はそのことを良く知っています。
「あらあら困ったこと。奥様、御庭を少々お借りできますか?」
「庭? そりゃあ構わんけど」
いくら兵太郎と言えども、使い慣れた厨房と道具なしで料理をするのは大変です。材料だってありません。
でも、ご安心。
「こくり家」は常に、兵太郎の隣に在るのです。
反田果樹園の広い庭の真ん中に、神様ではない方の奥さんが妖しい気配を纏ってたたずみます。
兵太郎の奥さんの一人藤葛はこくり家そのもの。豊かな胸元で藤色の光を放つ大きな鍵がその証。外出を妖電池に頼っていた頃とはわけが違います。
ぽんぽんぽぽぽぽん、ぽんぽぽん。
「こくり家の女将、藤葛が申します。『在れ、こくり家厨房』!」
ぽん!
何処からか清廉なる太鼓の音が空気を震わせたその直後、反田農場の広い庭にカウンターキッチンが出現しました。
まだだだっぴろいこくり家の全てとはいきませんが、力を取り戻した藤葛の妖術ならばキッチンくらいはお手の物。
「わあ、藤さんありがとう」
「お任せくださいませ、兵太郎」
パフェを作りたくて作りたくてたまらなかった兵太郎が厨房へ駆け込むのを、家が本体の方の奥様が嬉しそうに見送ります。
「藤様、凄いです!」
「素直に感心しとるだけでよいクロが心底羨ましいのじゃ。凄いっちゅうかもうコレ……。藤、お前は化け物か?」
「はあそうですが」
「そうじゃったの! ええい日本語は難しいのじゃ」
罵倒、称賛、単なる事実。「化け物」一つにもいろいろな意味がございます。千年生きていている紅珠にとっても日本語は難しいようです。
「大体、妖力で木霊を妖に変えるような方に驚かれましても。私が化け物なら紅さんは神様か何かですか?」
「とんでもない儂は神様じゃ」
「私は紅さんほど長くは生きてはおりませんのでそんなネタはわかりませんわ。さあたんたんころりんさん、こちらへおいでなさいな」
藤葛に招かれるまま、戸惑いながらもたんたんころりんが厨房へと入りますと、テーブルと厨房の間ににょん、と大きな仕切りが現れました。
申し訳ございませんとお辞儀をする藤葛が描かれたその仕切りによって、厨房の中の様子は窺えなくなってしまいます。
普段ですと調理過程をお見せするのがこくり家。
しかし此度は淑女のお召替えにてございますれば、ご家族の方にも立ち入りご遠慮願います。
『在れ、こくり家厨房』のあたりからずっと、ぽかんと口を開けたままのおっかあとおっとうに向けて、大妖狸藤葛が秘密めかした笑顔で人差し指を唇に当てます。
「決して、中を覗いてはいけませんよ?」
とんとんからり、とんからり。
狸印の衝立の向こうから、不思議なリズムが響き始めました。




