桃の実ころりん
ショートケーキ、タルト、ゼリーにコンポート。
おっかあが経営する果樹園にお客さんが忘れていった雑誌に寄りますと、都会のおしゃれなお店にはパティシエなる魔法使いがおりまして、果物たちを美しいデザートへと変身させるのだと言います。
どのデザートも素敵ですが、やっぱり一番はパフェでしょう。
シロップのお風呂に漬かってツヤツヤ光を放つお肌。チョコのスティックにミントの葉のアクセサリー。アイスや生クリームのドレスを纏ってポーズを決める彼女たちの、なんと美しいことでしょうか。
雑誌の写真を見て思わずほうとため息をつきます。
「オラもドレスさ着たら、こんな風に綺麗になるんだべか」
なんて言っては見たものの、そんなの夢のまた夢です。
うちに来るお客さんは食べる時はだいたいみんな丸かじり。せいぜいが皮をむいて切って並べるくらい。生クリームなんかもちろんつけてくれません。
おっかあはジャムを作りますし、それはおいしいと近所では評判ですがでもやっぱりそこまでです。
おっかあが都会のおしゃれなお店に売り込んでくれたらいいのに。直売と市場にしか販売していないのはどういうつもりなの?
食べごろになった実をもぎに来たおっかあにそう訴えてはみるものの、人間であるおっかあに自分の声は届きません。
頬をぷーっと膨らませますが、それもおっかあには見えません。
「おっかあの馬鹿。もう知らん!」
ぷいっと拗ねてみせたって、おっかあの方だってもちろん知る由もありません。
おっかあは娘の気も知らず食べごろの実で一杯になった籠をよいしょ、と持ち上げようとして—
くらり。膝をつきました。
「おっかあ?」
おっかあはそのまま崩れるように地面に倒れこんでしまいます。
「おっかあ、おっかあ!」
駆け寄って叫んでみても自分の声は届きません。
「どうしよう……」
おっとうはとうに出かけています。帰ってくるのは夕方になってから。待っているわけにはいきません。すぐにでも人を呼ばないと。おっかあを病院に連れていってもらわないと。
でもどうやって? 自分の姿は人には見えないのに?
それでも迷っている暇はありません。自分が知っている唯一の人が多い場所、市場を目指して走ります。
罰が当たったのでしょうか。
市場へと必死に走りながら、姿を持たぬ「彼女」は思います。
自分がおっかあに向かって馬鹿なんていったから。
たくさんのお客さんの笑顔に囲まれて十分幸せだったのに、それを忘れてパフェになりたいなんて願ったから。
これはその罰なのでしょうか。
だとしたら、一体自分はなんてことをしてしまったのでしょう。
神様、神様、ごめんなさい。
もうパフェになりたいなんて言いません。シロップのお風呂もクリームのドレスもいりません。
だからどうか、どうか、お願いです。
おっかあを、おっかあを助けて下さい!
******
「うう~ん?」
一人で歩き出した挙句、結局目標を見失ったらしく、きょろきょろきょろとあたりを見回す兵太郎に、三匹の妖怪が追い付きます。
「お前様、今度は何を見つけたのじゃ?」
「ううん。何も見つけてないんだけど、なんだか呼ばれた気がしてねえ」
兵太郎の言葉に奥さんたちの視線はクロに向けられます。しかしクロはふるふると首を振りました。さっきから耳をとんがらせて伺っていますが、獣も人も妖怪も、辺りには何もおりません。
兵太郎をかどわかそうとする妖怪という線は少なそうではありますが、クロは油断せず警戒を続けます。
「呼ばれたというと音や声が聞こえたのですか?」
「ううん。それがさあ……?」
兵太郎の言葉はどうにも曖昧です。
「ふむ、よくわからんと。とすると物の怪の類かの?」
姿も音もなく、ただ呼ばれたような気がする。
しかしそれが「気のせい」だとは限りません。そもそも「気のせい」とは形を持たぬ物の怪たちのさざめきです。
ただし常に何かを伝えようとしているわけではなく、全く関係のないおしゃべりしているだけかもしれないのが悩ましいところ。結局「気のせい」とか「気にしすぎ」だったりします。
「お前様、どんなことを言っておったかはわかるかの?」
「ううん。なんだかねえ。よくわかんないけど凄く困っているみたいなんだよ」
『どこかで誰かが困っている』なんてどこぞの正義の味方のセリフのようですが、どこの誰かもわからないので駆けつけることはできませんし、締まりのないぼへんとした顔で自信なさげに言うものですから今一つ様になりません。
大体わかったところで所詮兵太郎です。なんにもできませんから、ヒーローになれようはずもありません。残念。
しかし「凄く困っているみたい」などと口にする兵太郎は自分の方がよっぽど困った顔をしています。そんな顔はずるいのです。何とかしてあげたくなってしまいます。全く困った旦那様です。
何もできない兵太郎はヒーローにはなれません。
でも兵太郎にはそれはそれは頼もしい三匹の妖怪が憑いていて、妖怪たちは困った兵太郎を放っては置けないのです。
「とは言ってもですわね」
「ううむ、どうしたものかの」
誰が何故困っているのかわからず、何をして欲しいのかもわからなければ大妖怪と言えど何もできません。
紅珠もテリトリー外の物の怪の声を聴くことはできません。本来物の怪を感知できるのはそれらが何らかの共通の「思い」に従って群れている時だけです。
三匹がどうしようかと頭を悩ませておりますと、道の前方からころころころと何かが転がってまいりました。
ころころころ。
それは坂でもないのに妖しく転がり続け、兵太郎の足元まできてころりんと止まりました。兵太郎は怪しむこともなくかがんでそれを拾い上げます。
「ううん。桃だねえ?」
ぼけーっと兵太郎がつぶやく通り、それは食べごろの桃の実でした。