きのこ大好き新井さん
平日ながらもなかなかの賑わいを見せた本日。ランチタイムも終わりが近づき奥様達は広報や副収入のお仕事へ。
そんなこくり家に駆け込むようにしてお客様がご来店されました。
中年太りの男性で五十、いえ六十を超えているかも? 元は良い物であろうスーツはくたびれてよれよれ。しかもなんだかあちこち土で汚れており、頭には葉っぱまで乗っています。
「あっ、あのっ、入り口に書いてある限定メニューってまだありますか!」
お迎えに向かったクロに、お客様は開口一番歳に似合わないうわずった声で確認しました。
「はい。鹿のローストもヤマドリタケのスパゲティーもどっちも残ってますよ」
クロが答えると、お客様はぱっと顔を輝かせました。
「じゃあパスタをお願いします!」
「はあい、承りました。お好きな席へどうぞ」
「あっ……。すいません」
まだ席にも着いていないうちから注文をしてしまったことに気が付き、お客様はバツが悪そうに頭を掻きます。その拍子に頭から落ちた葉っぱは風もないのにふわふわと、窓から外へと飛んでいきました。
カウンターへ向かうお客様の口元はニヤやついています。ランチが残っていたことが嬉しくて仕方ないようです。
「いらっしゃいませ。お客様ヤマドリタケお好きなんですか?」
「ええ、そうなんです。昔は山に入って探したりもしたんですが今は体力がどうにも。でも入り口のメニュー見たらもう食べたくて食べたくて仕方なくなっちゃって」
カウンター越しに兵太郎に聞かれたお客様は照れ臭そうに頭を掻きながら答えます。
「それは良かった。とっても綺麗なヒトたちが来てくれたんですよ。ほらこれみて下さい」
兵太郎がずんぐりと大きなヤマドリタケをお見せすると、お客様は目をまんまるにして驚きます。
「すごい。こんな立派なのは見たことがない」
お客様はごくりと唾を飲み込みました。自分でも採りに山に入るほどのキノコ好きですからその希少さも味も十分知っています。だからこそその凄さがわかります。
「いやあ、楽しみだなあ」
とんとんからり、とんからり。
包丁とまな板が奏でる不思議なリズム。店内ならば音に聞け、カウンター席なら目にも見よ。
オリーブオイル、にんにく、玉ねぎ。鶏肉に焦げ目が付いたらスライスしたヤマドリタケを贅沢に投入。こんなに入っていいのかな?
ぱっと香りが広がって期待が高まる中、兵太郎が金属性のボウルから菜箸で何かを取り出しました。何かに漬けられていたのか褐色の雫を滴らせるアレは一体?
「ええっ!?」
お客様が思わず驚きの声を上げてしまうのも仕方がありません。兵太郎が取り出したのはなんとびっくり、こちらもヤマドリタケ。
スライスしたヤマドリタケを狸印のオーブンを使って数時間かけて低温でじっくり乾燥。半渇きセミドライ状態にして再びぬるま湯に漬けて戻したものです。
ヤマドリタケはセミドライにすることで香りと旨味がさらに強まります。でもフレッシュヤマドリタケの歯ごたえと舌ざわりだってそれに劣るものではありません。
正直どっちも捨てがたい。だから生と半渇き、二種類のヤマドリタケを使うのです。
白ワインとヤマドリタケの旨味いっぱいの戻し汁、生クリームを加えて弱火で過熱。投入した茹でたてパスタにパルメザンチーズでコクをプラスしたソースがしっかりと絡んだら。
『ヤマドリダケと鶏肉のクリームソースのスパゲティー』の完成でございます。
「すごい……。夢なんじゃないだろうか」
思わずそんな感想を漏らしてしまうお客様ですが、試しにと頬をつねる必要はありません。
夢に出てくる「食べたことがない美味しい物」は決して食べることができません。さあどうぞ確かめて。もしも食べることができたなら、それは紛れもなく現実です。
プレゼントを前にした子供みたいな笑顔で期待を込めて、フォークを使ってくるくるくる。ヤマドリダケからあふれ出た旨味で茶鼠色を帯びたクリームソースがスパゲティーに良く絡みます。
ああこの香り、たまりません。でも一度に食べてしまってはもったいない。まずはお味見、一口ぱくり。
!!!
なんて後を引く味でしょう。
食感のフレッシュ、香りとコクのセミドライ。二種類のヤマドリタケが手を組んで、元より一級品の自らを超一級へと昇華。
ナッツのような香りと旨味とチーズのコクがパスタに載ってやってきます。そこに時折加わる鶏肉のおいしいこと。
こんなおいしくて貴重な物急いで食べてはもったいない。それはわかっているのにやめられない。次の一口が止まらない。
おいしい、おいしい、おいしい!
かくして貴重なパスタはあっという間になくなってしまいました。
でも残念だとは思いません。食べた後も未だ薫るヤマドリタケが「ああ、おいしかった」を繰り返し呼び起こします。
食後の珈琲を頂きながら、お客様は満ち足りた気持ちで店内を見渡しました。
わざわざこんな山の中まで来たというのに本来の目的は果たせなかったけれど、これならチャラどころかおつりが来るかも。まあ、問題が解決したわけではないけれど。
食べている間は気が付きませんでしたがよく見ればなんとも居心地の良い空間です。強い主張は持たないけれど温かみのある調度品、明るさは十分なのに目を刺激しない照明。椅子一つも座りやすくついつい長居をしてしまいそう。会社の椅子も変えたらもっと効率が上がるかな? まあ、今の会社にそんな余裕はないか。
「ん?」
店内を見渡すお客様は、店の入り口に奇妙なものを見つけました。
手作りでしょうか。なんだか可愛らしい作りの木彫り。丸くて、小さな目に大きな口。シンプルでコミカルな作りなのにでも生きているような躍動感。
吸いつけられたようにその木彫りから目を離せないでいるお客様に、兵太郎が言いました。
「それ、この先にある湖のヌシさんなんですよ」
「ヌシっ? こ、これがヌシですかっ?」
お客様は木彫りから目を離さないまま、素っ頓狂な声を上げました。
「ええ。可愛いんです。求肥みたいにぽよぽよしてて」
「求肥っ!?」
求肥というのは白玉粉等に砂糖や水あめを加えて練り上げたものです。
大福のように餡をつつんだりそのまますあまとして食べたりと和菓子の世界では大活躍の求肥ですが、だからってそんなに驚かなくても良いような。
「あのっ、この木彫りって何方どなたが作られたのですか?」
「ああ、僕が掘りました」
「貴方がっ!?」
お客様の驚愕の視線がヌシ像から兵太郎に移します。
「失礼、ヌシについて詳しく聞かせていただけませんか?」
兵太郎だって良く知っているわけではありません。詳しくと言われても困ります。しかしそこは心優しい兵太郎。聞かれたのだからと覚えていることを教えてあげることにしました。
「ええと、ヌシさんはカレーが好きです。あと口の中は意外にあったかくて、真っ暗でべとべとしてて……」
「は? カレー? 口の中?」
後何があったっけ。ううんううんと首をひねる兵太郎にお客様が名刺を差し出してきました。
「申し遅れました。実は私こういう者でして」
小豆一筋七十年。
株式会社 新井堂本舗 代表取締役社長
新井 恒明