物の怪が見てる
「カネオちゃん、カネオちゃん、一体何があったの」
「うるせえババア!」
心配する母親に向かって吐き捨てると、カネオはいつものように部屋にこもりました。
ひどい一日でした。全部タンクトップとヒマンタイのせい。今日だけではありません。大体いつも全部あの二人のせいです。
あああああ、ううううううう。
イライラが募ります。
元よりあの二人の救いようのない馬鹿さ加減にはほとほと愛想が尽きていました。カネオの出したお金で好き放題。所詮僕の使用人に過ぎないくせに何を勘違いしているんだか。より良い高校生活を送るために金で使ってやっているというのに、立場もわからないとは困ったものです。
とはいえ面と向かって盾突いてもしかたありません。殴られでもしたら大変ですし、馬鹿を相手にしても仕方ないのです
まああの二人にはいずれ何らかの方法でしっかりわからせてやるとして。まずはあの「こくり家」とかいう喫茶店です。
ちっ。
特にあの乱暴な店員の客を客とも思わぬ態度。すました顔を思い浮かべるだけで腹が立って仕方がありません。世界という物をわからせてやらなくては。誰に逆らったのかを思い知らせてやらなくては。
く、ひひ。ひひひひひ。
カネオはパソコンに向かいます。
インターネットの中に吐き出される、あちこちの喫茶店に向けられた苦情の中でも質の悪いものを探します。
産地の偽装、劣化した食材、見えないところの不衛生さ。自分を善人だと思っている程度の低い奴らはこういったものが大好物です。
けらけらけら。ほらやるぞ。
くすくすくす。そらやるぞ。
あつめてまことしやかな噂話を作り上げ、ネットの海に放流する。ネットで拾った適当な写真も付けましょう。
カネオがするのはただそれだけです。場所も店名も個人名も出しません。ただ調べればわかるように情報を添えるだけ。 このやり方なら何か起きても自分は悪くありませんし、その方がリアリティーがあるのです。
くひひ、うひひ。
もうすぐだ。
あの乱暴な店員め、僕の力を思い知れ。
別にうまくいかなくたって構いません。これで十分気分は晴れます。うまくいったら儲けもの。善意の第三者が寄ってたかって拡散してくれればちっぽけな喫茶店などすぐにつぶれてしまうでしょう。
ひひ。ひひひひひ。
やるぞ、やるぞ。もうすぐだ。
カネオはそれが悪いことだとは知りませんでした。甘やかされて育ち、悪い仲間とつるむようになったカネオに、何が悪いことなのか誰も教えてくれませんでした。
いえ、悪いことだというのはわかっていたのかもしれません。でも誰かに知られることがなければそれは、悪いことにはなりません。バレなければ何をしてもかまいません。
「誰も見ていないからと言って悪いことはしてはいけない」。その当たり前のルールを、カネオは知りませんでした。
今日、今、この瞬間までは。
ふとカネオがパソコンから頭を上げると、何だか部屋の中が暗い気がしました。
ババアが部屋の蛍光灯を変えないせいだ。
ち。
文句を言ってやろうと椅子から立ち上がろうとして部屋の様子がおかしいのに気が付きます。
暗いというよりも、蛍光灯が作り出す影がいつもよりも濃いような?
タンスやロッカーといった家具が作り出す影が真っ黒で、そして、不自然に大きいような気がします。
不審に思いながらパソコンに向きなおると、パソコンの大型モニターが作り出す真っ黒な影に、
ぞっ。
——目玉が一つ、ついていました。
カネオと目が合うと、目玉はすぐに目を閉じました。目玉だった場所は元の真っ黒な影になりました。
気のせい?
ではありません。
だって、今視界の端で別の目玉が開きました。もしもそちらに目をやればさっきと同じように目玉はすぐに閉じるでしょう。でもまた別な目玉が真っ黒の中に現れて、カネオを見つめるでのしょう。
だって、だって、だって!
く、ひひひひ。もうすぐだ。
やるぞやるぞ。そらやるぞ。
一度気がついてしまえば部屋にあふれる真っ黒なソレは、もう影には見えません。
くひひひひひひ、おお、おお
はやくしろ、さあはやくやれ。
俺だ、お「「「「「お「あ「あ、私だ」僕だ」オレだ」ご報告」」
おお「おおお「ボクの物だ」儂」」僕の手柄だ」食う「「「「のは儂だ」
たくさんの、沢山の、沢山の。たくさんの「何か」が影のふりをして、
儂「「らだ」早く」しろよ「ちっ。「あああ」あ」」」」ああ早くしろ」まだか「まだかな「儂が貰う「食べる」おお「おおお「食べる「「「のは俺だ」「早くしろ「いひ」」ひひひ「うふふふふ」あああ「「あ」ああ」」
ずっとずっと、カネオを監視していたのです。
するぞ、するぞ、もうすぐだ。
やるぞ、やるぞ、もうすぐだ。
狐の奥方にご報告。
狸の奥方にご報告。
さっさとしろよ、
そしたらすぐに、紅の御方にご報告。
とっととやれよ、
そしたらすぐに、 藤の御方にご報告。
御方々に盾突きし、不埒な輩のその悪行、
いと美しく、いと恐ろしい、奥方様にご報告。
くひひ、けらけら、あはははは。
そしたらそしたら食えるかな。
儂らもアレを食えるかな。
縫霰の御山のその奥の、
口福の厨のこくり家の、
不思議な主が作るという、
いと有難き天上甘露。
褒美に賜るのは儂らだ儂だ。
カネオ初めて知りました。悪いことをすれば罰が当たるのだと。悪いことをしたから罰が当たったのだと。
それを始めて知りました。
「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません!」
カネオは「何か」に必死で頭を下げました。初めて本気で謝罪をしました。そして二度とわるさはしないと誓いました。
すると―
ちっ。
大きく舌打ちが一つ響いて、気が付けば部屋はいつもの通りの自室でした。
「カネオちゃん? カネオちゃん?」
戸口を叩く音。母親がカネオを呼んでいます。
「ママ!」
カネオは部屋を飛び出して母親に抱きつきました。
「カネオちゃん、どうしたの子供みたいに」
抱き着いたまま振り返ってみても、部屋の中はいつもの通りです。
「悪い夢でも見たのね。凄い声が聞こえたからママ飛んできたのよ」
ママはそう言って、高校生のカネオをよしよしとカネオを抱きしめてくれました。
夢?
さあて、どうでしょう。いずれにせよもう一度試してみる気にはなりませんでした。
前回のあとがきでもう一話続くと言いましたがアレは嘘です。
もう一話続きます。




