第39話
モリコ王国から二百八十キロ離れた場所。
そこにあるモリコ王国侵攻軍の駐屯地は異様な静寂が漂っていた。
空を覆う黒煙、鉄と油の焼ける匂い。
駐屯地に設営された整備エリアには、傷ついた巨獣──ラーテがそびえ立っている。
夕陽の朱色に染められた鋼鉄の装甲は無数の焦げ跡と弾痕に覆われていた。
左側面の副砲ユニットは完全に破壊されていた。
砲塔の根元が抉られ、内部の機構がむき出しになっている。
「百二十八ミリ砲の損傷は深刻だな……修理班、すぐに取りかかれ!」
司令官ベルグの声が響くと、整備兵たちが一斉に動き出した。
彼らは大きなクレーンを使い、破損した副砲の残骸を慎重に撤去していく。
油圧アームが軋みながら動き、火花が散る。
「ベルグ様の慧眼ですね。薬室を砲塔ごとに独立させて、装甲で覆っていたのが功を奏しましたよ」
整備班長の黄色いゴブリンがにかりと笑う。
「装填に手間は掛かりますが、薬室を共用していたらラーテは吹っ飛んでいましたよ」
「万が一に備えるのが、私の仕事のひとつだ」
「そうですね。しかしラーテは動いていたんですよね。直径十二センチの砲口は規格としては大きいんですが、砲口の内側にビームを叩きむなんて普通は出来ませんよ」
整備班長の言葉は一理あった。
無数の精霊を操りながら、動くラーテの砲口にビームを叩き込む。
そんな芸当はデマルカシオンのフェアリーテイマーたちにも不可能だろう。
「どれくらい掛かる?」
「三時間——いや、二時間半で終わらせてます」
「わかった」
巨大な装甲板がゆっくりと取り外されていく。
「作戦会議ですか?」
「鉄は熱いうちに打てだ。修理が終わり次第、出撃する」
技術兵のゴブリンが代替部品を運び込ぶ。
「勝ってくださいよ。あんたら帰還派は、『無尽の戦乱』派と違って俺たちを大切にしてくれるんでね。こういう奇想天外な兵器を使いたいから、俺たちを大切に使いたいんでしょうけど」
「わかっている。我ら帰還派が派閥争いに勝利しよう」
帰還派はこの世界を地獄に落としたい『無尽の戦乱』派と比べて、部下を大切にする傾向があった。
親切心や思い入れがあるからではない。
『無尽の戦乱』派は一騎当千の強者揃いなのに対して、帰還派は頭脳派だからだ。
帰還派は強力な兵器を使ったり、戦術を駆使して、敵を追い詰めることを得意としている。
手足となる部下達が従わないと戦えない。
また元の世界に戻るとき、裏切られると厄介だ。
別の次元を通過するのは多大な魔力と高度な技術が必要だからだ。
良い顔をしているのは目的のための手段に過ぎない。
ベルグは駐屯地に設営された、作戦会議室に向かう。
それから二時間後、ベルグは作戦会議が終わり、外に出た。
ラーテの修理状況を確認しに整備エリアに向かう。
「砲塔の修理状況はどうだ?」
「はっ、完了しています! いつでも最出撃可能です」
「よろしい」
整備班長の言葉に、ベルグは鷹揚に頷いた。
「全軍、出撃ですか?」
整備班長にベルグは頷いた。
「麾下の全ての機甲部隊と戦闘ヘリ部隊に出撃命令を出す。すまないが準備に掛かってくれ」
冷たい夜風が吹き抜ける。
モリコ王国の外壁の隙間に身を潜めながら、空人はじっと闇に溶け込んでいた。
壁の向こうには広大な平野が広がり、月明かりがぼんやりと地面を照らしている。
静寂の中、光りの精霊が一匹、空人のそばに寄ってきた。
『空人、聞こえる?」
精霊からスワーラの声が聞こえてくる。
「ああ、よく聞こえるぜ」
『あたしは配置についたわ。作戦は順調に進んでいる。正直、悔しいけどね』
スワーラの悪態をつく姿が思い浮かんで、空人は笑い声をあげた。
『ちょっと、あたしは悔しかったのよ。まさかモリコ王国に、国民全員を脱出させるルートが用意されていたなんて知らなかった』
アルセインはデマルカシオンが侵攻する前に用意していた。
国民全員を避難させられる安全な地下に堀り巡らされたルートを。
その存在があったからこそ、アルセインはどこか余裕があった。
「あんたは得意げに避難ルートを提示していたからな」
スワーラの避難計画に賛同したのは、脱出ルートの存在を隠すためだった。
スワーラは滅びたシュライバー王家の一員だが、部外者だ。
アルセインとスワーラが個人的に親しかったとしても、国民全てを逃す計画を承認するはずがない。
司令室に案内したのも、スワーラの避難計画を断る前振りだったのだろう。
「アルセイン王の何代も前から準備していたというんだから、大したものさ」
『東部諸国は昔から仲が良くなかったからね。いつ侵攻されるか、わからないという恐怖を抱いていたのは理解出来るわ。モリコ王国が強力な軍事力を誇っていたとしても、陥落しないとは限らない。非常用の脱出ルートを用意していても不思議ではないわね』
スワーラの声からは悔しさがにじみ出ていた。
アルセインとは親しい間柄だったから、余計に秘密にされていたのは悔しいのだろう。
『それにしても、よく気づいたわね』
「スワーラよりも年上なんでさ。年の功って奴よ」
『へえ、あたしよりも年上なんだ』
「そう見えないか?」
『ヘルメット付けているんだから、わからないわよ』
それもそうか、と空人は思った。
食事のときにはヘルメットは外しているが、大急ぎで食べていた。
しかもいつ敵が来るかわからないからセティヤと交代で食べている。
自分の素顔を見ていなくても不思議はないか。
『空人。こちらも配置に就きました』
セティヤの声が聞こえてくる。
妖精はセティヤやネウラのところにも派遣されていて、妖精を通じて会話が出来るようになっていた。
「この妖精は便利だな。俺は通信魔法は使えないし、大声で話しかけたり身振り手振りでやりとりしていたからさ」
『これからの戦いを考えれば、離れたところで戦うことも増えると思います。意思疎通をするために、通信手段の確保は大事ですね』
「そうだよな」
空人は頷く。
『ところで、今回の約束はなんですか?』
「ああ――どうするかな」
セティヤに催促され、空人は思案する。
『約束ってなに? セティヤ』
『大きな戦いの前に、空人といつも約束しているのです。空人の世界に行ったときに、一緒に見たり、連れて行ってもらったり、食べたりする』
『そう言えば、この戦いが終わったあとに空人のいる世界に行くんだっけ。約束するなんて、お姉さん羨ましいな』
『これは私と空人との約束ですよ』
心なしか、セティヤの声がほんの少し不機嫌になった気がする。
『空人。あなたの世界にもカジノとかあるの?』
「あるけど――俺の国ではいまのところはないぞ。非合法なのはあるらしいが」
スワーラの問いかけに、空人は苦笑しながら答えた。
日本ではカジノは合法化されていないが、議論は進められていた。
空人が元の世界に戻ることには、カジノが普通に遊びに行けるのかもしれない。
『では、決まりだね。あたしをカジノに連れて行くこと。それが今回の約束よ』
『スワーラ。なにを言っているのですか? 約束は私と空人だけのものです』
『そんな決まりはないわよね?』
空人はなんと答えていいか、わからなくなる。
いつもセティヤと約束していた。
だから他の相手と約束することは考えたことがなかった。
約束はセティヤとの絆の証しだ。
デマルカシオンを倒すためには、セティヤの協力は不可欠だ。
だが、これからはスワーラの協力も必要だろう。
彼女をつなぎ止めておくためにも、約束を結ぶのはありかもしれない。
そんな打算に満ちた考えに、自分でも嫌気がする。
だが、断れば関係が悪くなるかもしれない。
ラーテとの決着の前に、それは避けたい。
「わかったよ」
空人は苦々しく思いながらも、しぶしぶ頷いた。
『空人!』
『やった!』
セティヤの怒鳴り声とスワーラの嬉しそうな声が重なる。
空人は失敗したかなと思いつつ、セティヤならばわかってくれるだろうという安心感もあった。
『あの、空人殿。私も――』
遠慮がちにネウラが声をあげた。
かすかな足音が近づき、空人は目線を向ける。
影が一つ、闇の中から滑るように現れた。
「ラーテが接近中です」
伝令の兵士は低く短い声で伝えてくる。
空人は小さく頷く。
「ご武運を」
そう言いながら伝令の兵士は去っていく。
「任せとけ」
そう空人は背中に声を掛けながら、両手でスナイパーライフルを構える。
スコープには七十キロ離れた先から、ラーテがこちらに向かってくる姿が見えた。
ラーテはたしか、時速四十キロだったか。
クロスバイクの平均速度が時速三十キロだから、僅かにラーテの速度が速い。
だが、この世界のラーテは時速八十キロはあろう速度で向かってくる。
ラーテの射程距離、二十キロの範囲に入るのは一時間も掛からない。
だが、空人は成層圏の向こう側にいる二百キロは離れた衛星砲を撃ち抜いた。
この距離ならば、ラーテを攻撃出来る。
「さて、決着をつけようぜ」




