キス攻防戦?
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魔王クラヴィスはキス魔である。
魔王城にやってきて早二週間。
これがわたしの行きついた(現実逃避とも言い換えることができる)答えである。
だって、わたしが「死の接吻、ぎゃーッ‼」とか騒いでいた時から、一日に最低一回はキスされてる気がするんだもん。多いときは数回! これがキス魔でなくて何だと言う!
そしてこの事実に気づいた今、わたしに重大な問題が起こった。
そう――
勝手に「死の接吻」とか命名してあのキスの命の危険を感じていた今までと違い、あのキスが単なるキスだと気づいた今、わたしは――わたしは――、泣きそうなほど恥ずかしいのだ‼
クラヴィスにキスされるとき、たいていわたしは硬直状態で、くわっと目を見開いたままだから、ゆっくりと近づいてくる顔とか、伏せられる長い睫毛とか、唇にあたる吐息とか、なんかいろいろがっつり記憶してしまっている。
ふわりと触れてくる唇が思ったより柔らかいなーとか、あったかいなーとか、クラヴィスはいい香りがするなーとか、とにかく思い出したらヤバイ!
前世腐女子、今世も恋人なし!
恋愛経験値底辺のわたしには、キスとかハードルが高すぎる!
しかももうなんか怖いからなのか、ときめいているからなのか、はたまたその両方なのかわからないけど心臓のバタつきが激しすぎる!
とにかくこれ以上キスされるのはわたしの心臓的によろしくない!
よってここに、クラヴィスのキス回避計画を立てることにする‼
「いやー、そこは逆に慣れちゃった方がいいと思いますけどね今後的に」
わたしのための紅茶をいれながら、リュリュがあきれた顔をした。
リュリュは優しいし何でも話を聞いてくれるから、最近は完全にわたしの話し相手兼相談役だ。
クラヴィスのキスをいかにして回避するかと悩みもすでに相談済み。
「今後的にってどういうこと?」
「えーだってー、花嫁様は魔王様の奥さんなんですから今後もっとうふふな展開とかあるわけじゃないですかー」
「ない! そんなものは絶対ない!」
「いやいや、あるっしょ」
「ない――――――‼」
ラスボスとうふふな展開?
そんなことになれば、その展開中にいろいろ粗相をして殺されるに百万票‼
「そんな全否定したら魔王様も可哀そうですってば」
あの方あれでもかなり我慢しているんですよ、と意味の分からないことを言いながらリュリュがいい香りのする紅茶をそっとわたしの前に差し出してくれる。
「まあ一応聞きますけど、そのキス回避ってどうするおつもりですか?」
「キスされそうになったら逃げる!」
「花嫁様はもう少し頭を使った方がいいですよ、頭を」
え、なんかわたしディスられてない?
リュリュがやれやれと肩をすくめて、わたしの対面のソファに腰を下ろした。
「そもそもですね、魔王様にチュッチュチュッチュとキスされてるのは花嫁様に隙が多すぎるからなわけですよ」
……チュッチュチュッチュとか言わないでください腐女子には刺激が強すぎて鼻血が出そうです。
わたしは鼻を押さえて、リュリュに続きを促した。恥ずかしいが貴重な意見だ、聞かねばならない。
「いいですか? まず花嫁様は魔王様が近づくたびに硬直しすぎです。あれじゃあキスしてくださいって言ってるようなもんじゃないですか。隙だらけもいいところですよ、ガバガバです。脇が甘いどころか全部甘いです」
「うぐっ」
「魔王様もキスでよくとどめていると思いますよ。無抵抗な花嫁様相手なら押し倒して既成事実つくるまで三分ですよ三分」
「ふぐっ」
三分とかわたしはカップ麺かよいくらなんでも短すぎだろう、とか思ったけどここも奥歯をかみしめて黙っておこう。
「だいたいキスされそうになったら逃げるっておっしゃいましたけど、瞬きも呼吸もまともにできないほど硬直している花嫁様が、どうやって逃げるつもりですか」
「ぐはっ」
リュリュの会心の一撃!
ライフがゼロになったわたしは、ぱたっとソファの上に倒れこむ。
言葉にされたらよくわかる。わたし、ダメダメじゃん。
「以上を踏まえて今の花嫁様にはキス回避とか超ウルトラスーパーハイパー高難度ですけど、本当にやるんですか?」
「…………やる」
やらねばならない。なぜならこのままでは心臓が壊れそうだから。
「はあ。そこまで言うなら仕方がないですね。まあたぶん無理だと思いますけど、一番確率が高そうな策をこのリュリュが授けて差し上げましょう」
「作戦参謀リュリュ!」
「うふっ、参謀ですか、悪くないですね」
リュリュがちょっと悪い顔をして、ソファに寝そべっているわたしの耳元までやってくる。
「ですから――」
ごにょごにょと内緒話のように授けられた作戦を聞いたわたしは、感動に打ち震えた。
☆
「風邪か?」
クラヴィスとは、最近夕食を共にしている。
いろいろお忙しい魔王様とは、日中顔を合わさないことも多い。
緊張と恐怖とわけのわからないドキドキで頭も心臓もパンクしそうなわたしとしては、日中と言わず一日中会わなくても全然問題ないのだが、魔王様はどうやらそれがご不満らしい。
で、先日、わたしに二択の選択を迫った。
曰く。
一緒に寝るか、夕食を共にするか。
んなもん即答ですよ、夕食に決まっているでしょう!
その結果、毎日夕食は一緒に取るという約束が出来上がったわけである。
クラヴィスがわたしの口元を見て、僅かに眉を寄せている。
少し目を離すとわたしが迷子になるので、食事はダイニングではなくわたしの部屋でクラヴィスと二人きりで取っている。
向かい合って座っているクラヴィスの視線は、ずっとわたしの口元だ。
ふっふっふ!
恐れ入ったか魔王様め!
これではどうやってもキスできまい!
そう――
わたしの口元は今、刺繍の入ったかわいいマスクで覆われている。
これぞ、リュリュがわたしに授けた究極奥義である!
言い換えれば、口を布で覆っていたらいくら魔王と言えどキスできないだろう作戦だ。
完璧である。
わたしがにやにやしていると、クラヴィスはパンを口に運ぶ手を止めた。
「食べないのか?」
食べない? いやいや、わたしに「食べない」という選択肢はありませんよ?
もちろんいただきます、とカトラリーを手にハンバーグステーキを切り分ける。
そしていざ口へ運ぼうとしたとき、わたしはこの作戦の最大の誤算に気が付いた。
しまったああああああ!
マスクしたままだったら食べられないじゃーん!
なんてこった! とショックを受けるわたしに、クラヴィスは心の底から心配そうな顔を向けた。
「熱でもあるんじゃないのか?」
訳・頭おかしくなったのか?
そんな心の声が聞こえて来そうである。
わたしはフォークを握る手をぷるぷると震わせた。
どうしようどうしよう、このままだったら食べられない。
でもマスクを外したら途端に口元が無防備に――――――!
わたしは肉汁したたるハンバーグに視線を落とし、ごくりと唾液を飲み込む。
我慢する? いや絶対無理!
クラヴィスは今、わたしの対面に座っているし、いくら何でもあそこからキスを仕掛けてこないだろう。
わたしはマスクをポイッと外すと、ハンバーグにかぶりついた。
溢れ出る肉汁、濃厚なソース。うまぁっ!
ここで生活して思ったんだけど、魔王様とか魔物とかも、人と変わらない食生活なのね。
食生活だけではなく暮しもあんまり変わらない。強いて言えば、こちらの方が人の国よりも文化レベルが高い気がする。
ほかの国はどうだか知らないけど、わたしがいた国は、文化レベルで言えば魔女狩りとかが行われていた中世後期あたりの感じだったんだよね。ここは異世界だからもちろん違う部分も多いんだけど、少なくとも科学とかはあまり発展してない。平民の識字率もあんまり高くないから、本とかもあまり普及していないし。なんていうか、娯楽が少ない感じ。
でもここ魔王城は、魔法と文化がうまく融合されているからなのか、ずっと文化レベルが高く感じる。
灯りとかも、わざわざ火を灯して回らなくていいみたいだし。電気はなさそうだから多分魔法なんだろうけど、部屋のシャンデリアは勝手につくし勝手に消える(多分誰かが魔法操作しているはず)。
騎士に追い回されながら時には泥水で飢えをしのいでいたほど、ショボショボな食生活だったわたしが偉そうなことは言えないが、食事もここのほうがずっと美味しいと思う。
あっという間にハンバーグを平らげて、パンにお皿に残ったソースをつけてむさぼり食べていたら、クラヴィスが感心したように「ラフィは本当によく食べるな」と言った。
……魔王様の中のわたしの評価は「よく泣いてよく食べる子」って感じだろうか。うん、赤ちゃんレベルだな。
デザートまでぺろりと平らげて、満足満足とお腹をさすっていると、リュリュがやってきて食器を片づけていった。
わたしの顔をちらっと見て「あーあ」って顔をしたけどなんでだろ?
食事用に用意されていたテーブルが片づけられて、ソファの前のローテーブルに食後のお茶が準備される。
リュリュのいれてくれるお茶、美味しいんだよねー。
リュリュはわたしの部屋にクラヴィスがいるときは、気を利かせて部屋から退出していることが多い。今も片づけとお茶の準備を終えるとそそくさと部屋を出て行った。
クラヴィスと並んで座ってお茶を楽しむ。
お腹いっぱい食べられて、食後に美味しいお茶まで用意してもらえるとか、ここはもう天国かー!
腹が満たされているときのわたしは通常時の五倍くらいご機嫌だ。こういう時は隣に怖い存在がいようと気にならない(というか、満たされてぽわぽわした気分だから気づいていない)。
くぴくぴとお茶を飲み干し、風呂上がりの牛乳よろしく「ぷはーっ」と息をつく。
「ラフィ」
隣に座って優雅にティーカップを傾けていたクラヴィスがわたしの名前を呼んだ。
はいはいはー……い⁉
至近距離にクラヴィスの顔。
ハッと我に変えるわたし。
しまったああああああ! マスクどこ――――――⁉
わたしの視界の端に、食事前にぽーいっと床に投げたマスクが転がっていた。
しかしもちろん、転がったマスクを拾いに行く余裕があるはずもなく。
――キス回避計画は、あえなく失敗した。