目の前で導く手は未だ同じ(1)
「いらっしゃ〜い、お二人さん♪」
「浅間さんこんにちはー。今日からしばらくお世話になります」
「任せろ♪ その代わりー、無事に決着ついたら飲みとオケるの約束なー? もちろん蒼ちゃんの奢りで☆」
「そんなんで良ければ、回数券でも用意しとくよ」
カンカン照りの太陽が影を伸ばし始め、気温が下がってきたタイミングで自宅を出発し、食材を買い込んで訪れた浅間さんの部屋。出迎えてくれた家主の爽やかさに比べ、一緒に来た俺の彼女は気まずそうに俯いている。ついさっきまで人の昔話を、根掘り葉掘りほじくり返してきたのに。
「愛華さん、きっと大丈夫ですよ」
「う、うん。分かってる……」
「もぉ〜、メッセで言ったじゃーん。私は全然気にしてないから、気楽においでーって」
「あのね、美里ちゃん………この前は本当にごめんなさい! あたしが蒼葉くんにさりげなく伝えてれば、美里ちゃんにツラい想いさせなくて済んだのに」
「あはは、それはイヤだったかなぁ。言葉にした気持ちってさじ加減で決まっちゃうじゃん? 自分で言わなきゃズレるって〜」
「そうだよね……。ごめん、よく考えて別の方法を見つけるべきだった……」
「ううん、あれでおっけーだよ。隠してるつもりが気付かれてたんだし、遅かれ早かれハッキリさせるしかなかったさぁ」
「うぅっ………美里ちゃぁあん!」
「よしよーし、いいコいいコ〜♪」
半べそ状態の愛華さんが和解した友人に飛び付き、頭をなでなでされて宥められている。可愛らしい二人による感動の再会って絵面だが、全ての元凶たる俺は己の鈍感さが歯痒く、出だしから空笑いする他ない。
通された部屋の隅に荷物を置かせてもらい、冷蔵庫の使用許可を得て、腐らせたくない食料品を片っ端から並べた。家主の苦手分野を裏付けるかのように、この家のキッチン周りは物の見事にさっぱりしており、3つの買い物袋を空にしてもまだ余裕がある。
片付けを終え、談笑する二人のそばに腰を下ろすと、友人から鋭い視線を突き刺された。先日の不始末は笑えないし、やはり根に持たれたのだろう。募る罪悪感に体が縮み、詫び方のイメトレでもしてみたが、一向に責め立てる気配が無い。それどころか女子トークに花が咲いてるので、暇潰しにスマホを開いてみれば、一通のメッセが届いていた。
『あとで2人で話したい。おk?』
それは浅間さんからのものだった。
着信が5分前だから、まだ買ってきた物を整理してたはず。わざわざ愛華さんを避けた連絡ってことは、それなりの理由なのだろう。あまり前向きな内容が想像できず、送り主の顔色をチラチラ窺ってると、トイレに行くと言って部屋から出ていった。
『べつに恋愛絡みとかない、さき蒼ちゃんに確認したいだけな。てかチラ見!!』
直後に送られてきたお叱りに、ホッとしてる自分が情けない。そんな男の背中は愛華さんの不安を煽ったらしく、か細い声がして振り返ると、見るからに気遣う様相。
「蒼葉くん、さっきから暗いけど、美里ちゃんと顔合わせてるのツラい?」
「いえ、そういうんじゃないんで、平気っすよ!」
「それならいいけど………あ、美里ちゃん戻ってきたね」
「ん、どしたの二人とも? ヘンテコな顔して」
「そうだ蒼葉くん、あたしそろそろ晩ご飯の準備するから、デザート買ってきてくれない? 美里ちゃんと一緒に!」
「構いませんけど、なんで浅間さんと——」
「おっけー、私が案内する! 蒼ちゃんこの辺のコンビニだと、バイト先しか知らないだろうし!」
浅間さんに腕を引かれ、愛華さんに見送られながら玄関を跨いだ。状況が飲み込めずとも、とりあえず二人で話す機会を得られたわけだし、これが最善だろう。
まだ薄明るい空を奔るひぐらしの嘆きが、妙に不気味さを増す閑静な住宅地。その中を無言でさっさと進んでいた浅間さんだが、急に上半身だけ回したかと思えば、またも尖った目付きで睨まれた。愛華さんとさほど変わらない背丈の割に、得体の知れない威圧感が凄まじい。
怯みきって全身を凍らせてると、大きなため息を漏らした彼女は、面倒くさそうに喋りだした。
「はぁ〜……あれはカンペキ察してたねぇ。蒼ちゃん顔まで正直なんだもんなぁ〜」
「やっぱそうだったのか。なんか愛華さんの切り替え方がおかしいと思ったよ」
「ま、ここは素直に甘えときましょ。結論から言うと、あなた達の関係が結構広まってるから、マズいんじゃないの〜って忠告だね。自覚ないっしょ?」
「広まってる!? どゆこと??」
「今日朝勤出てたらさぁ、パートの主婦さん達に言われたんだよ。『貴船さんって石切くんと不倫関係みたいね』って。テキトーに躱したけどさー」
「ちょっと待って、付き合ってからまだ出勤してないんですけど?」
「店で会った時の空気感じゃない? 信頼し合ってるとゆーか、両想いの感じが漏れまくってて、私目線では透け透けだったからねぇ〜」
確かに横浜行った後から相当意識してたけど、疑惑が出るほどあからさまだとは思ってなかった。
続けて浅間さんは重々しい声色を使って、親しさ故の苦言を呈する。
「愛華さんの気持ちを考えたら、私に止めることなんてできない。でもさ、今後助け合って生きてくなら、離婚までは線引きが必要だと思うよ。自滅したら意味が無いんだから」
「……うん、そうだよね。バイト仲間に気付かれてるなら、どこまで広まるかも分からないよなぁ」
「主婦の情報拡散力を舐めない方がいいよ。面白い話題があれば、すぐに井戸端会議で持ち出すし、町内くらいはもう手遅れかも」
「マジか。今から弁明しても厳しいかな?」
「やるだけやりなさいな。だけどしばらくの間、愛華さんは私が匿う。あなたは自宅待機って形でね」
その瞬間、呼吸が停止する感覚があった。
自分が守ると大見得切っておきながら、結局愛華さんの自由を奪い、友達にも多大なリスクを負わせてる。それがヒシヒシと骨身に沁み渡り、己の愚劣さを痛感したからだ。俺は何一つ進歩してない。いつだって気付くのが遅過ぎる。
足が無自覚に歩行を諦め、呆然と立ち尽くす間抜けな男の両目から、救いようのない涙が零れていた。泣こうが騒ごうが状況が変わってくれたりはしない。けれど戦力外通告がずっしりとのしかかって、感情を止めどなく溢れさせる。必死に堪えようと瞼を押さえていたら、正面から優しい温度で包まれた。
「どうしてもあの人の心を救いたかったんでしょ? 本気で求められて、一生懸命応えようとしてたんだって、ちゃんと解ってるよ」




