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消えずに残る軌跡と希望

 高校までは良くも悪くも特筆する点が無い、流されてばかりの平凡な学生だった。運動神経がそれなりに良かったから、スポーツはそこそこ好き。要領がそれなりに良かったから、勉強は人並み程度にできる。愛想がそれなりに良かったから、友達は普通にいた。

 そんな俺の転換期は、高3の夏休み前に行われた三者面談だろう。前向きさと授業態度が評価され、テストが平均レベルでも内申点は高めに取れてたこともあり、担任に指定校推薦を勧められた。志望校より偏差値が高く、似たような学科があるとのことで、二つ返事で頷いたのである。


 それからと言うもの、夏休み中に合宿で免許を取得し、授業や宿題を程々にこなしてバイトに明け暮れる毎日。冬休み前には進学が確定してたので、大学に近いバイト先を探し始め、年明け後に今のコンビニで落ち着いた。

 実家からは遠かったものの、新しい街に慣れる為と考え、順風満帆のキャンパスライフに胸躍らせていたのだ。


 ところが現実はそう甘いことばかりではない。

 入学前の大学からの課題は問題なかった反面、講義が始まれば難易度が高く、とても高校の延長とは思えなかった。更に3年の後半からスタートする専門分野が想像と違い、杜撰(ずさん)だった下調べと己の愚かさに嘆く日々。周囲からは取り残され、未来への展望さえ見えてこない。3ヶ月後にはバイトが生き甲斐になっていた。

 最初の夏期休暇を終える頃、俺は両親に全力で頭を下げていた。

 


「父ちゃん、母ちゃん、ホントごめん! 俺、あの大学でやりたいことが見付からないんだ。入学金と初年度分の費用は必ず返すから、自主退学させてくれ!」


「蒼葉、お前なりに理由があって選んだ学校じゃないのか?」


「ごめん父ちゃん、テスト無しで早めに決まるって思ったら、飛び付いちゃってたのが本音だ」


「フッ、それもお前らしいな。母さんはどう思う?」


「ん〜、もったいないと思うけど、こればっかりはねぇ。親からは助言はできても、子供の人生だし本人が決めるしかないでしょうねぇ〜」


「ごめん、ありがとう母ちゃん」


「あーそうそう、お金のことは別にいいわよ。それより部屋がカツカツだし、社会人になった長男として、今後は独り立ちでよろしくね。むしろその方が助かるわぁ〜」


 

 大学を辞めることはできたけど、同時に俺の一人暮らしが決定したのである。

 バイト先から割と近くに手頃な物件を掘り当て、住んでみれば大家族からの開放感に悠々自適な気分。フリーターでも社会経験には変わりない。そう考えて仕事に励み、翌年5月の誕生日後には飲み会の楽しさも覚えた。

 それから1ヶ月くらいして入った新スタッフの人妻が、これほど俺の運命と強く結ばれていたとは。

 


「蒼葉く〜ん? ポーっとしてるけど、もうのぼせちゃった?」


「いえ、気を紛らわそうかと、過去を振り返ってまして……」


「あぁーー! 半裸の今カノが目先にいるのに、元カノとの思い出に浸るなんて酷いよーっ!」


「あの、ツッコミ入れる余裕もないんすよ」


「やっぱり橘さんみたいな、年下でスラッとしたお嬢様がいいんでしょー」


「いやいや、愛華さんは小柄でも充分スタイル抜群だし、今や俺ん中では年下と大差ありませんって」


「なんか素直に喜べないなぁ〜」


「世界一可愛くて素敵な彼女です!」


「じゃーもっとあたしを見てよ!」


「いや無理言わんで!?」


 

 本当に不可能なんですが。同じ空間にいるのとわけが違い、同じ浴槽に浸かってる緊張感は息の根を止めにきている。胸の上から腰までがバスタオルの中と言えど、相手はそんじょそこらの美人ではない。憧れからパートナーへと移り変わり、一挙一動に心が震えるくらい愛しい人なのだ。


 ようやく瞼を開いても正面を向けず、左横からスラッと伸びる生脚が視界に入るだけで、目の奥の方がじんわり熱を帯びる。彼女の声が湯けむりと共に届く度、現在の姿が想像されて下半身が(みなぎ)ってしまう。

 いくら好きな相手だからって、勝手に意識してる欲望(まみ)れの男と思われたら、見損なわれてしまうかもしれない。自分から一緒に入ると宣言した手前、結局こいつも体目当ての奴だなんて疑われたら、たった2日で破局もあり得る。


 動揺と懸念が鼓動を唸らせ、全身を揺さぶられているような錯覚を覚えた。呼吸まで荒くなり、まるで整う気がしない。目が回りそうになる中、水面が小さな波を立てると同時に、儚げで穏やかな声が流れてきた。

 


「お願い聞いてくれてありがとう。あたし先に出てるから、蒼葉くんもゆっくり(くつろ)いでね」


「え………いやちょっと待って!」


 

 気遣わせてしまった。そう確信した瞬間には動き出していて、彼女の右手を掴んでた。

 立ち上がったままキョトンとする愛華さん。不覚にもバッチリ全身を捉えてしまったが、湧き上がるのは罪悪感ばかりで、鼻血一滴垂れてこない。胸の内部が切なさに呑まれていた。

 


「待ってください、決して嫌とかではないんです」


「うん、分かってるよ。でも落ち着かないでしょ?」


「だって俺、あなたを大切にしたいから……他の男と同じじゃんって、ガッカリされたくないから! だから……」


 

 言葉に詰まって下を向くと、さっきよりも傍に座った彼女の肌が、左肩に優しく触れる。ペタっと張り付く感触が心地好く、濡れた髪のひんやり感も悪くない。続きを語ることも忘れて、繋ぎ合う手と心の一体感に満たされていた。


 

「……蒼葉くんは蒼葉くんだよ。これ以上ないくらい大切にされてるし、絶対にガッカリしない自信あるから、そんな不安にならないで」


「ごめんなさい。一生懸命やってるつもりだけど、俺は自分に自信が持てなくて、どうしても踏み出せないことがある。あなたに想われてるのも、夢の中にいる気分で……」


「もしも夢だったら、ここにいるあたしとの約束は無かったことになるの?」


「え……? いや、そんなことはないけど」


「よかった♪ 絶対に裏切らない。ずっと一緒にいる。これが二人の約束だから、夢の中でも守られてるんだって思えばいいんじゃない?」


「だいぶ立ち直りましたね。俺がよく知る愛華さんだ」


「んー? あたしの知ってる蒼葉くんは、こーゆー時は獣になるはずなんだけどな〜♡」


 

 久しぶりに聞いたような、茶目っ気たっぷりの誘惑的な声に、思わず表情筋が溶けてくる。恐らく彼女は自分がどんなに辛くても、俺が気落ちしてたら必ず励ましてくれるのだろう。

 畳んでいた両脚を奥に伸ばし、心身共に脱力して遠くを見れば、蓄積された疲労が多いのだと自覚する。常にこれ以上を背負い続ける彼女には、一刻も早く平穏が訪れるようにと、雲の切れ間に(またた)く星々に願った。

 


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