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もう後戻りする気はありません(1)

「なんか最近、この店静かじゃないか?」


「そうっすか? お客さんは多い気がしますけど」


「俺が言いたいのはスタッフの方だよ。石切くんがバイト始めてから、だいぶ賑やかになってたけどな」


「そうなんすか? 俺何かしましたっけ?」


「主に君の周囲にいる3、4人の女性陣が引き立ってたじゃないか。彼女らが沈んだのか、店の空気も変わったな」


 

 飲みに行った日から一週間以上が過ぎ去り、確かに俺の日常は落ち着いている。濃いイベントが起こらないのはもちろん、些細なフラグさえ立たないのだから、第三者目線でも一目瞭然だろう。

 諏訪さんの呟きに出てきた3人は考えるまでもないけど、4人目に挙がるとすれば杉本さん辺りか。夕勤の高校生の中では比較的よく喋る子だから。

 (ちまた)で言う()()()()に突入し、出勤希望者が極端に減ったこの日は、久しぶりに慣れた遅番。三十代半ばのおっさんと休憩室で準備をしながら、13時の勤務登録をしていた。愛華さんとは入れ替わる形になるが、僅かな時間でも会えるのは嬉しい。そんな思いで売り場に出た俺は、瞬時に凍りついてしまう。


 

「ちょっ、どうしたんすかその腕!??」


「あはは……お鍋に触れて火傷しちゃってね〜。大したことないから、大丈夫だよー」


 

 愛華さんの左腕は、手首から肘までの半分くらいが、白い包帯でぐるぐる巻きにされていたのだ。自然に動かせてるし、本人も笑ってるから心配ないのかもしれない。そう思った矢先、首筋に化粧(ファンデーション)で塗り潰されたような痕が目に留まる。注視しないと気付かない程度に巧く隠してるけど、俺にとっては彼女の違和感を見分けるなんて、造作もないこと。

 そして導き出された答えは、諏訪さんにも同様の説明をする作り笑いに行き着いた。

 


「貴船さん、ちょっとこっちに来てもらえますか?」


「んー? どーかしたの石切くん?」


「腕の怪我、本当は火傷じゃないですよね? 首にも傷があるし、表情や仕草もなんとなく不自然ですよ」


「もぉ〜、そんなとこまでジロジロ見ちゃうなんて、キミはえっちだなぁ〜」


「なんとでも言ってください。あなたに抱え込ませるよりは、ずっとマシですから」


「……ごめん。明日も遅番だっけ?」


「はい。退勤後で良ければ、ゆっくり話を聞けますよ」


「じゃあ、終わる頃にまたここに来るね」


 

 悲しい顔を誤魔化すように俯いたまま、小さな声でそう告げられた。

 当然俺は気が気でない。深刻さから察するに、ぶつけたなどの事故による原因ではないのだろう。嫌な予感を拭い去ろうと業務に没頭してる最中、肩を二回、そっと撫でられるように叩かれた。


 

「石切さん、貴船さんのことで悩まれてるんですか?」


「あれ、りっちゃんいつの間に? しかも理由までよく分かったね」


「……分かりますよ。さっき挨拶した時も心ここに在らずって状態でしたし、執心されてるあの人くらいしか、あなたをこんなふうにはさせませんから」


「ぼさっとしててごめんね。前を見てたはずなのに、何も映ってない感じだったよ。もう4時間も経ってたのか……」


「しんどくなったら言ってください。私と諏訪さんだけでも、売り場はなんとかなりますので」


「なんでそんなに協力的なの?」


「石切さんは特別なんです。居心地の良い相手に甘えて、誰と付き合っても満たされなかった私が、唯一好きだと想えた人があなたですから」

 


 17時に出勤したばかりの彼女は、俺の異変を感じ取って、真っ先に様子を見に来てくれたらしい。応援できないと言っておきながら、こうして尊重してくれる辺り、根はいい子なのだろう。

 最後の一言はまだ諦めてないとも受け取れるものの、迷いは生じなかった。

 


「なんかりっちゃんは、幼馴染から離れたがってるみたいだね」


「そうなんだと思います。彼とは距離が近過ぎて、見えないものがたくさんあるんです」


「それを知る為に何人もの相手と付き合ったの?」


「告白されて『この人なら好きになれるかもしれない』って、時々思うんです。でも石切さん以外の人には、途中で関心が消えてしまいました」


「つまり依存してくる幼馴染とは共依存状態だったって、自分でも薄々気付いてたんだ」


「……はい。彼を拒めなかったのは、私自身も縋る相手がいなくなることを、内心で恐れていたからだと思います」


 

 きっとその点は愛華さんや浅間さんにも共通してる。独りではないのだと実感を得る為、それぞれのやり方で寂しさを埋めてるに過ぎない。りっちゃんの場合は、最初から保険ありきで進めてしまったのがマズかった。

 彼女のおかげで気が紛れた俺は、ようやく意識的に役割を果たしていく。無意識にこなしていた仕事に粗が無かったとはいえ、同僚に挨拶したことも忘れていたなんて、愛華さんに知られれば確実に叱られてしまう。それ以前に、もうあの人に心配をかけたくない。


 退勤時間になり、慌てて店を飛び出した俺は、チャリより先に路地裏を覗き込んだ。街灯の少ない暗闇の中、コンビニの脇に(うずくま)る影を発見し、すぐさま駆け寄って声をかけた。

 


「愛華さん……店内に入ってこないから心配しましたよ」


「迷ったんだけど、今のあたしじゃ橘さんに合わせる顔が無いなぁって……」


「とりあえず無事でよかったです。それより大荷物抱えて、どこか行ってたんですか?」


「着替えとか持ってきたの。急で申し訳ないんだけど、今夜は蒼葉くん()に泊めてもらってもいい?」


「……1Kの小汚い部屋でもよければ構いませんよ」


「ありがとう。すごく助かる」


 

 断れるはずがない。怯えたように縮こまる姿と震える声音が、ただ事ではないと物語っている。聞かなくたって、自宅から離れたいのは明白だった。

 伸ばした手をしっかりと握り、慎重に立ち上がった愛華さんは、無言のまま後ろを歩いている。自転車を押してるだけなのに息苦しさを感じ、同時に悔しさが溢れ出した。彼女が言ってた通り、今の俺達は堂々としていられる関係ではなく、こういう時に手も繋いでやれないのだから。

 終始会話を挟むこともなく、自室のあるアパート前に到着した。


 

「ここの102号室です。中は外観ほどはボロくないですけど、ロクに片付けもしてないので、期待しないでくださいね」


「ううん、無理言ったのはあたしだし、蒼葉くんと一緒にいれるならそれでいい。本当に、それだけで充分だよ」


「詳しくは部屋に入ってから聞きますね」


 

 扉を開ける際、服を掴まれたのが分かった。日頃のイタズラではなく、極度の緊張から不意に指先が動いてしまったかのように。


 この夜、俺は衝撃の事実を知ることになる。

 


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