それこそが始まりに他ならなくて
「蒼ちゃ〜ん、しっかりシャワー浴びた?」
「浴びたけど、同じシャンプーとか使ってたら結局疑われない?」
「そんなの市販なんだから、たまたま被ってた〜でいいじゃん♪」
「うーん、香りは強くないし平気かな……」
浅間さんとソフレになった翌朝、俺と彼女は揃って早番だった。俺は17時までの日勤で、彼女は13時に上がる朝勤。そこで問題となるのが、一晩共に過ごしたことを他の従業員に悟られないこと。入店のタイミングはズラすとして、気掛かりなのは目に見えない部分。俺に特有の匂いが薄いせいか、浅間さんの部屋とか日頃使ってるフレグランスの香りが、結構染み付いていた。個人的な不快感はゼロでも、共通の香りを漂わせて仕事をしていれば、どんな印象を抱かれるか想像に難くない。しかも愛華さんまでシフトが被ってるから、余計な懐疑心を持たれたくないのだ。
予定通り俺が早めにチャリで出発し、先に店へと到着する。売り場は発注をする副店長が見ていて、バックルームでは眠たそうにしてる寒川さんが、業務日誌を書いてる最中だった。
「おはようございます。昨夜は夜勤だったんすね」
「おはよ〜石切くん。稽古が無い日の週一だけど、リズムが崩れて逆にしんどいよ〜」
元々のタレ目が潰れかけていて、声にもほとんど力が入ってない。だいぶ限界が近いのだろう。
移りそうな睡魔を纏う寒川さんだが、突然瞼を大きく開き、こっちを見て呟き出す。
「あれ……? なんで?」
「寒川さん? どうかしたんすか?」
「あー、ううん、なんでもな——」
「おっ、寒川さんと石切さーん、おっはよぉー!」
先輩が言いかけてるちょうどその時、遅れて家を出たバンギャ女子が、いつもの調子で合流した。違和感など微塵も無く、完璧に手筈通り。そう思っていた矢先、腰を上げた寒川さんがゆらりと浅間さんに近付き、すかさず振り返って訝しげな目を向けてくる。
「ねぇ、これどういうこと?」
「え? 何がっすか?」
「はぁ〜。あのさぁ石切くん、貴船さんや橘さんとは区切りついたの?」
「りっちゃんとは話しましたけど、貴船さんとはただの友達ですって」
「まぁ君達がどうなろうと、もうどうでもいいや。でもさ、浅間さんを巻き込むのだけは見過ごせないかな」
「ちょっと寒川さんっ!? なに言ってんの!?」
こんなに苛立ちを露わにする姿は初めて見た。無表情な中の瞳が氷のように冷たくて、思わず戦慄が走るほどの緊張感。日頃から飄々としていても舞台役者だし、ガラリと雰囲気が変わってもおかしくない。
状況が飲み込めない俺に反し、即座に制止しようとした浅間さんは、強めの声色で反論を受けている。
「そのままの意見を述べたまでだよ。また傷口を広げようとしてるのに、黙っていられるわけないだろ!?」
「勝手な憶測で言わないで!! 誤解されたら気まずいじゃないですか!」
「いつまで意地張ってるの? こんな状態続けられると本気で思って——」
「お節介ですからっ!! 寒川さんには関係ないでしょ!?」
「……そう、僕が悪かったよ。でもね浅間さん、芝居と違ってここに台本は無い。他人の幸福なんて、筋書きで生み出せるはずがないんだから」
「……本当になに言ってんのか分かりません」
「僕は最後に売り場をひと回りしてくる。引き継ぎは副店長から受けてね」
なんだったんだろう、今のいがみ合いは。最終的に寒川さんがあっさり引いたけど、浅間さんは歯を食いしばって肩を震わせている。
面食らってしまい声をかけられずにいると、またしてもバックルームのドアが開かれた。
「あの〜、何か揉めてる? 表まで浅間さんの声が漏れてたけど……」
「貴船さーん、おはよーっ! 別に大したことないよ〜。それよりさ、今夜って空いてる??」
「う、うん。旦那が出張でいないから、あたしは暇だよ?」
「やったー♪ じゃあさー、石切さんと三人で飲み行こーよ! 何気にこの三人初めてだし!」
入ってきた途端に年下の女子に絡まれ、キョトンとしてる愛華さん。目を合わせた瞬間の微笑みには、だいぶ気持ちがラクになった。
業務が始まる頃には至って普通であり、浅間さんから口論の原因は拾えそうにない。寒川さんは俺達に何を訴え、どうしてあんなに必死だったんだろう。首を捻っていた俺は、頬っぺたをぷにっと優しくつつかれた。
「今朝のことで考え込んでるなぁ〜? 一体何があったの?」
「それが俺にもよく分かんないんです。二人とも滅多に怒らないタイプなのに、バチバチだったんすよねぇ」
「ほほぅ、よっぽど譲れないことがあって、ぶつかっちゃったんだね〜」
「愛華さんならどんな時に感情が出ます?」
浅間さんが休憩中の為、自然と想い人との距離感は近くなる。しかし脳内を支配するのは疑問ばかりで、ちょっかいを出されても全くゆとりが生まれない。解決の糸口になるかと考え、軽く投げた問いかけに対し、愛華さんはグッと顔を寄せて口角を持ち上げた。
「あたしは蒼葉くんの前で、もう三回は怒ってるんだけどなぁ〜?」
「三回? え〜っと、りっちゃんにはご立腹でしたよね?」
「あとはご飯を食べずに出勤しようとした日と、デートした日。キミが不健康な生活をしてたからねぇ〜」
「あれ? そうなると愛華さんが怒った理由って、どれも俺じゃないすか?」
「そーだよ? キミが誰かに傷つけられたり、自分で無茶しようとしてたら、黙っていられないからね」
「なんで必ず俺なのかというのは……」
「言わないと分かんないかな?♡」
イタズラっぽく笑った彼女に心を揺さぶられ、空回りしていた思考が完全に停止する。口では大切な友達だと公言していても、実際にはそれ以上である気がしてならない。
放心する俺を覗いた愛華さんは、悲しげな声で尋ねてきた。
「もしも逆の立場だったら、キミはどうすると思う?」
「そ、そりゃあ愛華さんの為になるなら、叱ってでも改善させるかと」
「ううん、キミならきっと優しく諭して、一緒に悩んだりしちゃうんだよね。そんな姿が目に浮かぶもの」
「単にヘタレだから、感情的になって嫌われるのが怖いだけっすよ」
「ホントにそうなら、とっくに離れられてるんだけどね〜。ずっと支えられてばかりなんだよなぁ……」




