自然と不自然
でもって、そういうことを考えつくような自我を
作ったのが「自の分」、つまりは自然に存在する
世界ということ。
イヤもう、オチを先に言っちゃいました。
個性とか性格、あと信念や理想、逆に嫌悪など
精神面で「個人が自分自身」と感じているモノ。
人間、コイツに価値を感じたくて、色々挑んで
試そうとする。上手くいけば「自分の価値が
世界に勝った」、外せば「世界に負けた」と。
ところで世界と勝負するのは何故か?自分への
価値付けのため。でも「自分」を「自の分」で
考えれば、「世界」の一部が「世界」に勝負を
仕掛けて、しかも結果次第で「自身に存在する
価値が無い」などと苦しむ「不自然」が見えて
くる。「不自然=人為」であり、自身が崇める
「自分の価値観」であり「個人格=個人が割と
独り善がりな定規で自身につけたランク」、
過剰な「自尊心」。そしてその極端が信念やら
理想、又は絶望や自棄から「自他の存在」まで
否定する蛮行だろう。だが人間の自然に逆らう
のが利口ならば「逆立ちして鼻でウドンを食う」
ことが尊いのか?その問い掛けに「生命という
自己の存在を賭けた反抗こそが世界への勝利」
などとのたまったり、それを純粋とかカッコ
いいと感じる方々へ、
「貴方がそういう判断をするようにさせるたのも、
自然に存在する世界ですよ」
一飛び十万八千里のキントウンで世界の果てまで
到達した気になっても、全てお釈迦様の手のひら
の上。西遊記の中でも「自我と世界の関係」を
語っていますね。