5-25 滅びの日
フラネルは「今行く」と言ったが、当然、硬い石を少女の手で掘れるとは思えない。
適切な道具があったとしても、かなりの時間が掛かる事は想像に難くない。
どうするのだろうと見ていると、少し離れるよう指示されたので、ラティナはベッドの上へ避けた。
すると、
「――地よ」
フラネルが静かにそう唱えると、穴の周囲が光り、細かな砂となって下へ落ちた。
牢の中に舞った砂埃にむせる。穴から下りてきたフラネルが気遣うような声を上げた。
「ごめんね。細かくしないと音が出ちゃうから」
「……大丈夫。今の、何?」
「精霊の力だよ。ノーム様の力の一部」
4人の子供たちは皆、器に降ろす精霊と同調し、その力を行使できる。
ラティナもその例に漏れず、ウンディーネの力である『生命操作』の力を使えていた。だが、逆に言えばそれしか使えず、他の3人に比べても度合いが劣っているとされている。
他の3人が具体的に力を使うところは見た事がなかったが、教育係の言うように、フラネルのそれはラティナや、他の2人をはるかに凌ぐようだ。
フラネルが手をかざすと、落ちてきた砂が固まって階段付きの足場となった。高い天井に開いた穴まで、子供の身長でも優に届く。
「遊びに行こう!」
「遊び……。駄目、ここに、いないと」
「こんなところにいると病気になっちゃうよ」
「大丈夫。栄養管理は徹底されているから」
「うそ! 入る前よりも痩せて……じゃなくて! そういうのじゃなくて、人はたまに遊んだ方がいいの!」
「?」
首を傾げるラティナにしびれを切らしたように、フラネルが手を掴んで階段を駆け上り始めた。
足場の頂点から穴に飛び入り、手を伸ばしてくる。
おずおずとその手を掴むと、ラティナの体が引き上げられた。
牢を出たところは宝物庫だった。
確か、入ってはいけないと言われていた部屋だ。転がっている宝箱には、教団にとって重要な物が入っているのだと聞いていた。
定期的に神官が出入りする以外、この部屋に誰かが来る事はない。鍵も神官が管理しており、下級の信者は入れない。
「ここなら遊べるね」
フラネルはおもむろに、宝箱のひとつに手を伸ばし、鍵に触れた。
少しだけフラネルの手が光り、小さな音と共に宝箱の蓋が開く。ノームの力を使い解錠したのだろう。
箱の中には透き通った石が入っていた。
俗に『賢者の石』と呼ばれている物だ。ありとあらゆる生命が、なんらかの原因でその命を物質化させた結晶体。
人工的に作る事はできず、世界のそこかしこで発掘できる物しか存在しないのだという。
賢者の石は高純度の力の結晶で、砕いて飲めば自身の生命力を増幅させる事もできる。
ラティナ達は、この石を粉にした物を食事に混ぜて食べさせられていた。精霊を降ろす器となるための準備というわけだ。
その原石である結晶がここに収められていたのは知らなかったが、フラネルはここで何をするつもりなのだろうか。
ラティナが疑問に思っていると、フラネルはいくつか取り出した石を床に並べ始めた。
「ええとね、この赤い石が目印で、お互いの色の石を投げて、どっちが近くに落とせるか勝負するの」
遊びの決まりごとを説明するフラネルは、実際にやってみせた。
そして青い石を3つ、ラティナへ渡してくる。
2人はしばし、フラネルの提案した遊びに没頭した。
……どれほど時間が経っただろうか。
小さなランプの明かりだけが照らす部屋の中で、時間感覚もなく遊びに耽っていた事に気づいたラティナは、そろそろ牢へ戻らなければと切り出した。
フラネルは、ラティナの正確無比な投石によって一度も勝つ事ができず、ややむくれていたが、ラティナが牢へ戻ろうとすると渋った。
「もっと遊ぼうよ」
「駄目。戻らないと、騒ぎになる」
「駄目、駄目って、そればっかり……。わかった、じゃあ、また明日ね」
穴から牢へ戻ると、再び砂が舞い上がって穴を覆った。
ただ天井を眺めて過ごしていた時とは違う、なんとも言えない疲労感に包まれ、その日のラティナはすぐに眠りに落ちた。
翌日も、その翌日もフラネルはやってきた。
その度に賢者の石を使った新しい遊びを考案するのだが、そのどれでも、ラティナには敵わなかった。
しかしフラネルは懲りず、毎日新しい遊びを持ってラティナの元へやってきた。
そんな、ある日の事だ。
「あそぼう」
いつも通り天井に穴を開けたフラネルが、いつもよりか細い声で誘ってきた。
足場を作ってもらい、穴の向こうへ上る。
「……いつも、ここへ来るのはフラネルだけ。どうして?」
ラティナは、他意なく、単純な疑問としてそう問い掛けた。
ところがフラネルは、いつも感情豊かだった彼女にしては珍しく、淡々と返答した。
「しんじゃった」
その態度に、ラティナは不可思議なものを感じた。
血の繋がりがないとはいえ、同じ器である仲間が死んだのだ。なのに何故、こんなにも淡々としているのか。
仲間の死に心が折れてしまったという事も考えられるが、それを差し引いても妙な態度だ。
どこか茫洋としていて、心ここにあらず、という風なのが気にかかる。
フラネルはいつも通り、賢者の石を取り出した後、ひとつをラティナへ差し出してきた。
「今日は、どんな遊び?」
フラネルの遊びを続ける中で、ラティナの中にも、言い知れぬ衝動が生まれていた。
もっと彼女と遊びたい、という欲求。今までに浮かべた事のない思考に、戸惑いつつも身を委ねていた。
それを何と言うのかはわからないが、もしかすると欲していた『感情』なのかもしれない、とラティナは考えていた。であれば、このまま続ける事で、さらなる感情が手に入るのではないか、とも。
フラネルもひとつの石を取り出し、じっと手元を見つめる。
一向に遊びが始まる気配がないので、ラティナは訝しみ、口を開こうとした。
その瞬間――。
フラネルが、賢者の石にかぶりついた。まるで、骨に付いた肉を齧り取るような所作で、硬い石に歯を立てる。
当然、歯が砕けるものだと思ったが、不思議な事に石は果実のようにフラネルの口中へ取り込まれ、咀嚼され、体内へ消えた。
目を見開くラティナに、フラネルが気づく。
「たべないの?」
「……これは、食べ物じゃない」
「いつも、たべてるのに」
「あれは、計算され、加工された物。こうして摂取する事は想定されていないはず」
「……そう」
ラティナの言葉など聞こえていないかのように、フラネルは石を平らげる。そして、箱の中から新しい物を取り出し、また食べ始めた。
異様な光景にラティナは固まるしかない。
「ラティナは……どうして、わたしたちがつくられたか、しってる?」
「四元を降ろすため」
「その、もくてきは?」
「……世界をあるべき姿へ調整する、力を得るため」
教育係から聞かされていた事実を返す。
それを聞いたフラネルは、ようやく感情らしきものを見せた。
きゃっきゃっ、という哄笑めいた声が、薄暗く狭い部屋に響く。
「ちがうよ」
明確な否定の言葉を突き付けられた。
ランプの明かりが揺れる。
そこで、ラティナは異変に気づいた。フラネルの体が、徐々に大きくなっている。
自分達は自然に成長などしない。食事……正確には、そこに入っている石を摂取する事で成長する。
原石を丸のまま食べたフラネルは急速に成長したのだろう。
もはや大人と呼んでも差し支えない体格にまで成長したフラネルが、新しい石を箱から取り出し齧った。
「わたしたちの、りようもくてき……それは、世界に再び、滅びの日をもたらす事。四元の力を、人が御する事のできる形にして、今度こそ望んだ滅びをもたらす。ラティナ。あなただけが、それを期待されているの」
「どういう、事……?」
「私達は、あなたを完成させるための実験動物……いえ、ホムンクルスの私達は、道具、と言うべきよね。だから、研究過程で廃棄もされる。そして新しく作り直される。何度も、何度も……何度も!」
口調も、声の調子も変わり、先ほどまでの自身を失ったような態度すら消え失せて、今フラネルは、悪鬼の如き形相でラティナへ迫っていた。
ラティナは皮膚に指が食い込むほどに強く肩を掴まれ顔を歪める。力の差が大きく、振りほどく事もできない。
「ウンディーネは全てを滅ぼした。傲慢な民を、自らの怒りのみで世界を呑み込む洪水で押し流したのよ。あなたに期待されているのも、それ。結局……私達が何をしても、全ては無に帰る。そうはさせない。私がこの世界を終わらせない。私こそが、全ての生命を救う……!」
そこまで言って、フラネルは嘔吐した。
胃液が床に撒かれる。
汚れるのも構わず、ラティナはフラネルの背をさすった。だが、その手は振りほどかれ、突き飛ばされた。
震動でランプが倒れて割れ、中の油が燃え広がる。
赤い光の中、フラネルの姿がさらなる変貌を遂げる。
体はより大きく。既に人ならざるほどに大きく。
髪は大樹の根のように広がり、黄金の輝きを纏う。
部屋中に広がった根の圧力で、壁や床に亀裂が入り、砕けていく。
そこかしこで悲鳴が上がっているのが聞こえる。
崩壊の中、ラティナは呆然とするしかなかった。
フラネルの体は大きく、さらに大きく膨らみ、皮膚も樹木のように変貌していく。
やがて体中から伸びた枝は絡み合い、フラネルは大顎を持った怪物の如き形になった。
「デュラン……ドラ……」
教育係に見せられた図画にあった、始まりと終わりを引き連れてきた存在。
立ち尽くすラティナを巻き込み、城が崩れていく。
「フラネル……フラネル!!」
ラティナは叫んだ。生まれて初めて、大声で叫んだ。
だがその声は届く事なく――城は、完全に瓦礫と化し、気が付けばラティナは、神官の1人であるシュラに助け起こされていた。
辺りを見回すと、遠くに山の如き巨体の、フラネルだったものが歩いているのが見える。
歩いた跡は、村も街もその巨体で何もかもすり潰され、代わりに森が、山が現れていた。
これが滅びの日なのだろうか。ラティナは何も言えず、その光景を見ているだけであった。
それから、ラティナはシュラを伴い、滅んだ世界を歩いた。
全ての人々の痕跡は消え、歪に現れた自然が、元あった自然すら食い潰してしまったように存在していた。
やがて、何者もいない世界で、ラティナは生を終えた。




