2-14 別れ。そして新たなる
『曽良、起きなさい、曽良!』
「ん……」
体全体を揺らすような大声で目を開けた。
本当に自分が目を開けたのか疑わしい暗闇だ。どうやら、今度こそ本当に水の底にぶち込まれてるらしい。
どのくらい気を失っていたんだろうか。
そう問うと、ウンディーネは不思議そうな声を出した。
『今落ちたばかりよ。体に異常はない?』
「……今……?」
もう少し長く眠っていた気がする。
なにより、ウンディーネ(美)さんとは10分以上話していたと思うんだが……。
加護のおかげで呼吸や水圧には問題はない。が、叩き付けられた時の衝撃は散らせなかったらしく、全身がきしむように痛い。
ちょっと動けそうにない。
呻いていると、目の前に小さな光の球が浮かんだ。水泡のように複数が現れ、俺の体くらいなら見える程度に明るくなる。
「これ、ウンディーネが?」
『ええ。ほんの少しだけれど、不安は和らぐでしょう』
「……ああ、ありがてえ」
この闇の中で自分1人じゃないという事実で、かなり心が楽になる。
昔からこういうホラー的なのは苦手なんだ……。もしここが本物の海で、深海魚的なもんが眼の前に現れたらまたチビっちまうぞ。
なんとか身を起こすと、眼の前を何かが横切った。
「ひぃっ!?」
『な、何っ!?』
「い、いいい、今、なにか……」
いたよな!? 絶対いた!
しかもこう、デカい、明らかに怪物的な感じのやつが、なんかこう!
ヤバいヤバいヤバいヤバい、絶対食われる!
もう俺、この海の中が終の棲家確定じゃん!
『お、落ち着きなさいよ』
そうは言いますけどねウンディーネさん、本能的に暗闇が恐ろしいってのに、それに加えて見えない敵がいるのはマジで怖いのよ。
死を間近に感じると、理屈なんて抜きにして動けなくなるもんだ。
声を漏らすと襲われると考えた俺は、口を押さえてじっとしていた。
行ったか?
周囲に気配を感じなくなり、安堵のため息を吐いた。
その瞬間、眼の前にギョロッとした眼が現れた。
「~~~~~~~~~~~~~ッッッ!!!!????」
『そ、曽良! 落ち着いて!』
「む、むむ、むり……」
はい死んだ!
もう完全に、捕食者の眼で見られてるやんけ!
ああ、思い出すのはこれまでの楽しくも灰色だった日々。本当に良いことなかったなあ……。
心中で辞世の句を詠んでいると、周囲から触腕が伸びてきた。俺の体に絡みつき、完全に捕縛される。
なるほど、こいつイカなのね。
「え、エロい事する気だろ、俺に!」
『曽良! あなた錯乱しすぎてるから! 少し落ち着いて!』
「落ち着けるか!? 見ろや、あのイカ、もう完全に口開けてるじゃねえか! うわ、イカの口ってエグ……。とにかく、あれで食われたらもうおしまいなんだっての!」
『いいえ、ちょっと待って。本当に、何故かわからないけれど……大丈夫な気がするの』
「しねえよ!」
こいつも錯乱してるんだな。
どこのどいつが、めちゃくちゃ刺々しい口が眼の前に迫ってるってのに「なんか行ける気がするわ」って呑気こいてられるんだよ。
そんなスーパーのんきボーイがいたら尊敬するわ、逆に。
頭からか脚からか、イカの嗜好を探り始めていた時、不意に上に引っ張り上げられる感覚があった。
この角度、間違いなく脚からだ。
それでは皆さんさようなら。俺は一足先に生まれ変わってます。
次は犬がいいな……。金持ちの美少女に飼われる大型犬……。
「えっ……?」
と、そこでイカが急上昇を始め、俺は思わず間抜けな声を出してしまう。
なんだ? ホームに持って帰って家族の晩ごはんにでもするつもりか?
「あぼぼぼぼ……」
『曽良、大丈夫?』
「ばぼぼぼぼぼ……」
大丈夫、と言おうとしたが、かなりのスピードで引っ張られているため、声にならない声しか出てこない。
なんか俺、無様に振り回されてるだけだな。
そうしている内に、イカの向かう先に光が見えてきた。
どうやら海面に向かっていたらしい。
次第に周囲に、さっきまで俺を追い詰めていた魚群が集まってくるのが見える。
やっぱこれ、みんなでご飯コースじゃねえの!?
ペンギンやシロクマが何食べてるのか完全にわかった。こいつらあれだ、ダンジョンに迷い込んだ人間食ってんだ。そうに違いない。
なんとか1秒でも食われるまでの時間を延ばそうと、アクア・ネビュラを握る。
これで暴れたところで圧倒的な暴力でわからされるだけだと思うけれど、俺は負けねえぞ……!
「よくぞ戻られた」
で、ジズが出て来るわけだが、俺はもうこの時点で完全に抵抗の意思をなくしていた。
ははっ、無理に決まっとるやんけ。ネプテューヌ使ったって勝てない相手にどうしろと。
『ジズ、もうやめさせて。この迷宮にも、もう手出しはしないから』
「我らが主。そして……主の伴侶となる、曽良よ。我らはあなた様を、新たな主と認めよう」
「……は?」
『……え?』
俺とウンディーネがほぼ同時に声を漏らす。
うーん、今、なんと仰られました?
なんか伴侶とか、新たな主とか、そういう言葉が聞こえた気がするぞ。
他のモンスター達もじっとこちらを窺っているが、その目に敵対する意思は見えない。むしろどこか、俺を敬っているような雰囲気さえ感じる。
『は、は、伴侶!? えっ、な、なんの事!?』
「おや……。我らが主は、覚えておいでではないか。あなた様がこの御方、曽良様と蜜月を過ごされた、と話されていた事を」
『はあー!? はっ、はああーっ!? 言ってない! そんな事、一言も言ってない! いや、言ってないのも覚えていないけれど、絶対にこの男だけはあり得ない!』
「そこまで言う?」
「我らが主はどうにも控えめな性格でありますゆえ、曽良様もご苦労なされる事でしょう」
「は、はあ……」
本気でなんのこっちゃなんだが、どうしてか勝手に話が進んでいる。
俺がウンディーネと何をしたって? まだ出会って2か月と経っていないってのに、それを指して言っているんだろうか。
いや、だったらさっき殺しにかかってきてたのはなんだ?
あれか? 陽キャの「こいつぅ~!」みたいなノリか?
あんなマジな態度で来ておいてさすがにそれはあるか!?
『ね、ねえ、私本当に覚えがないの……』
「こうも仰られておられました。曽良様と出会った際は契約し、命を分け与えよ。そしてその後は下僕として尽くすように、と」
『言った!? ねえ、私そんな事言ってた!?』
「し、知らんけど……命を分け与える? お、俺、寿命延びるのか!?」
ジズが頷いたように見えた。
こいつ、マジでさっきまでと対応が段違いじゃないか……。
とにかくなんでもいい。生き延びられるなら、契約? でもなんでもする!
「曽良様、こちらへ」
ジズに導かれて前へ出る。すると、ジズの体が輝き、光の粒子へと変わった。
それらが俺に入り込んでくる。
これって、ジズは消えちまったって事か?
「おーい、ジズ?」
『……気配が無くなったわ』
「何っ?」
『なんだか、私にも理解ができないけれど……この迷宮はもうすぐ消えるわ』
本当に消えちまったのか。
俺はビビってただけだったし、普通に殺されかけたし、いい思いはなかったけど。
こうして、自分を知る者が消えてしまった事を、ウンディーネはどう思っているのだろうか。
あるいは世界にたった1人になってしまったとしたら。
俺があの海底で味わった、ほのかな孤独感にずっと苛まれているのだとしたら。
「……ウンディーネ。さっきの話、俺も信じちゃいないけどさ……。まあ、お前が力を取り戻すまでは、俺達、一心同体ってやつだから」
『……ええ。不本意ながら、ね』
その声音には少しだけ、安堵の色があったのはきっと俺の勘違いではないと信じたい。




