5-46 あなたと生きた時間を
「ん……」
ウンディーネが次に目を覚ましたのは、水晶宮ではなく、元の城の玉座であった。
ぼやけた視界の中、自分の手に視線を落とすと、やけに小さなそれが見えた。
これはラティナの身体だろうか。まだ上手く動かせないが、どうやら器を移す事には成功したらしい。
玉座を下りようとしたその時、目の前のカーテンがサッと引かれた。
慌てて視線を上げると、そこに立っていたのは――、
「ひっ!?」
見るも恐ろしい仮面を着けた、筋骨隆々の男であった。
もはや誰かなど、聞かなくともわかる。
散々自身の肉体を晒して迫ってきた変態ことシュラだ。
「我が聖女、殉教の時です」
何を言っているのかはわからないが、シュラはその逞しい腕で有無を言わさずウンディーネを抱き上げた。
「ちょっ、い、嫌っ!」
「ぐむぁっ……」
仮面の口があり得ないほど大きく広がり、覆い被さってくる。
「嘘でしょ……」
そしてウンディーネは、何もできないまま呆気なく呑み込まれた。
◆◇◆◇
首から手を離すと、少女は俺の手にしがみつくようにして身を起こし、何故か拳で、俺の顔を叩いた。
当然、痛くない。
痛くないけれど、俺は思わず、少女の小さな手ごと頬を押さえてしまった。
「お前……ウンディーネ、なのか?」
「ええ。助けに来るのが、遅い」
「んな事言われてもよ。俺、何回も死にかけたんだけど」
「私なんか、あいつに丸呑みにされたのよ」
「ああ……それは地獄すぎるな」
やべえ、なんか言葉が出てこねえ。
あの顔だけは完璧なまでに美人だったウンディーネが、いきなりこんな、可憐極まりない少女になってるなんて何が何やらでついて行けないんだ。
あとこれは非常に個人的な事なんだが、やたら好みドンピシャな外見なのも良くない。
中身があのウンディーネなんだよと言われても、言われてもだ。
理性のタガが外れてしまいそうになる。
思わず抱きしめそうになる腕をなんとか抑えていると、少女は俺の首に手を回してきた。
「使うなって言ってるのに、使ったのね、ネプテューヌ」
「……あ、ああ。こうでもしなきゃ勝てなかった」
「そう……ほんと、私の話を聞かない奴」
「あー、えっと……ああ、いや、お前が最初、お試しで俺にこれ使わせたの、忘れてねえからな?」
「ふふ、そんな事も、あったかしら」
「なかった事にはしねえからな。お前の……お前とのこれまでは」
強化された腕力でうっかり潰してしまったりしないよう、注意深く、ゆっくりとウンディーネを抱きしめた。
どうしてこんな事になっているのか、それは後で聞くとして、とりあえずこれで解決したのだろうか。
……なんて、綺麗には終わるはずもない。
中身がウンディーネになろうが、この聖女とやらがダンジョンのボスである事実に変わりはない。
真琴の家族を救うには、彼女を殺さなければならない。
避けようがない、事実なんだ。
「曽良、私ね」
どう切り出そうか、迷っていると。
「あなたと『生きられて』本当に良かった」
ウンディーネはそう言って、仮面越しの俺の顔に、そっと口づけた。
ゆっくり離れる彼女を放すまいとしても、ウンディーネの小さな体はするりと抜けてしまう。
俺の手に両手を重ねると、いつの間にか俺はアクア・ネビュラを握らされていた。
その刃先に、ウンディーネは自らの喉を当てた。
「せっかく生き返れたけれど、こうしないと、終わらないから。迷宮そのものは、私の意思で消す事ができる。もう、この迷宮の主の魂は存在していないから、後を引き継いだ私が崩壊させるだけ。でも……それだと、あなたに生命力を渡せない」
何を言ってるのかくらいはわかる。
ネプテューヌは、ボスを倒さなければ、力を奪って生き永らえる事ができない。
それは不変のルールだ。俺が今ネプテューヌを解除すれば、普通に死ぬ。呆気なく。
「あなたもそれを使った以上は、主を倒さなきゃ駄目でしょ? 安心して。この迷宮の主の力は、とても大きいから。私がいなくなって、契約が切れたとしても、あなたは十分に元の暮らしを営めるだけの命は残るわ。だから」
「ふざけんな……ふざけんなよ、お前! 何をベラベラ、勝手抜かしてやがる! くだらねえ事言ってねえで、帰るんだよ!」
「どのみち死ぬのよ、あなた」
「死なねえ! ずっとこのまま生活してれば、死なずにいられるだろ! とりあえず寿命100年分くれえ、近くのダンジョンのボス、倒しちまえば解決だ!」
「するわけないじゃない、どれだけ馬鹿なのよ」
ウンディーネは呆れたように笑う。
俺はマジだ。とにかくなんとかすれば、こんな簡単な問題くらいどうにかなるって信じている。
この姿で飯が食えるのかは疑問だけど、腹減って死ぬ前に、日本中のダンジョンを攻略してやればいい。
陽花も真琴も、ヒカリヤ攻略の打ち上げがてらの弾丸ツアーくらいなら付き合ってくれるだろ。なんたってあいつらは最高の友達なんだ。
だから、俺は絶対に、この手を動かさない。ウンディーネが何を言おうと、こいつを殺したりはしない。
なのに――。
「ほら、何も思い付かない。勢いだけで言わないでよ、もう。……じゃあね、曽良。あなたと過ごした時間が、私の全てになってしまっていたけれど……私は、悪くないと思ったわ。ううん、幸せだった」
「くそ……くそおおおおおっ!!」
ウンディーネは、わずかに身を捩って、刃を自身の首に埋めようとする。
俺にはどうしても止める事ができない。こんな時でさえ、自分が生きたいという本能に抗えそうにない。
ただ叫ぶだけの無様な俺の前で、ウンディーネはそっと、身を倒し――、
「え……?」
――倒しきる前に、はたとその動きが止まった。
俺の胸に浮かび上がっている球の、その中から、青い光球が現れたのだ。
不思議そうに見つめるウンディーネが、ぽつりと呟いた。
「これは……私?」
次回で一旦の区切りが付きます。




