5-45 新しい私へ
ウンディーネが目を覚ましたのは、硬質な水晶でできた玉座の上であった。
周囲を見回すと、床も壁も、全てが透き通った水晶でできていた。
記憶のない彼女にとっては初めて見る……しかし、ひどく懐かしい光景に戸惑っていると、誰かが近づいてくるのが見えた。
青い髪の、自分と顔がそっくりな少女、ラティナだ。
最期の記憶は、彼女をシュラから守ろうとして、腹に剣を刺されたというものだ。
傷があるはずの場所をさすっても、どこにもそれは見当たらない。
ラティナはウンディーネの前に来ると、跪き、膝へ頬を寄せてきた。
刺されて倒れる前にしていた事と同じだ。ウンディーネは、ラティナの細い髪に指を通してやる。
「わたくし達は、終わってしまったようですね」
「終わった……? そう、あなた、死んでしまったのね」
結局、シュラから守ってやる事はできなかったらしい。
その後を見届けてはいないが、ろくな事にはならなかったのだろう。
申し訳なさが胸に湧く。生命の終わりを悼むなど、目覚めてからの自分にはなかった感情だ。
特定の生命に感情移入するなど、生命の管理者としてあってはならない事ではある。
それは本能的に理解しているのだが、曽良と過ごすうち、人というものを知った彼女は、そうした本能も揺らいでいた。
まるで破れたろ過装置だ。本来なら切り捨てられるべき感情も素通しされてしまっている。
ただ、そうしてできた心の泉は、驚くほどに澄んだものであった。
「(あの不届き者に汚されて、屈辱でしかなかったけれど……うん。なんだか、悪くなかったわね、私の『一生』も)」
そう、管理者らしからぬ事を考えながら、これまでの事を回顧していると、ラティナが顔を上げた。
「戻りたくはないですか?」
「戻る? あの世界に?」
ラティナが頷く。
それが不可能である事はウンディーネには理解できていた。どうあっても、終わった生命がそのまま戻る事などあり得ない。
まして自分は生命ですらない。なんらかの意思、力の塊でしかないのだ。
終われば、後は消えゆくのみ。
しかしラティナは、ウンディーネの考えを否定した。
「あなたには器が、わたくしには中身が、それぞれ足りていない。わたくしの器を、あなたで満たしてはくれませんか?」
「それはシュラの狙いなのでしょう?」
「ええ……ですが、シュラの狙いとは違う事が、ひとつ」
「何?」
ラティナは笑った。
屈託ない、陽光煌く海のような笑みだった。
「彼の目論見は、わたくしという思い通りになる器を作り上げる事。であればわたくしは、世界から消えます。あなたに全てを明け渡して」
「それって……結局あなたは死ぬんじゃない!」
「お忘れですか? わたくしはとうに迷宮の一部であり、生きてはおりません。そして魂は、永遠に迷宮に縛られる存在……」
ラティナは目を伏せ、小さな声で絞り出した。
まるで、これまで我慢していたものを吐き出すかのように。
「世界を、見たいのです。歪められ滅びた世界などではなく、かつて城の外に広がっていたであろう、人の営みを感じられる世界を。もう、どこかへ縛られ利用されるのは、嫌なんです」
「…………」
「わたくしの身勝手ではありますが、どうか、お願いします。わたくしを、連れ出してはくれませんか?」
懇願され、ウンディーネは心が揺れた。
もし、彼女の体を貰い受けて戻れば、それはルール違反にならないだろうか。
曲がりなりにも生命の管理者を自称する者が、自身の感情のまま世を乱す事に……。
そんなウンディーネの考えを見透かしたのか、ラティナは悪戯っぽく笑った。
「道中、賢者の石を盗もうとしていたじゃないですか。十分に正しさを欠いた行動でしょう」
「……えっ、バレてた!?」
「ええ。わたくしは、迷宮の主ですよ? 構いません。あそこにある石は全てお持ちください。外の世界にとって、価値あるものかはわかりませんが」
「も、もう……はあ、わかったわよ。でも、これだけは覚悟しといてね」
「はい?」
ウンディーネはわずかに声を潜めた。
まるで、年頃の少女同士が、内緒話でもするように、楽しげに、
「私の一番よく知る人間は、どうしようもなく馬鹿で、ヤバいから」
「ヤバい……?」
「ええ。なんかすっごく、すっごい馬鹿って事よ、確か」
それを聞いたラティナはくすりと笑って、
「ウンディーネ様がそうまで言うお相手なら、きっと、悪い方ではないのでしょうね」
と、ウンディーネの手を握った。
ゆっくり、力が彼女に吸い込まれていく感覚がある。
「あ、ねえ。最後にひとつ、聞いてもいい?」
「ええ」
「その……何かしたい事とかある? 外に、出られたら」
ウンディーネの唐突な問いに、ラティナはわずかに考え、答えた。
「人を、好きになってみたいです。何も感じないまま、全部失ったりする前に」
「……そう。ええ、わかった」
力は完全に、ラティナの中へ移った。
眠りに落ちるように、ウンディーネは意識を失った。




