5-44 ただいま
数秒の無重力感の後、何かに引っ張られるように体が落下を始める。
下はどうなっているんだろうか。見てみたい好奇心もあるっちゃあるけど、確実な死の気配の前にはそれも萎んだ。
この距離では陽花も助けに来れないだろうし、詰みかな……。
『曽良様!』
不意に頭に響いた声に顔を上げると、高速で飛んでくる巨大な姿が見えた。
瞬く間に嘴につがえられ、再びの上昇を体で味わう。
「ジズ! お前、落ちてなかったか?」
『ええ。先ほど復帰いたしました。しかし……』
嘴に咥えられたまま、モンスターの方を見る。
ボロボロと崩れていく体からは、もうさっきまでのプレッシャーは感じられない。
俺達は、勝ったのだ。
『既に戦いは終わっておりましたか。面目次第もございません』
「気にすんな。お前らがいたから勝てたんだよ」
『は、有り難きお言葉……!』
「うし、陽花達の所に戻ってくれ」
そう命じると、ジズは大きく旋回し、2人の前へ戻った。
地面に降り立ち、俺を下ろすと、ジズ達3体は天に向かって吠えた。
粒子となって消えていった。その威容が粒子となって消えていく。
「ありがとな」
別に、家に戻ってから言えばいいんだが、なんとなく今きちんと言っておくべきだと思ったのだ。
崩れて土塊に戻っていくモンスターを眺めていると、陽花がぽつりと呟いた。
「消えないっすね、ダンジョン」
「……あ、マジだ!? じゃあ、まだ終わってないってのか?」
「このモンスターはボスじゃなかった、のでしょうか……」
俺達の間に緊張感が漂う。
やがて完全に崩壊したモンスターの亡骸から、もはや懐かしのあいつが這い出てきた。
「ゲッ……はっ……ぐ、ぬぅ……!」
「「ひっ」」
おっさんが苦しそうに喘ぐ姿を認めた2人が慌てて踵を返そうとするので引き止める。
「待て待て、お前らそろそろ耐性付けてくれよ……。ほら、もう怖い所は崩れて見えなくなってるから、な? 陽花も、指の隙間からチラ見してないで、見て大丈夫だから」
「ホントっすか? 信じるっすよ?」
恐る恐るおっさんを見た2人は、ほっと胸を撫で下ろしていた。
既におっさんの体は、下半分がボロボロと崩れている。
さすがにもう、反撃はしてこないだろう。
ネプテューヌは解かずにおっさんの前へ立つ。
「錦……曽良……ぐはっ……!」
瞬間、おっさんの顔が不自然に広がったかと思うと、口から大きな物が吐き出された。
さっき呑み込まれていた、透き通る青い髪の少女だ。
一応脈を見てみるが、何も感じられない。
が、呼吸はしているらしく、苦しそうに顔は歪んでいるものの規則的に胸が上下していた。
「ふん……俺の、敗北、か」
「ああ。勝ったのは俺達だ。ダンジョンごと消えな」
「それは、できんな」
「何でだよ」
「……何も知らんのか? そうか、俺が迷宮
の一部となったから、知れただけの事か……。教えておいてやろう。迷宮は、主の死でのみ崩壊する」
こちらを見上げているくせに何故か上からな態度に苛立つ。
「何を今更な事をドヤ顔で語ってんだよ。どうせ、その傷ならあんたもう死ぬだろ。放っておけばダンジョンも消える」
「くく……ははは! 残念だが、期待には添えんな」
「意味がわからん。もう帰るぞ俺達」
「俺はこの迷宮の主ではない」
その言葉で、立ち去ろうとしていた俺の動きが止まった。
「疑うのか? なら、試しに俺の首を撥ねろ」
「……ボスはどこだ」
「これはまた、おかしな事を聞く。目の前に転がっているだろう?」
この場にいる人物。
俺とおっさんと、青髪の少女。
おっさんがあくまで自分はボスではないと言い張るのなら、答えは一択しかない。
「さあ、無抵抗なうちに首を撥ねろ。お前の膂力なら指先でも縊り殺せるだろう。頭を踏み潰してもいい、この石床を穿つ脚力があるのだからな」
「うるせえよ!!」
「くっくっ……おっと、もう、時間のようだ……ああ、生命の泉が見えるよ……ラティナ様……俺は…………」
それだけ呟いて、おっさんは事切れ、そして塵になっていった。
後に残されたのは、無言の俺と、眠っている少女だけだ。
アクア・ネビュラを握り、刃を少女の首筋に立てる。
ほんの少し押し込むだけで、俺の超パワーが首と胴を泣き別れさせるだろう。
魚を捌くようなもんだ。三枚におろす必要のない分、より簡単かもしれない。
どうした、やれるだろ。
どうしたよ、錦曽良……!
……駄目だ。
アクア・ネビュラを取り落とし、俺はその場に崩折れた。
この子が可哀想だとかじゃない。たとえ相手がおっさんだったとしても、殺す自信がない。
殺して、何事もなく日常に戻る自信がないのだ。
たとえボスを倒さなければ、ネプテューヌの反動で俺が死ぬのだとしても。
「センパイ?」
いつの間にか2人が寄ってきていた。
陽花がしゃがみ込み、俺の顔を覗く。
その目は心配そうに揺れていた。
「どうしたんすか? おっさん、倒したんすよね。何でダンジョン消えないんすか?」
「……この子が、ボスなんだとよ」
「え……」
3人で少女を見下ろす。
「……大丈夫ですよ、曽良さん。あなたが苦しむ必要なんてありません。私が、やりますから」
「真琴、駄目だ」
「そうっすよマコ、それにマコがやるとセンパイが……」
「あっ……」
「違う。んなこたどうでもいいんだ。真琴、それから陽花。お前らは駄目だ。絶対にやらせない。この子が何であれ、お前らはやっちゃ駄目だ」
「こんな時に何を……じゃあどうするんですか」
真琴の縋るような目に、俺は拳を握った。
「……頼みがある」
2人に向き直り、まっすぐ目を見つめる。
「その、なんだ……。後ろ向いててくれ」
たったそれだけで、俺が何しようとしてるのか、きちんと理解してくれたらしい。
ゴネられたらどうしようかとも思ったけどな。
陽花は変なところで頑固だったりするし、真琴はたぶん、いざとなれば自分がやってのけるだろう。その危うさは過去に、なかった事になってる事実として俺が知っている。
だから、素直に言う事聞いてくれるのはありがたい。
少女の首に手を掛ける。
なんとなく、首を落としたり潰したりするより、こういう方法の方がいい気がした。
力を籠め、首をへし折るーーその瞬間だった。
『駄目よ、曽良』
声が響いた。
すっかり聴き慣れてしまった、あの声が。
慌てて瓦礫の方へ振り向く。
だが、そこに人影はない。あったとしても滅茶苦茶に潰れているだろうから、どうしようもないんだけども。
不意に俺の下から「ううん……」と呻る声が聞こえた。
見下ろすと、少女が目を開けていた。
俺が首に掛ける手に、そっと小さな手を重ねる。
「こんな事されたら、『生き返った』意味、なくなっちゃうでしょ」
「え……」
「……ただいま、曽良」




