干支の流儀と騎士の領域4
◇
カガリの心が折れ始め、アルカの腕の中に納まった頃――。
一撃を見舞おうとした瞬間に湧き上がった歓声も何処へやら、辺り一帯がシンと静まり還る。
まさかあのカガリが手も出せずに負けるのかと呆然と舞台に立つ二人に注目が寄せられていた。
その静寂の中で肩に鷲を乗せた男、ホルクスは二人の行方を見守るカイネとラディルの隣にゆっくりと腰を下ろして口を開いた。
「やっぱ優しいねぇ団長は」
ホルクスは笑いながらそう言った。
あの公開処刑さながらに羽交い絞めにしている状態の何処が優しいというのか。
ホルクスの声を聞いた兵たちは何を言っているんだという表情でホルクスに視線を向けた。
「えぇ、確かにあれがホルクスや私であれば今頃は容赦なく地に叩きつけられているところでしょうね」
しかしホルクスの言葉に応じたラディルも間違いないなと返す。
なら何故、カガリにはそうした行動を取らないのか。カイネは未だに羽交い絞めにされているカガリに目をやった。
まさかアルカが手を抜いているということなのだろうか。
「お? まるで団長が手を抜いているんじゃあって顔をしているぜ、カイネ様」
視線を移すカイネの様子を見てホルクスはニシシと歯を見せながらカイネの心を代弁する。
「え、ええ。まさかカガリですら手が届かないとは思いもしませんでしたし……」
常日頃から組手を行っているラディルならまだしも、初見殺しともなりえるカガリの技が最初から意図も簡単にあしらわれているのだ。
この傭兵団でも5本の指に入るであろう実力を持つカガリを相手にあの余裕すらをも見せているアルカに手を抜かずしてなんと言うか。
決してカガリに負けてほしいとは思わないが、ここまでズタズタに心を折られるとなると彼女の今後の事が心配になる。
「団長は決して手を抜いたりはしませんよ。あの人はどんな相手にも常に敬意を持って振る舞う方です」
だが、ラディルは言った。
「それに先程、団長がカガリ殿の突きを避けた際に使ったのは"瞬歩"と呼ばれる体術の一つです。どうやらカガリ殿は勘違いされているようですが」
「その、瞬歩……? に何かあるのですか? 」
技だけでいくのならアルカの領域に加えて衝撃波も同じ"技"である。
そうではなく、今こうして止めを刺せるところで刺さないアルカの行動に疑問を抱いているのだ。
それに対して確かに言葉足らずだったかとラディルは頬を掻きながら答えた。
「私も習得出来ておりませんので詳しくは申し上げられませんが、団長いわく瞬歩は身体への負荷が大きいと。戦場であっても滅多に使用することが無いその技を使わざるを得ない状況にまで追い込んだ――、少なくともカガリ殿を好敵手であると認めていると思いますよ」
それ故にと言葉を続ける。
「それ故にいくら試合といえど戦いを放棄するような真似を取ったカガリ殿が団長は許せないのですよ」
そしてラディルとホルクスは再び自分たちの団長に目をやるのであった。
◇
抗うことを止めたように見えたカガリはなんとも云えぬ感情を抱いていた。
だが握っていたアルカの腕に爪が次々と食い込んでいく。
「私の師を……バカにしないで、ください」
自分が咎められるのは構わないが、師を馬鹿にされることが耐え難かった。
「ほぅ、貴殿はラディルに教えを乞うていたのか」
二人の様子から何やら関係はあるだろうと踏んでいたアルカだったがまさか師弟関係にあったとはと反応を見せる。
あのラディルが弟子を持つようになったかと嬉しく思う反面、それとこれとは別物であると続ける。
「ならば傭兵団ではラディルと貴殿が一番の実力であると聞いているが、皆の期待を担う者がまさか真っ先に折れるわけにはいくまい」
ついには爪の食い込んだ部分から血が滲み出る。
「果たして指揮を失った兵たちは一体誰の後に続けばいいのだ」
「――ッ!!」
そしてこれでもかと噛み締めていた唇からは血が滴り、カガリの我慢は限界に達した。
それ以上は言うなと大きく叫び、抵抗しカガリは身体をぐるんと上に向かって回し、捕まっていた腕から脱出しようとアルカの首に足を掛ける。
このまま首の骨を折らんとする足技にアルカは振り払う形でカガリの背中の着物を掴み、遠くへと放り投げた。
「良い目になったではないか」
そう言ってニヤリと口角を上げるアルカの目には、再び怒りを帯びて灯を宿すカガリの姿があった。
ただ怒り任せに剣を振るうことが決して良い結果を生むとは限らない。
「獅子の型――ッ!!」
木々をなぎ倒すかの如く、先ほどとは比べ物にならない速度でカガリは猛進するがアルカはただの一振りでその繰り出された突きの軌道を変えてみせる。
負けじと交わされた直後にカガリは宙で身体を捻り、一振りするとアルカの耳元でリィンと空を斬る音が響いた。
相手を近づけさせず、間合いの長さを活かして文字通りに切断に特化した太刀。
「白虎の型!!」
その太刀の使い手であるカガリが近距離での攻撃を次々と繰り出し、美しさとはかけ離れたあまりにも荒い剣技に周囲からもどよめきの声があがる。
「――アアアアァ!!」
それでも繰り返される攻防の中でカガリは雄たけびを上げながらただただ木人形を相手にするかのように太刀を打ち込んだ。
激しい鉄と鉄がぶつかり合う音が鳴り響くがそれも長くは持たなかった。
「これこれ、我を忘れてはいかんぞ」
「あが……ッ!?」
アルカが「ぬんッ」と剣を持たない左手を握り締め、カガリの腹部に一撃を入れるとだらりと姿勢を崩した。
最後は呆気なかったがその一撃を受けたカガリに再び立ち上がる気力は残されていない。
「……どうして……」
どうしてただの一撃も入れられないのかとすっかり黒目に戻っているカガリは震えた声で言った。
師と仰ぐラディルが相手でもここまで大差を付けられることなどなかったというのにこの惨敗である。
抵抗することを止め、その崩れそうになる彼女の身体を支えるように腕を回したアルカはそっと口を開く。
「カガリ殿、貴殿は剣が好きか?」
馬車の中で3年ぶりに与えられ、何度も太刀と交えた今も握るロングソードを見た時と同じ優しい眼差しでアルカは問うがカガリは静かに目を閉じて微睡の中に意識を落とすのであった。
アルカの腕の中で眠る間際に小さく頷いて。
「うむ」
どこか満足したような表情で眠るカガリを抱えてアルカは歓声の中、来た道を戻っていった。