第4話 おやつ三者三様(秋の巻)
「そんじゃあ、行って来ます」
「行ってくるね~、今回は前みたいに過保護しないから、安心してね」
過保護と聞いて、夏樹が怪訝そうな顔をするのに苦笑しながら、シュウは2人を送り出す。
「ああ、2人とも気をつけて行っておいで」
今月は月曜日に祝日がある。いわば連休だ。
そこで冬里と夏樹は、いつもならレトロ『はるぶすと』の日に日帰りで行く日本全国の味巡りに、この日曜月曜(祝日)を利用して出かけることにしたのだ。
シュウも本来なら行きたいところだが、この日曜日にたまたま「太陽月光流」の交流会が開催されることになっており、シュウはそこでの模範演技を依頼されているのだ。
「さすがは鞍馬先生だね」
「っすね! シュウさんすごいっす」
冬里と夏樹はそんな風に言ってくれるのだが、本人は、
「ただの人数合わせだよ」
と、淡々と答えるだけだった。
2人の行く先は、高知と愛媛を巡る1泊2日の旅らしい。
「愛媛では道後温泉に行くつもりなんだよね~。どう? 温泉好きのシュウとしては、今回の交流会、わけを話して欠席するって言う手もあるよ」
と言う冬里の言葉に少し心が動かされたが、今回はやはり交流会を優先することにした。
「冬里となら、また何百年後かに行く事も出来るしね」
「あ、ずるいっす! じゃあその時は俺も行きます! 絶対誘って下さいよ」
「それならハルも、だね?」
「うおっハル兄もっすか、だったらなんとしても実現させなきゃ。楽しみっす~」
4人で行けるとわかって俄然張り切り出す夏樹に、顔を見合わせて微笑み合う冬里とシュウだった。
日曜日、×市にある「太陽月光流」の道場。
演技が終わって裾の方で軽く汗をぬぐっていると、師範がやって来た。
「お疲れさん」
「はい、ありがとうございます」
きちんと頭を下げるシュウに、師範も姿勢を正して礼をしたあと言う。
「それにしても、いつ見ても鞍馬さんの立ち合いは美しい。まるで舞を見ているようです。あ、お気を悪くしないで下さいよ」
「いいえ、実践向きでないのは、自分でも承知しています」
「大いに結構。もともと太陽月光流は、心身の調和を図るのを大きな目的としておりますからな」
「はい」
うんうん、と、何やら楽しそうに笑って、師範は「ところで」と話題を変えた。
「今日はその上、美味しそうな差し入れまで頂いたようですな、ありがたい」
「いいえ、そちらが本職ですので」
「ああ、そうだった」
また楽しそうに笑っていると、「師範」と声がかかる。
「出番です」
「わかった」
返事をすると、師範は途端にきりりとした表情に変わり、舞台の中央へと進み出るのだった。
道場ではさすがに飲食するわけには行かないため、親睦の立食パーティは別会場で行われる。そこでシュウは、一足先に最上階の会場へと赴いていた。
先に運び込んでおいた何品かの料理の仕上げをして、スタッフとともに並べているところへ、皆がやって来る。
「あ、鞍馬せんせいだ」
「鞍馬先生、料理もするんですか?」
「ああ、皆お疲れ様。そうだよ、私は料理人だからね」
「へえ! 知らなかった」
道場に来ている子どもたちは、本気でシュウを剣術の先生だと思っていたらしい。こちらには生徒で来ていて、ボランティアで指導をしているのだと知ると、彼らは目を白黒させていた。
今日は、習っている曜日や時間が違うため、日頃は顔を会わさない面々が一堂に会する日だ。彼らとの歓談はいつもとは違った視点の意見が出てくるため、新たな発見があったり納得したり、なかなか面白いものがある。
和やかに始まった親睦は、和やかに終わりを迎えた。
そんな中、何人かのシュウの本業を知った者が、「いつか店に行きますよ」と言って、「はい、期待しないで待っています」と真面目な顔でお茶目な答えを返すシュウに、大人も目を白黒させていた。
夕刻の『はるぶすと』2階リビング。
心地よい疲れをシャワーで落とし、戻ってみると夏樹からメールが入っていた。
〈シュウさん! 帰ってたらテレビ電話つけて下さい!〉
それだけのメールに、苦笑してパソコンを立ち上げる。
「あ! シュウさん、帰ってたんすね。交流会どうでした?」
「ああ、とても楽しい会だったよ。それで、何かあったの?」
「それは良かったっす。で、見てくださいよこれ! さすがは愛媛、ミカンだらけっす。みかんのお酒にみかんゼリー、みかんの調味料に、みかん石鹸まであります!」
どうやら夏樹は、みかんのスイーツやグッズの数々を見せたかっただけらしい。
「僕は帰ってからでいいんじゃない? って言ったんだよ」
クスクス笑って後ろで珈琲など飲んでいる冬里に、シュウも困ったような微笑みを見せるだけだ。
「いいじゃないっすかー、なんか嬉しかったんすよ。でね、今日はみかん農家に話を聞きに行ってお手伝いしたら、今度みかんを送ってくれるって事です」
「お礼はいらないって言ったんだけどね」
シュウは、農家で話を聞きながら「なんか手伝うことないっすか?」と、いつものごとく相手の心を溶かしてしまった夏樹の姿を思い浮かべて、ふっと温かい気持ちになるのだった。
「それなら、みかんを使った料理やスイーツを考えてもらおうかな」
「はい!」
ニィーっと嬉しそうに笑ったあとは、たわいない話をしてテレビ電話を終えようとしたが、冬里が「替わって」と言うので、「じゃあ俺はもう一回温泉入って来るっす」と手を振って画面から消えた。
「夏樹と旅すると退屈しなくていいよ」
「そうみたいだね。明日は高知?」
「うん、由利香にお土産いっぱい撮って帰らなくちゃならないんだよね」
「?」
怪訝そうな顔をするシュウにひとこと。
「龍馬さん」
「ああ」
ご存じの通り、由利香は筋金入りの坂本龍馬ファンだ。高知行きの話をすると、当然のごとくうらやましがったあと、グッズやら写真やらをご所望された。
「と言っても時間限られてるし、あたりもずいぶん変わってるだろうし。話に聞いた所、見つかるかな」
「由利香さんになにか聞いたの?」
「何言ってるの、本人だよ」
「え?」
「龍馬」
「ああ」
思わず笑い出すシュウ。たしかに当時、料亭紫水にも勤王の志士たちは沢山出入りしていた。冬里が龍馬ともよく話をしていたのは覚えている。
「見つかることを祈ってるよ」
「ありがと」
そう言ってニッコリ笑ったあと、何気なく冬里が言う。
「明日は晩ご飯もいらないから、たまには自分の事だけ考えて、ゆっくりしなよね」
シュウがまたいぶかしげにしていると、冬里が思わず吹き出した。
「そんな怖い顔しないでよ。今日も料理作っていったんでしょ? シュウってさ、いつも人の面倒ばっかり。千年人だから仕方ないけど」
「ああ、そういう意味でね。わかったよ、明日は仰せの通りにいたします」
「うむ、よろしい」
鷹揚に頷く冬里と笑い合って、そのあとはお休みなさいを言ってテレビ電話を終了した。
「自分の事だけ、ですか」
珍しくワインではなくハイボールを持ってベランダへ出る。
見上げると、いつもの通りそこには月が美しく輝いていた。
「たっだいまー!」
勢いよくリビングのドアが開いて、これまた勢いよく夏樹が入って来る。
「ああ、お帰り。楽しんできたみたいだね」
「はい! シュウさんも行ければ良かったのに~。あ、でも、次は是非一緒に行きましょうね! ちょっと荷物片付けて来るっす」
そう言って自分の部屋へ行く夏樹。
「相変わらず煩いことで。ただいま」
「お帰り」
それにニッコリ微笑むと、冬里もそのまま自分の部屋へ入っていく。
そのあと夏樹は大量のお土産を抱えてやって来て、シュウにいちいち説明して見せる。
「それから、すごいんすよ、冬里!」
と、最後に出してきたのはみかん石鹸のはず、だが、そこにはオレンジ色の美しい薔薇の花が置かれていた。
「ソープカービングって言うんですって」
「へえ、さすがに冬里は器用だね」
「ですよね~、フロントで小さいハサミ借りてチョチョイと彫ってしまうんすから。えーと、どこに飾ろうかな~」
夏樹はそれを持ってリビングをウロウロしはじめる。
「飾らなくていいよ、せっかくだから使おうよ。みかんのいい香りがするしさ」
そこへやって来た冬里が、夏樹の手からヒョイとそれを奪って洗面所へ行ってしまう。
「ええー?! もったいない」
「いくつでも作れるし」
とニッコリ笑う冬里に、夏樹はいつものごとく(恐ろしくて?)言い返せないのだった。
「何がいい?」
そんな2人に、キッチンからシュウが声をかけた。どうやらお茶を入れてくれるらしい。
「あ、俺はあったかい珈琲がいいっす」
「だね、ホテルのインスタントも美味しいんだけど、やっぱりシュウの珈琲、だよね」
そんな風に言う2人に、「かしこまりました」と微笑んで、シュウはコーヒーミルの用意をしはじめた。
「どうぞ」
しばらくして、珈琲の良い香りが立ち上ってくる。夏樹がトレイを受け取りに行くと、シュウはマグカップが3つ乗ったそれを渡し、自分はクッキーを乗せた皿を手にリビングのソファへと向かう。
「クッキー焼いたんすか、シュウさん」
それに苦笑を返すシュウに、不思議そうにする夏樹。
「自分のために焼いたんだけどね、どうも味がいまひとつ」
「? なんかよくわからないっすけど、食べていいんすよね」
「ああ」
頷くシュウに、夏樹はクッキーをひとつ手に取り、嬉しそうに口に運ぶ。
「いっただきまーす、・・・、ムグ、?!」
口を両手で押さえてフガフガする夏樹に、冬里が声をかける。
「どう?」
口を押さえたままフルフルと首を振る夏樹の前にマグカップを押しやりながら、シュウが苦笑いする。
「やはり今ひとつだったみたいだね」
すると彼は、ゴックンとそれを飲み込んで口から手を離し、思わず叫んでいた。
「なんなんすか、これー!」
うう・・・、と泣いている夏樹の背中をさすりつつ、シュウはどう言っていいのやら、複雑な心境でいた。
自分のために、自分の事だけ考えて。
冬里に言われたことを実行しようとしても、どうしても店のレシピや、それを食べて嬉しそうにするお客様の顔や、人の喜ぶことを考えている自分に苦笑して。
それなら自分のためだけに何か作ってみようと思いついたのだった。
途中で浮かんでくる、クッキーを食べて嬉しそうにするあの人この人の顔を打ち消しつつ? 淡々と自分のメンタルだけにアクセスしながら焼いたクッキーは。
食べてはみたものの、どうにも味気ないような気がした。
けれど、夏樹にとっては、そうではなかったようだ。
「なんか、なんかね・・、こうぶわあーっと感動が広がって、それがその、優しいんすけど、心って言うより、身体からはみ出すほど大きくて、でね・・、うう・・」
「ふうん? ちょっと興味があるね、シュウの内面」
冬里はどうしようか迷っていたが、「これも経験、怖い物見たさ」と、失礼な事を言って、ひとつ手に取った。
そのあと、夏樹は、いや、シュウすら驚くことに!
「なるほどね」
と言う冬里の目から、涙がつきることなくこぼれ落ちていくのだ。
「シュウさあん、やっぱりシュウさんは、凄いっすー、ううー」
それを見て、またもらい泣きする夏樹。
シュウはどうしたものかと思案するように、思わず天を仰いでため息をついた。
とにかく風呂に入って気持ちを落ち着けさせると、夏樹はすぐに寝入ってしまった。
「そんな顔しないでよ。とにかくこの僕ですら思わず涙するほどだったんだから」
「いや、そんなんじゃなくて。本気をこめたものより、自分のために作ったものにこんなに感動されてしまったのが、少し信じられなくて。だったらこれからは心を込めない方が良いのかと」
視線を落として言うシュウの気持ちがわかった冬里は、いつものように人差し指をクルクル回しながらなにやら考えている。
「まあ、それはショックだよね。けどさ、自分で食べたらちっとも美味しくないんだよね?」
「美味しくないと言うか、味気ないと言うのが本当のところだけれど」
「ふうん」
と、今度は立ち上がってソファのまわりを歩き始めた冬里が、「あ」と言うと、パチン! と指を鳴らす。
「きっとそれは僕たちだからだよ」
「え?」
怪訝そうに聞いたシュウには答えず、冬里は顔を上げて呼ぶ。
「ヤオヨロズ~」
すると。
「呼んだか?」
と、夏樹が寝ているのを知っているのか、ヤオヨロズは今日は音もなく現れた。
「うん、呼んだ。ねえ、ちょっとこれ食べてみてよ。シュウが作ったんだ」
「なんだとお、俺にも食わせろ」
すると、呼ばれていないのに、隣にスサナルが現れて。
「僕も」
「僕もねー」
と、なんとオオクニとツクヨミまでやって来た。
「うわ、シュウってモテモテだね」
楽しそうに言う冬里と、訳がわからず少しいぶかしげなシュウだったが。
神さまたちは、くだんのクッキーを嬉しそうに口に入れたあと、皆「?」と言う顔をする。
「ご感想は?」
冬里がふざけたように、手でマイクを作ってヤオヨロズにインタビューした。
「うーん、クラマだな」
「クラマ以外の何ものでもない」
「え?」
その感想に、ますます眉をひそめるシュウ。
「あれえ、ホントだ。なんでこんなにクラマなの?」
「なんの思いも込めてない、よね?」
けれど、最後のツクヨミの感想に、ハッと気がついたようになるシュウだった。
「もしかして、冬里?」
「そ、神さまにとっては、これはただのシュウのクッキー。味気ないことこの上ないって言うシュウと同じ」
「なんだなんだ?」
2人のやり取りを聞いていたヤオヨロズが、訳を聞き出した。
「ハハハ、なんだクラマ。そんなことで落ち込むなんて、お前もまだまだだな」
ヤオヨロズが面白そうに言うと、シュウは少し心外という感じで、珍しく言い返す。
「ですが、なんの思いも込めていないクッキーに、あんなに感動されてしまっては」
「それはさ、シュウだからだよねー」
冬里の言葉に、頷く神さまたち。
「クラマの本質ってやつには、俺たちでさえ結構その大きさに感動するんだぜ。けど、俺たちはそれをよく知ってて慣れてるから、感動はするけど、クラマだと思うだけだ」
「そうだよ、でね、僕たちが本当に食べたいのは、クラマが込めた思いや気持ち」
「本気で純粋な、人に喜んでほしい、人を幸せにしたいっていう気持ちは、本当にすっごく美味しいよねー」
「ああ、美味いに決まってる!」
シュウはそれらを聞いて、ようやく冬里の意図に気がついた。
「夏樹はさ、シュウに直接触れるの初めてだったから、あんなになっちゃったけど。そういう僕もちょっと予想以上で押さえが効かなかっただけ。けどそれはシュウの大きさに対する感動でさ、美味しさで言うなら、シュウが僕たちのためにって思いを込めて作ってくれる御飯の方が、何倍も美味しくてあたたかいんだよ」
珍しく素直な冬里の感想を聞いて、こちらも珍しく照れたように微笑むシュウに、冬里は付け加える。
「ねえ、なんでこの世に神さまがいると思う? 神さまってさ、正当なことを正当に評価してくれてるんだよ、いつだって。自分のためだけに作ったものより、人の幸せのため、人の喜びのために作ったものの方が、凄く価値があるってこと。ちょーっとわかりにくすぎるのが玉にキズ、だけどね」
面白そうに言う冬里に、ヤオヨロズが肩をすくめて言う。
「仕方ないだろ、そういう風に出来てるんだ」
「だからクラマは今まで通り、人に喜んでもらうのが自分の喜びってことで、心込めて作ってたらいいの、OK?」
「はい、ありがとうございます」
頭を下げたシュウが顔を上げて言った次のセリフに、神さまたちはやんやと喜びの声を上げたのだった。
「お騒がせしたお詫びに、心を込めて美味しいお茶を入れさせて頂きます」
神さま方が帰って静かになったリビング。
「今日はありがとう。何だか最近、冬里に教えられてばかりだね」
「ふふ、僕だからいいんじゃない?」
入れ直した紅茶を冬里の前に置いて、シュウは自分もソファでくつろぐ。
「ただ」
窓の外を見ながら、ちょっといたずらっぽく笑う冬里。
「?」
「明日から、夏樹の内面磨き大作戦が始まるんじゃないかな~って思ってさ。〈シュウさんの大きさに少しでも近づきたいっす! 〉とか言いだして」
ポカンとしていたシュウは、そのあといつものごとく苦笑いしている。
「けれど、夏樹の本質は私にはないものだよ」
「そう、人の心を溶かしてしまうフレンドリーさやおおらかさは、僕たちにはないよね。誰ひとり、同じものは持っていない」
「それを理解してくれれば、言うことはないんだけど」
すると冬里は、ティカップを持って立ち上がり、ベランダの窓から外を見ながら言う。
「うーん、あと200年くらいかかるかな~」
「200年、ですか」
可笑しそうに言うシュウを振り返ったあと、また外を見ながら紅茶を口にした冬里が「あ」と言う顔になる。
「ちょっとお、なにしたの? 僕の弱点ついたね」
そう言って空を見上げた冬里の瞳が、キラキラと美しく輝き出す。
月だけがそれを知っていた。
おやつ? と言う様な話の第4弾です。
シュウの内面話を書きたかっただけなんですが、そこはそれ、作者のことですからあっちへ飛びこっちへ飛び、まあ上手くおさまってくれました。
ところで、作者も筋金入りの龍馬さんファンなんですが、実は高知へ行ったことありません(それでも筋金入りかー?!)道後温泉も行ったことがないので、行ければいいなーと希望をこめて。
まだ続きますので、よろしければ遊びにいらして下さいませ。




