こがねの房
イスカの街から西に2日、数えて10程の農村をとりまとめるリベラ侯の領地を知っているだろうか。
いまから遡ること100年、イスカの街が出来る前は人の生存圏の東端はリベラ侯の領地であった。
その頃は今よりはるかに亜人や魔物の襲撃が激しく、年の半分を農耕に、合間を縫うようにもう半分を村の防衛に当てなければならなかったそうだ。
ある秋の事、領の視察に出掛けたリベラ侯は森の中で不思議な出来事に出会う。
配下の兵と馬を進めるうちに、周囲は木々で囲まれた不自然な道となっており、馬を進めても進めてもいっこうに景色が変わらなくなっていたのだ。
その周辺では魔力を持ったゴブリンが率いる群れなどが確認されており、兵達は敵による幻術かと恐れおののいたが、リベラ侯だけは冷静であった。
落ち着きなさい、これは魔物の類いの幻術ではない。
もし、噂に聞くゴブリンの魔法使いが相手なら既に我々に火球の魔法が撃ち込まれているだろう。
と語った。
そして付け加えるように、
この幻は我々を迷わせるだけのものだ。
きっと年を経た狐あたりが子か孫を護るために張っているのだろう。
と。
そうするとリベラ侯は馬から降り、道脇の手頃な石にどっすり座り込むと、従者に火打ち石を用意させ、ぷかぷかと煙管を蒸かし、休みはじめた。
一時も休んだ頃だろうか、煙管から出る紫煙がどんどんピンクに変わっていき、ふっと吹いた一陣の風とともにあたりの風景をぐにゃりと歪ませた。
するとどうだろう、一行の目の前に大男四人で抱えられるか?というくらいの古木が現れた。
古木の回りには複数人が遠巻きにぐるぐる回っているような足跡があり、彼らがこの古木を中心に惑わされたことは一目瞭然であった。
古木を見据えたリベラ侯はすたすたとその前まで歩いていくと、木の根本の真っ暗な闇を除かせるうろに向かい、
驚かせてすまなかったな、私たちはここを抜けたいだけだ。
ここを抜けさえすれば、あとは平穏な暮らしに戻るだろう。
と告げ、再び馬に乗り従者とともに麓を目指し歩き出した。
その後、リベラ侯達は迷うことなく麓の村へとたどり着いたのだが、しんがりを勤めた従者曰く、立ち去る際に視界の隅に映る古木をちらりと臨んだところ、丁度うろのあったあたりから立派な金の房が生えていたそうな。
ちなみに、この話には後日談がある。
ある時、リベラ侯の館を亜人の集団が襲ったことがあった。
彼らは闇夜を縫い、吹雪に紛れ、リベラ侯の屋敷を奇襲したのだ。
リベラ侯も兵も勇敢に戦ったものの、じりじりと追い詰められ、あとはもう屋敷に突入されるのみとなってしまった。
屋敷に入られてしまえば近くから避難してきた民や屋敷付きの使用人などは成す術もなく殺されてしまう。
誰もが戦いの敗北を予感したときである。
雪の積もった村のはずれにかがり火と一本の旗が立った。
その旗は、大地を耕し、荒れ地を切り開くための斧と鍬、水を称える杯をあしらった彼らの王の旗であった。
そしてその旗の後ろから数えきれないほどの甲冑の騎士が現れじわりじわりと亜人との距離を詰めていった。
突然の援軍に慌てた亜人たちをリベラ侯たちは逃さなかった。
愛馬に股がり、剣を構えたリベラ侯は疾風のように亜人部隊の中心に躍り混むとそのまま首領と思われるローブの影に斬りかかる。
ローブの主はとっさにてに持った杖で防御を試みるものの、それも叶わず杖ごと首をはねられたのだった。
真っ赤な血飛沫をあげながら転がるその首は深いシワが刻まれた宝珠の飾りを被るゴブリンであり、この周辺で噂になっていた魔法を使う亜人だということが見てとれる。
ともあれ、主の首をはねられ王都の騎士に包囲された亜人たちは蜘蛛の子を散らすように村から逃げていき、村には再び雪降り積もる静かな夜が帰ってきた。
領主であるリベラ侯は、助けに現れた騎士を丁寧にもてなそうと村の外れまで赴くが、そこには古木の枝にくくりつけられた粗末なぼろ布が雪に突き刺さり、辺りには何頭かの獣の足跡が山へと向かってついているだけであった。
「勇敢なる隣人よ、お力添え感謝する!」
そう雪振る山に声を掛け、深々と頭を下げるリベラ侯の耳に、微かに狐の鳴き声が聞こえた気がした。
以来、飾り気のなかったリベラ侯の旗にはたいへん立派な錦糸で作られた房がつけられるようになったのだという。