お菓子ちょうだい
「お菓子、置いていくのでしょう? なら私にちょうだい?」
ベンチに座ったまま、その女の子は僕に向けて話しかける。
半分くらい溶けてしまっているルマンド。
カバンに入れるとベトベトになってしまうからこのままここに置いていこうと思っていたお菓子。
おかしいな。
さっきまでこの女の子は向こうを向いていたはずで、僕の方に目を向けなかったのに。
僕がここから帰ろうとしたことも、ましてはルマンドを置いていこうとしたことも分かるはずがないのに。
「私のほう、見ていたでしょう? それで私に気づかれないように帰ろうとしたでしょう?」
……どうやら見ていたことも気づいていた様子だ。
後ろに目が付いているわけでもなし、不思議なこともあるものだ。
「私、お菓子が食べたいの。あんまりお菓子を食べることがないから。ねぇ、それ置いていくのなら私が食べてもいいでしょう?」
「……うん、いいけど」
「なら、持って来てくれない?」
「う、うん」
「ありがとう。待ちきれないわ。早く持ってきてちょうだい」
「わ、分かったよ」
なんで女の子が自分で取りに来ないんだ、と思ったが、なぜか受け入れることが自然に思えた。
女の子がベンチから立ってここまで歩いて来るよりも、僕のほうから歩いて彼女にお菓子を渡すのが当たり前のような、そういう感覚。
溶けかかったルマンドの端っこを手で持ち、女の子の方へ歩く。
一歩歩くと、それだけ彼女に近づく。
もう少し歩けば、またその分だけ彼女に近づく。
当たり前。
草を踏む音と、土を踏む音。
歩けば聞こえてくるそんな音が、今はいつもと違って感じられる。
「ほ、ほら。持ってきたよ」
「ありがとう」
「うん」
「座る?」
「え?」
「お菓子を渡して、すぐに帰るつもりだったの?」
「い、いや……その」
「このベンチは一人用かしら?」
「……そうは見えないけど」
「ならあなたが座っても大丈夫よ」
「うん」
「少し一緒にいましょう」
「一緒に?」
「そう。一緒に。嫌?」
「別に嫌ってわけじゃ……」
「座りましょう」
「うん……」
促されるまま、僕はベンチに腰掛ける。
女の子は僕のために少し腰の位置をズラしてくれていた。
「私、このお菓子好き」
「……友達は好きじゃないって言ってた」
「そうなの?」
「うん、なんか年寄りっぽいお菓子なんだって」
「あらそう。お菓子にお年寄りとかあるのかしら」
「あるらしいよ」
「変な考え方ね」
「こういうのとか、もっと年寄りっぽいって言われるよ」
僕はカバンから緑色のお菓子……家の仏壇にお供えしてあってお菓子を取り出す。
五家宝っていう、いっつもお供えしていあるお菓子だ。
「それがお年寄りっぽいお菓子なの?」
「うん。知らない? うちにはいっつもあるよ」
「知らないわ。私、あまりお菓子のこと分からないし」
「そうなんだ」
「ルマンドは分かるわ。私、これ大好き」
「まだあるよ。食べる?」
「嬉しいけど、あなたも食べなさいよ」
「僕は家に帰ればたくさんあるし、いいよ。食べなよ」
「そう? なら頂くわ。ありがとう」
「うん」
彼女に、カバンに中から取り出したルマンドと五家宝を渡す。
ビニールの包みを開けて、中のお菓子を取り出す。
その仕草が、なんだか僕がいつも食べているのとは別のお菓子を扱っているように感じられる。
「これ、美味しい」
「良かった」
「美味しいけど、喉が渇くわね。水筒、持っているわね。少し中の飲み物を分けてくれない?」
「う、うん……いいけど」
「いいけど?」
「さっき、僕が飲んであるから……その、これ、蓋がコップになるようになってるんだけど……水道とかなかったから、そのまま洗ってないし……」
「私が口をつけるのは嫌?」
「そうじゃないよ! そっちが気にするんじゃないかって思っただけだよ!」
少し声が大きくなってしまった。
誤解されるのが嫌だったんだと思う……けど。
「私は気にしないわよ。変なこと言うのね。私が貰うというのに。いいわ、ならちょうだい?」
「うん」
水筒の蓋を取り、そこに麦茶を注いで彼女に渡した。
彼女はそれを両手で受け取ると、そのまま口をつける。
「美味しい。氷を入れてあったのね?」
「うん。いつもそうだよ。すぐにぬるくなっちゃうから」
「麦茶、ちゃんとお湯で煮出してあるわね」
「お婆ちゃんがやってくれるんだ。僕は水出しでもいいって言うんだけどね」
「優しいお婆ちゃんね。水出しの方が楽なのに」
「うん、そうだよ。優しい」
彼女は麦茶を飲み終わると、コップを一振りして、底に少しだけ残った麦茶を地面に落とした。
そして、スカートの端で、口を付けていた部分を拭き取ってから僕に渡した。
「ごめんね。ハンカチ持ってないの」
「い、いやそんなのいいのに」
コップを振った仕草とスカートでコップを拭き取るという行為が、なぜかとても珍しいものに感じられた。
僕の友達だったら、飲み終わったらコップなんて投げて寄越すくらいのことをするのに。
「私、名立なぎさ。あなたは?」
唐突に名前を告げられ、少し驚く。
「ぼ、僕は百川一葉」
「そう。名前、どちらで呼んだ方がいい? 百川君? それとも一葉君?」
「どっちでも……」
「そう。なら一葉君と一葉、どちらがいい?」
「え、そんなのどっちでもいいよ」
「ならまずは一葉君と呼ぶわ」
「うん……」
「一葉君は私をなんて呼ぶ?」
なんて呼ぶって……それって、これから彼女の名前を呼ぶ機会があるってこと?
「名立……さん?」
「私はあなたを一葉君と呼ぶのに、あなたは私の名字を呼ぶの?」
「……じゃあ、なぎささん……?」
「ええ、それが自然だと思うわ。百川一葉と名立なぎさ、ね」
2人の名前を並べて呼ぶ。
僕の名前が彼女の名前と一緒に呼ばれることに、なんだか少しむず痒い。
「一葉、遊びましょう」
「え?」
「この後になにか予定がないのなら、私と遊びましょう」
「うん、それはいいけど」
「ここは楽しいわね。アスレチックもできるし、恐竜の面白いオブジェも飾ってある。こうやって休むところも用意してあるわ」
「なぎささんは、ここに来るの初めて?」
「ええ、初めてよ」
「そうなんだ。あんまり整備もされていないし、そんなに面白いかな」
「整備されていなくてもいいじゃない。そのお陰であなたと私の貸し切りよ? きちんとした公園なら他に人がたくさん来ているわ」
「確かにそうかもしれないね」
「大人は虫を嫌がって来ないでしょうし、それに山にある公園だから歩くだけでも疲れてしまうのでしょうね。子供なら今はアスレチックや恐竜のオブジェなんかより面白い遊びがたくさんあるものね」
「なんか年寄りっぽい言い方だなぁ」
「あらそう?」
「ちょっとそう思った」
「お菓子の好みもお年寄りっぽいし?」
「はは、そうかもしんない」
彼女と会って、初めて笑顔になった。
会って、と言ってもさっき会ったばっかりだけど。
最初彼女を見た時の……おっかなさは、いつの間にか消えていた。
「私の髪の毛、あなたと違う色でしょう」
「うん」
「金髪でも黒髪でもない、変な色でしょう」
「変……じゃないと思うよ」
「お日様に照らされている時はね、金色っぽくなるの。でも暗くなると黒く見えてしまうわ」
「今は金色に見える」
「太陽、眩しいから」
「別に変じゃないじゃん」
「そう? ありがとう。髪の毛の色でね、色々言われることもあるの。だから嬉しいわ」
「なんて言われたの?」
「全部金髪ならね、それはそれでいいらしんだけど、私は違うでしょう。だから学校の先生には染めているんじゃないかとか、そんな感じで」
「えっと……なぎささんは何歳?」
「8歳よ」
「僕と同じ! なら髪の毛を染めるなんてしないでしょ。その先生も変なこと言うなぁ」
「ね、私もそう思うわ。でもね、ベースが黒っぽくて、それで光の加減で金色になってしまうから不自然に見えてしまうのでしょうね」
「ふーん、そんなもんか」
「一葉君が気にしないでくれるなら、嬉しい」
そう言って、なぎささんは僕にニコっと微笑む。
……なんというか、うーん、ハッキリ言ってしまうと……なぎささんは超がつくほどに整った顔をしている。
クラスの女子はもとより、テレビでも見る芸能人なんかとも比べ物にならない。
言い方が悪いかもしれないけど、少し人間離れしているくらいに容姿が整っているんだ。
8歳で僕と同じ年なわけだけど、同じ年としての可愛らしさというか子供らしさを持ったまま、そのまま女の人としての魅力も備えてしまったような、そんな感じだろうか。
それになんとなく年上の人と話しているような感覚もある。
僕自身、喋り方や考え方が8歳とは思えないって言われることがある。
自慢する気は更々ないけど、成績はいつも学年トップだし、それにお爺ちゃんお婆ちゃんと一緒に暮らしているから、それも影響しているのかもしれない。
家にあるお爺ちゃんの本を読んでいると(昭和初期の本なんてのもある)、言葉使いや語彙力なんてものも段々と年寄りっぽくなっていってしまうんだよね……
そんな僕と比べても、全然なぎささんの方が大人っぽい。
「なぎささんは、僕の周りにいる女子となんかちょっと違うね」
「あら酷い。私が女の子っぽくないって意味?」
「違うよ。なんというか、子供なんだけど子供っぽくないというか」
「お婆ちゃんが子供のフリしてるって?」
「はは! なにそれ! でもそんな感じもするかもしんない」
「一葉君、そういうこと女の子にあまり言わないほうがいいわよ? 私ならいいけど」
「言わないよ。でもなぎささんにならいいんだ?」
「別にいいわよ」
「そっか」
「うん、そう」
やっぱりなぎささんはちょっと変わってるかもしれない。
「私ね、東京に住んでいたこともあるの」
「そうなんだ」
「あそこはね、一人になれる所が人工の場所しかないのよ」
「人工? 人が作ったってこと?」
「そうよ。建物の中、部屋の中、そういう場所ね」
「人が多いから?」
「ええ、そう。一人になったと思っても壁一枚向こうには誰かがいる、そうでなくても建物の一つ向こうには誰かがいるの」
「うん」
「だから、この公園みたいに、広い所で周りに誰もいない場所っていうのは、私好き。今はあなたと私の二人だけど、二人しかいないじゃない? そういう場所って、すごく大切だと思うの」
「ここは田舎だから、そんな場所はいくらでもあるよ」
「そうね。そういう場所が多いのは幸せなことだと思う」
「やっぱりちょっとお婆ちゃんっぽいかもしんない」
「私がお婆ちゃんぽいんじゃなくて、一葉君が若いからよ」
「ほらそういうところ」
「もう!」
「それとさ、人はいないけど鳥や蝉の鳴き声はうるさいくらいだし」
「そうね。そういうのもいいわね。一人になれる場所が大切と言っても、自分以外の生き物がいない所なんて怖いもの」
「今は聞こえないけど、鶯なんてうるさいくらいに鳴きまくるよ。なんか風流だって言う人もいるみたいだけど、あれは鶯の声攻撃を知らない人だね。それか遠くで聞いているか。近くで鳴きまくると風流どころじゃないよ」
「ふふ、そうなのね」
「他にも『グェーーー!!』とか『コォーーー!!』とか、これ本当に鳥なのか? って声で鳴きまくるやつらもいるし」
「色んな鳥がいるのね」
「蝉もジージー言うのからミンミン言うのからカナカナ言うの……色々だよ」
「カナカナはヒグラシね」
「うん、そう」
「じゃあ、その鳥と蝉の声を聞きながら遊ぶことにしましょう!」
そう言うとなぎささんはスっと立ち上がる。
髪の毛が一瞬ふわっと巻き上がってそしてストンと落ちた。
そうして手を僕の方に差し伸べる。
「一葉お坊ちゃま、お手をどうぞ」
「……普通逆だよね」
「ふふ、そうね。なら次は一葉君が私の手を取ってね」
「うん、そうする」
遊ぶと言っても何も特別なこともない。
古い木製のアスレチック器具と恐竜のオブジェ。
この公園にあるのはそのくらいのものだ。