夏の山の公園
「ここも暑いなぁ」
手入れのされていない山の公園。
草が生い茂り、木は枝打ちもされていない。
舗装もされていない公園内を巡る道は、左右からの草に侵食されかかっている。
遊具といえば木で作られた、子供向けのアスレチック用のものだけ。
ところどころに、過去に流行したと思われる恐竜の巨大なオブジェが飾られている。
公園だというのに、家族連れの姿ひとつ見ることができない。
季節は夏。7月の始めの日曜日。
確かに外で遊ぶには子供にとっては厳しい季節かもしれないけど、これほどまでに人の姿が見えないのは、やはりこの公園が手入れが全くされていないことと関係があるのだろう。
それにこの公園は、市街地から少し離れた所にあって、子供だけで来ることがあまり想定されていないのだと思う。
親に車で連れてきてもらうことを前提にしてこの立地にしたのだろう。
そのお陰か、山一つが丸々使えるというスケールの大きな公園になっている。
「ヤブ蚊もいそうだし、下手したらマムシも出そうな雰囲気だな」
僕、百川一葉はそんな公園で、1人で遊んでいるわけだけど。
親に連れてきて貰ってはいないし、一緒に遊ぶ友達もいない。
誰もいない公園で、1人遊んでいる。
遊んで……いるのかな。
ただ、ここにいるだけかもしれないけど。
それでも公園に子供がいるんだ。
遊んでいるんだよ。
僕は今年で8歳になった。
家にいるのはお爺ちゃんとお婆ちゃんだけなので、どこかに遊びに連れて行ってくれと我儘を言うつもりはない。
一緒に暮らしてくれているだけで感謝なのだ。
こんな暑い日に子供に付き合わせて、具合が悪くなったら大変だ。
外に出るにしても、少し涼しくなった夕方以降がいいだろう。
そして今日は普段遊ぶ友達の都合が悪く、こうして1人でこんな公園まで遊びに来ている。
「虫よけスプレーを持ってくるべきだったかも。あ、この前ホームセンターで腰に吊るすタイプの蚊取り線香もあった。あれだったら虫除けスプレーよりも効くんじゃないかな。今度試してみよう」
夏の山は虫が多い。
特に蚊が多い。
普段はどこに隠れているのか分からないけど、人が通ると出てくるんだよねあいつら。
特に縞々の模様の蚊が大敵だ。
ヤブ蚊。
あれは家に出る蚊と違って、刺されると猛烈に痒くなるんだ。
草に侵食されかかっている木製のアスレチック器具をひょいひょいと跨いで進んでいく。
丸太がそのまま吊るされたような分かりやすい器具もあれば、時間をかけてじっくりとクリアしなければいけない物もある。
これ、落ちたら子供だと死ぬんじゃないか……?と思うような高度のある器具もある。
結構昔に作られた公園だからな。
今だったら安全性やら何やらでこういうのは許可が出ないんじゃないのかな。
でも子供にとっては少しくらい危ないくらいの方が遊び心が刺激されるというもので。
それにしても、本当にこの公園は人気がない。
草にしたって、人が通れば跡というのは残るものなのだ。
草をかき分けるだけでも後から来る人は進みやすくなるし、踏み固められることによって道ができていく。
なのに、そういった形跡がこの公園には全然ない。
今は屋内のレジャー施設も充実しているし、親としてはそういう所に子供を連れていくことが多いのかな?
こんな草と虫だらけの、それに遊具も古臭い、それに街中から離れている山の公園になんか誰も来たがらないのかもしれない。
アスレチック用の木製器具と、恐竜のオブジェがなければ公園とは誰も信じないのではないだろうか?
「ま、次はないかな」
うん、次はないな。
アスレチックはそれなりに楽しいが、所々腐りかけていてちょっと危なっかしいし、それにやはり蚊が酷すぎる。
解決するには草や藪を、ガソリンで動く草刈り機で一掃する必要があるだろう。
でも、夏の盛りの今、それがされていないってことは今後も期待できないってことなんだろう。
人を雇うにもお金がかかるし、こんな山の公園にそんな費用はかけられない。
お爺ちゃんが言ってた。
市とか県にも、使えるお金ってのがあって、それは無限に湧いてくるわけじゃないんだよって。
しょうがない話だと思う。
優先順位は低いもんな、この公園。
「それにしても、少し休める場所くらいはないのかなぁ……喉が乾いたよ」
こんな所に来るのだから、当然水筒は持ってきている。
中身はお婆ちゃんが煮出してくれた麦茶だ。
氷を入れてきているので、キンキンに冷えているはずだ。
どこでもいいから座って麦茶が飲みたい。
「お、そこなんかいいかな」
少し開けた場所が目に入る。
どうやらアスレチックや恐竜のオブジェとは別に、家族連れが休めるスペースが用意されているようだ。
と言ってもブロックやアスファルトで舗装されているわけではなく、草を少し刈り込んであってベンチが置いてあるだけなんだけど。
「公園全部を整備するのは無理だけど、少しの場所だけだったらお金をかけたんだなきっと」
子供が遊ぶ場所なら草が生えていてもしょうがないけれど、保護者が休むスペースもそうだとちょっとばかり不味いと思ったのだろうか?
明らかに人の手によって草が刈り込まれている。
……と言っても、草はまた新しく生え始めているようだ。
1ヶ月くらい前に整備したという感じかな?
「十分、十分。これなら蚊も少ないだろう」
スペースに分け入る。
やっと一息つける。
ベンチは複数用意されているようで、スペースの奥まで並んでいるようだ。
ポン、とベンチだけを置いた所もあれば、東屋……というのだろうか? 簡単な屋根が設置されているところもある。
できれば屋根付きのところがいい。
直射日光を浴びながら休んでも、かえって疲れてしまいそうだ。
「ここにしよう」
屋根付きのベンチに腰を掛けて、麦茶が入った水筒の蓋を取る。
蓋がそのままコップになるようになっているので、麦茶をそこに注ぐ。
家のお仏壇にお供えしてあってお菓子をいくつか持って来ているので、それを取り出す。
お婆ちゃんが好きな緑色のお菓子と、ルマンド。
「ルマンドは、暑いと溶けちゃうんだよなぁ」
袋から、何とか綺麗なままブルボンを取り出す。
チョコ?が手に付かないようにするのが意外と難しいのだ。この溶けたルマンドは。
中はサクサクなんだけど。
……と、そこまでして、視界に変なものが映り込む。
この公園に来てからは、誰とも会わなかった。
親子連れにも会わなかったし、子供だけのグループにも会わなかった。
大人だけで来るような公園ではないので、それももちろん無い。
本当に人気がない公園。
聞こえる音といえば鳥の声と蝉の声、それに風が葉っぱを揺らす音くらいなもの。
そんな所だから、ここで人に会うということはないと思いこんでいた。
僕が座っている屋根付きのベンチから……25メートルくらいだろうか?
そこの、屋根が付いていない直射日光直撃なベンチに、人が座っていた。
子供? うん、多分子供だ。
背格好は僕と同じくらい。
この暑い時に、屋根もないところに帽子も被らずに座っている。
そして、その帽子も被っていない髪の毛の色は、僕と違う色だ。
茶色……ではない。黄色?
黒がベースになっているのだろうけど、太陽の光の加減のせいか、黄色というか金色というか、そういう感じに見える。
その髪が、腰の下辺りまで縛ることなく無造作に伸ばされている。
外国人……?
僕と違う髪の毛の色を持つ子供は、全く動くことなく、僕の背を向けた格好のままベンチに座っている。
一瞬、暑すぎて幻でも見ているんじゃないかと思った。
それほど、この公園に子供が1人で、しかも入り口から結構離れたこの場所に座っているというのはあり得ない光景なんだ。
この子供は、僕と同じようにあの草だらけの場所を超えてここに1人で来たのだろうか?
まぁ、僕がやったことだからもちろん誰にでも出来ることなんだけど、それでもそんなことをする子供がいるということに驚く。
しかも1人で。
僕だって1人だけど。
声をかけようか迷う。
あの子供は、多分だけど僕に気づいていないだろう。
気づけば、こちらを少しくらいは気にするはずだ。
あんな風に、身動き一つしないで座っているということはないはずだ。
声をかければ驚くかもしれないし、それに別に友達に会ったわけじゃないんだ。
公園で知らない子供と会ったからと言って声をかけなければいけないということはない。
いや、むしろしないのが自然だろう。
幼稚園児だったら誰にでも「こんにちは!」をするのが当たり前だった気がするけど。
それに、なんかちょっと怖い。
うん、怖い。
鳥と蝉と風の音しかしないこの空間で、ここにいるのは僕とあの子の2人だけ。
そこで声をかけるのが怖い。
「(麦茶だけ飲んで、ここから離れよう)」
それがいい。
この場所は、この山の公園のちょうど中腹くらい。
帰ってもすることがないから頂上まで行こうと思っていたけど、なんだかそんな気分じゃなくなってきた。
頂上まで行って戻ってきたら、ここを通らないとならない。
それまであの子はここにいるだろうか?
先に帰ってしまうとは思うけど、気になって見てしまうかもしれない。
その時にまだ、あの子が今のまま同じように座っていたらどうしよう?
何の根拠もないけど、なんだかそうなるような気がした。
それが怖い。
なんで怖いのか分からないけど。
子供が公園のベンチに座っているだけ。
ただそれだけなんだから怖いことなんてなんのは分かっているんだけど。
「(ルマンドは……もったいないけど、このまま置いていこう)」
麦茶だけ飲んで帰る。うん、それがいい。
ルマンドは袋から出してしまっているので、カバンにまた入れるわけにはいかない。
カバンの中身がルマンドの破片だらけになってしまう。
ルマンドの袋だけをカバンに入れ、中身はそのままにしておく。
こんな山だから狸や狐くらいはいるだろうし、そいつらが食べてくれるだろう。
飲み終わった水筒の蓋を締める。
帰りは下りだから来た時よりも早いだろう。
アスレチックもやらないで、そのまま山を下りよう。
そう思い、休憩用スペースから出ようとして……
最後にもう一度子供の方を何気なく見てみたら……
こちらを向いていた。
さっきまで背を向けて身動き一つしていなかったその子が、今度はこちらの方に身体を向け、身動き一つしないで僕を見ていた。
「そのお菓子いらないのならちょうだい?」
僕の心臓がバクンと音を立てた。
心臓って、本当に音が出るんだ、と思った。
漫画の擬音じゃないんだ……
バクンとし過ぎて痛いくらいだった。
心臓の鼓動の原因は……驚いたから? 怖いから? それとも別の何か?
山の音は、近くでヒグラシまで鳴き始めて耳が痛いくらいになっていた。