誤字脱字の指摘とは
さて、書き手としてなろうに存在していると、誤字脱字や表現表記の指摘を受けることがあります。
私はありがたいことだと思っています。だって自分では気づかないことも多いし、知らなくて勉強になることもある。ただ、ありがたくても寂しくなる時もあるのかなとは思うのです。指摘されると落ち込みますからね、自分の情けなさに。
別のエッセイで書こうとしてお蔵入りになっていたネタなんですが、ある日電車で二人の小学生を見ました。5,6年生でしょうか。これから二人で遊びに行くようです。
「俺さ、こないださ、マイケルで映画見てさ。それがすげーおもしろくて、なあ、マイケルっていいアニメ結構やってるよな。あとマイケルの入ってる店さあ……」
一人の子の話は延々と続きます。私は、「楽しそうだなあ、でもマイケルって、マイカルのことだよね?」と思いながら楽しく聞き耳を立てていました。
「でさ、おもしろかったんだよ!」
とその少年の話は終わりました。そしてもう一人の少年のほうをキラキラした瞳で見ます。さっきからもう一人の子は静かにうなずくだけだったのです。なあ、俺の話どうだった? に対して、その少年は言いました。
「マイケルじゃなくて、マイカルな」
それな、と電車にいる全員が突っ込んだのではないでしょうか。それに対して、マイケルな少年は、
「ははは、俺間違えてた。ははは、行こうぜ!」
と笑い、
「行こうぜ!」
と笑うもう一人と楽しく電車からおりて行ったのでした。小学生、元気でいいなあ。
ここからは少し真面目な話になります。
人はアドバイスを受ける時、たとえそれが親切からでも、自分のためを思ったことであっても、否定の言葉から入られるとアドバイスを受け入れがたいものです。
「この表現は間違っているから、相手に気持ちが伝わらないぞ。ただしこっちはすごくいいな」
と言われるのと、
「この表現はいいぞ! ただ、ここを直すともっと良くなる」
と言われるのとでは、やる気がまったく違ってくるのです。アドバイスしている方は、相手によくなってほしいと思う。その場合、どうアドバイスしたらよくなるかを考えられるのが良い指導者と言うことだと思います。
さて、先ほどの小学生ですが、とても仲良しそうでした。やんちゃな子と、冷静に突っ込む子、きっといいコンビなのでしょう。だからこそ、
「マイケルじゃなくて、マイカルな」
の一言が、
「(あー。俺もそのアニメ見たし、マイカルいいと思うし、でも感想はさめないじゃん、お前の話長くてさ、うん、おもしろいと思うよ、でもさ、どうしても気になる)マイケルじゃなくて、マイカル」
であるということが伝わったのかなと思います。単に気にしない子なのかもしれませんが。
しかし、これをお互いに知らない書き手と読み手がやるとどうなるか。書き手は話を作り思いを込めて投稿しました。それをある読み手が読み、おもしろいと思います。でも、どうしても誤字が気になります。誤字がなかったらもっと良くなるのに。
「(この話荒削りだけどおもしろいな。特にこの主人公の心の動きがいい。けど、誤字が台無しにしているところがある。よし、)誤字の報告です。何行目のこれ~ではないでしょうか」
と感想欄に書き込みます。だいたい、読んだからこそわざわざ誤字の指摘をするのであって、読みたくもないお話にわざわざ誤字報告になど行きませんよね。つまり、誤字報告に来た時点でファンと言っていい、と私は思っています。しかも、「あなたの作品、いいね、好き」と言うプラスの言葉って、書き込む方にとってはすごく照れくさいこと。だから、妻に愛してるってなかなか言えないように、感想欄にも誤字報告をシンプルにするだけ、ってこともあると思うのです。
しかし、( )の気持ちの部分を書かないと、書き手には誤字報告しか見えないわけです。そうして思うことは、
「自分の書いた内容っておもしろくなくて、誤字しか報告する価値がないってことかな」
です。誤字指摘は、アドバイスなんだけれども、とらえようによっては、「お前漢字の力ないよ」という否定でもあるからです。書かないことをとらえるのはすごく難しい。そして、元気がなくなっちゃう人もいる。
ですから、誤字脱字の感想が来たら書き手は、「シャイなファンが来た」と思って真摯に受け止めたらいいし、誤字脱字の報告がしたい読み手は、そのアドバイスを効果的に受け止めてもらうためには、一言作品の感想を加えてくれるといいと思うのです。できればよいほうで。
私は誤字報告の感想が来たらいろいろです。自分の間抜けさ加減で大笑いすることもあれば、落ち込むことも。もちろん、どちらにしても感謝の思いでいっぱいです。そして読み手として誤字脱字を見つけたら、「成長中の人。がんばれ!」と思いますな。