◆ 8 ◆
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床から天井まで。
びっしりと、と錯覚するほどの。
巨大な白い肉塊。
正確には、その白い肉塊はその場の空間を完全に隙間無く埋めていたわけではなく。
そもそもその肉塊は、巨大な胴体とは不釣り合いに短くともちゃんと手足を持ち、肩口から山のように盛り上がる肉にほとんど埋もれてはいてもちゃんと頭を持つ、生きた存在ではあったのだけれど。
ともかく部屋を埋め尽くす白い肉塊であると、そう錯覚するほどに、その白い人物は巨大な質量であなたの前にいた。
天井近くにある顔は、虎に似ている。
ぶよぶよとした白い体は不健康そう。
その全身を、白い産毛が覆っている。衣服は着ていなかった。
肥えた巨大な白虎人。
その目が、あなたたちを見る。
濁った、聞き取りにくい、唸るような声。
「おぅまぁえら、侵入ぅしゃぁ……」
「邪魔! じゃーまー!
すっごい、じゃーまー!」
ラキヤは相手の言葉を聞こうとする様子も無く、途中で遮る。
爪で。
その巨大な白虎人の腹を、切り裂く。
だが奇妙なことに、その白い肉塊から血は飛び散らず。
バターかチーズでもこそげとったように、腹にごっそりと巨大な穴が開いた。
こそげ取られた白い肉片、あるいは脂片が、べちゃっと壁に飛び散る。
その光景は、一見では、ラキヤが一撃の下に白虎人に大ダメージを与えたかのようにも見える。
けれど。
ラキヤはその瞬間、顔をしかめると、飛びのいて距離を取る。
あなたを押しのけ、自分の一撃で飛び散った肉脂片からあなたをかばう。
あなたはラキヤの腕を見て、驚く。
白虎人の腹に巨大な穴を開けたはずのその片手は。
白虎人の肉に触れた部分だけが、年老いたように皺だらけで節くれだち、一部は皮膚の下の肉がぐずぐずに溶解しかけ、黒く変色している。
「おぅまぁえ、せっかちだぁ、なあ」
白虎人が、飽きれたようにそう言った。
「大丈夫か? ラキヤ」
「……なんか、腕が変」
忌々しげに、ラキヤは自分の腕を見ている。
白虎人が、言う。
「こぉこはぁ、テルモ・パツァス様かぁらぁ、おぅいらが任されてぇるぅ。
おぅいらぁ。
テレメア・テロメアぁがぁ。
誰ぇもぉ、入らせない。
テレメア・テロメアぁがぁ。
誰ぇもぉ、外に出さない。
テレメア・テロメアぁがぁ。
いつか、この要塞の全てぇ、をぅ、朽ちさせぇるぅ。
結界のぉ、奥まぁでぇ」
「テレメア・テロメアってのがお前の名前か?」
「そぉだあ」
白虎人の顔が、自分の名前を誇る笑みでほころんだ。
「テロメアぁ。全てをぉ死にぃ、近づけるぅ。
全てのぉ、寿命をぅ、削るぅ」
「というか、かゆい。
あんたのしゃべりも、この腕も」
ラキヤががりがりと、がしがしと、違和感を忌々しげにこそぎ落とそうとするように、老廃して変質した片手の肉をもう片方の手で容赦なくこそぎおとした。骨が見えるまで。
テロメアは、それを見て不愉快そうな顔。
「んぅ?
おぅまぁえぇ、人間じゃぁ、なぁいなぁ?
人間なぁらぁ、もっとぉ、簡単にぃ、殺せるぅ。
テレメア・テロメアぁはぁ。
でも、人間じゃなくてもぉ、殺す。
テレメア・テロメアぁはぁ。
時間はぁ、必要にぃ、なぁるけどもぉ」
「あんた嫌い」と、ラキヤ。
「ラキヤ、勝てそうか?」と、あなた。
「……」
ラキヤは顔をしかめながら片腕をがしがし削り続け、一見、あなたの問いを聞いているようではなかったけれど。
ようやく満足のいくまで片腕をがしがしと削り、ほとんど骨だけにした後で。
唐突に、あなたを見てニッと笑う。
「こっち!」
綺麗なほうの高温の手で、あなたの手を掴んで走り出す。
「おぅまぁえらぁ、どぉこぉへ、行ぃく、んだぁ?
テレメア・テロメアぁはぁ。
この要塞のぉ、中ならぁ、どこでもぉ、追い詰めぇ、るぅ」
ラキヤが走り出した方向は、テロメアのすぐ横。要塞聖堂の奥へと通じる廊下。
巨大なテロメアが緩慢な動作で道をふさぐ前に、全てを老廃させる白い肉塊に触れないように気をつけながら、あなたとラキヤはその廊下に走りこむ。
間一髪で廊下に入り、さらに、奥へ。
走り続ける。
走りながらあなたが後ろを確認すると、テロメアがその白く巨大な体を狭い廊下に押し込みながら追ってきているのが見える。
狭い容器にバターかチーズでも押し込むように。
元からあった肩から下の腕は、狭い廊下には入りきらないので、こそげ落とされるままに大広間に置いてきたようだ。代わりに、狭い廊下に押し込まれた頭の周囲の肉から小ぶりの腕が幾本も生えて、百足か蜘蛛を連想させる様相を見せながら、その頭を前へ前へと運び、後ろに白い肉を引き連れて追ってきていた。
「猫は、自分の頭が入る大きさならどんな狭いとこでも入れるんだっけか。
猫ってほど可愛げのある顔はしてないし、はっきり言ってグロテスクだが」
あなたは走りながら、通常弾を込めて銃を一発撃つ。
巨大なテロメアに対して銃弾はちっぽけで、そして、眼球に当たったにも関わらず、テロメアは気にする様子も無かった。チーズに串を指したような穴ができていたが、その穴はすぐに再生して、丸い目がまた前を向く。
あなたは顔をしかめる。
熱も感じられない白い肉塊のテロメアは、なおも追ってくる。
そして。
一つの部屋に、あなたとラキヤは辿りつく。
一見、何もない部屋のようにも見える。白い石材の床に、幾本幾千本もの赤い線が走っているのだけが目に入る。それ以外には何も無い部屋。
けれど。
そここそが、わたしのいる地下へと続く部屋。
ああ、ついに!
天井の分厚い扉一枚を隔てたすぐそこに、あなたが!
だが、まだ扉は閉まっている。
風化した床の中で見えにくいけれど、その部屋には地下への扉がある。赤い血管のように見えるものが床を縦横無尽に幾重にも走って、その扉を封じている。
「ここは?」
「お姉ちゃんのいるとこ♪」
そんな短い会話をしている間にも巨大なテロメアが追いついてきて、部屋の入り口を自分の巨躯で塞いだ状態で言う。
「おぉまえぇらぁ、そこに、用があぁるのかぁ?
残念、だったぁなぁ。
テレメア・テロメアぁでぇも。
その扉はまぁだぁ、開ぁけらぁれなぁい。
テレメア・テロメアぁでぇもぉ。
その血管の封印はぁ、まぁだまぁだ時間がぁ、かぁかぁるぅ。
寿命の長いぃ、その血管を、朽ちさせるのにはぁ、時間がかぁかぁるぅ。
だぁかぁらぁ。
ここから先はぁ、無ぁいぃ。
おぉまえたち、はぁ、こぉこぉで行き止ま、りぃ。
こぉこぉで、終わりぃ」
「扉が開かない?
お前たちが閉じこめていたんじゃないのか?」
あなたは、疑問を感じてつぶやく。
「お前たちも未来視を持つシャルロータを狙っていたが、封じられてたから手を出せなかったってことか?
じゃあ、誰が閉じこめたんだ? なんのために?」
ラキヤが楽しそうに笑うのを、あなたは見る。
どんっ、と、あなたはラキヤに壁の隅へと押しのけられる。テロメアのいる入り口とは反対方向の壁の隅へ。
「足元、気をつけてー♪」
そしてラキヤ自身は、手をついて床に触れる。
赤い線が、幾重にも走る床。
赤い線は、血管の鎖。
わたしを地下に封じた血管の鎖。
「侵入者ぁはぁ、殺ぉすぅ。
テレメア・テロメアぁがぁ。
朽ちさぁせるぅ。白ぉい脂にぃ。白ぉい骨にぃ」
巨大なテロメアの白い肉塊が、ラキヤに殺到する。その肉塊に触れてしまえば、全てが老廃して朽ちる。
だが、それが触れる前。
ラキヤが、ニッと、笑う。
床に走る血管の鎖の一点が、ぶちっと切れて。
切れた先がズボッと、ラキヤの片手に埋没した。先ほどテロメアに触れてしまってほとんど骨になっていて、まだ再生の追いついていなかった片手に。
すると。
引き伸ばされていたゴム紐が、ただ一カ所に引き戻されるように。
床一面に張り巡らされていた血管の鎖が、ラキヤの片手へと収束していく。
「なぁ…!?
なぁんでぇ?
テレメア・テロメアぁはぁ。
まぁだ、扉を開ぁけらぁれなぁい。
なぁんで、おぅまえ。
開ぁけらぁれる!?」
驚いて、テロメアの動きが固まった瞬間。
むんず、と、ラキヤは自分の片手に収束していく途中の血管の束をもう片方の手で掴んで。
投網のように、テロメアへと投げつける。
それは、先ほどまで地下への扉を封じていたように、今度はテロメアの巨大な肉塊を拘束する。
テロメアは、血管の鎖の隙間から肉をはみ出させて脱出しようとする。だが、うまく脱出できないようだった。
「うぅ。
うぅがぁあぁあぁあぁ。
出ぁらぁれなぁいぃ。
でぇもぉ。
時間がぁあぁればぁ、こんな血管、朽ぅちるぅ。
テレメア・テロメアぁにはぁ。
その力がぁあぁる。
テレメア・テロメアぁはぁ。
もともとそのたぁめにぃ、こぉこぉにいたぁ」
「うっさい」
ラキヤは無遠慮に近づいて、赤い血管の鎖の合間に見えていたテロメアの頭を足で蹴って潰す。
その足が、テロメアの白い肉塊に触れたせいで老廃していくのも構わず。
テロメアはそれで死んだわけでもなく、潰れた頭は再生をすぐに始めている。それでも血管の鎖からは脱出できる様子が無いのを見て、あなたは安心する。
まだ執拗にテロメアの頭を足で潰そうとしていたラキヤを引き離し、その足の状態を確かめて、すぐに再生を始めていて問題が無いのを確かめてから、あなたは独り言を言う。
「これで後は、君の姉に会うだけ、か。
テロメアは、ここにほっておくしかないだろう。
しばらくは襲いかかってくることはないようだから」
あなたはラキヤを見る。
ラキヤは途端に、にっこりと、無邪気に笑う。
ラキヤの足が元通りになるのを待ってから、あなたとラキヤは、地下への扉を開ける。
地下に、光が入る。
ラキヤは、先に立って地下へと向かう。
「さあ、お姉ちゃん!
会いに来たよー♪」
楽しそうに、ラキヤは言う。
「可愛い妹がー♪
そしてー」
言う。
「そしてー。
お姉ちゃんも大好きな、カザンがー♪」