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◆ 9 ◆

 ◆ 9 ◆


 ああ。

『今』のわたしは、あなたにどのように見えるだろう。

 ひどい姿に見えただろう。

 満足に立つこともできず。

 閉じこめられてから数百年ぶりに本当の光を見るわたしの目は、その光に痛んで。


 けれど、それでも。

 わたしはあなたの姿をその目に刻みつける。

 ようやく出会えた、あなたの姿を。


 あなたに声をかけたいと、心からそう願う。

 けれど、わたしは悲しみとともに我慢する。

 わたしの喉はもう枯れ果てていて、一言発すれば言葉を失うだろう。

 その一言は、必要な瞬間まで取っておかなければならない。


 ラキヤがそんなわたしの姿を見て、にっこりと笑う。

「よかったー。ちゃんと生きてたね」

 それから。

 全く同じ調子で。

「私が殺すまで、ちゃんと生きてたねー♪」

 一足飛びで。

 待ちきれないというように。

 ラキヤはわたしの元に飛び込んでくる。


 その爪を。

 わたしの顔をえぐろうとするラキヤの爪を。

 わたしはどうにか腕を動かして、さえぎる。

 まだわたしは、殺されるわけにはいかないから。


 けれど弱り切ったわたしの体は、ラキヤの爪の勢いのまま、壁にまで叩きつけられる。

 ラキヤの、にこにことした笑顔がわたしの目に映る。

 それから、あっけに取られていたあなたがようやく状況を理解するのが。

 あなたの声がする。

 わたしは、この世界で初めて本当の耳で聞くあなたの声に歓喜する。こんな状況でも。

「おい! ラキヤ! 何をしてる! やめろ!」

「やだ」

 あなたはラキヤに駆け寄る。


 けれど、ラキヤを止めるのはあなたではない。

 地下室に満ちる黒い影から、さらに凝固して立ち上がる黒い姿。


 耳障りに笑う声が響く。

「ひャひャひャひャ!

 おい、姉妹喧嘩かよォ!

 おもしれェ、もっとやれ、と言いてェところだが……。

 止めておくか! 俺様は善人だからな! 姉妹は仲良くさせるのが一番だ。ひャひャひャ!」

「! ヴァルーエフ!」

 あなたはぎくりとして、近づこうとしていた足を慌てて止める。

 一方、ラキヤは自分とわたしとの間に立ったヴァルーエフの黒い姿に露骨に苦虫を噛み潰すような顔をする。

 ヴァルーエフの隣をかいくぐり、わたしの顔に爪を突き立てようとしたけれど。

 それを、ヴァルーエフがはたき落とした。

 ラキヤは一度距離を置いて、ぎりぎりと、歯を軋らせる。

 ヴァルーエフは、にやにやと嫌な笑いを浮かべながらラキヤに言う。

「ここの結界は、テロメアの白ぶくれ野郎でも解くのにまだ長ェことかかるって話だったが……。

 まさか、てめェが解いてくれるとはなァ!

 結界を張った奴でもなきゃ簡単には解けねェって話だったが、そういうことか。てめェが自分の姉貴を閉じこめてた理由に興味が無くもねェが、どうでもいいと言えばどうでもいいな!

 要は、だ。

 結界のせいで手を出せなかったこの未来視の女に、ようやく手を出せるようになったってわけだ!

 ま、それも俺様には結構どうでもいいが、テルモ・パツァスはその未来視の情報ってのに興味があるらしい。

 ありがたく連れ帰って、俺様の手柄にさせてもらうとするぜ。

 後は拷問でも薬でも何でも使って、情報を聞き出せばいいやな! ひャひャひャ!」

 笑う。

「ってェわけで、オレは忙しくなるし、てめェは改めて用済みだ!

 安心してぶっ殺せるな!

 ひャひャひャ!」

 耳障りに、笑う。

 無遠慮に、笑う。

 それに対してラキヤは、殺意を込めて吠える。

「死ね! 邪魔! 死ね!

 あんたは邪魔! お姉ちゃんを殺すのに邪魔!

 あたしが殺すんだ。

 ずっと思ってた。殺しとけばよかった。閉じ込められたお返しに閉じ込めてやったけど、殺しとけばよかった。

 殺さなきゃ気が晴れない。大っ嫌いだから。邪魔だから。

 だから殺す。邪魔なあんたを殺してから、殺す!」


 閉じこめられたお返し。ラキヤはそう言った。

 ああ。

 わたしの妹は、『やり直す前の世界』の出来事を、やはり覚えていたのだ。

『やり直す前の世界』で、妹を危険視して数百年閉じこめていたわたしに、あなたは言った。

「あの子は化け物じゃない」

 言った。

「間違ってる。もっと、他にいい道があるはずだ」

 ああ。

 わたしは、報いを受けた。


「ひャひャひャひャ!

 知んねェよ。てめェの都合なんざァ知らん。

 とりあえず、用の無い奴ァいい加減、全員始末しとかなきゃなァ!」

 ラキヤががむしゃらに突っこむのと。

 黒い男が笑いながら自分の下半身を溶かし、粘液質の影にして広げたのがほぼ同時。

 周囲は、ヴァルーエフの影から伸びる黒い闇に一瞬で覆われ、視界が全く無くなった。光を数百年見ることが無かったわたしの目は、再び黒い闇に覆われた。

 そして、闇の中。

 声だけ。

「邪魔! どけ! 死ね!

 ! ! !

 ……ぎゃ。

 あああああああああああああ! どけ! どけ! 離せ! どけ!」

「ひャひャひャひャひャ!」  


 悲鳴と。

 笑い声。


 闇の中では、ラキヤに勝ち目はない。

 これまでラキヤは、したたかに、勝てない相手からは逃げてきたはずだ。なのに、今は、狂乱で踏みとどまる。勝ち目もなく。ただ、わたしを殺すために。それが果たされるまで、ラキヤはこの場から逃げることなど考えもしないだろう。

 ヴァルーエフがラキヤをなぶり殺しにし終わるまで、どのくらいかかるだろう。

 その後は、あなたがなぶり殺しにされる番だろう。

 もし今この瞬間であなたが逃げ出したとしても、ヴァルーエフは慌てずに追いかけ、あなたを逃がしはしないだろう。


 あなただけは。

 あなただけは、この場から生きて帰らせなくてはいけない。


 わたしは、枯れ果てた喉にどうにか空気を通す。

 暗闇の中、あなたが銃を握っているのをわたしは知っている。


 わたしはあなたの異能を知っている。

 とても使い勝手の悪い異能。

 そのまま使えば自滅するだけの異能。

 けれど、特殊な弾丸に乗せて放つことで、この場を『終わらせる』ことはできる異能。


「あぁああああぁあああ!

 っ! っ! どけ! 離せ! 離せぇ!

 あたしにお姉ちゃんを殺させろ!」

「ひャひャひャひャひャ!」  

 わめく悲鳴と、笑い声。


 視界の全く無い暗闇の中、あなたは何を考えていたのだろう。

 あなたはきっと、絶望を感じながら、迷っていただろう。

 あなたが生き残る手段は一つだけ。

 あなたにも、もうわかっていただろうけれど。


 あなたは、ラキヤを見捨てることをためらっていたのだろう。

『やり直す前の世界』の、平和な国に生まれたあなたは、誰も見捨てることができなかった。わたしはそんなあなたを愛したけれど、それがために、あなたは死んだ。

 けれど。

 皮肉なことに。

『今』のあなたなら。


 わたしは、あなたの迷いを押す。

 枯れ果てた喉に空気を通して。

 あなたに言う。

「……! 撃って……! お願い……!」

「!」

 撃って。お願い。

 あなたがここで助かるには、それしかないのだから。

 この世界をやり直す可能性につなげるには、それしかないのだから。

 それから。

 わたしは心を込めて呼ぶ。

 あなたの名前を。

「カザン……! お願い……!」


 あなたが、息を呑む気配を感じる。


 そして。


 銃弾が発射される音。


 そして銃弾は、暗闇の中、ラキヤのいる場所に。寸分違わず。

「っ!? ……あ。

 これ、何? カザン、これ、何?」

「ああん? おい、同士討ちだぜ! ひャひャひャひャ!

 ……ん?

 おい、どうした? 逃げんのか? 何がしたい……?」


 驚いたラキヤの声にも、

 ヴァルーエフの、いぶかる声にも耳を貸さず。

 あなたは階段を駆け上がる。地上へ戻る階段を。この場から離れる方向へ。

 それでいい。視界の無い暗闇の中、わたしは安心して目を閉じる。


 ヴァルーエフの声。

「……?

 おい、熱っ、あ、熱っ! この女、熱いぞ! おい! なんだこりゃ……!」

 聞こえたのはそこまで。

 ヴァルーエフが声にできたのは、そこまで。


 あなたの異能。

 熱の変化を無限に助長する力。

 常温へと冷めていくものならあっという間に常温に。

 零下へと冷却させるものならあっという間に絶対零度まで。

 そして。

 熱く燃えるものなら、あっという間に恒星の超高温まで。

 時には熱の死へと向かうエントロピーを加速させ、時にはエントロピーに逆らうマクスウェルの悪魔を暴走させる力。

 使いどころの難しい力。

 あくまで熱の変化の加速にすぎないあなたの力は、無から炎を生み出すわけでも氷を生み出すわけでもない。元とする熱が無ければ加速も発生しない。元とする熱が小さい場合も加速までに時間がかかる。

 使いどころのない自滅の力。

 あなたの力をそのまま使うなら、あなたは手を触れた先に絶対零度や超高温を生み出すことになる。当然、あなた自身が真っ先にそれにより死ぬことになる。

 近くで発生させることは自滅を意味する。その異能を特殊な弾丸に込めて遠くへ撃ち出す銃があって、ようやく役に立つ機会が与えられた力。


 そして。

 燃えるような高温の体を持つラキヤ。


 あなたの異能を撃ち込まれたラキヤは、爆弾そのものに他ならない。


 熱は加速し、加速し、加速し、余剰で視界を白く染め上げる強烈な光を発生させながら、ラキヤの小さな体には収まらずに膨れ上がって。

 地下空間を、光と高熱で満たして。

 少しでも闇が残っていれば無傷で生き残るヴァルーエフの、その少しの闇すらも吹き飛ばして一瞬で蒸発させて。


 わたしの体も、蒸発して消えて。


 ……あなたは。

 あなたは階段を駆け上がって離れた先で、さらに走り続ける。わたしは未来視でそれを見る。

 背後からは、さらに膨れ上がる熱量と、まばゆい光。

 あなたは知っている。調節が極端に難しいあなたの異能の結果は、この地一帯を焼き尽くす。


 あなたの目の前に、まだ血管の鎖に縛られて動けないままのテレメア・テロメアの巨大な白い肉塊がある。

 嫌悪感を振り払い、あなたは迷わずその中に突貫する。腐ったチーズかバターの中に全身をつっこむように。

 生存の可能性にかけて。


 ……。



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