第1話
主な登場人物
星野彗星
親友ニコライと同居している。幼少から植物を育てることを趣味としている。
星野清花
彗星の姉。看護師。
ニコライ
彗星の同居人。ロシア人。
遠山彩乃
彗星、ニコライと友好的な女子校生。
石川・石塚
彗星の友人。
エマ
転校生。
藤沢八兵衛
組織犯罪対策部捜査官。
草薙敦子
組織犯罪対策部捜査官。
ウラジミール
チョルヌィ・クローフィの首領。
カール
ウラジミールの相談役。
キリル
チョルヌィ・クローフィの構成員。
レオニード・プロトニコフ
FSB捜査官
彩乃曰く最近、ニコライの凶状は目に余る。
彗星から言わせれば、ニコライは正常だ。彼は常々、ロシア人を頭で理解するのは到底不可能な話だと呟く。
「毎日ウォッカ飲んでるのにそれを見逃すなんて、立派な共犯よ」
彗星はこの場にいないニコライの気持ちを代弁した。日本じゃロシアの文化がないから、ホームシックが治らないのさ。故郷を思い出させる些細な楽しみくらい、奪わないでやってくれよ。
犯罪は犯罪だ、と彩乃は言う。郷に入れば郷に従え。いくらロシアで許されようと、日本にいる以上は日本の法に従うのは当然の行いだ。あなたが彼の犯罪を見たのあら、それを報告する義務があるわ。
「法より友情さ」彗星は宣言する。
ここは地理的にロシアに近い。
なのにロシアの文化は全く見当たらない。
俺だってロシア人なら、酒の一口や二口くらい、飲みたくなるよ。
「イクラはロシアの文化よ」
「ロシアでは日常的な食物じゃないぞ。俺も最初喜ぶだろうと思って高級寿司店で奢ったけど、あいつはイクラがあまり好みじゃなかったらしい」
今でも思い出す。
イクラを奢った時のニコライは汚物を見るような目でイクラを見ていた。イクラを食文化としない地域の出身だと悟ったのはその数十分後だ。
彩乃は確かに秀才美少女だ。驚く程知識がある。
だが、所詮はネットや本で得た知識。目で見て自分で真意を確かめる彗星にとっては、彼女の知識は虚無のものだ。
とはいえ、外見が良いので憎む気はない。彼と友人たちが定めた美少女基準はどれも満たしている。
つまり豊かな髪、大きな瞳、つんと高い鼻、学生では珍しい加工無しの天然巨乳、引き締まったヒップ……眼鏡はさらに彼女の知性と外見に対する好印象を上げていた。この表面的な堅苦しい態度さえなければ、彼女は十分、可愛らしい女だ。そう、彗星は彩乃に対して常々、言う。演技はやめろ、正直者になれ。
演技はしていない、と彩乃は反論する。
だが、口先では酒を飲むニコライを非難している彼女も、心ではホームシックにかかっている彼の心境を理解している。非難は心配の裏返しだ。
だから彼女が好きだ、友人として。
「彗星、私はあなたが心配に思えるのよ。確かに酒を飲むのはあなたたち男にとって些細なルール破りかもしれないけど、例えば極端な話、ニコライがマリファナを育て始めたら、あなたはどうするつもりなの? 黙ってる? 黙ってるのもいいけど、バレた時はあなたは立派な共犯者扱いよ」
「その時はその時さ」
「臨機応変にしていれば、うまくいくと思って?」
「それが世の中さ」
小さな頃から彗星は目的を定めず、ただ能力と状況に応じた生き方をし続けてきた。本当は彼にも目的――というよりも願い――はあったが、成長するに従ってそれの達成が不可能だと悟った。その時から、彼は臨機応変に生きる男となった。学校の授業において課題として出される将来の夢に関する作文や来年の目標といった作文にも、周りは総理大臣や野球選手、成績上昇といったことをテーマに書くのに対して、彗星はただ、一言、〝臨機応変に生きる〟としか書かない。もちろん、多くの教師は目標を作らない彗星を問題視し、最初は優しく説得、徐々に叱りになるものの、やがては諦めてしまう。クラスメイトたちはなぜ彼が目標を作らないのか、また彼に目標を作るという行為を奪った最初の夢とは何なのか、知りたがる。だが、友人たちの間ではそれはタブーとなっていた。ドイツのど真ん中で「ハイル・ヒトラー」と叫ぶくらい、彼の最初の夢に関する話題はタブーだ。
それでもしつこく詮索する者はいる。
「おい、星野」配慮を知らない者の最初の掛け声。「お前の最初の夢って、何なんだ?」
彗星もいきなり怒りはしない。前もって警告する。もう聞くな、と。
だが、それでも食い下がる場合は、その者は高確率で総合病院の耳鼻咽喉科に行くことになる。
それは良い見本となる。
彼の過去は詮索するな。
しかし、彼の最初の夢を知っている者は少なからずいる。
彩乃もその一人だ。
彼の最初の夢――それは普通なら誰もが持っているもので、彼だけが物心着いた時から持っていなかったもの。彩乃は幾度も、それはいらないと感じたことはあるが、彗星はひたすら欲した。それが叶わなかったから、今の彼がある。
時折、それを思い出すと気まずい気持ちになる。
彗星はそれに敏感で、誰かがそういった気持ちになっていることを察すると、気軽な口調で必ずこう言う。
「気にするな」