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四月一日

作者: 狩人二乗

「僕、死にたいです。先生、どうすれば死ねますか?」

 保健室。

 日光を注ぐ一面のガラス窓以外、すべての壁が何かの薬品の棚で埋められている。

 そんな中――木製の四角い机を境にして、二人の人物が向かい合ってソファに座っていた。

 一人は先ほど発言をした少年。細く低身長で、寝癖はそのままになっている。顔に生気が宿っているとはとてもじゃないが言えない、そんな少年。

 そして、もう一人。

「……何言ってるのかなあ、田中君」黒髪を肩まで揃え、怠そうな目つきをする。白衣を着た保険の先生はため息を一つついた。「まだ春休みだよ、田中君。それなのに私を校長先生とかしかいない学校に呼び出して、挙句の果てに私に言いたかった言葉がそんなことなの?」

「そんなことって……。違うんです、美咲先生。確かにこんな変な日に学校に呼んで申し訳ない気持ちはあるんですが、でも、僕は本気なんです。先生、どうすれば僕は死ねますか?」

 そう言う男子生徒――田中の目は、はたからみると本気に見えた。生気を宿していない目がそれを証明している。

 要は、完全なる自殺志願者そのもの。

 しかし、保険の先生――美咲は。

 もう一度、ため息をついた。

「田中君。今日って何月何日か知ってる?」

「はい。四月一日、ですね」

「そうだね、四月一日だね。つまり、エイプリルフールだよね」腕組みをし、細長い足を組む美咲。「春休みとエイプリルフールをかけあわせてくる学校のスケジュールも問題だとは思うけどね、先生だって休みたいときは休みたいの。エイプリルフールに付き合ってる暇はないの、悪いけど」

 美咲はこれでもかと言わんばかりに悪態をつく。世間一般からみれば間違いなく最低の保健の先生だろう。いついかなる時でも、生徒が助けを求めてきたら生徒の傷をなおしてあげる。目に見える傷も、目に見えない傷も。そういう存在が、保険の先生である。

 だが、美咲は違った。目に見えない傷を携えた生徒を簡単に見捨てようとしている。

 普通なら、軽蔑される。

 ――けれども。

 これは仕方のないことかもしれない。

 なぜならこの田中という少年、去年は活発に学生活動をしていたからである。

 現在高校二年生。

 高校一年生の時には積極的に生徒会活動に参加し、ボランティアで学校のゴミ拾いまでしていた次第。成績優秀で、スポーツ万能とはいかないまでもバスケットボール部に所属し、楽しく汗を流している。友達も多く、教師や保健師の間でもたまに話題になる生徒の一人だった。

 そんな、順風満帆な少年が。

 わざわざエイプリルフールの日に、保健室に呼びつけた。

 呼びつけられた時、美咲は――休みの日にも関わらず生徒のエイプリルフールに付き合わされるんだな――と、すぐさま思った。煩わしく思った。思ってしまった。だがしかし、美咲は来た。仕方がないと。これも保険の先生の役割の一つなんだと自分に言い聞かせて。

 けれども、ふたを開けてみたら自殺志願だった。

 エイプリルフールに便乗するにしても、たちの悪い冗談。

「……美咲先生にエイプリルフールの嘘をつきにきたんじゃないんです、僕」

 その一方で、田中は姿勢を崩さなかった。言葉をゆっくりと紡ぐ。「たまたまエイプリルフールが重なっただけなんです。僕は本気なんです」

「何がよ。四月一日にエイプリルフール以外の物事なんてないでしょうよ」

「四月一日は」しっかりと美咲の顔を見て、田中はいう。「死ぬのに良い日なんです」

「は? 何言って――」

「四、一。死、い」

 最初、美咲は田中が何を言っているのか全くわからなかった。当然だろう。いきなりエイプリルフールが死ぬのに良い日なんていわれても頭がついていかない。

 しかし、田中が羅列した単語を整理し。

「あっ」とだけつぶやいて理解した瞬間の後、冷静になってもう一度じっくり考え、それでも美咲はため息をつく。「何言ってんの。死ぬのに良い日は四月十一日でしょうよ」

「……………」

「どうなのよ。早くなんとか言いなさいよ。まさか『すいませーん、エイプリルフールでーす!』とかこの期に及んで言わないわよね?」

 正直なところ、美咲は言ってほしかった。

 エイプリルフールでした、と。ひっかかりましたね先生、と。

 帰って、忘れて、ゆっくり休みたかった。同居している姉が入れてくれる紅茶を飲みながら、読みかけの本を読みたかった。

 ――でも。

 田中の暗い口調は、止まらない。

「すいません先生。そういうことじゃないんです。エイプリルフールが重要じゃないってことを言いたかっただけなんです。確かに四月十一日は死ぬのに良い日と読めます。それはすいません、適当にとりつくろってしまいました。でも、僕は、死にたいんです。新年度が始まる節目に、死にたいんです」

「…………」

 美咲は何も言うことができなかった。

 目の前にいる少年がエイプリルフールに興じているのか、はたまたそうでないのかがよくわからなくなってきたからでもあるかもしれないが、どうにでもなれという思いが強まってきたからと表現したほうが良いだろう。

 故に、発言しようと思う人物は、田中だけ。

「僕は今まで学校行事に積極的に携わってきました。勉学も、部活も、友好関係も、恋愛沙汰も」

「え、田中君彼女いるの?」

「いますよ」暗い表情のまま、つぶやく。「所謂禁断の恋というやつです」

「は?」

 本日二度目に、美咲は頭が混乱する。

 禁断の恋とは。

 田中にとっての、禁断の恋とは?

 つまり。

「え……田中君、お、同性同士でっていうのは、同人誌とかの中じゃなきゃダメなのよ?」

「違いますよ。というか先生ってそういう趣味もありましたね。すいません忘れてました」

「ち、違っ!」

「先生と、恋に落ちました」

「あ、そっち……って、え! ほんとなの、それ! ダメじゃないの、それ!」

「はい、駄目です」

「え、誰? 誰と?」

 赤い顔でうろたえながらも身を乗り出して聞く美咲に対して。

 田中は、はっきりと堂々と告白する。「美咲です」

「……は?」

「すいません。僕は美咲と恋におちました。禁断の恋。真面目な生徒ってことになってる僕には耐えられない。でも取り返しがつかない。だから、死にたいんです」

 この時。

 美咲は頭をフル回転させていた。何をいっているんだろう。いったいこの生徒は何を言っているんだろう。生半可な対応をしてはダメだと思った。ここでちゃんといっておかないと、後々大変なことになるかもしれない。

 なぜなら。

 先刻、田中は言った『先生ってそういう趣味もありましたね』と。

 そういう趣味嗜好の本は家にしかおいておらず、かつ学校ではそういうたぐいの発言はしていない。

 つまりこの田中という生徒。

 変質者、なのかもしれない。

「あのね、田中君。落ち着いて聞いてね」

「はい。なんでしょう」

「先生と田中君は付き合ってないでしょう?」

「いえ、付き合ってます。僕は美咲と付き合ってます。先日家にもおじゃましました」

「……っ!」一気に鳥肌が全身に立ってしまった美咲。思わず、激昂してしまう。「何言ってるの! 田中君は私の家なんてきてないじゃないの! 私と付き合ってないでしょ! やめてよ、そういうこというの! 気持ち悪い!」

 荒ぐ息を整えながら、まっすぐに悪意をもって田中をみる美咲。今まで美咲の視線の先にいた田中はいない。今美咲の視線の先にいるのは、明らかに敵。

 エイプリルフールの冗談であってほしい。

 だが、冗談ではないらしい。

 美咲は身構えた。次はどんなことを言われるのだろうかと思い、身構えた。どんな気持ちの悪いことを言われても、美咲は屈しないつもりだった。とにかく今は、目の前に存在するストーカーの戯言を聞いてはダメだと自分に言い聞かせていた。

 ――だが。

 美咲の考えとは裏腹に。

 田中は一言、「何はやとちりしてるんですか、美咲先生」とため息交じりに言いのけた。「僕は美咲先生とは付き合ってませんよ。僕が付き合っているのは美咲です。美咲春奈、です」

「え?」

「美咲先生――美咲茜先生の姉で、他校にて英語の教師をしている美咲春奈ですよ」

「……え?」

 今度こそ。

 完全に、美咲の思考は止まった。

 止まった片隅で、静かに、少しずつ情報を整理しようと頭が動く。

 たどり着いた先には――、

 目の前に座る生徒と自分の姉が付き合っているという事実。

「なにいってるの、なにいってるの田中君! え、春奈お姉ちゃんが田中君と付き合うわけないじゃない! 大体どこで知り合うっていうのよ! お互い面識なんてないでしょうよ!」

「単純な話。携帯サイトの出会い系です」

「情報化社会! ふざけんな!」

 叫びながらも美咲は考えた。

 ということはつまり、田中が出会いに飢えていたと同様に。

 姉も、出会いに飢えていたということに。

「なによう。なんなのよう。春奈お姉ちゃん、なんなのよう」

「……美咲はあなたにいつまでも春奈お姉ちゃん春奈お姉ちゃんと呼ばれることを嫌がってましたよ。だから僕は名字で呼ぶように言われました。名前で呼ばれるとあなたのことが思い浮かぶからとも言われました」

「……なによう、あんたに何がわかんのよ! 私の今の気持ち、わからないでしょうよ!」

「ええ、わかりません。いえ、わかりたくないっていったほうが正しいかもしれませんね」先刻まで自殺志願していたとは思えないほど鋭い視線を美咲に向ける、田中。「実の姉が好きなんて、どうかしてますよ」

「う、ううう、うるさい! うるさい! 黙れ! 黙れっ! あんたに何がわかる!」美咲は泣きじゃくっていた。鼻水をすする音も叫び声に混じりながら、敵意を持って田中を見る。「子供のころからお姉ちゃんが好きとかそういうんじゃなかったの! 頼りになるお姉ちゃんで、お姉ちゃんとして大好きだったってだけなの! でも、父と母が両方バツイチで、バツイチ同士で再婚してたっていうのがわかって、お姉ちゃんと血がつながってないっていうのがわかって! そこからはもう止められなかったの! 何よ! 何か文句あったら言いなさいよ!」

「……文句、ですか。文句、ねえ。言わせてもらっていいのなら、遠慮なく言わせてもらいましょうか」

 静かに。

 ゆっくりと。

 美咲を責める言葉を紡ぎ。

 思いっきり、叫ぶ。

「前々から嫌いだったんですよ、先生のこと! いつも女の人みたいな口調でしゃべって! みんな面白い先生だっていって受け入れてましたけどね、僕は受け入れてませんでしたよ! 授業中もその口調だし!」

「そ、そんなこと言わないでよ……卑怯だよ……卑怯だよ、田中ぁっ!」

「うるさい! 卑怯なのはそっちでしょうよ! 日常茶飯事で春奈と一つ屋根の下で生活して、なのにお互いの部屋の鍵は閉めないで! バレバレだったのはわざとだったんでしょう? 百合ものの同人誌とかの中に挟んでましたもんねえ、日記をさあ! 実の姉と恋人になってるっていう設定の妄想日記をさあ!」

「……黙れ、黙れええええええ!」

 二人の境になっていた机を飛び越え、美咲は一気に田中に近づき、田中に掴みかかる。

 でも、田中は臆さない。「黙りませんよ、黙りませんよう、卑怯者! それを見た美咲春奈がどんなことを思ったかわかりますか? その時美咲春奈には僕という恋人がいたんですよ。そんな美咲春奈が何を思ったかわかりますか!」

「うるさい! 黙――」

「『茜の気持ちを知ってわかった。私、茜のことが好きだったんだ』ですってよ!」

「え……?」

 ピタリ、と。

 その言葉を聞いて止まる、美咲。

 その様子をみて、ため息をつく田中。

「そのあと、美咲春奈は言いましたよ。『今まで嫌いだと思ってたけど、違うんだ。好きすぎて、近くにいすぎたからこの感情がわからなくて、勝手に嫌いって思ってたんだ。……ごめんね。別れましょ。私、ほかに好きな人がいた』って。嘘だといいなと思いました。これが嘘だったらどんなにいいかって思いました。でも、それを聞いたのは昨日の夜で――三月三十一日で――四月一日じゃ、なかった」

「…………」

「ごめんなさい、美咲先生。死にたいって言ったのは嘘です。エイプリルフールでした。ひっかかりましたね先生。僕は死にたくはありません。美咲は僕を振ったから。この事実は、つらいけど、受け入れなきゃいけない。でもこれだけは貴方に伝えたかった。――僕はとりあえず貴方に美咲を譲りますが、あきらめてませんよ。隙あらば僕は、美咲をこの手に取り戻します」

 さあ、行ってください。美咲のもとへ。

 田中はつぶやき、目の端に涙を浮かばせた。

 その様子を見て。

 田中の話を聞いて。

 美咲は、叫ぶ。

「受けて立つわ! 私と春奈お姉ちゃんの間に踏み込んだら、その都度田中君をめっためたにしてあげる!」

 ――田中の自殺志願はエイプリルフールの冗談だった。

 当初の予定通り、美咲は家へ戻る。

 姉の入れてくれる紅茶を飲んで、読みかけの本を読む――その前に。

 はっきりと自分の思いを伝える為に。

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