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第8話 「狙われた焼刃煌侍」

<0>


「それ」はある日、晴れた空から突然にやって来た。否、舞い降りた。


<1>


 その日、うららかなる午後、恒例の焼刃やいば家の食後のティータイム。ソファに深々と腰をかけ、三姉妹の次女・魅霧みむが愛情を込めて淹れてくれた濃い目のダージリンを嗅覚と味覚で存分に堪能しつつ、聴覚では妹達のきらびやかな会話を温かな気持ちで楽しみ、視覚は熱視線に変換して妹達の心拍数を上昇させる。残る触覚は、右手は白磁のティーカップを弄び、左手は足元に猫のようにじゃれつく長女・絢華あやかの髪を一定の法則性をもって優しくかいぐる。愛する兄からの軽やかな刺激に目を細める彼女。兄の左膝に自分の左頬を乗せ、至福の表情を浮かべる。

「あーいいなあ、絢華姉さんばっかり。あたしもあたしもっ」

 すっかり液状化寸前の長姉の姿を目に留め、三女のこよみが今度は兄の右膝にすがりつく。「おいおい、それじゃあカップが持てねぇよ」と困った笑顔を浮かべる煌侍こうじだったが、残った紅茶を一気にあおってノド奥へと流し込むと、右手を彼女のために働かせる。結局この男にしても嬉しくて仕方がないのだ。

「あらあら、それでは私の場所がありませんね」

 キッチンから手を拭きつつリビングへと戻って来た魅霧が、「仕方ないわね」と言った視線を姉と妹に投げかける。しかし、ふと何かに気付いたようで、後ろからソファに座る兄の首筋を抱き締める。そして、至近距離で目が合った煌侍と、小鳥のように短いキスを幾度も交わす。

「あーん、そっちがよかったなー」と絢華。

「また魅霧姉さんにいい所持ってかれちゃったよー」と暦。

 それらに対して「ふふ」と妖艶な笑みを返す魅霧。やれやれ、今度は兄の首筋ポジション争奪戦が繰り広げられそうだ。それにしても今のこの煌侍の状態、形容するならまるっきりハーレムの王だ。まぁ、やっている事もそちらとあまり変わらないので別にいいのだが。


 と、そこで唐突に、焼刃家内に警報が鳴り響いた。アラートサイレン。冗談ではなく、本当に警報装置が作動したのだ。リビングの照明は赤い光を定期的に発し、兄妹は弾かれたように備え付けられたパソコンの前へと集合した。

「どこからだ?」

 モニターの前の椅子に座り、高速のブラインドタッチでキーボードを操作する魅霧に、煌侍が訊ねる。その表情は険しい。

「空からです、お兄様」

「上からか。……魅霧」

「はい、お兄様」

「次のセキュリティ強化は上空だ」


 焼刃家は要塞である。この表現には一点の誇張もない。外観こそ少々立派で瀟洒しょうしゃな邸宅だが、周囲・内部ともに実は大袈裟なまでに徹底されたセキュリティが施されている。家を囲う塀や玄関や門はもちろん、地下にまで国家機密機関レベル以上の警備体制が敷かれているのだ。配送業者を始め、訪ねて来る人間と荷物は例外なくスキャニングの洗礼を受ける。各種ロックはパスワード入力に網膜&指紋&声紋パターン照合が必要であり、登録された者以外の進入を許さない。

 一般家庭でここまでするのはハッキリ言って異常なのだが、これも煌侍の妹達への深く強大な愛のなせる業の一つ。彼が焼刃家の家長となり、まず着手したのがこの劇的改造であった。そこに投資された金額たるや想像を絶するが、「もし妹達が下着泥棒の被害にでも遭ったら、オレは容疑区域全てを焦土と化すまで収まらんだろう」と兄がのたまうので、大感激した妹達も感涙にむせびつつ賛同した。いい迷惑なのは友人達なのだが。

 そしてこの焼刃家兄妹のセキュリティシステムを統括するのが次女の魅霧だ。セキュリティホールが見付かる度に強化してきたのだが、唯一不安があるのが対空防衛なのである。現時点ではレーダーぐらい「しか」付いていない。出来る限り早急にバリアや対空砲撃を導入したいのだが、色々と面倒で進捗状況は芳しくない。今回はその間隙を突かれた恰好だ。魅霧は思わず右手の親指の爪を軽く噛んだ。


<2>


庭へと踊り出た焼刃やいば兄妹を待っていたのは、徐々に下降して来る大型ヘリコプターの姿だった。真紅に塗られたメタリックなボディに、何やらびっしりと金色の文字で漢字が書かれている。「どこの暴走族だ」と煌侍こうじは一瞬的外れな事を考えた。

 ヘリは明らかに焼刃家の庭へ着陸するつもりのようだ。急激に大きくなってくる爆音と強風、もはや目を開けているのも辛いぐらいだ。煌侍は腕の中に三人の妹をかき集め、その姿を睨み付けた。彼が家長となって以来、初めて賊の侵入を許すのだ。これは屈辱だ。暴力的な風に庭木が大きく傾き、花々が悲鳴を上げる。体表に叩き付けられる砂塵。砕けんばかりに歯噛みする煌侍。決して許してはおかない。我らが愛の巣を陵辱する奸族かんぞくどもめ。

 遂に着陸したヘリ、花壇に降りなかった事がせめてもの救いか。焼刃家の広い庭が仇となってしまったか、こうも易々と着陸を許すとは。

 やがてヘリのロータリーがゆっくりと回転を止め、無慈悲な突風と騒音も止んだ。煌侍の腕の中からまろび出た絢華あやかが庭の惨状を見、顔の下半分を両手で覆って「ああ……」と押し殺した声を漏らした。魅霧みむこよみもあまりの事に呆然としている。これはハリウッドB級映画の一場面か?現実感が湧いて来ない。

 大きく重い金属音が響き、ヘリの鋼鉄のドアが横にスライドした。そして姿を現した六つの人影。五つの細長い影と一つの小さな影。「影」としか表現のしようがないのは、それらがことごとく真紅のマントを被っているためだ。

「どこまで演出効かせてやがんだ」

 苛立ちを募らせる煌侍。そんな兄の様子を心配そうに見つめる三人の妹。彼の心痛が伝わって来る。荒れ狂う暴風を体内に押し込める煌侍。彼自身への自責の念と、自分達への言い尽くせないほどの想い。許さない。兄にこんな思いをさせるあいつらを。謝罪だけでも、後悔だけでも済まさない。保障はしない。聖域を汚した報い、決して軽くはない。


 悠然と歩を進める六つの真紅の影。やがて焼刃兄妹との距離が5メートルほどの距離を残して、その足を止めた。小さな影が五つの影を従えている。奴がリーダーか。臨戦態勢を整える煌侍。

「にいさん」

 暦が兄の隣に静かに並び立とうとする。さすがは三姉妹随一の使い手。他の二人よりもこういう時の胆力が違う。しかし、それに煌侍が右腕をスッと横に伸ばして待ったをかけた。顔は正面を向いたままだ。

「『でも』ならなしだ、暦。ここはオレにやらせろや。不甲斐ない兄だなオレは、全身の血液が沸騰しそうだぜ」

「そんな事ないよ!」

「お兄様の責任ではありません!」

 絢華と魅霧が口々に叫ぶ。

「ありがとよ。サイコーに愛してるぜ」

 妹達に横顔を見せて笑う煌侍。その顔を見て息を飲む3人。兄の長めの前髪が“浮いて”いる。彼は本気だ。全身に怒気をみなぎらせている。この兄の姿を見るのは彼女達も久し振りだ。前回はいつの事だったか。あれは確か、この町から暴走族や暴力団等が一掃された時だったか。焼刃煌侍という一振りの刃によって。

「ツラは見せねぇで良いのか?オレはおまえらが『テロリストA~F』で終わってもいっこうに構わんがな」

 爆発寸前の煌侍。抑えつけた口調が逆に恐ろしい。並の者ならば、発せられる殺気だけでノックダウンだろう。だがでは、逆説的に奴らは只者ではないという事か。

「フッ」と鼻で笑う声が聴こえた。

「いいでしょう」

 この声は女性、しかも若い。いや、幼い?


<3>


「はじめまして、ですわね」

 言うと同時に自らの真紅のマントを剥ぎ取る小さな人影。と、そこには真紅のチャイナドレス(縁取りや刺しゅうは金)に身を包んだ少女の姿が。腰までありそうな艶やかな黒髪を、左右の大きな真紅の絹のリボンで飾っている。生意気そうな、勝気な表情を、輝く八重歯が一層際立たせている。肌が透けるように白く、恐ろしくきめ細かい。若さという以上に、先天的な美しさが彼女にはあった。それにしても、先程の流暢な日本語は一体。

 あまりの予想との落差に、思わず毒気を抜かれる煌侍こうじ。構えが若干下に下がる。さて、どうリアクションして良い物やら。相手の外見は幅広く見積もってみても、ローティーン。行なった所業は許し難いが、この段階で一気に叩きつぶしてしまっても良いものか。悪戯にしては度が過ぎている。何やら裏がありそうだ。

「まずは自己紹介させていただきますわ。わたくしの名は鳳鳴鈴フォン・ミンリン、あの世界に冠たる鳳グループの一人娘ですわ」

 鳳グループ、その名は煌侍も聞き及んでいる。今や中国経済界のトップに君臨し、世界の財界ランキングでもベスト5に入る勢いであるとか。早くからIT関連事業に目を付けて市場を独占し、瞬く間に一代で帝国を築いた、近代成功者の代表格。しかし、そんな超巨大コンツェルンの一人娘が一体なぜ。確か、今年で十一歳だったか。

 勝ち誇った笑みで指を鳴らす鳴鈴。すると、停止していたヘリのロータリーがまた動き出し、数秒のホバリングの後、上空へと飛び去って行った。

「いいのか、帰りの足をなくしちまっても?」

「構いませんわ。帰りはキッチリと目的を果たし、堂々と正門から帰らせていただきます。大体この家が一般住宅のクセに要塞並みのセキュリティを施しているからこんな手段に出るしかなかったんですわ」

 ……そうだったのか。いや、待て待て。そもそも最初は電話や手紙なんかでアポイントメントを取って来いよ。これだから常識外の大金持ちのやる事は。そう言えば、これだけの騒ぎを起こしておいて、近隣からのリアクションが一切ないのも気になる。今日は朝からやけに静かだとは思っていたが、これはどうやらすでに周辺一帯は鳳家の手が回っていたらしい。

「あれだけの設備を導入したらどれくらいの額がかかるか分かってやってるんですの?とても庶民が一生かかっても稼げる金額ではありませんわ」

 まだしゃべっている。どうやら話し始めると止まらないタイプらしい。


魅霧みむ

「はい、お兄様」

「この前4000万ほど株で当てたって言ってたあれか?」

「4000万!?」

 さすがに鳴鈴も驚いたようだ。彼女ほどの金持ちになれば億単位の額など金銭の内にも入らないだろうが、一般人が入手する金額にしては確かに多い。

「ちなみに円ではなく、ドルです」

 サラリと言ってのける魅霧。

「4000万ドルでちゅって?!」

「『でちゅ』?」

 ナイスリアクションを返す鳴鈴に、焼刃兄妹四人のツッコミが同時に入る。

「う、うるさいでちゅわねっ。感情が昂ぶるとどうしてもこうなっちゃうんでちゅからしょうがないでしょっ。大体これだけ完璧な日本語を話せるだけでもすごい事なんでちゅからねっ。他にも英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語、スペイン語も話せるんでちゅからっ」

 ゼーゼーハーハー。顔を真っ赤にして息を切らせる鳴鈴。あー、また濃いキャラと知り合いになってしまった。

「あの、お兄様」

 と、そこに涼やかな魅霧の声が。相対的に鳴鈴の存在が浮いてしまうのだが、まあスルー。

「ん?」

「実はあの後、さらに五度ほど同じくらいの額を当ててしまいました」

「おー、じゃあいよいよ『焼刃やいばアイランド計画』も見えてきたなあ」

「はい」

 兄に喜ばれて、嬉しそうに微笑む魅霧。「魅霧ちゃんすごーい」「やったね姉さんっ」とはしゃぐ絢華あやかこよみ。場の空気、和む和む。


「焼刃愛ランド計画」とは、焼刃煌侍氏が提唱した、彼ら兄妹四人のための理想郷プロジェクトである。まず必要な資金をそろえ、そして手頃な南の島を購入。そこに家を建て、四人だけで暮らすのだ。誰にも邪魔されない、兄妹だけの生活。何かとわずらわしい俗世間を離れ、そこはまさに焼刃兄妹のための楽園となるだろう。倫理だの道徳だの、うるさい事を言う連中は誰もいない。真の平穏をようやく得られそうだ。魅霧の話だと、すでに充分以上に準備は整っているらしい。そうだな、今ちょうどタイムリーなヘリなんかも買って、運転手を雇ってやっても良い。クルーザーでも良い。必要な物を必要な時に。

「なんかさ、4~5回生まれ変わってもあたし達、余裕でやりたい事やって人生過ごせそうだね」

 会心の笑みで言う暦。たとえ幾度生まれ変わろうと、自分達が離れ離れなる事など微塵も考えていない。ご自慢のロングポニーテールがご機嫌状態のわんこのしっぽのように左右に揺れる。

「そうだねそうだねっ、わーいやったー、たのしみー」

 バンザイをしながら飛び跳ねて回る絢華。その様子を嬉しそうに見やっていた魅霧だったが、ふと気付き、すっかり蚊帳の外だった鳴鈴に向き直ってさらなる爆弾発言を投げ付けた。

「あ、お兄様は鳳グループの筆頭株主ですので」

「「そうなの!?」」

 思わずハモる煌侍と鳴鈴の驚きの声。

「はい」

 兄に最高の笑顔を見せる魅霧。策謀の女神、降臨。

「『この会社は絶対に伸びる』と思いまして、お兄様のお名前を拝借いたしました。私、その時は年端も行かなかったものですから」

 ポカーンとお口あんぐりの一同。真に敵に回してはいけないのは、この恐ろしく美しい少女ではないか、その場の誰もがそう思った。


<4>


「と、とにかくっ、本日わたくしが参りましたのはそんな事とは関係ありませんっ。本題に移らせていただきまちゅわっ」

 ブンブンと派手に頭を左右に振る鳴鈴ミンリン。それ合わせて、真紅のリボンとサラサラとした黒髪が大きく揺れる、本人は気持ちを切り替えたつもりなのだろうが、動揺の残滓が語尾に表れている。何とかしてイニシアティブを握り直したいのは分かるが。

 右手は腰に。決意を込めた息を目を閉じて一つ。そして勢い良くまぶたを上げると同時に、「ビシッ!」と擬音が出そうなアクションで左手の人差し指を突き付けて宣言。

焼刃煌侍やいば こうじ!あなたは一款能賜舞いっかんのうしまいの継承者に相応ふさわしくありません!」

 場の空気が変わった。先程のまでのコミカルさはどこへやら。劇画タッチのシリアスムードが充満し始めた。横殴りの風にリボンと黒髪を乱しながら、鳴鈴は満足気な笑みを薄く漏らす。八重歯が白く輝く。

「一款能賜舞は本来、門外不出の女性専用の武術。それを、いくら鈴子リンツゥ様の孫とは言え、日本人で男のあなたが継承者などと。わたくしは断じて認めませんわ」

 両腕を組み、仁王立ちの鳴鈴。その年齢と外見からは考えられない威圧感。もしや、彼女も。

「婆ちゃんを知ってるのか?」

 平たい声で問う煌侍。眼光は徐々に鋭さを増していく。

「知っているも何も。わたくしはかつてひとりで外出した際、フォン家にあだなす悪漢どもによって窮地に立たされました。そこに颯爽と現れた鈴子様に危ない所を救っていただいたのです。それ以来わたくしは鈴子様と一款能賜舞に心酔し、無理を言って教えを乞うたのです。そして得たのですわ、免許皆伝を!」

 懐から巻物を取り出し、放り投げるのかようにそれを広げて見せる鳴鈴。そこには確かに鈴子の筆跡で「鳳鳴鈴」の名がしっかりと記されていた。「焼刃煌侍」の名の次に。

(ああ、この娘がそうだったのか)

 煌侍は心の中で、ひとり納得した。以前鈴子が訊ねて来た時、小さな女の子に付きまとわれている、とそんな話をしていた。「一款能賜舞を教えてくれ」と懇願されているのだがどうしたら良いものか正直判断に迷っている、と。現伝承者の立場からの意見を求められた煌侍はその時、「婆ちゃんが認めるような奴ならいいんじゃねぇの?」と返答した記憶がある。あれはいつの事だったか、そんなに前の事ではない。ではこの娘、そんな短期間であの一款能賜舞の秘伝の数々を極めたというのか。だとすれば彼女、並の天才ではない。


「焼刃煌侍、一款能賜舞伝承者の座をわたくしに譲り渡しなさい。一款能賜舞はわたくしが正統に受け継ぎます」

 朗々と謳い上げるかのように言う鳴鈴。愛する兄を貶める発言に反応して激昂寸前の妹達を制しようとした煌侍だったが、鳴鈴の次の発言に彼自身のスイッチが入ってしまった。

「日本人で、男であるあなたなんかが正統継承者などと、やはり間違っていますわ。鈴子様唯一の過ちですわね。大体、実の妹達に手を出すような愚劣な輩に――」

「今、なんつった?」

 凍りつく風。まるで空気の色まで染め変えられたよう。ありとあらゆる物が、その動きを止める。

「は?」

「知りもしねぇ奴が、オレ達の愛を否定したか?」

 獲物を前にした肉食獣のような獰猛さが全身の毛穴から噴出している。しかし、この煌侍の怒気を前にしても、鳴鈴はひるまない。鼻で笑う。彼女ほどの技量を持った者ならば、目の前にいる存在がどれほど危険か分からないはずはないだろうに。よほど自分に自信があるのか。それともさらに、煌侍の冷静さを失わせる作戦か。

「ええ、しましたわよ。しかし、噂以上に異常な男ですわね。正直激しく興醒めですわ。これではわたくしがでるまでもありませんわね」

 オーバーアクションで溜め息を吐いてみせる鳴鈴。煌侍は自分がどんどん雑魚悪党キャラじみて行くのを脳の一角で冷笑しつつ、踏み込んでいるアクセルを戻せずにいた。

「ここまで乗ってやってるんだ。まさかスカさねぇよな?」

「そうですわね。ではこうしましょう。わたくしの部下達に勝てたら、このわたくし自らが相手して差し上げてもよろしいですわよ」


<5>


「部下達だあ?……あ」

 そう言えば。焼刃やいば兄妹は言われて気付いた。このチャイナ小娘のキャラが濃過ぎるせいですっかり忘れ去られていた五人の人影。あれは部下であったのか。どうやらずっと一歩も動かずにその場に立っていたらしい。何とも我慢強い連中だ。

「さあ、姿を現しなさい、お前達。一麗イーリー二和リャンホー三明サンミン四清スーチン五喜ウーシー!」

 いちいち芝居がかった鳴鈴ミンリンの号令とともに、一気に駆け寄ってきた五人の影が、身にまとっていた真紅のマントを宙に跳ね飛ばす。と、そこから現れたのは――

「『美女戦隊チャイナレンジャー』かよ……」

 焼刃煌侍こうじ、ネーミングセンスなさ過ぎ。それはともかく、彼の呼称もあながち的外れではない。紫、黒、白、青、緑のチャイナ服に身を包んだ五人の黒髪ロングの美女達。すらりと伸びた脚線美が悩ましい。こちらの五人は、18から19歳ぐらいか。お子ちゃまな鳴鈴と並ぶと、より一層その妖艶さが引き立つ。さながらお嬢様と教育係のメイド達だろうか。鳴鈴が聞けば激怒するだろうが。

 しかしこの五人、ものすごく気になる点が一つある。真っ先に気付き、最も興味をそそられる点。

「ふふん、気付いたようですわね」

 なぜか得意顔の鳴鈴。

「そう、この娘達は五つ子。あなたのご自慢の妹達は三つ子、数の上でも勝負ありましたわね」

 顔も体格も何もかもがコピーしたかのようにそろっている。ただ一つ違うのは、それぞれが別の色の物を着ているチャイナ服ぐらいだ。仕種まで同じであり、同じく一卵性でありながらも個性爆発の焼刃三姉妹とはかなりの違いだ。


「せっかくですから教えて差し上げますわ。この娘達は我が鳳家に代々仕える烏家ウーけの出身。烏家では双子以上は不吉な存在されます。彼女達も『忌み子』として不遇の扱いを受けていました。ですけど、このわたくしがそんな五人姉妹を拾い上げ、わたくし専属のお側御用隊として置いているのです」

 鳴鈴の長広舌を聞く烏家五人姉妹の表情がわずかに和らぐ。日本語を理解しているのか。いや、それよりも彼女達の主人である鳴鈴への心酔と忠義は相当な物らしい。これは少々厄介かもしれない。

 それにしても「忌み子」か。煌侍は心の奥底に寂寥感にも似た感情が静かに舞い降りたのを感じた。焼刃家の三姉妹ですら、その特異性によって幼少の頃から様々な思いをしてきた。否、させられてきた。これがさらに五つ子ともなり、そこに宗教じみた迫害が加わったとなると、心中は複雑だ。五人いたから耐えられた、果たしてそんなレベルの代物だったのだろうか。

 一見投げやりに付けられたかのように思える彼女達の名前、名付け親が込めた想いとは。五人の瞳の深い色の奥底にかすかに揺らめく灯火に、煌侍は一瞬にも満たない時間“かすった”ような気がした。そうか、鳴鈴はまさしく彼女達にとっての救い主であったのか。彼の心に逆巻いていた高波が、徐々に平坦になって行く。

「わたくしほどではありませんが、この娘達も広東、北京、日、英、仏、独語を操れますし、学芸全般に総じてかなり優秀です。あなた達、今からは日本語で受け答えをなさい」

「はい、お嬢様」

 綺麗に重なる五つの声。

「そして」

 ニヤッと笑う鳴鈴。前屈みになって不敵に。

「わたくしほどではありませんが、武術の達人でもあります。あなたにはまず、彼女達の相手になっていただきますわ」

「いいさ」

 静かに答える煌侍。彼の声と表情は驚くほど穏やかだ。先程までの荒れようは何だったのか、解答は彼自身のみが知っている。

「なんですの、急に?」

 怪訝な顔をする鳴鈴。確かに外部から見れば、彼の様子は一種の豹変であろう。煌侍の烏家姉妹への感情は同情ではない。純粋な賞賛と敬意、それと少しだけの好奇心。彼女達の人生を、実際に手合わせして感じ取ってみたくなった。

「まっ、いいですわ。一麗!二和!三明!四清!五喜!あなた達の実力を思い知らせてあげなさいっ」

「はい、お嬢様!」

 鳴鈴の号令、五つの唱和。それまで微動だにしなかった五人が、スイッチが入ったかのように動き出し、風のように移動して煌侍を円陣の中に囲い込んだ。


<6>


「兄さん!」

「お兄様!」

「にいさん!」

 ホーム側からは三つの呼び声。「にいさん」が二つに、「おにいさま」が一つ。数でも統一感でも劣るが、敵陣の真ん中にいる兄にとってはこの上ない、充分過ぎる声援だった。

「心配するな、絢華あやか魅霧みむこよみ。おまえ達の愛するオレを、信じて見てろ。勇姿を見せ付けて、もう何度目かも分からねぇ惚れ直しをさせてやる」

 煌侍こうじの声はいたって落ち着いている。その理由の一つは、彼一人が戦えば良いからである。妹達がこれに巻き込まれているのであれば、平静ではいられない。全力で、最優先で救出する。

 烏家ウーけ五人姉妹の力は、ひとりひとりを取って見ても大した物だ。鳴鈴ミンリンが「武術の達人」と評したのも、何の誇張もない。恐らく各人の実力は暦クラス。よって仮に烏家五人姉妹対焼刃家三人姉妹となってしまうと、三姉妹に勝ち目はない。この危険性が回避出来ただけでも、まずは僥倖ぎょうこうとすべきだろう。相手側の狙いが煌侍一人に絞られていた事による恩恵か。

「よう、この娘達には一款能賜舞いっかんのうしまいは教えていないみたいだな」

 円の中心から、鳴鈴に声をかける煌侍。

「ふふ、よく気付きましたわね。とは言っても一款能賜舞は秘伝中の秘伝。このわたくしですらどれほど鈴子リンツゥ様に頼み込んでお許しを得た事か。いくらこの子達と言えど、そう簡単には教えられません」

「だよな」

 薄く笑う煌侍。


 さて、案の定相手は円陣で取り囲みに来た。数の上で勝っているとなれば、至極定石の戦法と言える。ここまではセオリー。ならば、後はどう楽しませてくれるか。正直、この五人に意外性は期待出来まい。煌侍は「ここで自分から仕掛けていったらネタ的には面白いんだがなあ。んでも、それだと一瞬で終わっちまうしなぁ」などと余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で考えていた。

「かかりなさいっ!」

 鳴鈴が発令とともに右腕を振り下ろす。「おいおい、攻撃開始の合図までお嬢様主体かよ」、煌侍は心の中で苦笑した。状況的にはそんな余裕はないはずなのだが。普通なら。

ッ!」

 五人の娘達が咆哮し、一気に輪を狭める。文字通り疾風のように、一斉に中心立つ標的に向かって手刀を繰り出す。

「やっぱそう来ちゃったか」

 いささか残念そうな煌侍。まさに予想していた通りの攻撃であったという事か。

「だが、スピードはなかなかだ」

 消えた。声はすれども姿は見えず。定石通り上空に跳んだか?いや、しかし、発見出来ない。そんな、いくら相手が“あの”焼刃煌侍であろうと、そこまで人間離れした跳躍が可能なはずはない。では、一体どこに?

「ここだよ」

 その声を耳元で聞いたのは、五女の五喜ウーシーだった。背後に敵の気配を感じた時にはもう遅い。彼女は右手を後ろ手に封じられ、左腕は自らの首を絞めるかのようにL字型に固定された。息が詰まり、視界が徐々に小さくなって行く。

「さすがにこのまま落とすってのは可哀想だよなっと」

 言うと同時に、まるで竹とんぼを飛ばす時のように、煌侍は五喜の両手首を固定したままで、思い切り自らの腕を左右に開く。竹とんぼそのものがごとく、空中でスピンする五喜の身体。強烈な遠心力で意識が保てない。と、そこに背中に圧力が加えられた。これは相手の掌か?――が、それを確認する前に、彼女の身体は今度はジェット風船のように水平方向に吹っ飛ばされる。「ああ、『押された』のか」と思い当たった頃には、意識はすでに消えていたが。

「五喜!」

 四つの声が末妹の名を叫ぶ。突き出していた右の掌を収める煌侍。今、何が起きた?


<7>


はやい、ですわね」

 低く呟く鳴鈴ミンリン。今の一連の流れを正確に目で追えたのは彼女だけのようだ。解説するならこうだ。人間の眼というのは、下方よりも上方にある物に対しての方がずっと捉えやすい仕組みになっている。相手は五人、ただでさえ眼の良い達人クラス、いかに速く動こうともリスクは大きい。「跳ぶ」という動作は手順も多く、視界に長く残る。そこで煌侍こうじは「潜った」のだ。五つの拳先けんさきくぐり、そのままの勢いでスライディング、五人の中でわずかながら五喜ウーシーのスタンスが他の四人よりも大きい事を一瞬で看破すると、半身はんみになった彼女と隣りの姉の間を疾風のようにすり抜けた。そこからの展開は前述の通りである。

 四人となった烏家ウーけの姉妹の間に戦慄が走った。まさかここまでだったとは。一款能賜舞いっかんのうしまい伝承者・焼刃やいば煌侍、これまで彼女達が相手にして来た連中とは何もかもが桁違いだった。彼女達自身も相当の使い手だからこそ分かる。否、思い知らされてしまった。チャイニーズマフィアの一個師団を相手にした時でも、こんなにも絶大なプレッシャーを感じた事はなかった。戦闘マシーンのようだった烏家姉妹に人間らしい感情がよぎる。しかし、それらは全てマイナスの物であったが。

「何をうろたえているの!前もって油断するなと言っておいたはずでしょう。相手とは一款能賜舞の免許皆伝だと。それに、人数が減った時の事も考えておきなさいとも言っておいたはずです」

 鳴鈴からの叱責が飛ぶ。なるほど、確かに支配者の貫禄。あっさりと四人の状態を平静に戻す。


「さっ、四人になってどう来る?」

 直立する煌侍。構えは取っていないが、一分の隙もない。長めの前髪から覗く眼光は、射抜くように鋭い。

ジン!」

 四人の内の誰かからの号令で今度は動く烏家の姉妹。またしても囲まれた煌侍。が、今回は相手が四方にいる。方角で言えば、北東、南東、南西、北西の位置に。つまりは誰も彼とは正対せず、死角を衝く形だ。試しに煌侍は身体の位置をずらしてみたが、相手側もそれに合わせて同じ距離とポジションをキープしてくる。

「良いね、さっきより」

 不敵に笑う煌侍。体内に赤く燃えたぎる物を感じる。こうでなくては。

 来た!しかも一直線に突っ込んで来る事なく、渦を描くように。

サイ!」

 攻撃。左ハイキック、右サイドキック、スライディングキック、スピンしての延髄チョップ。四者四様。上中下前後左右、逃げ場はない。……はずだった。

「なっ!」

 驚きの声を発したのは鳴鈴だった。今度は「決まる」と思った。初撃とは明らかに違う波状攻撃。なのに、こんな形で。

 再現VTR再生。煌侍はまずごく小さなジャンプでスライディングキックをやり過ごすと、サイドキックの爪先を踏み台にし、ハイキックの上を跳び越え、延髄チョップの手首を掴んで鉄棒の要領で利用してその向こう側に着地、まだ体勢を整え切れていないハイキックとチョップのチャイナ服の首筋にそれぞれ二本の指を押し当てた。すると、二人は糸を切られた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。一瞬にして、今度は二人。超人的な動き、誰しもの想像のはるか上を行く。人間の、女性の爪先を踏み台にするなど、体重移動の技術、発想力、どれを取っても尋常ではない。

「ゴメンな、三人に減らしてジェットストリームアタックでも次は見たかったんだが、なんかめんどくさくなっちまった」

 本人は涼しい顔でこう言う。だが、これも嘘だ。鳴鈴の表情が険しくなる。彼女は見たのだ。スライディングキックは上から潰せたし、サイドキックは腹部に隙があった。奴は、そのどちらも止めたのだ。彼は空中でわずかに躊躇し、二人だけを仕留めた。驚愕の動きを見せ付けるために。なんという力の差。なんという余裕。


<8>


「あーん」だの「いやーん」だのと悩ましい声が聴こえるので、鳴鈴ミンリンが何事かとそちらを見やると、残った二人がお互いの両手両足でがんじがらめに固められていた。見た事もない形で。あまりの力量差に作戦も何もなく吶喊とっかんし、見事に返り討ちにされた結果か。

「メキシカンプロレスはルチャ・リブレの関節技、『ジャべ』の1つだよ。つっても分かんないか、残念」

 パンパンと両手をはたく煌侍こうじ。「一丁上がり」と言った感じか。そんな彼に駆け寄る三人の妹達。優しい笑顔でそれぞれの髪をかいぐる兄。どちらの彼も本当の姿。

 鳴鈴は反省していた。正直、相手の力量を彼女も測り損ねていた事を認めざるをえない。ともすれば、烏家ウーけ五人姉妹だけで疲弊させられるのでは、とも考えていた。それが彼女の計算違いで、あの五人をあんな目に遭わせてしまった。彼女達は「自分達を捨て駒にした」と責めるだろうか。いや、声には出すまい。しかし、自分は上に立つ者として失格なのか。様々な自責の念が鳴鈴自身をさいなむ。わたしは、本当に彼女達の事が大好きなのに。信頼を失ってしまった今、もうこれまでの様には仕えてくれないかもしれない。


一麗イーリー

 声がした。そこにいる全員が焼刃やいば煌侍を注目する。鳴鈴も。「どうして」、と。

「どうして、わたしが『一麗』だと…?」

 紫のチャイナドレスを着た一麗が、一番驚いたように煌侍に問う。鳴鈴が呆けている間に彼によって介抱された五人は、綺麗に横一列に整列していた。

「ん?なんでって、君が明らかにリーダーの働きをしていたからな」

 息を呑む五人。表情はもはや無表情ではない。彼女達が本来持つ感情がストレートに出ており、今ではちゃんと年齢相応に見える。

「で、だ。あの四人攻撃の時のサイドキックだが、初速は素晴らしかったが、出し切った後に空中に『残る』のはダメだ。大きな隙になる」

 何を始めるのか思えば武術指導。だが、最初は呆気に取られていた五人も、煌侍の指導が熱を帯びてくるに従って引き込まれ始め、その目は輝きだし、頬には赤みが差してきた。ある種の危険性を感じておろおろし始める焼刃家三姉妹を尻目に、煌侍先生の武術教室は今や最高潮。驚くべき事に彼は、長女の一麗だけでなく、他の四人の区別もしっかりとついていた。純粋に才能のある彼女達の存在が嬉しくて仕方がない様子。個別指導が終わる頃には、すっかり三姉妹の懸念通り、烏家五人姉妹の瞳は、恋する乙女のそれに変わってしまっていた。がっくりとうな垂れる三姉妹。どうして兄はこう、己の魅力に対して鈍感なのか。

「ちょっ、あなたっ、人の部下を籠絡ろうらく……」

 事態にようやく気付いた鳴鈴が抗議の声を上げる。が、それも途中まで。阻止されたのは、またしても煌侍の発言によってだった。

「にしても君ら、良い主人に仕えたなあ」

「……え?」

 一人離れた所できょとんとする鳴鈴。五人が「はいっ」と声をそろえて反応してくれたのは分かる。嬉しい。けれど、彼は今何と?

「君らの所作を見てりゃ分かるよ。立ち居振る舞いも技の動きもさ、綺麗で真っ直ぐだ。なんか過去がアレらしいからその辺心配してたんだが、杞憂だったみたいだな。上がしっかりしてないと、なかなかそうはいかないものさ」

 彼女らしからぬタイムラグを経て、自分が褒められた事に気が付いた鳴鈴。何だろう、顔が熱い。そして胸も。ダメダメ、奴は敵。これもきっと罠、わたくしを油断させるための罠っ。

「なななな何を言ってるの焼刃煌侍っ。その娘達に続いてこのわたくしまで手なずけようったって、そうはいかないんでちゅからねっ。わたくしにはそんな手、全然効かないんでちゅからあっ」

 フォン鳴鈴、分かり易過ぎ。両腕をバタバタさせて抗議する姿は、お子ちゃまそのものなのだが。周囲の空気もついついほのぼのしてしまう。


「ふ、ふふふ。前座は終わりという事ですわ。ここからが本番。あくまであなたを倒すのはこのわたくし、鳳鳴鈴なのですから」

 まだほんの少しの動揺を残しつつ、大きな歩幅で堂々と歩を進める鳴鈴。煌侍との距離は約5メートルほど。正対する両者。182センチの身長がある煌侍に対し、鳴鈴の身長は130センチ台。これぞまさしく大人と子供の図。体格差、年齢差、性差、この勝負、鳴鈴にハンデがあり過ぎる。普通に見れば。が、肝腎の実力差はどうか。それは、やってみなければ分からない。何しろ相手は子供とは言え、一款能賜舞いっかんのうしまいの免許皆伝なのだ。

 小さな小さな息を吐き、構える鳴鈴。その瞳が一瞬、縦に細長くなる。己の中のスイッチを戦闘ムードに切り換えたか、とても少女が放つ殺気ではない。敵との距離は、それで良いのか。リーチの面で不安があるのは彼女の方なのだが。合わせて構える煌侍。もうどこにもおちゃらけムードはない。鳴鈴の構えを見て、実力の一端を垣間見たか。途端に張り詰める空気。それぞれの主を想い、不安げな表情をのぞかせる焼刃三姉妹と烏家五人姉妹。


<9>


 勝負の合図はない。決戦のきっかけには、しばしば暗合あんごうの介入が見られる。誰かの足が枯れ枝を踏み付けた音でも、視界にかすめる落ち葉でも。この時もそうだった。一層強くなった風。誰かの目に砂でも入ったか、発せられた小さな声。戦の開始とは、大抵間が抜けたものだ。

 仕掛けたのは鳴鈴ミンリンだった。しかし、煌侍こうじ以外の者にそれがわかったのは、鳴鈴と煌侍との距離がゼロになってからだった。なんという瞬発力、ダッシュ力。約5メートルあったあの距離を一瞬で詰めるとは。

台鉄芯だいてつしん

 こよみが驚きを込めて低くつぶやく。思わず彼女の方を振り向く他の面々。そう、鳴鈴は一款能賜舞いっかんのうしまいの奥義の一つ、「台鉄芯」を移動手段としてのみ使ったのだ。かつて煌侍が父・勘助かんすけとの決闘の際に用いた、あの技を。だが、台鉄芯は爆発的なダッシュ力を生み出すために、どうしても「溜め」と「踏ん張り」が最初に必要になる。なのに、誰の目にも見えなかった、煌侍以外には。さすがは正統伝承者、免許皆伝、次元が違う。

 台鉄芯で煌侍の懐に潜り込んだ鳴鈴、右足で半瞬ほどのブレーキング。勢いを、流れを殺さず、煌侍のあごを全身のバネを使った右アッパーカットが襲う。「対空魔流たいくうまりゅう」、その名の通り、本来であれば上方より襲い来る敵を迎撃する、対空用の攻防一体の技。それをコンビネーションの中の一つに組み込んでくるとは。ただ正統に流派を極めただけではない、研究に裏打ちされた発想力。

 煌侍は余裕のない精神状態の中で舌を巻いた。何よりフォン鳴鈴、己を知り尽くしている。自分の身体的特徴を熟知しているからこその技のチョイス、尋常ではない戦闘センス。

 アッパーカットで伸びきった鳴鈴の脇腹腹を狙い、煌侍は螺旋の力を込めた掌底を放つ。が、それすら予期していたか鳴鈴、空中で体勢を入れ替えて上下反転、逆さになった状態で両足首で煌侍が繰り出した右腕を挟み込み、空中ブランコの要領で左右の突きの連打連打連打。

「『千獄魔陣せんごくまじん』!あんな状態でっ」

 半ば叫ぶ魅霧みむ。悔しいが、自分では鳴鈴には到底歯が立たない事を痛感させられる。もしもの時は兄に加勢しようと頭の片隅でまだ考えていたのだが、足手まといにしかならない事を思い知らされる。「強くなりたい」、彼女の人生で今、最も強くそう願った。その左手を絢華あやかが、右手を暦が強く握り締める。三姉妹の想いはひとつ。


 右腕を殺された状態での至近距離でのラッシュ、かがめば頭部を狙われ、左右のどちらにも逃げ場はない。もちろんジャンプは不可能。では、どうするか。煌侍はカッと目を見開き、鳴鈴の手刀の一つをキャッチ。が、強くは掴まない。これでこっちは両手が塞がったが、相手にはまだもう一方の腕があるのだ。身体を投げ出さんばかりの勢いで思い切って捻る煌侍、予想外の相手の行動に振り回される鳴鈴。足首のフックが外れた。

 宙に浮く鳴鈴の小さな体躯。そこを煌侍の左右の手刀が狙う。左右別々の位置を、変幻自在の角度で。

「『鬼道殲刺きどうせんし』!やったっ、兄さん!」

 悲鳴を上げる烏家ウーけ五人姉妹とは対極に、ガッツポーズを作った絢華が歓声を上げる。兄の勝利を確信したかのように。しかし、その盛り上がりは残念ながら一瞬で終わりを告げた。

 のど笛を狙う右の手刀を鳴鈴は右の後ろ回し蹴りで軌道を逸らせ、鳩尾を狙う左の手刀を両手で掴んでクッションとし、腕を一瞬だけ曲げてトランポリンとして使用、一気に煌侍との距離を稼いで着地した。これぞ一款能賜舞体術の極み。両者の距離は、回線直前よりは幾分縮まった程度に開いた。


「ふぅっ、まさかここまでやるとはな」

 汗を拭う煌侍。兄が戦闘で汗をかく姿を初めて見た三姉妹は戦慄した。これが、一款能賜舞トップの戦い。とてもまだ始まって数十秒しか経っていないとは思えない疲労感が、焼刃やいば家の庭を支配していた。何と濃密な時間。

「あなたこそ。初撃で決まったと思いましたのに」

 こちらも汗を拭い、不敵さと悔しさをない混ぜにした笑みを見せる鳴鈴。烏家五人姉妹が「お嬢様…」と気遣う。

「――でも、次で終わり」

 煌侍と鳴鈴が同時に言う。双方とも、自信に満ちて。


<10>


「ちょっと、聞き捨てなりませんわね。どういう事ですの?」

 鳴鈴ミンリンが頬を膨らませる。

「言葉の通りさ。次でケリを着ける」

「きーっ、なんでちゅのっ、さっきは防戦一方だったクセにっ!」

 地団太を踏む鳴鈴。「お嬢様、落ち着いてっ」と五人姉妹。

「じゃあ訊こう。君は一款能賜舞いっかんのうしまいをどう思う?」

「なんですの突然。決まっているでしょう。一款能賜舞こそ、絶対無敵、完全無欠の必殺拳ですわ」

 予想していた回答だったのだろう、わずかに表情を緩めた煌侍こうじ。が、次の瞬間には表情を引き締め直した。

「そう、まさにそここそが勝敗を分ける」

「ふんっ、何を悔し紛れに。右手を痛めたあなたに勝ち目はもうありません」

 冷酷な笑みをのぞかせる鳴鈴。「え!?」と半ば叫ぶように兄を見る三姉妹。戦闘で汗をかいた姿すら初めて見たというのに、負傷まで。

「あの時」

 こよみが苦々しく声を押し出す。

「にいさんの『鬼道殲刺きどうせんし』の右の手刀をあの娘が後ろ回し蹴りで弾いたあの時」

 魅霧みむ絢華あやかの表情がさらに深刻な物になる。兄の力には全幅の信頼を寄せている。それは今のこの状況でも変わらない。兄は勝つと言ったのだ。自分達が信じないでどうする。

「見抜いてたか、さすがだな」

 右手首を軽く振りつつ、鳴鈴を見やる煌侍。

「それでもオレは負けん。誰あろう、愛する妹達のためにな。こんだけ心配させてんだ、この上負けられるかよ」

「いいですわ。妹達の前でいい格好をしたい、その一心での言葉、勝者になる者の余裕として認めてあげます」

 大胆に前進する鳴鈴。

「ですが、勝つのはこのわたくし、フォン鳴鈴。あなたに勝って唯一の一款能賜舞の継承者となるのです」

 お互いの間の距離は5メートル弱。双方が仕掛ければ一瞬で縮まる。無いに等しい、と言っても過言ではない空間。50センチ近く上にある煌侍の瞳を見上げる鳴鈴。構える両者。


焼刃やいば煌侍、終わり!」

「最期」通告とともに打って出たのは鳴鈴。超低空のステップからの左の裏拳うらけん。何という拳速、寸分違わずに煌侍の鳩尾を狙う。

「『吟牙旋風ぎんがせんぷう』!」

 焼刃三姉妹の声がそろう。この技の恐ろしさは兄に聞かされてよく知っている。人体の急所を確実に襲う必殺の拳。そして何よりも恐るべきは、これが三つのコンビネーションの一撃目に過ぎない事だ。二撃目の「吟牙烈風ぎんがれっぷう」は「吟牙旋風」で身体を折り曲げた敵のノドを貫く正拳突き。さらに最後の「吟牙疾風ぎんがしっぷう」はまさにトドメ。無防備の脳天へ叩き込まれる肘の落下。このコンボを喰らった者は、二度と立ち上がる事はない。完璧、絶対、究極の連携技。初撃を凌いだ相手すら、二撃目を防ぐ事は不可能。計算し尽くされた奥義。決着の技にこれを選んだ鳳鳴鈴、天晴れと言う他はない。

「さすがのチョイスだぜ、嬢ちゃん!」

 焼刃煌侍、対応。彼女がラストを飾るにはこの技を選ぶだろうと予測していた。しかし、それでもキツイ。計算を上回る破壊力、加えて右手の負傷。身体が……泳ぐ?

「まだまだァ!」

 鳴鈴の右の拳が伸びる。神速。「吟牙旋風」を予想していたからこそ両腕で辛くもブロックした煌侍、そのがら空きののどに吸い込まれるように「吟牙烈風」が。

「ここです!」と吼える鳴鈴の声に重なる煌侍の言葉。

「こ・こ・だっ」

 耳を疑う鳴鈴。理解不能。今まさに自分の手によって生命活動を停止させられようとしているこの男は、何を言っている?死期に直面して血迷ったか。そんな程度の男には見えなかったが。では――。


<11>


「……あれ?」

 今は……いつ?それに、どうしてこんな状況になっているのだろう。純白に染め上げられた鳴鈴ミンリンの脳内。自分はとっくにあの男を葬り去っているはずなのに。なのになぜ、自分は地面に尻餅をついていて、眼前に迫り来る大きな掌をスローモーションのように見つめているのか。

(この技は『未雷刑殺みらいけいさつ』……こんなのを食らったら、さすがのわたくしも終わりですわね……)

一款能賜舞いっかんのうしまいは確かに強い。天下無双と言っても過言ではないだろう。だが、同時に最大の弱点をも内包している。それは秘拳ひけんゆえの閉鎖性だ。限られた範囲内での無敵、それはイコール井の中の蛙にもなる。他流試合での無敗は、相手側に与えられた情報がなさ過ぎる事に助けられているとは思わないか?表裏一体、メリットもあればデメリットもある。すなわち、他派の良さを吸収出来ない。己の拳への過信。客観性の欠如。いつまでも同じ環境、同じ考えの中でやっていたのでは進化は望めない。同じ免許皆伝、同じ正統伝承者、なのにオレが勝者となり、君が敗者となった。オレは外の世界を知り、完璧とうたわれた一款能賜舞の弱点を洗い直し、さらなる高みを目指した。もちろん今も、目指している。オレは『最強』でなくてはならないからだ。これが勝因だ」

 ……うるさいですわね。わたくしは疲れました。なのに、この人ったらいつまでも長々とおしゃべりして。一麗イーリー二和リャンホー三明サンミン四清スーチン五喜ウーシー、ごめんなさい。あなた達をもっともっと幸せにしてあげたかったのに。さあ、さっさとトドメを刺しなさい。いつになったらわたくしに当たるんですの、その掌?悔しいですけど、あなたの勝ちみたいですし。まったく、いつになったら……って、あれ?

「あれ?」

 またこの台詞。恐る恐る顔を上げた鳴鈴は、目の前で停止している大きな煌侍こうじの左の手の平を見付けた。そして、その奥の優しい彼の瞳も。

「わぷっ?」

 突然その手は鳴鈴の頭に置かれ、左右に移動を繰り返す。なでりなでり。身体ごと持って行かれて揺らされる、小さくて軽い鳴鈴。

「強かったなー、嬢ちゃん。今までのどんな相手よりも強かった。武装した200人に囲まれた時よりも、よっぽど生きた心地がしなかったぜ」

 わしわし。

「嬢ちゃんが正統伝承者ならオレ、この先安心だな。正直、いい加減なオレには荷が重い大役だったしなー」

 わしわし。

「……こ」

 わなわなと小刻みに震える鳴鈴の身体。「あ、やべ、調子に乗り過ぎたか?」と思い、慌てて手を離す煌侍。あまりのなで心地の良さに、つい。「……こ」に続くのは、「こんな屈辱は初めてですわーーっ!!」あたりか?もう一戦交えるのはさすがに厳しい。それでも一応、構えてはみるが。


「……こ」

 息を飲む一同。

「煌侍様ーーっっ!!」

「はいーーっ!?」


<12>


「わたくしわたくし、間違っておりましたわっ。そぉなのですわ、なにも決闘だとかそんな野蛮な手段に出なくとも良かったのですわ」

 スイッチ、オン。

「ええ、ええ。なんと言ってもわたくし達、鳴鈴ミンリン煌侍こうじ様は『フィアンセ』なのですからっ」

「フィアンセーーッ!?」

 周囲全てを巻き込んで押し流す、鳴鈴ビッグウェーブ。

「そうです、その通り。わたくし達二人は鈴子リンツゥ様がお認めになられた一款能賜舞いっかんのうしまいの正統伝承者、これはすなわち鈴子様公認の許婚、婚約者と言う事実に他なりませんわ!」

「ええーっ!」

 思わず反射的に幼児化した抗議の声を上げる焼刃やいば三姉妹。けれど、その声は当然鳴鈴には届かない。「ブレーキの壊れた」と評するよりは、最初からブレーキが搭載されていない感じ。欠陥車です。激しくリコールしたい。

「ああっ、もうっ、こうしてはいられませんわっ。煌侍様、とてもとてもとぉってもお名残惜しいですけれど、これからはそれはもう色々とする事ができてしまいましたので、“あなたの”鳴鈴は失礼いたしますわっ。一麗イーリー二和リャンホー三明サンミン四清スーチン五喜ウーシー!参りますわよ!」

「お、お嬢様ーっ」

 情けない声を上げる烏家ウーけ五姉妹。

「どうなさるおつもりなのですかー?」

「決まってますわっ。お父様からこの婚約に対する承認をいただいて、より正式な物にいたします。そしてそして、早速花嫁修業のスタートですわっ」

 言いながらも大股で焼刃家の門へと歩を進める鳴鈴。その後に慌てふためく五人が続く。

「ではでは煌侍様、鳴鈴は少々“野暮用”を片付けに実家へ戻って参りますので。またすぐ、近い内にお会いしましょうー。愛しておりますわー、わたくしの旦那様ーんっ」

 最後に熱烈な投げキッスを残し、小さな刺客、最強の敵だったはずのフォン鳴鈴は焼刃邸を後にした。吹き抜ける一陣の風。ひどく寒い。呆気にとられたまま残される焼刃家の兄妹。


「ん?」

 ふと煌侍が足元に落ちていた一枚の紙片を拾い上げる。一見し、その表情が一変する。

「うっわー……見せらんねー……」

 それは写真だった。恐らく鈴子から強引に譲り受けたのか、鳴鈴が持っていた、煌侍と三姉妹が仲睦まじく映った美しい一枚。……だったはずの物。

 麗しく微笑んでいたのであろう三姉妹の顔には、見る影もない落書きの数々が。ヒゲに「バカ」、バサバサのまつ毛に両頬の渦巻き。まんま子供の仕業だ。こんな物を見られたらどうなる事か。戦闘力の差など、メーターをはるかに振り切った怒りゲージが簡単に凌駕してしまうだろう。ああ、何と恐ろしい。

「兄さん!」

「お兄様!」

「にいさん!」

 自分を呼ぶ妹達の声に、あわてて危険な写真をスラックスの右ポケットにねじ込み、身体ごと振り返る煌侍。

「もっともっと、一款能賜舞を教えてーっ!!」

 鬼気迫る表情の三姉妹。いや、兄として、正統継承者としてその熱意は嬉しいのだが、目的が入れ代わってやしませんかー?


 早速三姉妹の手によって家の中へと引っ張って行かれる煌侍。まずはまた一人の虜を作ってしまった事を突っ込まれるんだろう。そりゃあもう厳しく。

「それってオレのせいなのかぁ?」

 心の中で疑念をつぶやく煌侍。声にはとても出せません。

 ではまだ、彼は気付いてはいなかった。今はポケットの中のその写真、煌侍の顔の部分にかすかに残るキスマークに。


<了>

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