第6話 「三姉妹的学園生活」
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「あ~ん、もうっ、にいさんの寝顔ってばラブリー過ぎっ!」
「暦ちゃん、名残惜しいのは私も同じなんですから。ね、その分今日も早く帰ってきましょう?」
「そうだよ。そうしよ、暦ちゃん。遅刻したら兄さんが責任感じちゃうよ?」
「……うん、そ、だね。じゃ、にいさん、行ってくるからね」
そして、暦に始まり、魅霧、絢華の順番で愛する眠り王子である兄の横顔にキスをしていく。彼女達三人の眼下には、兄・煌侍のしどけない寝姿がある。ここは煌侍の部屋、時刻は朝の8時15分を過ぎたあたり。徒歩で余裕を持って学校に登校できる恵まれた環境にある彼女達なのだが、さすがにこの時刻ともなると、悠長に構えてはいられない。にもかかわらず、毎朝毎朝飽きもせず、煌侍が寝返りを打ったり寝言を言ったりする度にキャーキャー言って見惚れてしまう三姉妹なのであった。
ご覧のこの光景は、煌侍が遅めに登校する時や休日などには、もはや定例のものなのである。もはやご存知の通り、煌侍は午前中においては人間的活動を行なっているかすら怪しい生物。今朝も今朝とて、この有り様である。せっかくの愛して止まない妹達のスキンシップにも、悩ましげに身をよじるばかり。
「たーっ、絢華姉さんってばにいさんに見惚れて過ぎ!さすがに限度ってもんがあるんじゃない、やっぱ?」
「あーっ、暦ちゃんってばずるーい!今朝の見惚れ始めは暦ちゃんだったじゃなーいっ」
「ほらほら二人とも、責任を譲り合ってないで、足を少しでも速く動かして下さいね。タイムリミットが近いんですから」
「魅霧ちゃんってさ、いっつもそうやって一番良いとこ一人で持ってっちゃうよねー」
「そーそー、一番ずるいのは魅霧姉さんだって」
「普段最も苦労している人がちゃんと報われるって事です」
「あー、故意犯だーっ!」×2。
風の中で行なわれる三姉妹の会話。兄の寝顔観賞についつい時間を取られ過ぎた今朝の彼女達は、ただいま学園への道のりを全力疾走中である。当然の事ながら三姉妹も兄・煌侍譲りの快足&健脚を誇り、本気を出せば男性陸上競技者をも軽く凌ぐほどである。いわゆる女の子走りとは明らかに違うトップアスリート走法で、周囲の景色をぐんぐん後方にすっ飛ばして行く三つの制服姿。
今朝の先頭を楽しげに切るのは絢華、右後方に暦、左後方に魅霧を従えてご機嫌な様子。常に自分が長女であるのに二人の妹に何かにつけて劣っている事にコンプレックスを抱いている彼女は、こんな小さな事でも今だけでも二人に勝っている事が嬉しくて仕方がないのだ。魅霧と暦もちゃんとその事は理解していて、時々顔を見合わせては微笑を交わす。「あんなに気にしなくてもいいのに」といつも思う。自分達は姉である絢華が大好きで堪らないのに。
そうして何はともあれ、ようやく学園の校門が見えてきた。途中で他校の男子生徒達やら何やらからの熱烈アプローチなどの恒例行事を消化しつつなので、本当に時間が遅刻圏内に入ってきた。さすがにこの時間ともなると、校門付近は生徒達でごった返している。周囲のあちらこちらで交わされる朝のあいさつ、三姉妹もその波に呑まれ、毎朝の風景の一部と化す。
三姉妹の通う学園は女子高である。それも幼稚園から大学まで一貫教育の、まさに純正お嬢様培養機関。歴史こそまだ浅いが、リベラルな校風にしては厳然たる教育方針と徹底した管理体制を宗とし、それを見事に調和させて心配性な父兄達に安心感を与えている。中でも最たる特徴はなんと、教師から学校職員、果ては出入り業者の人間にいたるまで、その全てが女性に限られているのだ。よって男性がこの学園に入る事が可能なのは、事実上イベント時のみとなっている。これならば重度のシスコ○(ピー)の兄や娘を溺愛して止まないパパン達にも大好評、少子化によって経営の厳しくなって行く一方であるこの教育業界における新機軸なのだ。全寮制ではないのが不思議なくらい、時代の最先端を行っているのか逆行しているのか分からない、非常にユニークな学園なのである。
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校門をくぐり下駄箱で上履きに履き替えると、三人はそれぞれ別の教室へと入って行く。「また、休み時間にね」と言うアイコンタクトを残して。「焼刃」の姓を持つ三人が同じ教室にいては面倒なのか、見事に彼女達のクラスはバラけてしまっている。三人としては大いに不満なのだが、こればかりは文句を言っても仕方がない。
各自の教室に入り、校門付近でのようにクラスメイト達とあいさつを交わしつつ席に着く。すると、ふと頭上付近から両肩にかけての辺りに寂寥感が降りて来る。自分達はやはり三人でひとつ。そうでなくては。でも本当は、兄と自分達の四人でひとつ。それが本来の姿。「絆」、「赤い糸」、呼び方は何でも良い。四人をつなぐ強固で太い存在、一緒にいる時以上にそれを一人になると意識してしまう時がある。
実は焼刃三姉妹には、あまり友達がいない。表面上の付き合いがある同級生などは決して少なくないとは思うのだが、本当に「友」と呼べる存在は数えるほどしかいない。ちなみに友人の多さは、絢華>魅霧>暦の順で多い。
それはすなわち、外での人当たりの良さに比例している。内外での落差が比較的少ない絢華、自分をコントロールする術を心得ている(兄に関する事以外だが)魅霧に比べ、不器用な暦はその数がかなりダウンする。しかしなぜかこれに反比例して、後輩女生徒などからの人気はその逆に暦>魅霧>絢華となっているようだ。自分達に雰囲気の絢華よりも、「ミスパーフェクト」の異名を取る魅霧、長いポニーテールをなびかせる凛々しい孤高の君である暦の人気は凄まじい。中学の時から数えても、彼女達のバレンタインデーでの戦績は人後に落ちない。下駄箱も靴を入れるための物なのか、プレゼントやラブレターを入れるための物なのか、判断がつかなくなってしまったほどだ。
休み時間ともなると、三姉妹はいつも屋上や中庭に申し合わせて集合し、タイムリミットギリギリの時間まで一緒にいて心の平穏を満喫し、充分にそれを補給する。そうしてまた外の世界へと戻っていくのだ。三人でいる時にするのはもっぱら兄の話題一色。これまであった出来事や思い出、これから一緒にしたい事、してあげたい事等々。そうしないと、兄への想いがあふれ返ってしまう。三姉妹にとって兄のいない世界は、彼女達の世界ではない。
思えば兄・煌侍には苦労ばかりをかけてきた。兄は「苦労なんて思ったり感じたりした事は一瞬たりともない」と素敵な笑顔で言ってくれるが、妹達としては恐縮と反省の日々。最近になって少しは兄への負担を軽減させたり、兄へのお返しを出来たりもしてるかな、なんて自覚出来るようになってきたが、小さな頃は本当に三人そろって負んぶに抱っこにぶら下がりだった。歳月を経るごとに成長を遂げ、手はかからなくなってきたが、それとは逆に困った問題が発生してきた。そう、彼女達は美しく育ち過ぎた。
小学生の間は人間として周囲も色々未成熟であるためそうでもなかったのだが、三姉妹が中学に上がると同時に、問題は一気に表面化した。可憐な制服姿に身を包んだ華のあり過ぎる三人娘、それを世間が放って置くはずがなかった。毎日毎日登校時と下校時に休む事なく繰り返される、入り待ち&出待ち&ラヴレター&プレゼント攻撃、告白告白また告白。いつしかそれは名物となり、日常の風景と同化すらしてしまったが、当人達にとってはたまったものではない。
当然それらを全て突っぱねるわけだが、一つ一つに対応していては本当にキリがないのだ。そんな事に時間を取られると兄との貴重な時間が減ってしまうし、同性連中からのひがみややっかみは次第に激化し、負の感情をどんどん育んで行く。邪気のない笑顔で断れる絢華や無言の視線だけで相手を追い払える暦はまだマシなのだが、根がマメで真面目な魅霧は一時期心底頭を悩ませたものだ。しかし、彼女達が本当に我慢できないのは、その余波が兄へと向けられてしまう時である。
全く誰のアプローチにも、わずかにもなびかない焼刃三姉妹、それはなぜか。言い寄ろうとする男達は考えた。そうだ、あいつだ。あの目の上のタンコブである兄・煌侍の存在が全ての元凶なのだ、と。それが証拠に、彼女達はいつもいつも「私達には兄が全てですから」とお決まりのゴメンナサイメッセージを返すではないか。きっとあいつが無理矢理妹達を縛り付け、洗脳するがごとく自分に尽くす事を強要しているに違いない。かわいそうに。あのシスコン野郎を倒し、あの娘達の目を覚まさせてやる。
一つの方向性を持った集団意識は、思いもよらぬ力を時に有する。それから毎日、煌侍の行く所、時と場所を選ばず、彼に勝負を挑む者達が現れるようになった。多い日では一日で数十人を数え、次第に一度に相手する人数も増加の一途をたどった。まるで目的がいつの間にか「焼刃煌侍を倒す」にすり替わったかのように。
何度目か分からないリベンジを繰り返す者も当然いるわけで、数える行為にもはや意味はない。兄と妹が一緒にいる時に挑戦者が現れる事もしばしばであったので、妹達は大層気に病んだものだったが、息一つ乱さず彼らを撃退した兄が「オレはこんなにも人を惹き付けて止まない魅力を持った妹達を持って幸せ者だなあ」と言うのを聞いて、それらはどこかに吹き飛んでしまった。代わりにあふれてきたのは歓喜の涙、宝石のように輝かせて愛する兄の胸へと飛び込んで行く。
最近ではもうどうあっても煌侍には敵わない事が好い加減判明したからか、「彼女達は兄に敵対する男が嫌いらしい」と言う噂が今更ながらに広まり、以前に比べるとめっきり少なくなった。
が、今でもたまにそういった連中は出現する。忘れた頃にやって来る、いわば突発イベントのような物だが。そしてそれにも逆バージョンや様々なバリエーションがあるわけで、兄のいない所で「君達の目を覚まさせてやる」と言ってくる連中や、煌侍ファンの女子諸君が今度は妹達を邪魔者とばかりに標的にして来たり。そういう場合は、三人が兄に成り代わってそれ相応の対応をしてあげる。
持ちつ持たれつ、兄と妹達は表裏一体、いかに外見が見目麗しかろうと、彼女達は“あの”焼刃煌侍の妹達、そんじょそこらの連中が束になってかかって来ても準備運動にもならない。躍動感あふれる絢華、優美にして的確な魅霧、一撃必殺の暦、同じく兄から教わった一款能賜舞でも、やっぱりそれぞれにカラーが出る。極上の造形美に圧倒的な力、それらがない交ぜとなり、彼女達をより高嶺の花へと押し上げて行く。いつしか「遠くから眺めているだけで幸せだ」族が勢力を増して行き、さらにファンクラブ活動は拡大する。三人が三人、一人ずつにファンクラブは存在し、お約束通りに対立していたりするようだがそんな事にまで気を割いてはいられない。さすがに草の根活動までは撲滅できかねる。
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さて、三姉妹の学園生活である。成績はもちろん悪くない。順位を付けるならば、魅霧>暦>絢華。やはり、と言おうか学年トップの魅霧。のみならず、全国でも常に頂点にいる。その座はまことしやかに「焼刃魅霧の指定席」と呼ばれているのだとか。家庭教師を雇わず、塾にも通わずにこの成績であるので、方々でその秘訣を訊かれるのだが、平然と「兄への愛です」と答えてしまうので、周囲は閉口している。高名な学習塾からも「籍だけで良いから置いてくれないか」とスカウトなどがひっきりなしに来ているのだが、「兄と少しでも離れたくありません」とあの美貌でピシャリと突っぱねられては、彼らはスゴスゴと尻尾を巻いて逃げ帰るしかない。加えて彼女は芸術や音楽にも秀で、まさに「才媛」を絵に描いたような存在と言えよう。
続いて暦。上の下、と言ったレベルだろうか。彼女は基本的に天才肌であり、「やらなくても出来る」恵まれたタイプ。性質的に三人の中で最も兄に近いと言われており、周囲の目には一見不真面目に映るらしい。が、そのつどきちんと結果は出すものだから困りもの。そういった点も暦に「孤高の君」としてのイメージをさらに塗布していく。本人は全く気にしてはいないのだから、それで良いのだが。「やらなくても恥ずかしくない成績が取れるんだから、そんな暇があったらにいさんと一緒にいる」が彼女のプライベートなスローガンらしい。魅霧は「もう少しがんばればもっと上位に行けるのにもったいないな」と思いつつも、その気持ちが自分にも理解でき過ぎるので、苦笑と微笑を微妙な比率で浮かべ、絢華は「暦ちゃんずるーいっ。その才能、少しでいいからちょうだいよー」と膨れている。
そして、絢華。中の上と上の下を行ったり来たり。この娘は結構努力の人なのだが、どうにも本番時の弱さと単純ミスの多さがその足を引っ張っている。そこがなんとも彼女らしくて微笑ましいのだが、当の本人としては大いにご不満。「あたし、一番お姉さんなのにー」とすねてしまう事もしばしば。それで兄にフォローされるのはかなり嬉しいのだが、やっぱり結果で褒められたい。そんなこんなで日々隠れて奮闘中、なのだが「うーっ、うーっ」とかうなったりしているのが丸聞こえなので、「あー、またやってる」と何ともわかりやすい。しかし、彼女のそういった部分は非常に好感に値する。そこ辺りが「焼刃三姉妹の仲で最も親しみやすい」と評される所以でもある。
今度はスポーツ方面に話を移すとしよう。散々これまでにも触れて来た通り、三姉妹の運動能力は兄譲りで素晴らしく凄まじい。が、やはり「兄との時間を一秒たりとも減らしたくない」という理由で、三人ともにどこのクラブにも所属していない。それでも彼女達の戦力としての魅力は放って置けるはずはなく、何かにつけて助っ人の依頼が舞い込んで来る。この辺りは兄の学園生活をそのままトレースしたかのようで、いかに焼刃家の兄妹が卓越した存在であるかを知らしめている。
普段の物であれば前述の理由で断るのだが、対校試合や大会ともなると兄が喜び勇んで応援に来てくれるので、ついついそれを目当てに引き受けてしまう。そしてその度にあっさりと記録を塗り変えるような活躍を兄の笑顔見たさにやってのけてしまうわけで、イベント終了後にはまたもファン増大、スカウト合戦、取材攻勢という流れが出来上がり。毎度毎度の事ながら、なかなか慣れない物のようです。
一款能賜舞にもそれぞれの特色が出るように、得意スポーツも三者三様。当然基本的に運動能力が桁外れであるので、何をやらせても超一流なのだが、「好きこそ物の上手なれ」なのか、絢華は球技をやらせれば俄然輝きだし、魅霧はタイムを競ったり芸術点を重視する競技になれば静かに燃える。暦はと言えば、やはり一対一で相手を倒すような武道ライクな代物がお好み。先鋒に彼女を据えて初戦から決勝までをオール一本勝ちで団体戦を制した、なんていう現実離れした珍記録も存在する。その時暦は「やっぱ一人でやった方が楽」ってな台詞を勝利者インタビューで気だるそうに残したんだとか。さすがは「孤高の妹戦神」。
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そして、ついつい活躍してしまうと、極力メディアには登場したくなくても、嫌々ながらに露出してしまったり。その後の流れはお決まりコースでウンザリなのだが、どうしても断り切れないオファーもあったりする。その一つが学園直々の案内パンフレットのモデル依頼であった。学園の名前とロゴの下、表紙を焼刃三姉妹が飾り、生徒代表として特集を組みたい、という代物であった。理事長室にて学園関係者のお偉方がズラリと雁首をそろえ、それが一斉にウルウル瞳で頭を下げて懇願して来たものだから、一応の恩義も感じるし、勢いに負けて三人同時に首を思わず縦に動かしてしまった。
話を持ち出された時に何やら打算的な匂いを嗅ぎ取って乗り気ではなかったのだが、こうして目の前でいい歳をした学園首脳陣が手を取り合って快哉を叫んでいる姿を見てしまうと、やはり「早まったか」と時すでに遅い後悔がよぎる。兄にこの話をすると「そりゃ上手くやられたな」と苦笑されてしまった。しかし、その兄がまんざらでもなさそうだったので、三人は意を決して正式にその依頼を受諾した。
後日、なんと理事長室にてお偉方が見守る中、焼刃家三姉妹は取材スタッフからパンフレットに掲載するインタビューを受ける事になった。しかし、開始当初は満面の笑みだった首脳陣の表情は、取材が進むにつれ、驚愕→困惑→呆然→放心へと目まぐるしくその色を変える結果になった。それは何故かと言うと、端的に言って、あまりにもそちらの内容が“使えなかった”からだ。
話には各先生方などから聞いていたのだが、まさかそれがここまでの物だったとは。尾ひれが付いていたどころではなく、噂以上だった。ここまでの「兄一色」っぷりだったとは。完全に計算違いだった。「ゼニの取れる」焼刃三姉妹を全面に押し出した案内をパンフレットを作って、受験生獲得数大幅アップを目論んだのだが、これではさっき撮影した写真しか使えない。こんな物を印刷して公開するなんてとてもできない。ハッキリ言って異常だ。
Q.「尊敬する人は?」
A.絢華「兄さん」
魅霧「お兄様です」
暦「にいさん」
Q.「休みの日は何してる?」
A.絢華「兄さんと一緒にいるー」
魅霧「お兄様のお側を離れません」
暦「にいさんとの時間しか考えてない」
Q.「趣味は?」
A.絢華「兄さんと一緒にスポーツしたりゴロゴロする事ー」
魅霧「お兄様のお役に立つ事です」
暦「もっともっとにいさんに好きになってもらうように自分を磨く事」
……等々。もう何を訊いても、どんな質問をぶつけても「兄さん」「お兄様」「にいさん」の兄一色。取材スタッフにはバカ受けで、「今度はぜひお兄さんと一緒に取材させて下さい」なんて言われたのだが、学園関係者は総出で「頼むから載せないで下さい」と必死の説得。三姉妹は「今ののどこがいけなかったのか」と、それぞれに疑問に思ったり憤慨したり呆れたりした。
数日後に完成したパンフレットは各所で「これではまるで焼刃三姉妹の写真集だ」と評された。何しろインタビュースペースだった所を全て彼女達の学園生活スナップに差し替えたのだから。ちなみに元凶のその兄は大いに喜び、「家宝にする」と言って学園に直接電話をかけ、とりあえず100部ほど取り寄せたのだとか。
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とある平日の一日、三姉妹の通う学園はちょっとしたお祭騒ぎになった。と言ってもこれは、もはや定期イベントとなってしまっている行事なのだが。そう、この日は授業参観日。「高校生にもなって授業参観なんて」とたいていの学校ならば鬱陶しがられるものなのだが、この学園では違う。なにしろ「焼刃さんのお兄さんがやって来る日」なのだから。その授業はこの日の四時限目なのだが、もう朝から学園中がソワソワと色めき立っている雰囲気。「ハイハイ、『焼刃さんのお兄さん』がいらっしゃるのは四時限目なんですから、今からそんなにはしゃいでいてはもちませんよ?」なんて諭している独身女性教諭のお化粧も、この日ばかりはこころなしかちょっぴり濃い目。
煌侍が妹達の授業参観に行く、これはすでに彼が中学生の時からの恒例の行事。PTAや学校側は、その当初は何かと問題視したものだったが、彼が両親からの正式な「委任状」をきっちりと携えてくる上、実際に来させてみるとやたらと周囲からの受けが良く、いつしか反対していた首脳陣もすっかり懐柔されてしまったという寸法。
「キャーーッ!!」
各所から爆発的な黄色い声が上がる。授業参観日は体育祭や文化祭と並び、生徒達にとっては異性が学園に足を踏み入れる数少ない機会。しかもそれらのイベントと違い、授業参観は回数が多い割にはやって来るのはおじさんばかり。超お嬢様学校だけあって彼らはそんじょそこらのおじさん達ではなく、お金持ちで渋くてかっこいい人達ばかりなのだが、それでもその中で焼刃煌侍は、まさに掃き溜めの鶴。三姉妹がこの学園に入学してまだ間もない春の第一回目の授業参観日依頼、今やお待ちかねの名物イベントとなっている。
寸分狂わず、ビシッと決めている煌侍。そのいでたちは、濃紺にかすかに紫が混じった上下のスーツ姿で、これで花束でももっていれば、今にも「娘さんを僕に下さい」と言わんばかりである。彼の前髪は少々長めなので、今日は整髪料で上に上げて額を出している。それがまた普段以上に爽やかお兄さんな雰囲気を醸し出しており、まずは校門まで兄をお出迎えに行った三姉妹が真っ先にノックアウトされた。
白い歯を輝かせる煌侍。今の彼の姿を見れば、誰もこれを今朝スタニー&フランシスカのデビアス姉妹に電話で叩き起こされた上に、午前中をブランドショップを引きずりまわされた挙句に完成した形とは思えない事だろう。愛する妹達が通う学び舎にやって来たのだ、完全に睡魔をどこかに押しやった最上級外交モードに自らをシフトチェンジしている。
前に絢華、左に魅霧、右に暦、と後方の三方以外を妹達に囲まれ、周囲からは女生徒諸君からの好奇の視線とミーハーな声援が絶え間なく降り注ぐ。これも当然、もうすっかりお馴染みの風景。そんなこんなでやたらと入場に時間をかけながら、三姉妹達の教室があるフロアにようやく到着。そこで彼は既知の顔と出会った。
向こうはとっくの昔にこちらに気付いていたらしく、数人の友人達と早足で接近して来た。が、名前が出て来ない。兄の窮地を一瞬に満たない間に悟り、微かに煌侍の上着の右袖が引かれる。煌侍と暦の視線が、わずか一秒もかからない間、絡み合う。
「ああ、幸村美雨さんだったね、お久し振り。いつもウチの妹達がお世話になってるみたいで、兄としてお礼を言わせて下さい」
「はい、お久し振りです、焼刃さんのお兄さん。いえ、そんなお世話だなんてとても。こちらこそ妹さん達には良くしていただいて嬉しく思っています」
「それは良かった」
そつなく表面的な会話を交わす煌侍。さっきまで脳内で「あー、あの絢華と魅霧と暦の先輩で豪邸住まいの……」とか苦悩していた男の態度ではない。暦からのアイコンタクトがなければどうなっていた事やら。このアイコンタクトは焼刃兄妹独特の技術であり、視線の動き、ほんのわずかな瞬き、そして瞳の光彩の色を微妙に変化させる事によって、言葉を使わずとも一瞬の内に意志の疎通を成し遂げる技術なのだ。開祖以来連綿とDNAに異民族の血を組み込んで来た焼刃家の、しかも強く深い絆を持った彼ら兄妹にしか使用不可能なコミュニケーション手段、それが煌侍命名の「愛コンタクト」である。
まだまだ名残惜しそうにしている美雨とその取り巻き娘達に「そろそろ混んで来たし、時間もアレなんで」と理由を告げ、煌侍はまず最初の絢華の教室へと向かう。実際煌侍見たさの生徒達、それに父兄連中で廊下は混雑の気配を見せていたし、時間も惜しい。しかし、なぜそもそも上級生であるはずの彼女達がこのフロアにいるんだか。
少し離れてから暦が「にいさん、さすがに名前忘れちゃうのはマズイって」と苦笑交じりに兄に耳打ちすると、「スマン。素で忘れてた」と煌侍。それを聞いて妹達は、改めて以前の心配が杞憂であった事を悟り、嬉しくなってしまった。
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授業参観の時間は90分間、三人の妹達の教室は別々になってしまっているので、各教室に煌侍がいられるのは30分間ずつ。その順番は昨夜の取り決めにより、絢華→魅霧→暦と決まった。30分間ごとに「キャーーッ!!」が湧き上がるので、それで彼が教室移動した事が全校に知らされる仕組み。便利なんだか馬鹿馬鹿しいんだか。
ちなみに、煌侍はもう各父兄の方々とも親しく&仲良くなっており、教室に入る度に「やあやあ、お久し振りです」とか「焼刃君、ウチの娘の婿になってくれないかね?」「や、それは前にもお断りした通り、勘弁して下さいよ」などと和気あいあいと会話をしている。超お嬢様学校であるだけに、その父兄の方々も各界で顔の名士ばかり。そんな中に溶け込んでいる煌侍、まったく侮れない男だ。
教師が授業中に何度「みなさん、後ろの焼刃さんのお兄さんばかり見ていないで授業に集中して下さい!」と三つの教室で怒鳴ったかは数え切れないが、ともかく一大イベントである授業参観は終了した(そういう教師もやたらと彼を意識していたように映ったが)。煌侍が律儀に手を振り返したり微笑み返したりしなければ、もう少しスムーズに事は運んだと思うのだが。
「じゃあ、そろそろオレはこれで…」
「ダメーーッ!!」
役目を終えて帰宅の途に着こうとする煌侍を、妹達のみならず生徒達が総出で阻止し、彼は昼休み時間の間中、学園内に留まる事になった。ここでもやはり故意犯的に兄の弁当を用意ていた魅霧の計らいもあり焼刃家の兄妹四人は日当たりの良い学園の中庭で楽しく昼食を摂った。この日の中庭は、煌侍を一目見ようとする生徒達や三姉妹のファン達が二重三重にも周囲を取り囲み、開校以来かつてない混雑ぶりを見せたという。
そしてやがて、今度こそ本当に煌侍が帰らねばならない時間となり、「帰らないで下さーーいっ!」と涙ぐむ異常な光景に「また来るから」と返しつつ、「きっとですよーーっ!」の声を背に受けながら、三人の妹それぞれの頬を優しく撫でて髪をかいぐって、「みなさん、これからもウチの可愛い妹達をどうかよろしく」と言って帰路に着いた。
今日も一日、学園生活が終わった。本日の授業参観でのそれぞれの教室での兄の様子レポートを交換しながら、西日を浴びつつ三姉妹は校門を出る。するとそこには、午後になって別れたはずの兄の姿が。着替えていつものようなラフな格好になっているという事は、一度家には帰ったらしい。喜色満面で「一体どうしたの?」を連発する妹達に、「うん、大学も早く終わったし、今日は参観日っつー事でそっちの学園のガードも甘かったしな。お出迎え返しだ」と煌侍は微笑んだ。彼に群がっていた生徒達に別れのあいさつを送り、兄妹は合流した。
思わぬ煌侍のプレゼントにはしゃぐ三姉妹。「毎日こうだったらいいのになっ」と兄の周囲をクルクルと舞い踊る絢華に、「姉さん、無理を言ってはダメですよ。お兄様がお困りになられるでしょう」と言葉とは反対に笑顔の魅霧。「いっそ毎日授業参観か体育祭か文化祭だったら良いのに」と暦も混ぜっ返して笑う。
傾いたオレンジ色の陽の光を受け、長く長く伸びる四つの影。それらは決してバラバラになる事はない。それぞれの形や長さは変わっていても、常に混じりあい重なり合い、まるで四つで一つのよう。一つの大きくて長い影と、それに寄り添う三つの柔らかな影。光が彼らに降り注ぐ限り、いつまでもそれは変わらない。そしてたとえ光が差さなくなったとしても、彼らならばきっと自力で輝き、またこんな楽しそうな影を作り出す事だろう。焼刃家の兄妹の絆と愛は何物よりも強く温かく、彼らを一つにつないで離す事はない。ずっと。ずうっと。
<了>