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第5話 「焼刃煌侍の強さの秘密」

<1>


 ある穏やかな休日の午後、今日も今日とて焼刃煌侍やいば こうじはリビングルームで最愛の妹達三人にハーレム状態で囲まれてソファに腰かけ、魅霧みむが淹れてくれたアフタヌーンティーなぞを優雅に楽しんでいた。幸福感に頭髪の毛先から足の小指の爪先までどっぷりと浸り、満足感のあまり溜め息をほうっと吐いてみたりする。

「どうしたの兄さん?もし悩み事とかだったらすぐに言ってねっ」

 長女の絢華あやかが心底心配そうな顔付きで、心酔する兄に訊ねる。煌侍は優しく微笑んで、「違うさ、あんまりにも幸せだから。つい、な」と言って、彼女の短目の髪を甲斐甲斐しく撫でつけてやる。それに対し、すぐに子猫のように「ふにゃあ」となってしまう、それでも甘えん坊の一番上のお姉さん。

「しっかし、とは言え、こんなにも良い天気だと家にいるのがさすがにもったいなくなってくるな」

 庭に通じるガラス戸の方を見やり、差し込んでくる日差しに目を細める煌侍。

「じゃあさじゃあさ、どっか行こうよにいさんっ」

 煌侍の背後から三女のこよみが勢い良く出現し、兄の首へとまとわり付きながら満面の笑みで甘える。こんな時はすっかり萌え萌えおねだり娘の暦たん。兄がいない場所での彼女とはまるっきりの別人である。彼女は「硬派」の評判で通っているが、本当の姿は断然こちらの方なのだ。

「魅霧はどうだ?どこか行きたい所のリクエストはあるか?」

 左手で長女の、右手で三女の髪をかいぐってやりながら、肩越しにキッチンで食器乾燥機から食器棚への移動作業を行なっている次女へと声をかける煌侍。

「私も大賛成です、お兄様。私達はお兄様とでしたら、どこへ行こうと異論なんてありません」

 効率的に動かしていた手を止め、柔らかな笑みを見せる魅霧。彼女の言葉にいたく感動した兄は、ソファからおもむろに立ち上がり、魅霧へと大きく両手を広げて受け入れ態勢を作る。「はいっ」と小さくはにかんで答えた彼女は、大好きでらない兄の胸へと飛び込む。「オレ以上に幸せな奴なんてどこにもいやしないさ」と噛み締めながらつぶやいた煌侍は、次女の髪も大切に撫でてやり、瞳を潤ませて顔を上げた魅霧の額に軽くキスをあげる。

「よーし、本日は予定を大きく変更し、外へと繰り出すぞ。さあ我が愛する妹達よ、早速外出の用意に取り掛かるのだ!」

 懐かしの「サタデーナイトフィーバー」のジョン・トラボルタのポーズで高らかに号令を発する煌侍。「はいっ!」の黄色い三種類のそろった声。

 が、三人の妹達が各自の部屋へと直行しようとしたその時、絶妙のタイミングで玄関のチャイムが鳴り響いた。出鼻をくじかれ、途端に不機嫌絶頂の表情になる煌侍。三姉妹もそれぞれに表情を曇らせた。


「お兄様、私が見てまいります」

「いや待て、オレが行く」

 空気を察して玄関へと行こうとした魅霧を制し、煌侍は憤まんやるかたないといった様子で大股にフローリングの廊下を進んで行く。

「畜生、誰だよ。ったく、瑛時えいじ紳佐しんさだったら承知しねぇからな。よりによってこんなタイミングで来やがって。つーか、さらにもし見ず知らずの奴だったら、二度とこのオレ達の愛の巣に近付く気が起きねぇようにしてやる」

 かなり個人的事情の文句タラタラの煌侍。玄関カメラのモニターを確認しようともせず、いきなり扉を開ける。と、目の前の高さの空間には誰の姿もない。そこで視線をゆっくりと下へと落とすと、そこには一人のとても小柄な老女が微笑みながら立っていた。


<2>


「おや煌侍こうじ君、久し振りだねぇ。また一段と美形になって、腕の方も随分上げたみたいだね」

 一瞬ポカンとしてしまった煌侍だったが、すぐに我に返って大声を張り上げた。

「あーっ、婆ちゃん!いつこっちに来てたんだよぉ。連絡くれたらすっ飛んで迎えに行ったのにさあ」

「ほほほ、そんなに大層にしてもらう事はないよ。わたしはこの通り、まだまだ丈夫なんだからね。このくらいの“散歩”なんて何ともないよ」

 頬を子供のように膨らませる煌侍の姿に、「うんうん」と目を細めてうなずく「婆ちゃん」。そう、正真正銘この女性は、焼刃兄妹の祖母であり、父・勘助かんすけの実の母・鈴子すずこその人なのであった。年齢は七十を少し超え、お下げにしてある髪も完全なる純白なのだが、すこぶる姿勢が良く、150センチにも満たない実際の身長よりもずっと背が高く見える。足腰も本人が自慢する通り全く問題はない。それどころか実は、そんじょそこらの若い男性スポーツマンよりもよほど鍛えられているのだ。それもそのはず、彼女は煌侍の武術の師匠なのである。


「あーっ、お婆ちゃんだーっ!」

 兄の張り上げた大声に何事かと駆けつけた三姉妹の内、絢華あやかこよみがそこに祖母姿を同時に発見し、先ほどの兄とほとんど同じ反応をする。より一層目を細めて可愛い孫達を見やる鈴子すずこ

「お婆様、本当にお久し振りです。どうぞ、お上がり下さいませ」

 すっかり舞い上がってしまっている姉と妹を困った顔で横目にしながら、魅霧みむが祖母のために玄関にスリッパを並べる。

「本当に久し振りだねえ。もう五年振りくらいになるかね、この家に来たのも。みんな大きくなって、綺麗になって。天使様が女神様になったみたいだよ。3人とも、目いっぱいお兄ちゃんに愛されてるみたいだね」

「はいっ!」

 祖母の嬉しい言葉に、寸分違わぬ返事をそろえる三姉妹。それを見て「ほほほ」と笑う鈴子。その傍らでなぜか煌侍は誇らしげな様子。


 リビングルームに通された鈴子はソファに軽く腰かけ、魅霧の淹れた中国茶を実に美味そうにすすり、満足気に一息を吐いた。

「全く心配なんてしてなかったけどね、やっぱり安心したよ。四人ともすごく元気で幸せそうで。ときに勘助とりんさんは壮健かい?」

「二人とも全然大丈夫だよー」

「相変わらずのお二人さんだけどねー」

「駄目よ暦ちゃん、言葉は選ばないと」

 絢華も魅霧も暦も、いつになく落ち着かない様子でどこかそわそわとしている。実を言うと焼刃家の四人の兄妹は、親族との付き合いに恵まれていない。両親との関係もあの通りであるので、彼らのこれまでの人生においての親類との思い出は非常に少ない。しかし四人とも祖母の鈴子には他の誰よりもよく懐き、幼少の頃にはベッタリだったものだ。このような複雑な家庭環境や人間関係が形成されてしまった裏には、焼刃やいば家のこれまた難解極まる血筋の因果が存在するからだ。まずはそれを説明せねばならないだろう。


<3>


 そもそも焼刃やいば家はその起源すらも確かな事が判明しておらず、家系図や詳しい文献も全く現存していない。大袈裟に言うと、謎に包まれた一族である。そして何よりこの家系をややこしい物にしていっているのは、もはや把握不可能なほどに繰り返された多種多様な国際結婚なのだと言われている。現在の煌侍こうじに至るまで、ただの一度も純血の日本人が家系に入った事はないとされ、四人兄妹の両親である勘助かんすけりんも例外ではなく、どこの国の血が何分の一流れているか、当の本人達にも分かっていない。瞳や髪の色もそれぞれがてんでバラバラで、親族がそろっても、ほとんど共通点らしきものが見当たらないと言う有様だ。そう、三つ子でもない限り。

 さて、ここに本日やって来た鈴子すずこも、実は完全なる中国人である。日本名は「すずこ」であるが、故郷では今でも「リンツゥ」と呼ばれている。彼女は中国でも秘境中の秘境と言われる奥地の女性部族の出身で、幼少期よりそこでのみ信奉されている戦の女神の巫女をしており、一族の中でも並ぶ者がないほど腕が立った。この五年間ほど日本を離れていたのは、生まれ育った村で後継者問題が起こり、どうしても彼女の力が必要になった為に帰省していたからだ。つまり焼刃兄妹の身体には、中国秘境民族の血がクウォーターとして流れている事になる。ちなみに父方の祖父(鈴子の夫、すでに他界)は、イギリス系ドイツ人であったと言われている。なんでも空手の達人だったとか。


 先程に少し触れたが、鈴子は煌侍の武術の師である。彼女の故郷のみに伝わる幻の拳法、その名は「一款能賜舞いっかんのうしまい」。煌侍が以前、アイドルの藤松真弥ふじまつ まやの屈強なボディガードを一撃の元に倒した時に紳佐しんさに向かって「ウチの技」と言ったのが、この一款能賜舞を指している。女性部族に伝わっていたものだけあり、拳法と言うよりは、その名の通り一見したところでは舞にしか見えない。元々が奉納の舞であったとされているが、真の姿は恐るべき破壊力を秘めた必殺の拳なのである。一切の無駄のない流麗な動き、素人目には想像もつかない絶大なる強さ、それゆえに原則として彼女達の村では他流試合を禁じていたという。

 しかし、強大なる力を持つこの秘拳も、少数部族の門外不出の代物であったため、常に後継者問題が頭痛の種としてつきまとってきた。そしてとうとう鈴子の代になって、有望な次期後継者候補が見当たらなくなってしまった。考えに考え抜いた末に彼女は、一款能賜舞を存続させる最後の手段として、素質のあった一粒種の息子勘助に秘伝の数々を伝授しようとした。が、当の勘助は「そんな女々しい踊りみたいな物などやりたくない」とかたくなに言い張り、やがて警察学校へと入学する。熱心に説得を続けてきた鈴子も遂には諦めかけ、一款能賜舞の歴史もこれまでかと覚悟した時、彼女の前に全身を痣と傷と泥だらけになったままの当時六歳の煌侍が現れ、「婆ちゃん、オレに婆ちゃんの技を教えてくれよ。オレにはどうしてもそれがいるんだよ。でないと絢華と魅霧と暦がちょっとでも嫌な目に遭っちゃうんだよ!」と両の目にあふれそうなくらいの涙をこぼすまいとしながら言った。この次の瞬間から、煌侍は正式に一款能賜舞を教わる事になった。鈴子が帰ってきた今、その後継者問題も終結したと言う事になり、煌侍の肩の荷もようやく下りた事になる。


「思い出すねぇ。あの時煌侍君はまだ六歳の坊やで、ちっちゃくて痩せっぽちだった。でもそれから毎日、朝早くから夜遅くまで修行するようになった。誰よりもたくさん寝なきゃいけない子だったのにね。学校と貴方達の面倒を看る時以外は、起きてる時はほとんどわたしの所に通いつめだった。本当に命懸けだったよ、煌侍君。あなた達、もっともっとお兄ちゃんを大事にしないと駄目だよ、あなた達のお兄さんほど素敵な男は他のどこを探したっていやしないんだから」

 湯飲みを両手で包み込みながら、一言一言を大切に三姉妹に話す鈴子。涙ぐみながら祖母の言葉にうなずく絢華あやか魅霧みむこよみ。煌侍は気恥ずかしそうに遠い目をしつつも当時を懐かしんでいるようだ。

「まったく、勘助かんすけのあの考えなしが……。あの子がもう少ししっかりしてたら煌侍君がここまで大変な思いをする事もなかったのにねぇ。まあ、その報いをあの子はちゃんと受けたんだから、自業自得っていう、いい見本だよ」


<4>


 鈴子すずこの一人息子、煌侍こうじと三姉妹の父である勘助かんすけは今でこそスチャラカ親父で通っているが、煌侍が中学に上がるまではそれは鬼のような父であった。彼は当時捜査四課、いわゆる暴力団対策本部に勤務する警部補で、その筋の連中からも「毒刃どくじん」と呼ばれ恐れられる存在であり、仲間内でも格闘の腕においては勘助に敵う者はいなかった。だがその職業上、彼の心は常にすさみきっており、三人の娘は溺愛していたが、妹達の世話を一身に引き受け、何かにつけて自分に反抗的な態度を見せる煌侍が気に入らず、事あるごとに辛く当たるようになっていた。まるで嫉妬するかのように。そうしてしまう事で娘達の心が離れて行くのを知りながらも、不器用な彼は息子以外に不満をぶつける相手を見付ける事が出来ずにいた。しかしそんなただれた親子関係にも、煌侍が中学の入学式を明日に控えた日、遂に崩壊の時を迎える事になった。


 その日煌侍は、非番で家にいた勘助を庭へと呼び出し、毅然とした態度と表情で父親に宣戦布告を行なった。

「オレはもうアンタの理不尽な仕打ちに耐えるつもりはねぇ。婆ちゃんにも今日のこの事はもう言ってある。今日からオレは、絢華あやか魅霧みむこよみを完全に俺だけのものにする」

 決然と父を見上げる兄の姿を、妹達は身を寄せ合いつつもしっかりと見届ける様子を見せ、喧嘩を売られた当の本人はそれを鼻で笑って吼えた。

「思い上がるなよバカ息子が。このオレを誰だと思ってやがる。毎日毎日ヤバイ連中と命張ってやり合ってるのは誰だ?腕っ節では生まれてこの方全戦圧勝負けなしなのは誰だ?それをテメェみたいなヒョロいガキがあんなお嬢様遊戯武術を身に付けたからって一体何になる!大言壮語吐いたからには相応の覚悟は出来てんだろうな!?」

 勘助には絶対の自信があった。息子に敗れる要素など何一つない。全身から怒気をみなぎらせたその姿を見て圧倒されずにいられる者はいないかと思われた。上着を脱いだ上半身は、岩のような鋼のような筋肉の鎧であり、そこには無数の傷が刻み込まれていた。日本刀で斬り付けられた物や銃弾がかすめた物等々。が、それを目の当たりにしても煌侍は瞬き一つしなかった。

「どうした、来んのか?達者になったのは口先だけか!」

 勘助は正直イラついていた。あまりに泰然自若とした息子の様子に。多少痛めつけて今回は許してやるつもりだったが気が変わった。しばらくは大きな口が叩けなくしてやる。そう、これは教育だ。不敵な笑みを浮かべて勘助が手招きをする。


 が、気付いた時には景色が逆さまに見えていた。なぜか自分の巨躯が宙に舞っていた。次いで脳天からグシャリと硬い地面へと叩きつけられた。息が詰まり、視野が黒く狭まった。何が起きたのかも分からないまま、最後には鳩尾にえぐられたような激痛が襲った。

 解説するとこうである。勘助との距離・約三メートル余りを脅威の瞬発力をもって一足飛びに詰めた煌侍は、そのままの勢いで左肘を鋭角的に相手の鳩尾へと叩き込み、次いで右腕一本で担ぎ上げると一気に背負い投げへ。仕上げに倒れた敵の鳩尾みぞおちへと再度左肘を突き刺したのだ。これぞ一款能賜舞いっかんのうしまいの奥義の一つ「台鉄芯だいてつしん」である。

 だが実は今回、煌侍は完全版のその技を使っていない。本来であれば叩き込む肘はもっとひねりを加えるし、最後の肘はノドへと突き刺される事になる。つまり威力で言えば、半分以下程度しか出されていないのだ。彼が本気なっていれば、間違いなく勘助はこの世の人ではなくなっていた。

 子供達の前で無様に吐き続け、必死に腹をさすり続ける勘助。どうやって自分が倒されたのかを未だに把握出来ずにいたが、自分を厳しい表情で見下ろす煌侍の姿を見上げた時、「ああ、オレはこいつに負けたのか」という実感が次第に湧き上がって来た。そして手加減されたのだという事も。決定的だった。三人の娘達が駆け寄ったのが自分ではなく煌侍であったのを見た時、彼は全てが間違いで失敗であった事を悟った。


 次の日煌侍が中学の入学式に出席している間に勘助は署に辞表を提出し、家の財産の全てを煌侍個人の名義に変更し、彼自身は文字通り一文無しになってふらりと旅に出てしまった。勘助の妻にして兄妹の母であるりんは、事態を把握した後も眠そうに後頭部を掻きながら「じゃ、あたしも今晩から店の方で寝泊りするからー」と言ってバッグ一つで家を後にした。こうして焼刃家は紆余曲折を経て現在にいたる。


<5>


煌侍こうじ君にはもうわたしが教える事は何もないよ。真っ直ぐな温かい、澄んだ『力気りき』を持ってる。今ではわたしは最善の選択をしたと思ってるよ」

 鈴子すずこは煌侍の視線を受け止め、満足気に微笑んだ。

「婆ちゃんさ、オレの事はそんくらいで良いからさ、我が愛弟子であり婆ちゃんの孫弟子に当たるこの三人を見てやってくれよ」

 煌侍に促され、鈴子は「はいはい、そうだね」と三姉妹の方に身体ごと向きを変えた。真剣な表情で居住まいを正す三人。

「うん、やっぱりこよみちゃんが頭一つ抜け出てるね。けど魅霧みむちゃんもかなりのもんだよ。絢華あやかちゃんはもうちょっとお兄ちゃんに甘えないようにしないとねぇ」

「やったぁ!」とガッツポーズを決める暦、「ありがとうございます」と頭を下げる魅霧、そして「えへへぇ」と照れ笑いを浮かべる絢華。

 三姉妹の師たる煌侍による三人の一款能賜舞いっかんのうしまい修得レベルは、免許皆伝の煌侍を10とするならば、もっとも優秀な弟子である暦が8、次いで魅霧が2ランク下がって6、甘え癖が強い絢華が4という評価になる。ちなみに煌侍は時々鎌坂かまさか家の道場で璃矩りく瑛時えいじの姉である維那いなにも一款能賜舞の初歩をコーチしているのだが、彼女達の修得レベルは璃矩が3、維那が2とまだ低い。が、決して馬鹿にしてはいけない。一款能賜舞は他の武術に比べて極端に基礎動作の会得が難しく、この流派においてワンランクアップする事は、他流派の修行五年分に匹敵するとすら言われている。わかりやすく例を挙げるならば、絢華レベルでさえ、あのボディガード野郎を一撃で葬り去る事など実に容易い事なのだ。


「時に煌侍君、瑛時君は元気かい?」

「あ?ああ。瑛時の奴なら無駄に元気さ。相変わらずジジ臭いけどな。そうそう、璃矩も維那さんも健康そのものだぜ」

「そうかい、そりゃ良かった。みんなとっても良い子達だったからねぇ」

 鈴子が知っているのは瑛時、璃矩、維那までである。だから比較的新しく仲間入りした紳佐しんさや、つい最近の阿亜樹ああじゅなどとはまだ全く面識がないのだ。煌侍が2人の事を話すと、鈴子は「ぜひ会ってみたいねぇ」と言った。

「そうだ婆ちゃん、今日は泊まってけるんだろ?」

「そうもいかないよ、せっかくの兄妹水入らずをお邪魔しちゃあ気の毒だしねぇ」

 煌侍の言葉に首を横に振る鈴子。だが三姉妹が「えーっ、どうしてぇーっ!?」と声をそろえて抗議する。その後も彼女達は押しの一手で、最後には祖母の首を縦に降らせる事に成功、「やったぁ!」と六つの手がハイタッチをする。と、ここで煌侍がポンと手を叩いた。

「なあ婆ちゃん、ちょっとでいいからよ、維那さんに会ってやってくんない?」

「維那ちゃんにかい?わたしは一向に構わないけど、どうしてだい?」

「うん、それがさ、婆ちゃんが向こうに帰っちまってからここ何年か、彼女婆ちゃんに会いたい、相談したい事があるって何回か言ってたのを思い出した。んでさ、瑛時の奴が『最近の姉様は何やら深刻な悩みを抱えておられるようだが、それを打ち明ける相手がいない』って言ってハゲ作りそうなんだわ。婆ちゃんならさ、ハマリ役じゃねぇかって今思ったんだけど」

 「そう言えばそっか、維那さん最近ちょっと暗い気がする」

「あたしも何か変だなあって思ってた」

「何事もお一人の内に抱え込もうとなさる方ですから…。私達ではとてもお役に立てませんし」

 三姉妹も次々と心配を口にする。維那の存在は彼女達にもとっても何かと大きいので、協力を惜しむつもりはない。いつも頼りっぱなしで悪いな、という念を常々持っていたため、今回その恩返しが少しでも出来れば言う事はない。

「んじゃオレ、ちょっと瑛時んとこまで行って維那さんに声かけてくるわ」

 座っていたソファの肘掛を両手で掴んだ煌侍は、鉄棒の逆上がりの要領で腕の力だけで後方宙返りをして軽やかにに着地。兄の雄姿(?)にポーッとなっている三人の妹に左目を閉じてウインクすると、玄関から外へと出て行った。

「「「はあーっ、素敵ーっ」」」

 両手を自らの両頬にあてがい、同じポーズで兄にのぼせる三姉妹、そんな三人の姿に改めて感心する鈴子。

「やっぱり、息ピッタリだねぇ……」


<6>


 真昼の太陽が、長い石段を2段飛ばしで駆け上がる煌侍こうじの背中を照りつける。左右の森からは「ジィーッ」という虫達の声が聞こえてくる。鎌坂かまさか家の道場と社がある高台までの道のり、運動部の学生達が音を上げてへたり込む「天国への石段」を、煌侍は両手をポケットに突っ込んだまま、鼻歌のメロディすら全く乱す事なく昇りきった。陽気が気持ち良くて欠伸を一つ噛み殺すと、瑛時えいじがいるであろう道場へと歩き出す。直接社へと足を向けないのは、もし維那いなが重要な儀式などを行なっていた時の邪魔になってはいけない、と気を遣っての事だ。


「おーい、瑛時ぃ、いるー?」

 道場の中へと煌侍がのっそりと足を踏み入れると、そこには胴着姿の瑛時と練習をしに来ていた阿亜樹ああじゅがいた。

「あっ、煌侍さん、こんにちはー」

 阿亜樹が素振りの動作を中止して挨拶をする。それに対していつもの「よっ」を返す煌侍。

「あれ、璃矩りくはどうしたんだよ瑛時?夫婦喧嘩の末に実家へ帰っちまったのか?」

「何を馬鹿げた事を。買い物に行っているだけだ、心配などいらん。それより何の用だ?おまえが休日に独りでふらついているとは珍しいな」

 煌侍の問いに顔を向ける事すらなく答えた瑛時は、逆に質問を返す。「ああ、それそれ」と煌侍。

「ときに瑛時よ、維那さんいる?」

 木刀を手入れする手を止め、スッと目を細めて煌侍を見やる瑛時。その顔には不審気な色が浮かんでいる。

姉様ねえさまに何用だ?また性懲りもなくあらぬ事を吹き込もうというのではあるまいな」

「じゃねぇよ。今ウチに婆ちゃんが帰って来てんだよ。維那さん前々から婆ちゃんに会いたがってたからさ、ちょうど良い機会だと思ってお呼びに参上したんだわ」

「ほう、鈴子すずこさんがな。それはさぞ姉様もお喜びになられるだろう。出来れば私もお会いしたいが。だがな、現在姉様は大変神経を遣われる行をなさっておられる。もうしばらくすればお戻りになられる、それまでの間待っていろ」

「んじゃあ、そうするー」

 そういうと煌侍は、道場の壁に背を預けて両足を投げ出したまま座る。


「あの、瑛時さん、鈴子さんってどなたなんですか?」

 好奇心旺盛な阿亜樹が、興味津々の様子で尋ねる。

「鈴子さんは煌侍の祖母君にして師匠でいらっしゃる。不世出の秘拳『一款能賜舞いっかんのうしまい』の歴代最高の遣い手というだけでなく、人格的にも尊敬すべき偉大な方だ。しかし、大事な後継者がアレではな……」

 苦笑する瑛時の視線の延長線上には、だらしない姿で「くああ」と大あくびの真っ最中の煌侍の姿。つられて苦笑いする阿亜樹。彼女は周囲から彼についての話を耳にしてはいても、とてもあの煌侍が武術を極めた人間には見えないでいた。せいぜい「いつも眠たそうな美形のお兄さん」という印象しかない。彼と知り合う以前から数々の武勇伝を聞いた事があったが、そんな物は小さな事実に尾ひれが付いた物に違いないと思っている。

「なあ瑛時ぃ、阿亜樹ぅ、何かオレこのまんまだと眠っちまいそうだからさー、眠気覚ましに一勝負見せてくれよ」

「誰がおまえの下らん要求になど協力するか。試合とは本来神聖な物だ。姉様が待てないのなら、隅の方で小さくなって寝てろ」

 煌侍のリクエストを不機嫌に突っぱねた瑛時は「おまえからも何か言ってやれ」と阿亜樹を見るが、彼女はすでに瞳を輝かせて臨戦態勢に入っているではないか。

「おい阿亜樹、どういうつもりだ。煌侍の暇潰しに一役買ってやるとでも言うつもりか。悪ふざけも好い加減にしろ」

 ふるふると首を左右にスイングする阿亜樹。明らかにワクワクしている。

「そうはいきません。せっかくもう一度瑛時さんに挑戦するチャンスが転がり込んできたんです。だって瑛時さん、初対決のあの時以来全然相手してくれないんですもん。あの時のあたしとは違うって事を見せてあげちゃいますっ!」

「おまえなあ……」

 肩を落とす瑛時。どうもこの娘の相手は疲れる。

「もしもって時が心配かぁ瑛時ー?そんじゃあこの勝負、阿亜樹の不戦勝だなー」

 面白がって野次る煌侍。それを聞いて表情を改め、阿亜樹に正対する瑛時。

「いいだろう。それほど言うのなら、その増長した鼻っ柱をへし折ってやる」

「はいっ、よろしくお願いします!」


 気合い一閃、勢いよく瑛時に挑んで行った阿亜樹であったが、やはり実力の差は歴然としており、勝負は何ともあっけない物となった。敗れても敗れても向かって行ったのは良いが、その度に、最終的には五度、彼女の竹刀は弾き飛ばされて宙を舞った。

「ああ-ん、どうしてだろ?全然実力差が縮まってないみたーい」

 両膝を道場の板張りの床に突いて座り込み、不満だらけの表情で嘆く阿亜樹。対照的に瑛時は息一つ乱さずに無表情のままで直立している。

「煌侍、今の試合をどう見る?」

 瑛時が先ほどから同じ体制のままの煌侍に問いを振った。


<7>


「そーだなー、一言で片付けちまうのなら、実力がどうこう言う以前に阿亜樹ああじゅのは何から何までスポーツ武道だよな。そこに頭からどっぷり漬かっちまってるから、モノホンの戦いにゃあ対応出来ねぇのは当然っちゃあ当然だよな」

 深くうなずく瑛時えいじ。だが、それに全く納得出来ないのは阿亜樹だ。荒々しく立ち上がると、煌侍こうじを厳しい目付きで睨み付ける。

「何なんですか一体!?瑛時さんにならともかく、剣術には素人同然の煌侍さんになんてそんなもっともらしい事言われたくありませんよ!あなたに何が分かるって言うんですか、ふざけないで下さい!」

 完全にキレている。瑛時の腕は認めているが、煌侍の事は腕っ節はともかく、武器格闘においては自分の方がはるかに上だと考えているのだ。ただでさえプライドをかなぐり捨てて瑛時の技を盗もうと努力しているのに、そこに部外者が入って来られたのでは我慢し切れない。さらに無様な敗戦(しかも連戦連敗)の直後とあっては。

「阿亜樹、今の発言はあまりにも礼節を欠き過ぎるぞ。おまえこそ煌侍の何を分かっているつもりだ?」

 瑛時が阿亜樹をたしなめる。が、彼女は首を激しく左右に振り続け、いっこうに耳を貸そうとしない。

「わかりませんよ、知りませんよ、何にも!何も分からないし知らない人に偉そうな事言って欲しくないんです。噂でばっかり聞いてても納得なんてできません!」


「そっか、それもそうだよなー。オーケイオーケイ」

 煌侍がのっそりと立ち上がる。そして準備運動のつもりか、首や腰を適当に回したり動かしたりする。

「んじゃ、ま、リクエストにお応えいたしまして、ひとつお見せしますかね。おい瑛時、何かテキトーな感じの棒っ切れでもねぇかな?」

「ふむ。見て来よう」

 そう言って瑛時は道場奥の物置へと歩いて行く。阿亜樹は相変わらず煌侍に子猫のような威嚇を続けているし、その標的はのん気に背中を掻きながら大あくびをやっちゃってる。

 やがて瑛時が何やら棒状の物を持って戻って来た。それを無造作に煌侍に投げて寄越す。右手で煌侍がそれを空中でキャッチすると、何とその品は長さ30センチほどの木製の孫の手であった。

「それしかなかったが充分か?」

 瑛時が問うと、煌侍は思わず笑い出しそうになりながらも、入手したばかりの“武器”を「ちゃらららー♪」と効果音付きで高く掲げた。

「はっはっは、上等上等。焼刃やいば煌侍は聖剣・孫の手を装備したっ」

 と言って遂に吹き出した煌侍を見て、阿亜樹がまたも爆発する。ただし今度は瑛時にもその矛先が向けられる。

「どこまであたしをバカにしたら気が済むんですか?!瑛時さんまで一緒になってそんな物を持って来たりして、もう絶対に許しませんから!」

「私達がおまえを愚弄しているかどうかは、煌侍と対戦してみればわかる事だ。念のために言っておくが、一款能賜舞いっかんのうしまいには杖術じょうじゅつも存在する。言うなればアレはおまえを思ってのハンデと言うわけだ」

「それがバカにしてるって言うんですよ!ハンデなんていりません!」

「やれやれ、完全に怒らせちゃったみたいだな」

 激昂する阿亜樹。申し訳なさそうな顔をしつつ、右手に持った孫の手で自分の左肩をトントンと叩いている。さらに沸騰する阿亜樹。

「どうしたんです?そっちが来ないんならこっちから行きますよ!」

 彼女が台詞を言い終えた次の瞬間――。

「……えっ?あれ?……ウソ……」

「どうした、何をそんなに驚いてる?」

 驚くな、と言う方が無理な話である。何しろ阿亜樹の目の前に煌侍の顔があるのだから。それもお互いの息がかかる距離に。どちらかが少しでも唇を突き出せば口付けを交わしてしまうだろう。風圧すら感じる暇さえなく、阿亜樹は煌侍の接近を許してしまった事になる。ノド元には何かひんやりしたゴツゴツとした鈍器が当てられているのが分かる。それこそがあの孫の手である事はすぐに思い当たった。

「いつの間に?あんなに距離があったのに……」


<8>


 阿亜樹ああじゅの背中に冷や汗が長い一筋の線を引いて滑り降りて行く。もしもこれが実戦であったのなら、彼女の生命は気付く時間すらなく、容易く絶たれていただろう。

(これが『死合しあい』……。何もかもがあたしの今とは違い過ぎる……!)

「『いつの間に』って、そりゃあおまえが気ぃ失ってた時にさ」

 一歩もその場から動かず、煌侍こうじがサラリと爆弾発言。阿亜樹は急激に体温の上昇を感じ、鼓動の高鳴りを自覚し、唾液を嚥下する音を聴かれまいと意識を総動員する。「うわー、思ったよりも睫毛が長い」とかじゃなくてっ。が、彼の言葉に不審な部分を見付け、そこに飛び付くように反論を試みる。このままでは、色々危ない。

「あたしが気を失ってた?そんなはずありませんよ。じゃああの短い間に何か煌侍さんがあたしに気絶させるような技を?実はもう何分も経って――」

 道場の壁に掛けられている丸い時計を仰ぎ見る阿亜樹。だが先程の試合開始時刻からまだ1分も経過していない。

「あれっ?これってどういう……?」

 呆然と棒立ちになる阿亜樹。煌侍もそこでようやく離れ、呆れたように自分の両の腰に手を置く。

「何だおまえ、んな事も知らねぇのか。ったく、これだからスポーツ格闘頭脳持ちは世話のかかる……。あのなあ、人間っつーのはな、まばたきしてる間は意識を失ってんだよ。つまり、その間にオレはおまえとの距離を一気に詰めたってネタバレだ。アンダスタン?」

「えーっ、そうなんですかあ?!あたし、そんな事今まで全然知らなかったですよー。新事実発見……」

「そーゆーこった。本気物マジモンの勝負ん時にゃあ、まばたきはおろか、呼吸だってご法度だ。読まれちまうからな。もっと言やあ、筋肉の微妙な動きやアドレナリン分泌の匂いだけでも勝敗は大きく左右される。こんなのはそんじょそこらの物をいくら極めたって身に付きゃあしない。言うなれば『暗殺者に学べ』だな」

「うっわぁ、カルチャーショックぅ。あたしの今までの剣術人生って何だったんだろ。絵に描いたように井の中の蛙さん」

 ガックリと肩を落としてうな垂れる阿亜樹だったが、そこである事がふと気になって顔を上げた。

「あれあれ、じゃあじゃあ、今煌侍さんが教えてくれたスッゴイ事って、瑛時えいじさんもずっと前からご存知だったんですか?」

「当然だ。鎌坂家一子相伝剣闘術かまさかけいっしそうでんけんとうじゅつとはそのようにそこの浅い物ではない」

 と言って胸を反らす瑛時。と、それに食って掛かる阿亜樹。

「えーっ、それならどうして教えてくれなかったんですかー。これじゃあ何だかあたしってばピエロさんですよぅ」

「我が剣闘術は一子相伝ゆえ他人に教える事は叶わん、と以前に言って聞かせたはずだ。どうしてもと言うのなら煌侍に教えを乞えばよかろう」

「あっと、そうでした。ゴメンナサイ」

 小さく舌を出し、自らの側頭部を拳でポカリとやる阿亜樹。

「瑛時君冷たーいっ、そんなんじゃ璃矩にも嫌われちまうぞお」

「やかましい!いちいち璃矩りくの名を出すな。大体私はおまえのように――」

 冷やかす煌侍に反撃しかけた瑛時の顔色がさっと変わり、慌てて彼は姿勢を正す。煌侍はそれで誰が来たのかがすぐに分かった。


「これは姉様、見苦しい姿をさらしてしまいまして……」

「煌侍君の言う通りですよ瑛時。気に入った人にだけ優しくしていれば良い、と言うわけにはいきません」

「はっ、肝に銘じておきます」

 維那いなに恐縮する事しきりの瑛時を指差し、煌侍が阿亜樹に耳打ちする。

「ほら見ろ、ああいうのを『シスターコンプレックス』っつーんだ。わかったか?オレのはそんなんじゃなくて崇高なる『愛』そのものだからな」

「はーい、よっく分かりましたー」

 煌侍の言葉に二つの意味でクスクスと笑う阿亜樹。そんな二人を睨み付ける瑛時と、すねた子供のような弟の姿を見て微笑む維那。

「それにしても煌侍君、さすがですね。先程の技、お見事でした」

「はは、ありがと維那さん。カッコ悪いの見せずに済んで良かったよ」

「わたくしが先程の技を使えるようになるにはどれほどの修練が必要ですか?」

「そうだね、少なくとも今みたく週一ペースでオレに教わってたんじゃ、当分先の話になると思うよ。維那さんが本気でのめり込んでくれる気があるんなら、オレ付き合うけど?」

 一瞬表情を変えかけた維那だが、すぐに平静を保つ。

「嬉しいですね。でも大事な事ですから、もっとよく考えてから返答をする事にします」

「そっか、維那さん大変な事ばっか朝から晩までやってるもんなー。なかなか暇作るのも難しいよね。身体とか平気?ストレス溜まんない?」

「ありがとうございます。わたくしなら何ともありません。煌侍君こそ睡眠の方は大丈夫ですか?」

「んー、それは相変わらずって事で。もう一生のパートナーって言うか」

 苦笑する煌侍、彼につられて維那も穏やかな笑みをのぞかせる。そんな二人の姿をポカンと見やる阿亜樹と、複雑な表情の瑛時。やがて阿亜樹が気を取り直し、恐る恐るといった感じで口を開く。


<9>


「あのぅ、瑛時えいじさん……」

「何だ?」

「すっごく言い出しにくいお話なんですけど……いいですか?」

「だから、何だ?」

「そのぅ、維那いなさんって、煌侍こうじさんとお話する時は別人っていうか、他の人との時とは全然違うっていうか……」

「……その話か」

 一度両目を閉じる瑛時。それは何かの儀式のようだ。頭の中を整理するために、彼にはそれなりの沈黙が必要だった。

「どのような理由かは私には理解出来んが、姉様は煌侍の事を相当高く評価なさっておられる。恐らくは他の誰よりも。それゆえに煌侍にはあのような口の利き方をされてもご不快になられないらしい。そして姉様も我々とお話なさる時とは全く別の話し方に自然となられるのだ」

「それって、どうしてなんでしょう?」

「私も実は以前、どうしてもその事が気になって姉様に直接お尋ねした事がある」

(煌侍君とお話していると、何だかわたくしは別の自分になってしまうみたいで。そんな自分に自分で驚いてしまったり。ですが不思議とそんな自分も嫌いではないのです。こんな自分に出会えたりして、彼には感謝しています。彼の存在なくしては、今のわたくしは在りえなかったのでは、と時々思ってしまうくらいに)

 楽しそうに煌侍と話している姉を遠くに見やりながら、淡々と話す瑛時の言葉を聞いていた阿亜樹が、何かに気付いたらしく「あっ」と小さく声を上げると、慌てて自分の口を両手で塞いだ。

「どうした?」

 彼女の態度を不審に感じた瑛時が訊ねる。

「いいえいいえっ、いいんです全然っ」

「言ってみろ。大体の予想はついているがな」

 促されてもためらい続ける阿亜樹だったが、やがて意を決したように呟いた。

「維那さんってもしかして、煌侍さんの事を?」

「それについても思い切ってその時に訊ねた。しかし、おまえの期待するようなお答えではなかった」

「……じゃあ、それは瑛時さんが期待するような答えでしたか?」

 虚を突かれたような瑛時の表情。だがそれは一瞬で緩んだ。

「まさかおまえに意表を衝かれるとはな。……そうだな。私にとっても期待した答えではなかった。いや、半分ほどそうだった、と言うべきか。私の口から今言うべき事ではないが、姉様ほどのお方だ、何の心配もいらない事が分かった。それだけで充分だ」

「そうでしたか。じゃっ、いいですね。このお話はおしましおしまいっ」

 ニッと笑う阿亜樹。瑛時を一瞬とは言え驚かせた事に満足したのか。彼女は思っていたよりもずっと大人のようだ。かすかに苦笑した瑛時。彼は二人の会話の間を見計らって、煌侍に声を掛ける。


「おい煌侍、姉様に伝えるべき事があったのではなかったのか?」

「あっと、そうだったな。すっかり忘れちまってた」

 照れ臭そうに後頭部を右手で掻いて誤魔化す煌侍だったが、表情を改めて維那に向き直った。

「維那さん、今ウチに婆ちゃんが来てるんだ」

鈴子すずこさんが?」

 思わず目を見張る維那に、うなずく煌侍。

「ほら、ずっと会いたがってたろ?ちょうど良いタイミングだし、もう婆ちゃんには話通してあるからさ、今からでもウチ来ない?急な話で悪いんだけど」

「いえ、そんな、わたくしならいっこうに構いません。ぜひうかがわせて下さい」

 維那は珍しく気を急かせているようだ。決断するが早いか、挨拶もそこそこにパタパタと道場を駆け出して行った。もちろん、巫女装束のままで。

「よっぽど婆ちゃんに会いたかったんだな、維那さん。何かオレ、悪い事しちゃってたみたいだな。もっと前に言っときゃ良かったな」

 微笑みながらそう言う煌侍に、無言で視線を送る瑛時と阿亜樹。「ん?何だよおめーら二人して意味ありげに見やがって」と彼が見咎めても、「べっつにーですぅ」「何でもない」と答える二人。

「変なの、気色悪いぞ、何か」

「気にするな。もっとも気にしても教えてやらんが」

「何かおまえ、すねてない?」

「何の理由があって私がすねねばならんっ」


<10>


「ごっめーん、ちょおっと遅くなっちゃったぁ。って、煌侍こうじ来てたんだ」

 煌侍の問いに瑛時えいじが過剰反応した時、ちょうど璃矩りくが道場へと入って来た。その言動から買い物帰りのようだ。そして何やら場の空気がおかしい事に気付き、怪訝な表情を作る。

「どしたの、何かあった?あ、そうそう、さっき維那いなさん、すっごく急いでどこかに走ってちゃったんだけど、あれ何?」

「ああ、今ウチに婆ちゃんが来てんだよ。んで前々から維那さん会いたがってから、全速力でダッシュって訳」

「それも巫女さんルックのままで、ね。走ってる維那さん見たの何年ぶりだろ。んー、わたしも鈴子すずこさんにお会いしたいけど、維那さんの次って事で。じゃっ、わたしは晩御飯の仕度があるからまた後でー」

 両手を塞いだ買い物袋をこれ見よがしに掲げ、「出番が少なくてごめんなさいねー」という謎の台詞を残して璃矩は姿を消し、道場内は再び三人の空間になった。

「瑛時君、まるで新婚生活のようですな」

「黙れ。それより煌侍、これからどうするつもりだ?」

「どうするっつってもなあ、家に帰って女性陣だけの場を邪魔すんのも悪ぃから、もうしばらくここにいるわ」

「私の鍛錬の邪魔ならしても良いと言うのか?」

「そうつれない事言いなさんなって。今度はおまえと試合ってなわけにもいかねぇだろうが」

「ふむ」

 煌侍の何気ない言葉に瑛時の両眼が鋭い光を放つ。それに気付き、「あ、スイッチ入っちまったか?」と言う表情になる煌侍。そのまま数秒交錯する二人の視線。その間で、どうして良いのか分からずにオロオロする阿亜樹。だがやがて、「フッ」と小さく息を吐き出した瑛時。

「今日の所は止めておこう。今の私は気流が乱れ過ぎている。正直勝てる気がせん」

「えーっ、瑛時さんでもそんな事言ったりするんですねぇ」

 心底驚いた様子の阿亜樹。

「相手が煌侍だからだ」

「そっか。そう聞くとせっかくの対戦成績の差を縮めるチャンスだったのにな」

 短く答える瑛時と、おどけた感じで大して残念そうでもない煌侍。

「あのあのっ、お二人の対戦成績ってどうなってるんですか?やっぱり少年漫画のライバル同士みたいに何百勝何百敗とかのイーブンだったりするんですか?」

 すっかり興味津々モードの阿亜樹が勢い込んで訊ねる。苦笑しつつも答える煌侍。

「まぁ数的にはそんなレベルだけど、勝ち数の方は瑛時が二十勝ばかしオレよか上乗せしてる」

「武器勝負の時に限って言えばの話だがな。その分、素手勝負においては煌侍に遠く及ばん」

 阿亜樹が予想通りのリアクションを返す前に、瑛時がぶっきらぼうに付け加えた。彼女は「やっぱり得意分野があるって事かー」とやや的外れな納得をし、それと同時に一度彼らの対戦をこの目で間近に見てみたい、という強烈な衝動にかられた。

 と、ここで瑛時が軽く溜め息をつく。

「ただし、あくまでこれは参考記録だがな」

「それってそれって、煌侍さんが本気じゃないって事ですか?」

 大口アングリの阿亜樹。

「そうではない。キレた煌侍とは仕合ってないという事だ。もっとも頼まれてもやりたくはないが。制止役だけで私と紳佐は疲れ果てている。妹達は止めるどころか、だからな」

 何かを思い出したのか、うそ寒そうな仕種をする瑛時を見て、照れ臭げな煌侍。阿亜樹は噂を耳にしたのみで実際に目にした事はないのだが、焼刃やいば煌侍というこの男は、三人の妹達を傷付けたり不快にしたりした者に対しては完全に見境がなくなり、吹き荒れる暴風と化すのだという。そしてその妹達は「もういいの、止めて!」などと言うどころか、自分達のためにそこまで怒り心頭になってくれる兄の姿に感激し、さらに惚れ込んで魅入られてしまうのだという。あの瑛時をも憔悴させるとは、「あたしも気を付けよう……」と心に誓う彼女であった。

「結局さ、人間の強さは愛の強さや深さなんかに比例するってこったな!璃矩と維那さんっつー二人の瑛時と、絢華あやか魅霧みむこよみの三人のオレ、差は歴然だな!」

 照れ隠し気味に高笑いする煌侍。

「それが煌侍さんの強さの秘密、ですか……」

 阿亜樹の苦笑いを含んだ呟きは哄笑にかき消される。複雑怪奇な愛に生きる男を生温かく見やりつつ、改めて「人間の愛の形とは」に思いを馳せる他二名であった。


<了>

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