表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/24

第4話 「トップアイドルと妹命男」

<1>


「にいさん、にいさんってば!グズグズしてたらオンエアの時間に間に合わなくなっちゃうってば。生放送なんだから遅れたらシャレになんないってば。紳佐しんささんもすっかり待ちぼうけだし、起きろーーっ!!」

 日曜日の午前8時15分、やはりと言おうか、焼刃煌侍やいば こうじの身体は未だベッドの中である。本日の予定は午前11時から始まるラジオ番組に代打出演する事になっているため、遅くとも10時にはラジオ局入りしなければならないのだが、例によって30分以上も睡魔との別れを惜しんでいる。今日の煌侍を起こす当番は三女・こよみである。現在苦戦中。

「あ~ん、もうっ。毎度毎度この“まどろみにいさん”だけはーっ。でもこういう時の顔もセクシーで大好き(はぁと)、とか言ってる場合じゃなくて!はあ、どうしよ……」

 万策尽きたか、うなだれて溜め息をつきつつ、ベッドの中で悩ましげに身をよじる兄を見下ろす暦。

「やっぱアレしかないかぁ……」

 もう一度深い溜め息をついた暦は、決心をつけるかのように「よしっ」と気合を入れると、おもむろに煌侍の眠るベッドに膝を使って乗り上がると、横向きに眠っている煌侍の耳にそっと唇を近付ける。そして、静かに甘いささやきを兄の耳道へと流し込む。

「今素直に起きてくれたらさあ、あたし、“あの話”考えてあげても良いんだけどなあ」

 その言葉に、すぐさまカッと見開かれる煌侍の双眸。続けて勢い良く上半身を起こし、そのまま右方向へ身体を直角に回転、暦の両肩をガッシと掴む。

「よもやその言葉に嘘、大袈裟、まぎらわしいはないだろうな?モチロン『考えただけー』なんてお茶目さんはなしだからな」

「うん、うん。当たり前じゃない、そんなの。あたしがにいさんを引っ掛けたりするはずないでしょ」

 兄の目はまさに真剣そのものであった。思わずその迫力に気圧されながらも、暦もまた真剣に答えた。

「すまん。疑ったりして悪かった。暦、今日も一日、全身全霊でおまえを愛してるからな」

「うん、嬉しい。あたしも、にいさんの事、愛してるから」

 まぶたを閉じる事でそれに返答した煌侍は、右の掌で暦の左頬から耳の後ろ辺りを優しく撫でる。暦の両の頬は反射的に薄紅色に上気し、右手の拳は胸の位置で軽く握られる。……まあ、この後はお約束の“おはようのキス”の時間なわけで。


 ウン秒後に離れた煌侍は、暦の髪をさらりと一度すくい上げると、しっかりとした足取りで立ち上がった。

「おはよう、暦」

「……おはよう、にいさん」

「さっ、名残惜しいけどさっさと支度しないとな。取り返しがつかなくなっちまう」

「そうだよ。あたしも手伝うからさ、急いでやっちゃおう」

 まだ少々照れ気味の暦だったが、笑顔を作って立ち上がると、兄の着替えを手伝い始めた。焼刃家の三姉妹は、兄の着替えを手伝ったり、洗濯機で兄と自分達の下着類を同時に選択する事にも全く抵抗がない。それは彼女達にとってごく自然な日常の風景なのだから。

 

 暦がこの日のために前日の内に選んでおいた上下に着替え、彼女に手を引かれながら一階へと降りて来た煌侍を、絢華あやか魅霧みむ、それに紳佐が首を長くして待ち構えていた。まずは二人の妹と“おはようのキス”を交わした後、リビングにいる紳佐には「モルゲン、紳佐」と一言。彼はいつものレザーファッションである。対する煌侍はパリッとした服装が苦手なので、失礼がない程度にゆったりとしたスタイルである。

「おや煌侍、今朝はやけに冴えた表情じゃないですか」

「フフン、そうか?まあ、それもそうかもな、何たって値千金の約束を取り付けたからなあ」

「えっ、そうなの暦ちゃん?わぁ、あたしも見てみたーい!」

「よく決心したわね、暦ちゃん。お兄様の粘り勝ちってところかしら?」

 得意顔の煌侍の台詞に、目を丸くして末妹を見やる姉二人。

「一体何の話ですか?僕にはまるで話が見えてきませんよ」

 独り取り残されて戸惑う紳佐。

「いいんだよ、おまえは。これはオレ達だけのラブリィシークレットなんだから」

「『ラブリィシークレット』ですか?ハイハイ、わかりました。僕はもうツッコまない事にしますから、フルスロットルで諸々の準備を済ませちゃって下さい。もういい加減タイムリミット間近なんですから」

「おっと、そうだな。さてさて、やる気も出た事だし、今日は最高の働きをさせてもらいますぜ、紳佐のダンナ」

「ホント、期待してますよ。昨晩だって午前3時まで練習したんですから、その成果を存分に発揮しちゃって下さい」

「おうよ、任せとけって。絢華、魅霧、暦、おまえたちが学校で恥かかないようにオレは聴衆を魅了してやるからな」

 そう言って三姉妹に左眼を閉じてウィンクする煌侍。すかさずポーッとなる妹達。


「兄さん、しっかりね。お家でラジオにかじりついて応援してるからね。すっごくがんばってね」

「ファイト!」のポーズで瞳を輝かせる、甘えん坊長女・絢華。

「お兄様のなさる事ですもの、私、少しの心配もしていません。パーティの準備をして、お帰りをお待ちしていますね」

 楚々とした雰囲気の中にも、次女・魅霧の言葉には一瞬の火花のような確かな響きが存在する。

「本当はついて行って応援してあげたいんだけどさ、変に気合い入っちゃうといけないからさ、にいさんの事信じてるし。あとは…なるべく早く帰って来てよね」

 左目はウィンク、右手は腰へ、左の人差し指をビシッと立てて、挑発的に兄を励ます暦。それにつれて、兄曰く「宇宙史上最も美しいポニーテール」が左右に揺られる。

 感激のあまり両目をウルウルとさせつつ、煌侍は妹ひとりひとりと「ありがとう」と「行ってきます」のキス。紳佐は素早くそれを察知して、すでに玄関から先へと移動している。瑛時といい彼といい、煌侍の仲間はきちんとこのルールをわきまえているのだ。


 煌侍が目一杯後ろ髪を引かれつつ自宅の玄関を出ると、そこには紳佐が手配しておいたタクシーがとっくにスタンバッていた。

「おいおい紳佐、大丈夫なのか?何とまあ、破格のVIP待遇じゃないの」

「それについてはご心配なく。領収書さえもらっておけば後は局が処理してくれる事になっていますから」

「ふーん。ならいいや、行こうぜ」


<2>


 焼刃やいば家を出発してから一時間弱で、二人を乗せたタクシーは目的のラジオ局へと到着。領収書は紳佐しんさがきっちりと受け取り、入局許可を得た二人はロビーへと透明な回転ガラスドアを通って入った。中はまるで一流ホテルのような作りになっており、初めてこんな場所に訪れた煌侍こうじには現実感が感じられなかった。


「おっそ~い、二人とも!もう間に合わないかと思っちゃったじゃなーい!」

 ロビーに入ってすぐの所で、ジャッジメントデイのメンバー四人が煌侍と紳佐の到着を待ち構えていた。真っ先に声を上げたのが、ベースギター兼紳佐とのツインヴォーカルの田之上たのうえメイ、十八歳である。セミロングの髪を大きなピンク色のリボンで片側に留めた小柄な女の子だが、重厚なベースプレイには定評がある。

「煌侍君、今日は本っ当にゴメンねー、あたしのせいで。これからはすんっごく気を付けますんで、今回だけよろしく!」

 煌侍に向かって包帯を巻いた指で手を合わせるのは、ジャッジメントデイの正ギタリストにしてリーダー的存在の伍沢光晴いつさわ みはる、22歳。長身にショートカットに鋭い目付きが印象的な姐さん気質の人物だが、その一見キツイ見た目で随分損をしている。

「ところで光晴ちゃんさあ、オレ、何で光晴ちゃんがその怪我したのかまだ知らないんだけど。訊いちゃってもいい?」

「え?ええ。それは別に、構わないけどさ……」

 言葉とは裏腹に言いよどむ光晴。なぜだか分からないが隣の紳佐も挙動が不審で、あらぬ方向をわざとらしく見やっている。二人の行動を照らし合わせてピンと来た煌侍。

「ははぁん、そーゆーコトでございましたか。いやぁ、紳佐君。若いといふのは大変に結構な事だがね、それを発揮する方向を間違ってはイカンよ。色々試してみたい盛りなのは理解できん事もないが、あまり無軌道に突っ走っては――」

「ち、違いますよッ!」

「そんなんじゃないってば!」

 紳佐と光晴が同時に抗議の声を上げる。

「光晴さん、ぬけがけぬけがけっ」

 煌侍の背に素早く身を隠しながら、メイが二人をからかう。

「で、ホントのトコロは?」

「えっとね……。『紳佐にたまには朝ご飯でも作ってあげよっかなー』なんて慣れない事考えちゃって、そん時に包丁さんでザックリと……。ホラ、そーゆーのいっつもメイに任せっきりだから」

 ご名答。紳佐、光晴、メイは3人で住んでます。結構豪華なマンションに三人で。

「うわっと、痛そ。だが紳佐、おまえにゃあもったいない女性じゃないか」

「そそ。あたしオンリーにしなさい。あたしに」

 まだ煌侍の背後に隠れたままメイが言う。150cmに満たない彼女は、煌侍のシルエットにスッポリと入り込んでしまう。

「はははっ、“ジャッジメントガールズ”は紳佐にベタ惚れってわけですか」


「そんなコトはナッシンよー」

「コージー、『オマエモナー』よー」

 両サイドからイキナリ煌侍の腕にしがみ付いて来たのは、ジャッジメントデイの残る二人、何と本場アメリカ人姉妹、ドラムス担当の姉のスタニー(二十歳)とキーボード担当の妹のフランシスカ(十八歳)である。煌侍の右腕にくっ付いているのがスタニーで、長い豪華な金髪を後ろで大きく束ねている。左腕を絡め取っているのがフランシスカで、ずば抜けて背が高い姉と比べてかなりあどけなさが残り、身長もメイとあまり変わらない。ただし二人ともさすがは本場娘、プロポーションの凹凸の激しさは絶賛に値する。

 ジャッジメントデイは結成当時、ライブハウスなどで知り合った紳佐と光晴とメイの三人しかメンバーはいなかったのだが、彼らがインターネットを通じてメンバー募集をしたところ、彼女たちスタニーとフランシスカのデビアス姉妹が見事テストに合格して現在にいたる。しかし、二人ともに日本のインターネットを通じて日本語を勉強したらしく、時々煌侍などには意味不明の日本語を話す。その度にいちいちメイに通訳してもらわなければならないのが、面倒と言えば面倒だ。

「見え透いてるけど、一応『サンキュー』っつっときましょうかね」

 煌侍の言う通り、ジャッジメントデイのメンバー四人は紳佐にベタ惚れなので、よほどの事でもない限り、彼女達の内の誰かが煌侍に鞍替えする事はありえない。だからこそ、その事を知っているからこそ、絢華、魅霧、暦の焼刃家三姉妹が彼女たちと現在の所は親しく仲良くできているのである。四人の内が誰か一人でも兄に対して本気で気のある素振りを見せたなら、煌侍の妹達は二度と心からの笑顔を彼女たちに向ける事はなくなるだろう。


「あ、ジャッジメントデイさんですね。そろそろ打ち合わせお願いします」

 煌侍達の元へADらしき人物が呼びに現れた。彼ら6人はその人物の後に続いて、ラジオ局内の長い廊下を収録が行なわれるスタジオへと歩く。

「しっかしなあ。オレはてっきりメタルかハードロック専門の番組だとばっかり思ってたのによ、まっさかアイドル嬢ちゃんのなごみラジオのワンコーナー出演だったとはなあ。タルいわチャラいわで、顔売りとはいえ、おまえさんもご苦労なこった」

 煌侍が眠たそうな目で両腕を頭の後ろで組みつつ、退屈そうにプラプラと歩く。「まあまあ」と言った笑顔を返す紳佐。

「そう言わないで下さいよ。藤松真弥ふじまつ まやと言ったらCMだけで12本も現在出演中の文字通りのナンバーワンアイドルなんですから。10分そこそこの出番とは言っても、僕達のようなインディーズバンドがゲスト出演出来るなんて異例の大抜擢なんですよ。大変名誉な事だと思いたいですね」

「フン、大体よ、毎回ゲストを人選する奴が今までヘボだったんだよ。見た目ばっか重視の猫撫で声のエセミュージシャンばっか呼びやがって。何であんな連中がいつまでもキャーキャー言われて売れてんのか、オレにはさっぱり理解できんね。『武道館の価値も失墜したものだ』って瑛時えいじの奴も愚痴ってたぜ」


「あっ、ねぇ、その瑛時君ってばね、この前ライブ観に来てくれたんだよ」

 メイが二人の背後から嬉しそうに言った。

「そっそ、璃矩りくちゃんと仲睦まじく。でも一番後ろで腕組んで立ってたわね。やっぱまだまだ抵抗あるみたいね」

 光晴がおかしくてたまらない、といった様子で言う。

「エージ、クールガイ、キターーッ!!」

「エージ、コージーの次にモエモエよーっ」

 スタニーとフランシスカのデビアス姉妹がキャイキャイとはしゃぐ。なぜ両腕を広げてスピン回転しているのかはさっぱり不明だ。

「おまえら、結局誰でも良いんじゃねぇのか?」

 煌侍が江戸川コナンばりの呆れ顔を作った時、どうやら目的の場所に到着したらしい。先程のADが「こちらです」と「収録第二スタジオ」と書かれた扉を指し示した。


<3>


煌侍こうじ、僕達はトーク収録もありますので君の出番まではまだ30分ほどあるそうです。君は良ければ演奏スペースで少しでも練習しておいてくれませんか?」

「ああ、そうだな。アイドルちゃんのダベりにゃあ興味ねぇし、時間がせっかくあんならやっとくか」

 紳佐しんさの言葉に煌侍はうなずき、光晴みはるからギターを受け取ると、ジャッジメントデイとは一時別れて演奏ブースに入った。彼がそのギターを構えていざ弾こうかとした瞬間、何やら急に周囲が色めきたった。ついに本日のパーソナリティ様のおなりらしい。


 藤松真弥ふじまつ まや、18歳。15歳の時にデビューを果たし、今やCM・ドラマ・歌にと大ブレイク中のトップアイドル中のトップアイドル。言動・容姿ともにややボーイッシュで、女性ファンも多い。ただ今高校三年生で受験生であり、大学進学の噂で持ち切りになっている。

「おーおーマネージャーやらボディガードやらに囲まれて窮屈そうだねえ」

 皮肉っぽい笑みを浮かべる煌侍。彼は虚飾に満ちた芸能界という世界を実はあんまり好んでおらず、特に押し付けられるままに仕事をこなして自分を殺し、パブリックイメージに塗り固められたアイドルという人種が特に好きではなかった。実力至上主義とまではいかなくても良いが、外見さえ良ければ全て良し、という考え方には虫唾が走る。この辺りは瑛時えいじと良い勝負である(本人は大いに否定するであろうが)。

 と、不意に煌侍の視線に気付いたのか、真弥が彼の方を向き、数瞬の間二人の視線が交差した。次の瞬間煌侍は苛立たしげに目を細め、真弥は驚いたような表情を見せたかと思うと、足早に歩き去った。煌侍が気付くと、彼女のボディガードだと一目で分かる、紳佐よりもさらに長身で、二倍くらいの横幅を有する人相の悪過ぎる男が彼をにらんでいた。格闘技の経験も充分にあるのだろう、無駄に筋肉の付き過ぎた大胸筋をそらしてこちらを威嚇している。思わず吹き出しそうになった煌侍は、アゴ先で「さっさとあっち行けよ、ザコが」と合図した。大男の方はそんな彼をただの命知らずと考えたのか、馬鹿にしたような不敵な笑みを残して消えた。

「ケッ、一目見て自分より上位者だと分からないような奴はかわいそうだね」

 虚しげに吐き捨てた煌侍は、気を取り直してひとりリハーサルに突入した。どうやら寝不足の割りには調子が良いようだ。いつもと同じくプレッシャーや焦りは全く感じない。集中すると、自らが弾き出す世界にどっぷりと浸かる。彼はギターの他にもベースやキーボードやドラムなども難なくこなすのだが、中でもやはりギターの哭くような音色は特に好きだ。目を閉じると心地良い高揚感と浮遊感を味わえる。音楽担当のスタッフが煌侍を見やって「ホウ」と感嘆の声を漏らした。


「お待たせです、煌侍。どうやら心配は必要なかったみたいですね」

 しばらくしてジャッジメントデイの五人が彼の元へとやって来た。

「あ?ああ、打ち合わせとやらは終わったのか?」

 「はい。僕らの出番は番組開始後15分してからで、そこからトークが5分くらい、その後にいよいよ演奏です」

「そっか。ならそれまではアイドル様の働きっぷりでも見学するとしますか。どうせオレはトーク関係なしだからな」

「なんでしたらトーク参加しますか?ウチのメンバーは口下手ばかりなので、君がいてくれるととても助かります」

「はっ、冗談じゃねぇ。絶対ぇ、ヤダ。操り人形とくっちゃべる趣味なんかねぇや」

 大きく両手を広げて「降参」のジェスチャーをする煌侍。

「けどやっぱ煌侍君、上手いよねぇ。あたしが復活したら逆コーチしてもらおうかしら。ね?」

「止めてよ光晴ちゃん、本来オレの音色は妹達の可憐な耳にのみふさわしいんだからさ。今日だけは特別。腹黒・紳佐の罠にまんまと引っ掛かっちまったからね」

「あのですねえ……」

 紳佐が反撃しようとした時、「本番入りまーす!」の大声がスタジオ内に響き渡り、午前11時、番組がいよいよスタートした。


「藤松真弥のサンデーブレイク、『野望のジェネレーション』!」

 トークブースで真弥が元気いっぱいの声を張り上げる。ソファに座りつつ、煌侍は眉をしかめる。「カラ元気出しやがって」と手厳しい。

「はぁい、みんな、日曜日に元気してる?藤松です。最近は新作ドラマの台詞憶えで大忙し、受験勉強との両立はすっごく大変で―――」

 真弥のハキハキとしたトークが開始された。煌侍は何だか寝不足だったのを思い出して大あくびを一つ。右隣の紳佐の左肩に頭を預ける。

「紳佐、あの嬢ちゃんのお寒い一人しゃべりが終わったら起こしてくれや。オレにはもう1秒も耐えられん」

「ダメだよう煌侍君っ。寝起きじゃ失敗しちゃうってば!寝ちゃダメぇ」

 メイが涙目になって煌侍の就寝を止めようとする。その剣幕にビビって彼は上半身の姿勢を慌てて正した。そして、もう一回大あくび。


 番組は最初のCMが明け、真弥の新曲が流されている。アップテンポのナンバーで、失恋した女の子を励ます内容だという。ちなみに煌侍はこの手の歌が大嫌いである。「余計なお世話だし、第一そんな大変な時にモテまくりの同性アイドルのエイドソングなんか聴く気になるかよ」と言うのがその理由らしい。

 と、すっかりダラけていた煌侍が、突然立ち上がりかけた。それに驚いた紳佐がそれを制止しながら尋ねる。

「どうしたんですか?驚かさないで下さいよ」

 興奮状態の煌侍。かなり気が立っている様子だ。

「どうしたもこうしたもあるかよ。あいつさっきからチラチラチラチラとオレの方を盗み見てやがる。あいつのデクノボーボディガードも似たようなもんだったしよ、全くマナーってもんがなっちゃいねぇ。おまえらの事マイナーバンドだっつってカス扱いしてんじゃねぇかっつー雰囲気もあるしよ。この業界の連中ってのはみんなあんなのなのか?」

「さあ、どうでしょう?ですが、僕もさっきから彼女が君の事を盛んに意識しているのは気になっていました。一体なぜでしょうね?さっき何かありましたか?」

「何にもねぇよ。関わりたくもねぇっつーんだ」

 頭上に大きなクエスチョンマークを三本ほど突き立てて、腕を組む煌侍。

「まったく、天下のトップアイドル様がオレみたいなのの何が気に入らねぇんだか。紳佐、やっぱし気のせいかねぇ?」

「えぇ……」

 紳佐も曖昧な返答しか出来ない。


<4>


「ノー、ノー、二人とも、おヴァカさんねぇ。イージークエスチョンよー」

 スタニーが紳佐しんさの隣りからヒョイと顔を出す。

「へ、スタニー、分かんの?」

 きょとんとする男二人。

「コージーがベリーハァハァでカコイイ!からよー。OK?」

「『ハァハァ』?何だそりゃ?」

 姉のそのまた隣からフランシスカが顔を出し、姉の言葉を引き継いで答えてくれたのだが、煌侍こうじにはその意味がさっぱり分からない。困った顔でメイに通訳を求める。

「んとね、『煌侍君がフェロモン全開ですごーくカッコ良いから』だって」

 それを聞いてポカンとする鈍感メン。

「煌侍君も紳佐もその辺の事に関してはホントに疎いよね。やんなっちゃうわね、女性陣としてはさ」

 光晴みはるが右腕で自らの右膝に頬杖を突きながら、呆れ顔でつぶやいた。顔を見合わせる男性陣。

「おいおい、待ってよ光晴ちゃん。相手はナンバーワンのトップアイドル様で、オレは名もない一学生だぜ。大体よ、こっちの業界にゃあ、オレなんぞよりもずっと色男なんてゴロゴロいるだろ?」

 なぜだか必死になって抗弁する煌侍。「ですよね、ですよね」と紳佐も積極的に賛同する。しかし、女性四人から返って来たリアクションは、「そんなの、いないいない」の手振りだった。開いた口がふさがらない煌侍。

「これだもんなー、煌侍君も紳佐も。いいこと?あなたたち二人に瑛時君を加えた三人ってば、そんじょそこらの代物じゃあないの。こんな3人がつるんでて未だ在野のまま、ってこれは立派な一つの奇跡よ、ハッキリ言って。ちったぁ自覚しなさいっての」

 光晴の言葉に他の三人も同じリズムでうなずく。それに対してまだ全く呑み込めていない野郎ども。

「そんなご大層なもんじゃねぇだろ……」

 煌侍の最後の抵抗にも力はない。

「そんなご大層なもんなの!」×4

「知らんかった……」


 すっかり抜け殻になってしまった煌侍を置き去りにして、ジャッジメントデイの五人はトークゲストとして呼ばれて行ってしまった。独りぼっちになった彼は、バッグから小さな折り畳み式の鏡を取り出して、自分の顔を色んな角度からしげしげと眺めてみた。が、それでもピンと来ない。妹達が様々な言葉で褒めてくれるのは身びいきであり兄妹愛だとばかり思い込んでいたし、クラスメイトの女子達がそう言ってくるのはからかったりするコミュニケーション手段の一つだと考えていた。男子の友達が学校でできた事はなかったし、瑛時と紳佐がいつも一緒にいたので、自分の顔やスタイルはご近所に転がっている代物だと普通に位置付けていた。それも、この三人が三人ともそう思っていた事なのである。

「そうだったのかぁ、こいつは驚天動地だ」

 今にして思い起こせば、そうして捉えてみる事で、彼の今までの人生でずっと謎だった数々の出来事がカチリと小気味良い音を立ててはまるのだ。

 高校時代には、三人合わせて247個ものチョコレートをバレンタインデーにもらってその処理に途方に暮れた事もあったし、彼らの歴史上それに似た経験は数多くあった。が、その度に男子生徒達からの負の感情を全身で感じ取りながらも、「どうして自分はこんなにしてもらえるのだろうか」と真剣に悩み、それを議題に三人で真顔で話し合ったりしていたものだ。

「むううぅぅぅ……」

 難解な(彼にとっては)思考の迷路の奥深くにはまり込みかけていた煌侍を現世へと釣り上げてくれたのは、「はーい、トーク収録オッケーでーす!」という番組スタッフの声であった。

「続いて歌収録行ないまーす!ジャッジメントデイさん、スタンバイの方お願いしまーす!」

「ウシッ、今は考えてても仕方ねぇ。ジャッジに恥かかせらんないからな、人間的に一皮剥けたこの歓びをギターにぶつけるとすっか」

 演奏ブースに移動した煌侍は、そこでメンバー達と合流。さすがに紳佐とはお互いに何やら苦笑を交わしてしまう。そんな二人を見て女性四人は「自分がイイオトコと知って、ここまでショックを受けるこいつらって一体……」と呆れるばかりです。

 気を取り直してコンセントレーションを高める煌侍。備え付けられたランプが緑から赤へと変わり、ディレクターの人差し指が振り下ろされた。いよいよ、彼らのパフォーマンスが開始される。


 バロック調の荘厳な調べがフランシスカの奏でるシンセサイザーから流れ出し、イントロが空気に溶け出す。続いて煌侍のギターがいよいよ発進。数フレーズ後、一気に全ての楽器が爆発する。延髄に直接響くかのようなメイのベースの重厚な音色、地面を揺るがすスタニーのハイスピードドラミング、精霊の歌声がごときシンセサイザーのメロディ、煌侍と紳佐のギターの共演はやがて「競演」から「狂演」へと姿を変える。紳佐とメイの男女混合ヴォーカルは、あらゆる音符の上を自在に狂おしく踊り回り、感情と理性の存在を完全否定する。ジャッジメントデイの代表曲として評価の高い「慟哭どうこく」である。

 煌侍は、ただ、音の洪水と渦の中にいた。身体が自分の物ではないみたいに軽く、重い。五感はまるで意味をなさなくなり、彼は音と同化してうねり、空間を簡単に支配する。心も身体もない。あるのは指先だけ。汗が流れ尽くせば、焼刃煌侍はこの世から消滅してしまうのではないか、そう思うほどに彼は音楽と一体化していた。


「ねぇ、あの人って誰?正式メンバーじゃないみたいだけど」

 演奏の真っ最中である煌侍を指差して、真弥が傍らの男性マネージャーに尋ねる。そのマネージャーと隣のボディガードが同時に眉をひそめる。

「さぁ、オレも詳しくは知らないけど、何かあの連中のヘルプとか曲作りのサポートとかやってる奴だってさ。何、気になんの?あんな軟弱そうなガキんちょが?」

「……口悪い。どうだっていいでしょ」

 ぶっきらぼうに真弥は答え、再び煌侍の姿を目で追う。マネージャーとボディガードはそろって舌打ちの音を立てた。どうやら彼女と彼らの関係は、お世辞にも上手くいっているとは言えない状態にあるようだ。

「あたしは、数字でも商品でもない」


<5>


「おーし!グッドプレイ、ナイスプレイ!」

 責任であった大役の演奏を終え、ジャッジメントデイの五人と次々にハイタッチを交わす煌侍。スタニーとフランシスカのデビアス姉妹は、何やら親指を立てて「Good job!」と男前な表情で言い合っている。六人の間に清々しい笑顔で汗の玉が弾ける。解放感と達成感を肺いっぱいに吸い込みながら、煌侍こうじはタオルで首筋を拭う。その様子を「ほーっ」と見やるジャッジメントデイの女性陣。

「うっわぁ、煌侍君、色っぽいんだぁ」

 メイが興奮状態で全身を震わせる。

「はぁ、女のあたし達が見ても綺麗なんだからやってらんないわよねぇ」

「コージー、キターーッ!!」

「コージー、ハァハァよー。モエーーッ!」

 光晴みはる、スタニー、フランシスカもプレイヤーズハイの状態にある様子で、笑顔が絶える事がない。煌侍と紳佐しんさも自然と表情が崩れる。

「よせってば、よってたかってオレの事からかいやがって。ホラ、何かスタッフが呼んでんぜ、せいぜい高く売り込んで来いよ」

「ホント、後は口さえ良ければ白馬の王子様なのにさ」

 呆れ顔を近付けた光晴が、皮肉っぽい笑顔を見せた。

「へっ、何か欠点があるからこそ余計にアピール度が高いんだよ」

 一瞬の間の後、六人の笑いがまた弾けた。みんな心からこの瞬間を楽しく、大切に感じていた。

「じゃあ煌侍、僕達にイベント担当の方からお話があるそうなので、遅くなるようでしたら先に下の階の食堂で昼食にしちゃってて下さい」

「おっ、ついにサクセスストーリーの序章がスタートか?そうだな、オレはしばらく廊下んとこのソファにでも座ってクールダウンしてっからよ。腹が減ったらそうさせてもらうわ」

 女性陣に手を振って廊下に出ようとした煌侍がふと視線を走らせると、時刻は午前11時56分を示していた。もうすぐ番組も終了だ。トークブースの方から聞こえて来る真弥の声も、締めくくりの言葉を伝え始めている。

 リノリウムの廊下へと出た煌侍は、出口の扉のすぐ前の黄色のビニール製のソファへと腰を下ろして大きく息をついた。まだ少し気分が高揚しているらしく何だか落ち着かないのだが、それでもしっかり眠気は襲って来た。壁に背を持たれかけさせていると次第にウトウトとしてきた。やはり寝不足がこたえているようだ。


 煌侍の頭が上下に揺れ始めて2分くらい経った時だろうか、急に先程のスタジオに通じる扉の向こう側が騒がしくなったかと思うと、突如として怒鳴り合いながら真弥まやと例の巨漢ボディガードが飛び出して来た。収録はとっくに収録していたらしい。

「だからついて来ないでって言ってるでしょ!あなたまであたしに干渉してくるのはやめて!」

「そうはいかん。オレは仕事で、おまえのためにやってやってるんだ。感謝こそされても、非難されるいわれはない」

「何でアンタみたいのばっかりなの?!あたしは、あたしの物なのよ!」

 せっかくすっかり気持ち良くお休みモードに入っていた煌侍であったのに、とんだ罵声で目を覚ませられてしまった。こうなってしまうと、彼のご機嫌は最悪の状態へと突入する。焼刃やいば煌侍を眠りの世界から連れ戻して良いのは、彼の最愛の三人の妹達だけなのである。

「痛ッ、離しなさいよ、触んないで!」

「大人しくしろ。ワガママはそれくらいにしておくんだな」

 ボディガード野郎が、真弥を連行して行こうとして彼女の手首を力を込めて掴んでいる。真弥は苦痛と嫌悪感に顔をしかめている。煌侍のイライラはMAXの位置に達し、彼はゆら~りと立ち上がった。

「うっせーつーんだ、そこの二人。ギャースカわめき散らすんなら、周りに人のいねぇとこでやれ」

 意外な言葉に、いがみ合っていた2人の動きが止まる。やがて鼻で露骨にひとつ笑うと、マッスルジャイアントが真弥の手を放し、ズカズカと大股に煌侍の元へと歩み寄って来た。男は、上方から角刈りのイカツイ頭を振り下ろすと、下卑た笑みを見せた。

「あ~ん、何だとボクちゃん?もういっぺん言ってみな」

「ほう、どうやらその粗末な脳や聴覚器官までプロテインと入れ替えちまったらしいな。機能が正常に復活するように言ってやる。空威張りがそんなにしたけりゃ、路地裏で薄汚いチンピラ相手にやってろ。そんで共倒れになれ、地球のクリーンのためにもな」 「こっ、こいつ……!」

 ボディガード男の顔が、あまりの怒りと屈辱によってドス黒いまでに見る見る内に紅潮して行くのが判る。小馬鹿にした表情の煌侍に、男にさっきまで掴まれていた手首を顔をしかめて擦りながら、真弥が叫ぶ。

「ダメよ、逃げて!この人は外人部隊にいたの、あらゆる格闘技をマスターしてるのよ。あたしの事はいいから逃げて!」


<6>


「はあ?」

 見事なまでの正統派ヒロインっぷりを見せた真弥まやだったのだが、何とも間抜け極まる反応を返されてしまった。あまりの仕打ちにどうして良いのか分からず、ひたすら狼狽する真弥。

「えっ、だから、あたしの事は大丈夫なんで、あなたは逃げて下さいって言ってみたりしてるんだけど……」

「何言ってんだアンタ?オレはハナっからアンタの事なんざ知ったこっちゃねぇんだよ。そこのウドのビッグツリーが気に喰わねぇっつってんだ。オレの事をチャラいアイドル娘にたかるカスどもを見るような目でガンくれやがって。オレの愛はな、そんな低次元にゃ存在してねぇんだよ!」

「ゴメンナサイ、そう、だった、の」

 一気に脱力する真弥を尻目に、用心棒マンの堪忍袋は許容量をはるかに超えてしまったらしい。クルーカットの頭頂部から湯気を立ち上らせて、猛然と煌侍こうじ目掛けて掴みかかって来た。

「危ない!」

 真弥が思わず叫んだ。彼はあいつに捕まって、壁に頭を思いっ切り叩き付けられちゃうとかされちゃうんだ。あいつが前にそうやって外人部隊時代に何人も再起不能にしてやったってしつこいくらいに自慢してたもん。あーあ、彼、ものすごく美形なのにな。

「このガキャアアアッ!!その女男面おんなおとこヅラァ、二度と見れん様にしてやる!」

 しかし次の瞬間、両手の指の隙間から恐る恐る見ていた真弥の目に、信じられない展開が映し出される事となった。ボディガードが伸ばして来た両の腕を首をわずかにひねっただけでかわした煌侍は、巨漢の男の右太腿の上に無造作に自分の右足をトンと乗せると、そのままそこを支点にして左回転しながら上方向へ軽くジャンプしたかと思うと、空中で身体をひねり、次の瞬間には右のカカトを相手の後頭部へと深々とめり込ませていた。焼刃やいば煌侍の対デカブツ用対策の1つ、“ステップ後頭部ヒールキック”である。これは以前観たプロレスラーのスペル・デルフィンの“ステップ延髄ニールキック”を彼が独自に改良した物である。

 どおん、と巨象が倒れたかのような轟音を残し、自分が最強の男だと長年に渡って信じ込み続けて来た愚かな軍人崩れは、ラジオ局の冷たいリノリウムの床と熱烈な抱擁を交わす羽目になった。白目プラス泡吹きのデカブツを眼下に見下ろしつつ、煌侍は前方回転(しかも伸身ひねり付き)をして鮮やかに着地。

「フッ、まさに『セニョール・ペルフェクト』」と、決め台詞も完璧。

「嘘……」

 あまりの事に二の句が継げない真弥。あの一見優男やさおとこのおにいちゃんが、彼女の悪質な追っかけだった大学空手部員六人を、軽く叩きのめしてしまったあのボディガードを、たった一撃の下にブッ倒してしまった。彼女にしてみれば、全く予想の範囲外の出来事であった。


「やはり煌侍、君の仕業でしたか……」

 いつの間にかスタジオのドアから紳佐しんさが顔を出してこちらを見ていた。

「よっ紳佐、このオッサンが足滑らして壁にドタマをガツンとやらかして目ン玉ひんむいてノビちまったからよ、ジャーマネさんにそう言っといてくれや」

 煌侍の悪びれない言葉に対して、両目をスッと細める紳佐。

「仕方ありませんね。そうしておくしかないでしょうし。ですが煌侍、まさかとは思いますが本気を出していないでしょうね?」

「ったりめぇだろうが。オレがマジパワー使っちまったら、こんなヤワな奴じゃあ今頃肉片になっちまってるのはおまえも知ってんだろ?本気はおろか、“ウチの技”だって出しちゃあいねぇよ」

「そう言えばそうでしたね。あっと、これから君はどうします?僕らはえらく話が盛り上がっちゃってまして、まだまだかかっちゃいそうなんですけど」

「そっか、じゃあオレ飯でも食って来るわ。バカ相手に一踊りしたんで腹減ってきた気がする」

「分かりました。では昼食が終わっても食堂で待っていて下さい。後で必ず行きますから、そこで落ち合いましょう」

「オッケ。んじゃ、悪いけど後始末頼むわ、紳佐」

 そう言うと煌侍はクルリと背を向け、右手を顔の横で紳佐にヒラヒラと振りながら、ブラブラと一階下の食堂へと歩き出した。

「さて、と。僕も行きませんと」

 紳佐もスタジオ内に引っ込んでしまい、広い廊下には大の字でうつ伏せで倒れている大男と、内股にへたり込んだままの真弥が取り残された。

「えーーっと……」


<7>


 局内の食堂(と言うよりはレストランか)に到着した煌侍こうじは、日当たりの良い窓際の席へと腰を落ち着け、いそいそとやって来たウェイトレスにミートソーススパゲッティとアメリカンクラブハウスサンドウィッチとチャーハンとコーンポタージュスープと食後のデザートにチョコバナナパフェとアールグレイの紅茶を注文した。支払いはもちろん、後でしっかり紳佐しんさにさせるつもりである。

 注文した料理が来るまでの間、左肘をテーブルに突いて頬杖をした恰好でぼんやりと窓の外の景色を眺めていると、やはりお約束通りに眠くなってくる煌侍の身体機能。「くあ」とグーが入りそうなあくびをひとつすると、テーブルに上半身を預けて突っ伏す。窓越しに差し込む穏やかな陽射し背に受け、満足げにぬくぬくの中に浸る。気持ちが良いのだろう、むにゃむにゃと口を動かす。

 と、急に煌侍の背に当たる太陽の温もりがさえぎられてしまった。不機嫌丸出しで顔を上げた彼の視線の先には、なぜだか藤松真弥ふじまつ まやが微笑みながら立っていた。あからさまに嫌そうな顔を見せる煌侍。

「ねっ、お向かいに座っても良い?」

 沈黙が10秒間ほど流れた。

「このオレの今のツラを見て、よくそんな事が訊けるな」

「あれっ、『どうぞどうぞ』って言ってるんじゃないの?」

 おどけてそう言いながら、まんまと煌侍の正面の椅子を占拠してしまった真弥。

「今から飯食うんだ。邪魔だからどっか他んトコ行けよ」

 再び先程のうつ伏せ状態に戻る煌侍。努めて真弥の方を見ないようにしている。「何の用だ?」とも訊かないし、彼のその姿は完全に真弥の介入を拒否している。これでは、「またまたぁ、本当は嬉しいくせにぃ。こんなアイドルと接近出来るチャンスなんて滅多にないわよ」とか言おうと準備していた台詞が、すっかり行き場を失ってしまった。こんなに邪険に扱われて、普段の彼女の周囲からの扱いとのあまりの落差に、真弥は腹を立てるよりもなぜか新鮮さを感じてしまい、この場から離れ難い思いにかられていた。目の前で完璧に彼女の存在が眼中にないこの野郎に、抑圧し切れない興味が湧いて来た。


 それからそのまま5分ほどして、煌侍が先程注文したミートソーススパゲッティとアメリカンクラブハウスサンドウィッチとチャーハンとコーンポタージュスープが一度に運ばれて来て、テーブルの表面を覆い尽くしてしまった。視界に広がる光景の凄まじさに、目が点になる真弥。

「すっごい、何これ?これ全部あなた一人で食べるつもりなの?」

「それ以外に何がある。後で紳佐に払わせるからいいんだよ」

 大口を開けてサンドウィッチに噛み付く煌侍。

「紳佐?ああ、あの銀髪のメチャクチャ背が高い美形の人ね。付き合いとか長いの?」

「それをあんたが訊いてどうする?」

 二つ目のサンドウィッチを咀嚼しつつ、煌侍は目付きをスッと鋭くする。

「え?別に。深い意味はないけど……」

「なら訊くな。知りたければ紳佐に訊け」

 続いて、スパゲッティを盛大に吸い込み始める。どうしてだか気持ちが焦る真弥。

「あの、さっきのさ、あたしのボディガードさんをバーンってやっつけちゃった時に言ってた『ウチの技』って何?あれで全然本気出してなかったって本当?」

「あんたが知る必要はない。関係のないこった」と、口の周りに付着したミートソースをナプキンで拭う煌侍。

「ねぇ、あなた、良かったらあたしのボディガードになってくれない?あんな奴もう役に立たない事わかっちゃったしさ。あいつ、今までずっとヤだったんだけど、強い強いって評判だったし、実際今日まではそうだったから、嫌々でも仕方なく事務所が雇ってたの。でもそれも終わり、解放されたの、あなたのおかげで。ねぇ、どう?あたしから社長には言っとくからさ」

「断る。やりたくない。やらない」

 身を乗り出してまで熱心に煌侍を説得しようと試みた真弥だったが、彼の返答はにべもない。グラスの冷水を一気に飲み干した煌侍は、ウェイトレスに向けて空になったグラスを振りつつ、「すんません。お姉さん、お冷やお代わりちょうだい」と言った。まだ十代らしきウェイトレスはいそいそと代わりの冷水を持って来て彼の目の前へと置くと、照れたように元の位置へと戻って行った。真弥の存在などこちらも眼中にないご様子。すっかり煌侍にポーッとなっている。真弥は、なぜだかそんなウェイトレスの態度に軽い苛立ちを覚えた。自分の存在を軽視されたからではなく。


「あの、さっきからずっとあなた、あたしに対してすっごく冷たいんだけど、もしかしてあたしの事嫌いなの?」

 思い切ったらしい真弥の問いに、煌侍はコーンポタージュを皿ごと持っていた手を止めて顔を上げると、「やれやれ」と言った表情を見せた。

「デカブツの時にも言ったと思うが、オレにとっちゃあアンタがどうしようと、どうなろうと、全くどうでもいい話だ。何の興味も惹かれないし、何とも思わない。だから、なぜだか知らねぇが、天下の売れっ子アイドル様のアンタがオレみたいなのにしつこく付きまとってあーだこーだとしゃべろうが、邪魔な行動を取ろうが放っている。正直、鬱陶しくてたまらんがな」

 真弥は一瞬、胸に鋭い痛みを感じた。が、それはすぐにどこかへ消え去り、自分でもどうしてこの男にこれほど執着しているのか、と疑問に思った。ギターを狂おしくかき鳴らす姿、巨漢のボディガードを一撃でのした姿、テーブルに突っ伏して眠る姿、目の前で忙しく料理を胃の中へと叩き込む姿、などが次々と頭の中をよぎり、思わず「あっ」と声を上げそうになった。悟ってしまった。気付いてしまった。彼女は、自分が生きる世界には存在し得ないこの焼刃煌侍という青年が持つ空気に、徐々に、だが、強烈に引き寄せられ始めたのだという事を。そんな真弥の事情は露知らず、目の前の鈍感野郎は今度は猛然とチャーハンをかき込んでいる。


<8>


「で、でもさっ、あなたの食欲って凄いわよね。何だか見てたらあたしまでお腹すいてきちゃった。ねっ、このサンドイッチ一つもらっちゃっても良い?」

 それ、照れ隠しのつもりか?真弥まやさんよ。

「セコイ真似してんじゃねーよ。アンタ、一般庶民が一生かかっても稼げねぇような額を短期間でもらってんだろ?だったら、そんな――」と言いかけて煌侍こうじは空中でくるくると動かしていたレンゲを不意にストップさせ、何かに思い当たったらしく、子供のような悪戯っぽい笑みを「にぃっ」と見せた。

「つってもオレが払うわけじゃないねぇしな。それにオレ、今セコくなりかけてた。ザマねぇのな」

 そう言って笑う煌侍の表情を見て、真弥はと胸を衝かれた思いがしていた。

(何て素敵な笑顔なんだろ。けど、これは本物の笑顔じゃない、そんな気がする。あたしとこの人は今こんなに近くにいるけど、本当の距離は気が遠くなるほど離れてるんだ)


「お姉さん、ゴメンだけど、これ片してくれる?あ、んでさ、食後に頼んでた例の奴持って来ちゃってちょうだいな」

「え、あなた、まだ何か頼んでたの?!」

 思考の迷宮にはまり込みかけていた真弥だったが、煌侍がウェイトレスへ呼びかける声によって現実世界へと舞い戻って来た。「デザートのない食生活なんざ考えられんね」と言う個性的な返答が返って来た。その間にもテーブルの上は見る見る内に広くなって行き、テーブルクロスの白ばかりが目立つようになってきた。

「お、来た来た♪」

 子供みたいに無邪気にはしゃぐ煌侍の前に、どん、と音を立ててチョコバナナパフェが置かれる。彼という人間は、この手の代物を人前で食べる事にまるで抵抗がない。しょっちゅう妹達と男性では入りにくい店に足しげく通っていたりするくらいだ。

 なかなかに食べ辛いのか、長めの前髪を左手で掻きあげる煌侍。そんな彼の何気ない仕種を目撃して、思わずドキッとしてしまう真弥。「うわ、女のあたしより全然色っぽい」とか考えたり。読者の皆さんに早憶え、前髪が長めなのが煌侍で後ろ髪が長めなのが瑛時。そこんとこよろしく。


「もう一つだけ訊いていい?『オレの愛はそんなトコにはないっ』とか何とか言ってたじゃない、あれってどういう意味?」

 その疑問は、先程からずっと絶えず彼女の頭の中に引っ掛かっていた物であった。

「プライベートな事は一切お答え出来ません」

 無表情のまま、パフェの頂上に乗っていたチェリーを口の中にヒョイと放り込む煌侍。

「何よう、その台詞って普通、あたしの方が言う物でしょう?これじゃあまるで、あたしがあなたに逆取材してるみたいじゃない」

「違うのか?」

「……ぁ」

 すかさず煌侍に切り返されて気付いた真弥。そう言われてみれば、最初からここまで、一方的に質問攻めにしてきたのは彼女の方であった。逆ギレしかけていた自分を思い出し、赤面する真弥。

「そうでした……」

「図々しい奴」

 煌侍が口の中から先程のチェリーの茎を引っ張り出す。と、それは見事に何とも綺麗な形で何重にも結ばれていた。「器用な男」との感想を抱いた真弥だが、同時に「口の中でチェリーの茎を結べる奴はキスが上手い」なんていう都市伝説を思い出してしまい、妙な想像をしかけてしまった。や、実際すごいんですがね、彼。

 ウエハースの板を小気味良い音を立てて噛み砕きながら、煌侍は何やら考え事をしている様子。その表情は逡巡しているようでもあり、嫌がっているようでもあった。

「しょーがねーなー、詮索好きのワガママアイドル様はよぉ。これ以上妙な気を起こされても困っちまうから見せてやるけどよ。た・だ・し、決して手を触れるなよ」

 そう言うと煌侍は、せわしなく動かしていたスプーンを止め、着ているシャツの胸の右ポケットから三枚のラミネートカードらしき代物を取り出し、真弥の目の前に彼女の正面に来るように丁寧にそれらを並べだした。どうやら写真を自ら加工した物のようだ。

「何?ブロマイド?」

 触れてはならぬと釘を刺されたので、身を乗り出してのぞき込む真弥。左側の写真に写っているのは、真弥よりも一つ二つ年下らしき少女だった。いかにも活発そうで、大きな両の瞳の輝きが印象的だ。やや童顔だが、大きく細い髪のリボンや少女趣味の服装がに全く嫌味がなく、その愛くるしさといったらない。

(う、悔しいけどあたしより全然可愛いかも……。誰?)

 真ん中の写真に写っている少女は、ある意味人間離れした超然とした雰囲気を漂わせている。長い長い細めのツインテールに白磁のようなきめ細かい白い肌、一見繊細そうだが、そこに脆さや儚さは一切見て取れない。

(な、なんちゅう美しさっ!後光が差してんじゃないの?誰?)

 右側の写真に写る少女は、まず一番に目に付くのが見事な造形美を誇るポニーテールで、次いで彼女が尋常ではないプロポーションの持ち主がある事がその素っ気ないファッションからでも分かる。挑発的な表情も何とも魅力的だ。

(カッコ良いーッ!まさしく同性の憧れって言うか、見惚れちゃうわね。誰?)

「……はぁ」と言う特大の溜め息とともに顔を上げた真弥。何か少し頭がクラクラする。

「うーん。こんな子達ってデビューしてたっけ?あたしってこれでも相当顔が広いつもりなんだけど、初めて見るわね。三人ともよく似てるけど、姉妹なのかしら?こんだけルックス良いのにまだブレイクしてないって事はまだデビュー前なのかも」

「デビューなんてしてないし、させるつもりも一切ない」


<9>


 バニラアイスクリームの塊を口に放り込みながら、煌侍こうじは苦々しげに言った。彼の言葉の意味を理解出来ずにいる真弥まや

「へ?それどういう事?言ってる意味がよくわかんないだけど」

「その三人はオレの妹だ。似てるのは三つ子だからだ」

「そおなの?!どうりであなたにも何か感じが似てるなあって思ってたのよ」

 驚いた表情のまま、もう一度目の前の三枚の写真をしげしげと見やる真弥。「はあ、この兄にしてこの妹達あり、ねえ……」なんて考えながら。約六万人近い数の中からオーディションを勝ち抜いてデビューにこぎつけた彼女だったが、今眼前の三人の内の一人でもがライバルだったなら、現在の彼女の栄光はまずなかったであろう。ついさっきまで存在していた自信やプライドなどとといった諸々は、いつの間にか綺麗さっぱりどこかの彼方へと押し流されて行ってしまった。

「あれ、でも待って。って事は?」

 何かに“気付いてしまった”真弥は顔を上げ、パフェの容器を持ち上げて底に残った一房のミカンを必死でスプーンの先ですくい上げようとしている男の顔をじいっと見つめた。

「あなたって、もしかしてシスコ――」

 そこまで言葉を発した真弥の背筋を氷塊が滑り落ち、彼女は慌ててその後を飲み込んだ。煌侍の瞳の中に閃いた光が、明らかに「殺意」としか表現の仕様がない色を帯びていたからだ。ただでさえ寒いくらいの空調が、今や極寒にも感じられる。煌侍は空になった容器をテーブルに静かに置くと、ウェイトレスに「ダージリンお願い」と最後の注文を行なった。

 やがて紅茶が運ばれてくると、煌侍は恐る恐る舌を付け、「あちっ」と小さく呟いて、カップを元の位置に戻した。舌先を火傷でもしたのか、冷水を飲む。

「ったくよぉ、値段はたけぇくせに、何だこの店は。紅茶の淹れ方もろくに知らねえのかよ。ああ、魅霧みむの紅茶が恋しい。スパゲッティは絢華あやかの奴の方がまだ上手いし、チャーハンはこよみのに遠く及ばん」

 口を尖らせて、煌侍は愚痴り続けている。真弥は全く知る由もないのだが、焼刃煌侍という男は、こうして外食した時などは必ず、妹達の作った料理と無意識の内に比較する習慣がある。非妹手製料理に対して文句を散々言ってはいるのだが、その実彼の妹達の方が優れた腕前を持っている事を確認しては悦に入っていたりする。まことに常人には理解不可能な性癖を有しているのだ。

「オレは三人の妹をたった一つの細胞すらも残さず、オレの全てで必死に愛してるし、あいつらもそれに充分以上に応えてくれている。陳腐な表現だが、オレは妹達のためなら全世界を丸ごと敵に回そうが、何を失おうが構わない。他人にオレ達の関係を認めてもらおうなんて産毛の先程も思っちゃいない」

「でも、でもね、やっぱモラルとか倫理とかあるじゃない?そういうの守んないと色々マズくない?」

 煌侍のその論調とは裏腹の、煮え立つような想いに圧倒されながらも、真弥は必死に抗弁を試みた。が、彼女のそんな反論も、煌侍は鼻で笑った。テーブル上で手を組み、真弥の両眼を貫き通すかのような視線をほとばしらせる。

「ハッ!モラルだか倫理だか知らねえがよ、そんなどこの誰が勝手に決め付けやがったのかも知れねぇ御大層な美辞麗句にオレ達が縛られてたまるかってんだ。どうしてもアンタの言うようなクソ下らねぇ代物に従わなきゃいけねぇっつうんなら、オレ達兄妹は国でも星でも捨ててやる。誰にも理解も納得も出来ねぇだろうが、して欲しくもないね。オレ達四人だけが持ってりゃそれでいいもんだ。だからオレは言ったんだ。『オレの愛は次元が違う』とな」


 一気にまくし立ててノドが渇いたのか、煌侍はティーカップに残っていた紅茶を一息に飲み干した。真弥に対しては今まで冷淡なまでに口数が少なかった彼だったが、妹達の事になると冷静ではいられないようで、驚くほどに饒舌であった。真弥はカルチャーショックのような物を受けたとともに、何だか微笑ましくなった。

「月並みだけど羨ましいわね、あなたの妹さん達。あなたにそれほどまでに真剣に愛してもらえて、あなたを真剣に愛す事が出来て。あたしの周りの人やファンの人達はみんな、あたしの事を偶像の商品価値としてだけしか見てくれないもの。あたしは今日まですっごくたくさんの物を手に入れられてきたつもりだったけど、本当は全然満たされてなかったみたい。あなたに出会って、それが思い知らされちゃった」

 脆く複雑な笑顔を見せる真弥。煌侍はすっかりぬるくなったグラスの水を飲み干すと、「気付いて良かったじゃねぇの」とポツリと言った。

「そうね……。でも、気付かなかった方があるいは楽だったかも」と返す真弥。


<10>


「ここにいましたか、煌侍。探しましたよ。『食堂に行く』って言ってましたからてっきりそうだとばかり思ってたのに、こんなレストランにいるなんて」

 間に沈黙が横たわる煌侍と真弥を発見し、紳佐しんさとジャッジメントデイの女性メンバー四人が二人の下を訪れた。こうして真弥まや煌侍こうじの時間は唐突に終わりを告げた。気付けば時刻はすでに午後2時を回っていた。

「……気が変わったんだよ。にしても遅ぇぞ、紳佐。払いは全部おまえ持ちだかんな」

「ええ、それは別に構いませんけど」

 煌侍に言われてテーブルの上に裏返しになって置かれていた伝票を見た紳佐は、その内容の凄まじさに対する驚きのあまり、目を丸くして素っ頓狂な声を張り上げた。

「何ですかこれは?!確かに長時間待たせたのは悪いと思ってますし、君の奇妙なクセも知ってますけど、いくら何でもこれは食べ過ぎですよ!」

「ひっどーい、煌侍君食べ過ぎーっ」

「コージー、ヒューマンディスポーザーね」

 紳佐の持つ伝票を他のメンバーものぞき込み、口々に異議を唱える。

「うっ、デカイ仕事決まったんだろ、それでチャラにしてくれよ。んで、今頃なんだけどよ、気付いてみたら、今日オレ財布持って来てなかったりしてた」

 これには真弥も思わず椅子からズリ落ちそうになった。

「あなたねえ……この人達もお金が足りてなかったら一体どうするつもりだったの?」

「さあなあ、考えてなかった。そん時ゃあそん時考えるわ」

 なんてサラリと言ってのけるこの男、妹達に関する事以外は、何事であろうと彼にとって大した問題ではないらしい。「さあてと」と大アクビをしながら伸びをしつつ立ち上がる。

「いいですか煌侍、今度からはちゃんと自分の財布も一応持って来るようにして下さいよ」とジト目をする紳佐。四人の女性陣も「そーだ、そーだ」の大合唱。

「わあったよ。帰ったら今日の当番だった絢華に言っとくから。けどよ、そーゆーさ、絢華のドジっぷりっつーの?そこがまたとてつもなく可愛いんだよなあ。許しちゃうよ、オレ」

 我が長妹を思い出し、瞬時に陶酔する煌侍。すっかり慣れっこなのか、ジャッジメントデイの五人は「またやってるよ、この野郎は……」と顔に書いてそれぞれに「やれやれ」のポーズ。

「あー、もうっ、こんな所でこんな無駄な時間を浪費している場合ではなーい!一刻も早く我が愛の巣へと戻り、オレの愛する妹達に離れていた間に貯蓄したありったけの愛情を注ぎ込んでやらねばっ。ってなわけでさっさと帰るぞ、紳佐」

「はいはい、了解しました。帰りのタクシーもすでに手配して貰ってますから、あともう少しの我慢ですよ」

「気が利くなあ。ではでは早速――」

 レストランを足早に出て、エントランスホールへと急ぐ煌侍。その後ろ姿を呆けたように眺めていた真弥だったが、突然弾かれたように彼の後を追った。

「待って、ねえ、待って!」

「あ?」

 その呼び掛けに背中越しに振り返る煌侍。一秒でも早く家路につきたいのに呼び止められ、その表情は明らかに不機嫌である。一歩右足でたじろぐ真弥。抑え切れない衝動によっての行動だったのだが、二の句をどう継いだら良いのかが全く分からない。

 煌侍は彼女に正対し、無言で真弥の次の言葉を待ち続けている。顔付きもどことなく真剣だ。下を向き、左の拳を胸の中心できつく固め、自分の中の勇気の到着を催促する真弥。やがて、

「あなたに認められるにはどうしたら良いの!?」

 勢い良く顔を上げた彼女の表情は、これまでの人生の中で最も真摯な物であった。その想いの強さは煌侍にも充分伝わった。だから彼は今、先程までそうしてきたような小馬鹿にしたような態度を取っていない。

 重すぎる沈黙と、正面衝突する視線。そして、煌侍が口を開いた。

「自分が今一番やりたい事を全力でやれよ。そんで、その中で自分が誰よりもそういう自分を好きになってやれ。周りの雑音なんか風音くらいに思え。楽しくて仕方ないって姿を形振り構わずに見せろ。それが本物なら、生きる世界を塗り変えちまう事も可能になるだろうよ」

「うん……うんっ」

 正直言って真弥は、煌侍がこんなにも素敵な言葉をプレゼントしてくれるだなんて全く予想も期待もしていなかった。たった今もらったばかりの言葉の一文字一文字を噛み締めると、何だか胸の奥が温かな空気で満たされてくるような気がした。その温もりはやがて彼女の身体全体に広がって行き、涙腺を緩ませて行く。

「泣くな。何かをやろうとする前から泣くな。目の前が曇る」

「うん……」

 精一杯の笑顔を見せる真弥。この世界に足を踏み入れてから、初めての心からの最高の笑顔だった。「OK」のサインを表情で出した煌侍。

「じゃあな。これ以上はオレのキャラじゃない」


 局の玄関ドアへと歩き去る煌侍。ジャッジメントデイの五人も真弥に会釈をし、彼の後を小走りに追う。ひとり、こちらの世界に残った真弥は、彼の姿が自分の姿が視界から消えてしまう前に背を向けた。最後まで見ていられなかったのではない、煌侍との出会いをそこで完結させたくなかったのだ。左右に激しく頭を振り、強制的に涙の飛沫を旅立たせる。

「見てなさいよ、“妹命男”!!」

 周囲の奇異の視線をものともせず、真弥は高い高い頭上の天井のシャンデリアへとジャンプした。まだまだ、まだまだ、届かない。だが、彼女の想いはたった今、翼を得た。


<11>


「さっきのあの言葉、あれは君の経験からの物ですか、煌侍こうじ?」

 タクシー乗り場へと向かう途中、紳佐しんさが尋ねる。

「おまえがそう思うんならそうなんだろ」

 問われた方の回答は素っ気ない。

「お約束だろうが、ああいうのはよ。特別どうって事はないさ」

「そうでしょうか?彼女は一生忘れる事はないと思いますよ。片時もね」

「……不吉な事言うんじゃねえよ。瑛時えいじのと違って、お前のそういう予感は当たっちまうんだからよ」

「自業自得です。結局冷たい男になりきれない君の責任です」

「あるわけねーだろ、んな事。黙ってろ、チシャ猫野郎め」


 数日後、焼刃やいば家では煌侍がいつものように三人の愛する妹達に囲まれてソファで紅茶を飲みながらくつろいでいた。と、絢華あやかが兄の右肩を叩いて居間のテレビ画面を指差した。

「兄さんホラホラ、真弥まやちゃんがテレビに出るよー」

「そりゃあ出てるだろうさ。なんたってナンバーワンの売れっ子なんだろ?」

「うん、そうなんだけど。でも何だか今日のはいつものとは違うみたい」

「違う?どう違うってんだ?」

「んとねぇ、記者会見みたいなのやってるよ」

「何かの制作発表とかじゃないの、絢華姉さん?」

 こよみが姉に助け舟を出した。基本的に焼刃家の兄妹は、長姉の絢華を除いてテレビをあまり観ない方なので、余程の事でもなければ兄妹の語らいを優先したいのだ。

「お兄様、こちらへいらして下さい」

 魅霧みむが絢華の後ろへ立っており、そこから兄へと声を掛けた。彼女までが呼ぶからには、どうやら只事ではないらしい。暦と顔を見合わせた煌侍は、真弥に関わりを持ってしまった手前、ソファから重い腰を上げて長姉と次姉の待つ所へと移動した。


 そこに映し出されていたのは、大勢のマスコミ関係者に囲まれている真弥の姿であった。その番組はどうやらワイドショーらしく、画面の右隅には「超人気トップアイドル藤松真弥、突然の脱アイドル宣言!芸能界に激震走る、その真相は!?」と書きなぐられていた。

「ふ~ん。真弥ちゃん、アイドルやめちゃうんだぁ」

 絢華がのほほんとした口調で言い、「どうしてだろうね、急に?」と首を傾げてみせる。煌侍は「まさかなぁ」と苦虫を噛み潰したような表情となり、魅霧と暦の二人は、そんな兄の表情を心配げにのぞき込む。

 ナレーションによると、真弥はすでに所属事務所を移籍しており、これからは仕事の方向性を今までの物とは完全に別路線へと変更しようと模索しているとのこと。所属事務所とのトラブルか、はたまた彼女の心境を変化させた何者かが出現したのではないか、と様々な憶測が飛び交っているようだ。

「藤松さん!今回の突然の発表の裏には一体何があったんですか?!」

 リポーターの一人が自らのマイクをまるで聖剣のように突きつけ、真弥へと詰め寄った。それに彼女は決意を秘めた表情で「ハイ、お答えします」と返した。

「自分がやりたい事をやります。そして、その中で自分が誰よりもそういう自分自身を好きになります。周りの人達の意見ももちろん大事だけど、あんまり気にしません。楽しくて仕方ないっていう、わたしの姿を皆さんにお見せしたいんです。それが本物だったら、わたしの人生を素敵な色で塗っていけると思うんです」

 実に爽やかな、晴れ晴れとした表情で話す真弥。今の彼女には迷いの雲などどこにも見当たらないのだろう。


「紳佐の野郎……。だから余計な事言うなっつったんだ」

 脱力する煌侍。今度は絢華も妹二人に加わり、兄の様子を不思議そうに窺う。

「あ、ちょっとそのマイクいいですか?」

 テレビ画面の中の真弥はリポーターのマイクを返答を待つ事なく奪い取ると、自分の正面のカメラに向かって真っ直ぐに視線を合わせると、左手の人差し指を突きつけてウィンク付きでこう叫んだ。

「見てなさいよ、『妹命男』!!」

「えーーッ!!」

 絶叫を返す三姉妹。画面の向こうでも、リポーター達が「今の発言はどういう意味ですか、藤松さん!!」と、言い逃げした真弥を追い駆けている。

「兄さん!」

「お兄様!」

「にいさん!」

 三者三様に兄を睨み付ける絢華、魅霧、暦。すっかりふくれっ面になってしまっている。その迫力の前に、思わず後ずさる煌侍。

「「「あれってどーゆー事っ?!」」」

 見事な三重奏。三つ子の本領発揮である。

「どーゆー事っつってもな、『妹命男』なんて最近じゃあオレの他にもそこかしこにいるだろうが。ホラ、一人で十二人も抱え込んでる奴とか。別にオレの事を名指ししてるわけじゃねぇんだしよ、早合点はやめとけよ、なっ?」

 三人の顔色を窺いながらも、じりじりと後退を続ける煌侍。兄が退いた分だけにじり寄る「兄命三姉妹」。

「悪かったよ。なっ?これからはおまえ達以外の奴に対しては冷たい男に徹するからさ。な、今回の事は水に流してくれよ」

「「「絶っっっ対に許さなーーいッ!!」」」


 かくして焼刃家では兄と三人の妹達との、テレビの向こう側では真弥と芸能リポーター達との追いかけっこが始まった。一見すると似た場面なのに1つ決定的に違うのは、真弥は素晴らしい笑顔だったのに対し、煌侍の方は必死の形相だった事である。

「そうだ、あれもこれもそれも全部、紳佐の野郎が悪い!」

 静かで穏やかな午後の日、妹命男の悲鳴が閑静な住宅街に響き渡った。


<了>

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ