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第1話 「三つ子の魂永久に」

全てはフィクションです。

<1>


 人間、ことに現代社会人は、平々凡々な日々の生活の中、それに耐えかね、常にある程度以上の刺激を求めてやまない。そう、誰もがみんな、そんな感じだと思う。特に若年層の世代にはその傾向が強い。犯罪行為の低年齢化が年々スピードアップしているのも、そんな影響の一つに違いない。

 また逆に、男性は未だにいまや天然記念物や人間国宝と並び称される「大和撫子」の影をどこかで追い求めていたし、女性もまた、未だに根強い「白馬の王子様に連れ去られてしまいたい症候群」から脱却出来ずにいたりする。そういった軋轢あつれきから昇華行動などの現実逃避に走ったり。それはまた、人それぞれによって違う形態を伴う。遠くはテレビやディスプレイの向こう側だったりもする。


 しかし、そんなとって付けたような前フリはさておき、ここにそういった現代恋愛模様曼荼羅の世界の輪の中から、数本の境界線を隔てた位置に身を置く男がいた。が、彼は彼で違った事情で、四六時中異性の事で脳細胞をショッキングピンクに染め上げているのだが。いや、両足の爪先から頭髪の末端まで、の誤りか。

 彼の名は焼刃煌侍やいば こうじ。私立大学に通う学生で、年齢は二十歳になるかならないか、といったところか。身長は180センチを少し超え、顔立ちは一見性別が分からない人もいるかも知れない。ハッキリ言って、類まれなる美形だ。無理矢理例えるならば、「美女顔の美青年」だろうか。


 現在の時刻は午後五時を四分の一ばかり回ったところ。帰宅途中の彼は、なぜかハンカチ越しに右手で吊り革を握り、西日の暮色をその陶製のような滑らかな横顔に受けている。時々危うげに左右のバランスをとっている。明らかにスポーツ万能タイプだろうに、どうやら何事かを一心不乱に思い耽っているらしい。時々浮かべる思い出し笑いが、折角の美形を時々崩す。余程、楽しい夢想らしい。

 

「あっ、と。ゴメンね。申し訳ない」

 電車がカーブに差し掛かり、不意に大きく揺れた車内で、彼の右肘が出入り口付近に立っていた、彼と同じく帰宅途中らしい女子高生の後ろ髪に一瞬触れたらしい。

 近頃の妙齢の女性陣は妙に自意識を過敏にしており、被害妄想も大層激しい。下手に彼が声をかけた事で逆に不快感が表面化したのか、その娘は厳しい表情を顔に貼り付けて、キッと勢い良く振り返った。「ちょっとお、気を付けなさいよね。ったく!」的な言葉を用意しつつ。

 日頃の学生生活のフラストレーションでも、形を変えてぶつけてやろうとでも思ったか。だが、強烈に射出されるのを待っていた台詞の断片の数々は、ついぞや最後の方まで発せられる事はなく、ごく初期の「ちょっ」辺りで失速してしまった。


「あ、あの、いえ、いいんです、全然、気に…しないで下さいっ」

 それらに代わって出て来たのはこんな台詞だった。明らかに煌侍を視界に収めてから態度が急変したようだ。今では両の頬を紅潮させ、必要以上に力んで眼前の景色を泳いだ視線で見つめている。

「そう……なら良かった」

 セーラー服の背中に煌侍の安堵の声が力なく霧散した。対象物を見失った左手はしばらく空をさまよっていたが、やがて脇に収められた。だが、その表情は疑問符で一杯だ。「なんでこの子は急に怒りを収めるくれたんだろう?」なんて本気で不思議に思っている。

 そう、この男、自分が美形であるという自覚が全くないのである。……その後もしばし思案投げ首だったようだが、やがてはその結論をあきらめ、さっきまでの楽しい脳内の世界へと引き戻って行ったらしい。


 それらの一連の出来事の顛末を見ていた、煌侍から見て左斜め前の座席に陣取っていた、先程の娘とは別の学校の制服を着た三人組の女子高生達が、小声ではあるがガヤガヤと、弾かれたように話を始めた。他の乗客達には断片的に「あ~ん、あの娘ウラヤマシイなあ!」とか「いいなあ、ラッキーよねえ」とか「でもウチらもこの車両に乗ってて正解だったよね」なんて会話が耳に飛び込んで来ていた。図らずとも話題の中心人物に車内の視線が集中するが、当の本人は心ここにあらず、といった感じの雰囲気を保っている。


 そうなのだ。彼、焼刃煌侍は知る人ぞ知る存在だったりする。真偽のほどは定かではないが、電車内の痴漢を片手一本で窓から放り出しただの、騒ぎ立てて周囲に迷惑を掛け倒していた有名な不良高校のグループ(人数は一ダース)を一瞬で全員網棚で眠らせた、だのの噂があとを立たないからだ。

 徐々にその強さと本数を増す好奇の視線をまるで意に介さず、煌侍は相変わらず夢心地で、時々ブツブツとつぶやいたりしている。普通の人間なら、完全に危ない奴扱いである。彼について詳しく、なおかつ今の彼にピッタリと張り付いた人間がいたなら、そこに三人の女性の名を聴き取る事が出来たかも知れない。煌侍の、「命より大切」などと言うありふれたフレーズではとても言い尽くせないほどに溺愛している、三つ子の妹達の名を。


 やがて彼とギャラリーを乗せた各駅停車はゆっくりと速度を落とし始め、ひしゃげた声の車内アナウンスが駅名を二度告げた。煌侍はそれでハッと我に返り、明るく楽しく激しい想像を邪魔されて気を悪くしたような、我が家にようやく帰れる事を喜ぶような、不機嫌半分嬉しさ半分の複雑な表情を二秒ほどしていたが、意を決したらしく薄いバッグを右肩にかけ直し、開いたドアからホームへと降り立った。


<2>


「はあ~っ、やっと我が愛の巣へと帰還できるっ。三人そろって待っていておくれよ、我が全て、我が命、愛して止まないオレの妹達よ!」

 臆面もなく衆人環視の中で高らかにそう宣言すると、煌侍こうじは凍り付いた人々を置き去りに、足取りも軽く駅の長い階段をヒョイヒョイと駆け降りて行く。妹達が待つ我が家への道のりは、彼の目には色とりどりの花々が咲き乱れ、美しき鳥達が歌いさえずる、さながら楽園へのバージンロードに映っているのだった。

 はるか後方のどこかで、誰かの「なに、あれ、シスコン?」と言う声が聞こえかけたが、別の誰かの「バカ!」とたしなめる声がそれを打ち消した。どうやらこの街では、それは禁句になっているらしい。


 鼻歌に加えてスキップで改札口を煌侍が奇異の視線の中を通り抜けてしばらく、彼の背後からパタパタと小刻みに駆けて来る靴音が追って来ていた。すぐ前を行く煌侍が、それを気にも留めずにズンズンと進んで行くのを見たその人物は、一度大きく息をつき、両の肩を上下させながら、二三度呼吸を整える。そして、意を決したかのように彼を後ろから呼び止めた。


「あのっ、すみませんっ」

 あれ、反応がありませんよ?結構大きな声だったのに。彼以外の周囲の人間はみんな足を止めて彼女を見、自分がお目当てじゃなかった事にひどく落胆しているご様子なのに。……あ、やっと足を止めた。

「……何か?」

 努めて不愉快な表情を隠すようにして煌侍が振り向くと、まだゼイゼイ言いながら両膝を手の平で押さえつつ、下を向いて辛そうにしている一人の女子高生がいた。慣れない全力疾走が彼女に与えた疲労は想像以上に大きいらしく、まだ顔も上げられずにいる。相当手入れに気を遣っているとおぼしき、やや栗色がかったサラサラのストレートロングヘアーが、夕陽に輝きつつも滝のように垂れていた。


(う~ん、何やら今日は女子高生づいてるなあ。『全国女子高生デー』か何かか?)

 などと多少ソワソワとしつつも煌侍がそんな下らない事を考えていると、その今自分を褒めてあげたそうな少女が、ようやく姿勢を整えた。

(ほー……)

 煌侍の中のごく微量の。わずかなどこかの何かの回路が、思わず感嘆の声を小さく漏らした。


 自他ともに認める、自分の三人の妹達以外の異性には興味がない彼にさえ、ほんの一瞬であったにせよ(多分、単位で言うとナノ秒とかピコ秒)、彼の目と意識を惹き付けさせたのだから、彼女の魅力は尋常ならざる物があった。周囲を見渡せば、まだ未練がましく彼女を遠巻きに見ている男性諸君が後を絶たない様子。アニメ的手法を用いるのなら、顔を上げた瞬間はスローモーションで三度再生(徐々にクローズアップしつつ)、バックには花びらが風に舞い、淡い陽光の中にリリカルな光の泡が漂っているのかもしれない。未だ落ち着きを取り戻していない様子なのだが、その佇まいには優美で知的な空気が感じられた。


 少女は右の拳を口元に当てて、「ウン、ウン」と咳払いらしき物を二度すると、勢い良く会釈をしてから、かすかに笑みを見せた。実に柔らかな物腰だ。小さく舌を出しても嫌味がなかっただろう。

「急に声を掛けちゃったりしてゴメンナサイ。何だかとてもご機嫌良さそうにしてらしたのに、水差しちゃいましたね、わたし」

「あ~、うん、別に」

 まさか「ホントだっつーの、ったく。急いでんのに余計な時間取らせんじゃねーよ」などと言うわけにもいかず、煌侍は曖昧で内容のない返答を返すに留めた。いや、本音としてはとてつもなく迷惑なのだが、泣かれでもしたらさらに面倒な事になってしまう。


「で、何か?用があるんだったら……」

「急いでるんだけど」とか「手短にしてくれないか」とかの言葉はがんばって飲み込んでおいたが、無意識にチラリと駅に備え付けの時刻表の隣の時計を盗み見てしまう。時刻は午後5時25分を指そうとしていた。

(ぐあ、タイムイズマネー…!)

 背筋の辺りに焦燥感が走り抜けた。予定外のイベントのフラグは、もっと終わりの早い日に立ってくれよ、と言いたくなってしまう。

 この時間、彼とのコミュニケーションを独占している少女は、彼のそんな心情に気付いたのか、半瞬ほどのショックの色を見せた。きっと今までの人生で、こんな反応を見せられた経験がなかったのだろう。さもありなん、彼女は超絶美少女だ。が、気持ちを切り替えると彼女は鉄壁のプリンセススマイルで自己紹介をした。

「はじめまして、わたし、幸村美雨ゆきむら みうって言います。高校三年生です」


<3>


 それから二人は自然の流れで、帰路を会話しながら並んで歩く運びとなった。美雨みうの方は少々興奮気味に、はしゃぎ出すのを抑えているかのように話した。一方の煌侍こうじは、そんな彼女の様子を時々不思議そうに薄く眺めた。

「えっ、そうなんだ。……へー、君がウチの妹達と同じ学校の先輩だったとはねえ。や、制服ですぐに気が付くべきだったか、こいつは失礼。何はともあれ、我が妹達をよろしく頼みますよ」

 一体何をよろしく頼むのかは全くの不明だが、煌侍という男はこんな時でも、「妹達」の前に「我が全て、我が命、愛して止まない」という接頭語が付けられない事がいたく悔しそうであった。一応、それぐらいのTPOは辛うじて心得ているらしい。口に出せない代わりに、頭の中ではしつこいくらいに唱えているのは秘密だ。美雨の制服に気が付かなかったのも、ハッキリ言って眼中に入っていなかったからである。信じられない事だが。


 煌侍の三つ子の妹達が通う高校は、伝統ある名門の私立の女子高であり、そこに在籍しているというだけで一目置かれ、男性諸君は彼女にするなら是非ともあそこの生徒を、と憧れる。「大和撫子最後の砦」とか、「メインヒロイン製造工場」などと裏で呼称されていたりもする。その歴史のわりにはリベラルな校風を旨とし、制服のデザインを一新するに当たって、有名デザイナーにそれを依頼した事でも世間の話題をさらった。


 ふと美雨が小走りに前方へと進み出し、急ブレーキをかけてからクルリと反転した。枝毛とは無縁そうなご自慢のロングヘアーと、東欧風デザインのプリーツスカートがゆっくりと宙を滑った。意識せずにそういった動作が出来てしまうところに、彼女が性別を問わず耳目を集めさせる要因がありそうだった。生まれついた時にはすでに好かれ方を心得ていた、といった気すらする。

「実はわたし、焼刃さんのことを少し前から色々な噂を聞いて知ってたんです。時々駅や電車の中なんかでも見かけた事があって、『ぜひ一度お話してみたいなあ』ってずっと思ってました。で、さっき駅の階段を降りられているのを見付けて、『今日こそは』って勇気を出して声をかけたんです」

 それだけ一気に話し終えると、美雨は大きく息をついた。彼女の中で何かを成し遂げたのか、達成感に満ちた表情で、今は革の学生カバンを両手で後ろ手に持ち、夕焼けに照らされたアスファルトを跳ねるように歩いている。

「はあ、そうだったんだ」

 煌侍としては、自分がモテているなんていう自覚は全く存在しないのである。どうして目の前を楽しそうに歩く少女が、そんなに嬉しそうなのかも全然わかってはいない。今までの人生、ずっとそんな調子だった。一応身なりを整えたり、勉強やスポーツでも人様に恥ずかしくない程度にはがんばってきた。が、それもこれも全部、妹達にとって自慢の兄であり続けたいという、その一心によってのみの産物なのであった。彼にとっては妹達こそが太陽であり、世界の中心なのである。それだけがルール。


「ところでさ、ウチの妹達とは面識あるの?」

「あるって言えないくらい。あいさつ程度なんです。ホントはもっともっと仲良くなりたいんですけど、そうなればなるほど嫉妬深くなっちゃいそうで怖くって。それで積極的になれずにいるんです」

「羨ましい?…ああ、そうか、一人っ子なんだ?」

「……はい。優しくてカッコ良いお兄さんがいるっていうのに憧れてるんです」

 あーあ、違うんだよ煌侍君。違うんだって。……失意の色濃い笑みを見せた美雨だったが、首を左右に素早く三往復させて表情からかげりを追い払うと、またしっかりとした足取りで歩き出した。本当に煌侍に対する予備知識はあったようで、「まずは失敗一回目」といった所なのかも知れない。


「焼刃さんみたいな素敵な男性ひとといっしょにいられたら、すごく毎日が幸せなんだろうなあって……」

 言ってから実に誤解を招きやすい表現だったと気付き、美雨は左手で空中に往復ビンタの雨を降らせながら、慌てて否定らしいフォローを入れる。

「ち、違いますよ。そんな意味じゃないんです、絶対。断じて!わたしったら何て事を……。ごめんなさいっ、今の、気にしないで下さいね!」

 耳のてっぺんまで真っ赤っか。

「了解了解。全く気にしてませんって」

 うわ、この男、本当に全く気にも留めてませんよ。幸村美雨さん、どうやら第二砲撃もダメージなしの報告が入りました。本当のところ、今のは無意識に零れ落ちた発言だったのだが、ここまで爽やかに否定されると、さすがにその距離に軽い絶望を覚えてしまう。うつむいて照れきっている彼女だが、曇った色が一瞬その瞳をよぎった。


 それからはしばらく無言で歩く二人、その後しばらくして、美雨が少し遠方を指差した。

「あ、あれがわたしの家です。今日はわたしのワガママにお付き合い下さってありがとうございました。とっても嬉しかったです。それであの、もしご迷惑でなければまたお話していただけますか?」

「機会があったらそうしましょうか」

 上目遣いに煌侍を見上げて問う美雨に、彼は優しくそう返した。それは嘘ではない。妹達の先輩だから、そういった付き合いも必要かな、と判断したからである。しかしそれで、美雨の顔には歓喜が弾けた。


 彼女が深く素早くお辞儀をして前方の門へと消えていった後、煌侍は軽く溜め息をついた後、その「家」とやらを見上げた。

「こりゃあ家っつーか『御殿』とか『御所』とかのレベルだな……」

 首が痛くなってしまった。間近に門まで通りかかってみてみると、それからして重厚で立派で壮観である。時代劇で丸太で突撃して行って破りにかかる奴みたいだ。何やら家紋のような物があしらってあり、それだけで生粋の名家と分かる。塀の全長にいたっては、一体どのくらいの距離になる物やら。全容は恐らく、「門から玄関まで十分かかる」とかのギャグになるのだろう。煌侍はそんな彼女がどうして自家用車で送迎されていないのか、ちょっと不思議に思った。しかしまさか、幼少の頃から見知っていた大邸宅のご令嬢と、こんな形でお知り合いになろうとは。

「そういや、お嬢様学校だもんな、あそこって。けどまあ、こいつはランクが違い過ぎるわ」


 煌侍は思わず苦笑した。彼の「愛の巣」も一戸建てで、こう言ってはなんだが、そんじょそこらの人様の住居よりはいささか見栄えの良い代物なのだが、ここと比較してしまうと、将軍の居城と長屋といった風情だ。しかし彼は、こんな所に住みたいとは全く思わない。ここよりもずっと小さくて狭くとも、妹達が身近にいると感じられる今の家が、煌侍にとっては何よりだからである。

「ああっ、そうだ!こんな所で油なんか売ってないでさっさと我が家へ帰ろうっと。愛しの三人娘がオレの帰りを待ち焦がれてるぜっ」


<4>


「おっそ~い!にいさん、道草が過ぎるぞっ」

 美雨みうと別れてから全速力のダッシュをかけて帰宅した煌侍こうじを、玄関でズラリと今や遅しとそろって待ち受けていた焼刃家三姉妹。その中で第一声を放ったのは、三女のこよみであった。

 三人の妹の中で最も長身であり、見事な脚線美はトップモデルをもうなららせる仕上がりだ。噂では、股下が一メートルを軽く超えるとか。動作の度に大きく長いポニーテールが活発に跳ねる。兄曰く、「宇宙史上最高のポニーテール」であった。それは決して無造作に束ねられた物ではなく、見事な光沢を大気中に放っている。もちろん、本人もご自慢だ。

 活発系美少女の金字塔・暦。彼女に気安く声をかけた男性軍団(その数すでに計測不能)のみならず、「闘神とうしん末妹まつまい女神」として知られた存在だ。詳しくはいずれ語る機会もあるだろうが、この暦こそ煌侍の“その道”の最も優秀な弟子なのである。凛としたたたずまいも手伝い、学校でも下級生女子からの人気たるや圧倒的なものがある。だが、家に帰ると外とは180度違った、兄にべったりの妹の姿に豹変する。


「お兄様、夕食の用意はもうとっくに整っているんですよ」

 続いての発言は次女の魅霧みむ、通称「焼刃家の管理者」。彼女は文字通りこの家の頭脳であり統率者である。生活能力の全く欠如した両親に成り代わり、一切の家事・家計を取り仕切っているのだ。

 まっすぐに垂らせば腰ほどもある髪をツインテールに結び、透き通るようにきめ細かく白磁のような肌もあって、実に繊細ではかなげな印象を見る人に受けさせるのだが、そこは焼刃家の次女であり煌侍の妹、芯は情熱系であり、納得のいかない干渉などには驚くほどのしたたかさを見せる。


「兄さん、早く中に入りなよ。せっかくの魅霧ちゃんのご飯が冷めちゃうよぅ」

 最後が長女の絢華あやか。長女なのに(?)身長が一番低く、一番の甘えん坊。まあ、その本人が全くそんな事を意に介しておらず、いたって明るく元気にマイペースなので問題なしである。ショートボブの髪を左右に大きく細いリボンで飾り、澄んだ泉の水をたたえたかのように輝く大きな瞳が最大のチャームポイントだ。

 未だ玄関にいた煌侍は三者三様の出迎えを受け、瞬く間に上着やカバンをひったくられてキッチンへと連行されて行った。ようやく焼刃家にメインキャストが勢揃いしたのだ。


 食後にリビングのカウチにて煌侍が一休みしていると、そこへ思い詰めた顔付きの暦、どこか落ち着かない様子の魅霧、心配そうな表情の絢華がそろってやって来た。お揃いで何事だろうか。数瞬の逡巡の後、いつものように暦が口火を切る。

「あのさ、にいさん、ちょおっと訊きたい事があるんだけど……」

「ん?何だよ。何でも遠慮なく存分に訊いてくれて構わないんだぞ。おまえ達相手にプライバシーなんてケチな事、オレは言わないから」

「んー……ありがと。うー……」

 何やらモジモジと身をよじる暦。どうやら訊ねにくい事らしい。

「えっ……と、その、ねっ。あー、やっぱりパス。魅霧姉さんにバトンタッチ。こういう役はお任せします」

「もう、暦ちゃんたら……。いざという時にはいつもそうなんだから」

 形の良い眉の角度をわずかに吊り上げ、両手を胸の下で組んで溜め息を一つ、次女の魅霧が一歩前へと進み出た。後方では暦が「ごめんってば」と手を合わせている。


「お兄様、先程絢華姉さんのお友達から姉さんにお電話が掛かって来たんです。『あなたのお兄さんが、さっき駅から超美少女の女の子と一緒に並んで歩いて帰ってたの!これって一大事じゃないの?』って」

 何やら言葉の端々に刺が見え隠れしている。どうやら魅霧嬢はかなりのご立腹モードらしい。見目麗しいだけに、なおさら怒気をはらむと、周囲の気温が急激に冷却されるかのようだ。

「本当なの、兄さん?ねーねー」

 両の手を胸の前で固く組んで握り締め、大きな瞳をウルウルさせた絢華が、口元をきつく結んで下から煌侍を真摯に見上げる。

 煌侍の返答を、今か今かと三者三様に待ち受ける三姉妹。呼吸をする事すら忘れているかのように固唾を飲んでいる。それはさながら、神の審判を待つ熱心な信奉者のようだ。


<5>


「はっはっはっはっ!」

 しばらくポカンとしていた煌侍こうじが、急なオーバーアクションで大声で笑い出した。今度は兄と入れ替わりで呆然としている三人娘を尻目にひとしきり笑い続けていた彼は、きっかり十五秒後にそれをようやく収める事が出来た。

「なんだなんだ、そんな事かあ。そろいもそろって鬼気迫ってるもんだから、オレはまた一体何事かと思っちまったよ」


「笑い事じゃなーーい!!」X3

 さすがは三つ子、見事なまでに寸分違わぬピッタリのハモリ激怒。気付いてみれば、その前のめりのポーズまでもが完全に一致している。

「『そんな事』だなんてヒドイよ、にいさん」とこよみ

「私達の気持ちはご存知のはずでしょう?お兄様……」と魅霧みむ

「そうだよ兄さん、反省して謝りなさいっ」と絢華あやか


「ああ、すまない。もう絶対に金輪際二度と永久に言わない。許してくれ」

 三人の妹達の涙目の物凄い剣幕に押し切られた形になった煌侍は、己の非を認めて姿勢を正し、本心からの謝罪を行なった。でも同時に「やっぱり三つ子なんだなあ」と再認識して、思わずだらしなく相好を崩してしまう。

「けれど、ちょっと待てよー。冷静になって思い返してみれば、おまえ達のさっきの態度だって、オレの事を100%信用していたとはとても認められない様子だったように思えるがなー。つーか、最初ハナからオレの事を疑ってなかったかあ?」

 少々意地悪く煌侍が今度は反撃に転じると、またもや同じポーズで「う」と半歩後ずさる三姉妹。そのまましばらくの戦況膠着が訪れたが――


「そう言われちゃうと、あたし達だってにいさんに偉そうに言えたものじゃなかったね…」と暦。

「お兄様の気持ちを一番知っているのは私達なのに…。そんな大事な事を一時とはいえ忘れてしまっていたなんて……」と魅霧。

「兄さんに『反省して謝りなさい』なんて言っちゃって…。本当にそうしなきゃいけなかったのはあたし達の方だったのにね……」と絢華。

 不意に訪れた気まずい沈黙と重い空気。それを打破したのはやはり、兄である煌侍だった。勢い良くパンパンと手を打ち合わせる。


「あー、はいはいっ。しんみりタイムはこれにて終了っと!オレはおまえ達を全身全霊で愛してるし、おまえ達もそれに充分以上に応えてくれてる。疑いようもない真実にして事実が存在してるんだから何の問題もないじゃないか。なっ?」

 三者三様のうなずき。

 大抵の場合、極端なシスターコンプレックス傾向の強い兄は一方通行で終わる物だが、この焼刃家ではいささか事情が異なる。むしろそんな兄に負けず劣らず妹達の方も、いや、さらに輪をかけて強烈なブラザーコンプレックスを有しているのだ。


 仕事であちこちを飛び回って一年のほとんどを外泊する父と、異常なまでの低血圧と睡眠障害の難病で家事能力マイナス数値の帰って来ない母。彼らのような両親が人並の育児などを行なえるはずもなく、また親戚付き合いも皆無である焼刃家、物心がついた頃には煌侍は自主的に三人の妹の世話をたった一人で引き受けていた。自分と同じ年の頃の子供達が、外で元気に遊び回っている声を遠くに聞きながら。

 そんな事情を誰よりも把握していたのは、他ならぬその三人の妹達であった。兄への深き情愛は日ごとにつのって行くばかり、疲れ切って食卓の椅子に座ったまま眠る煌侍の寝顔を、手をつなぎ、言葉にならない様々な感情を込めた表情で並んで見つめた事もしばしばだった。


<6>


「で、にいさん、さっきの疑問の答えがまだなんだけど……」

 不安げな上目遣いで、こよみが催促する。残る二人もさっと居住まいを正し、表情を固く引き締める。微かに苦笑する煌侍こうじ

「あーあー、それね。その子が後ろから追っかけて来て話しかけてきたんだ。えっ……と、何つってたっけかなあ。ああ、そうそう、確か幸村ゆきむらさんとか名乗ってたなあ。あのごっついお屋敷に住んでる子。何でもおまえ達の学校の先輩だとか。知ってるか?」

 まるで路傍の石にでも蹴つまづいた事を報告するかのような煌侍の口調。それにポカンとする三人娘。が、絢華が堪え切れずにその沈黙を破った。


「で、兄さん、どうしたの?」

「どうしたのって、帰り道がいっしょだからって言うもんで、『ああ、そうですか』てな感じで仕方なく連れて歩いて。早く帰りたかったのによー。そんで、彼女の家の前で『じゃっ』」

「それだけ?」

「それだけ」

 今度は顔を見合わせる三姉妹。表情はまだポカーンモード。

「彼女をご覧になってどう思われました?お兄様」と今度は魅霧みむ

「そーだなあ。どこにでもいる娘じゃあないな、ぐらいかなあ。あとは思い付かん」

 三つの口から同時に発射される、大きな安堵の溜め息の塊。

「いやー、驚いちゃったよ。絢華あやか姉さんからこの話聞かされた時には。なんたって一番会わせたくなかった人だからさ」

 胸を大きく撫で下ろす暦を前に、煌侍は事態が全く飲み込めずにキョトンとしている。


「おいおい、ちゃんと説明してくれないとさっぱりわけがわからんぞ。おまえ達だけで祝賀パーティで盛り上がってんじゃないよ」

「あっ、ごめーん。幸村先輩ってばね、スーパーアイドルでトップスターのマドンナなんだよっ」

 嬉しさのあまり煌侍の周囲をピョンピョンと跳ね回っていた絢華が戻って来て言ったが、それは全く説明になっていなかった。それを暦が換言する。

「つまりさ、人望絶大、成績優秀、容姿端麗、運動神経抜群、明朗快活、ありとあらゆる面において非の打ち所がないってコト」

 それを聞いた煌侍の反応は。

「そおかあ~?そこまでの代物か?オレなんかおまえ達三人を見つめ続けてっから、あの程度の娘の事は、何とも思わんがねぇ。ありとあらゆる面において非の打ち所がない?それってむしろおまえ達の事じゃん」

「(はぁと)!!」X3


 心底惚れ込んでいる兄からの嬉し過ぎる言葉に照れ照れの三人だが、気を取り直すと暦が言う。

「にいさんがそう言ってくれるのは天にも昇っちゃう嬉しさだけどさ、正直今回ばかりは心配してたんだ。さすがのにいさんでも、相手があの人じゃあグラッと来ちゃうんじゃないかなあって。さらにマズイ事に、どうやら幸村先輩の方からにいさんの情報をさりげなくリサーチかけられたりしちゃった事もあったし。でもそっかあ、やっぱりいらない心配だったんだー。良かったーっ!」

 万歳連呼モードの焼刃シスターズ。微笑しつつ頭の後ろを掻く煌侍。


 その喧騒も一段落した時、居間に置かれた電話が音高らかに鳴り響いた。腰を上げかけた煌侍を魅霧がそっと制して電話へと向かう。受話器を手に取り、耳元へと寄せる。そんな一連の動作が非常に優美で、ついつい煌侍はうっとりと目を細めてしまう。一方の魅霧も煌侍の熱視線を横顔に感じ、嬉しそうにはにかむ。

「お兄様、お父様からです」

 左手で通話口を塞いだ魅霧が言い、持って来ようとする彼女を今度は煌侍が制し、ソファから腰を浮かせて歩み寄る。受話器を受け渡す時にお互いの手が触れる。頬を紅潮させ、俯き加減に小走りに離れる妹の後姿を愛しげに見やる確信犯の兄の右耳を、受話器からの胴間声が打ち付け、彼は甘美な世界より無理矢理に引き戻された。


<7>


「うほほ~いっ、こうちゃん元気ィ?チミのパパりんだおー。今ねえ、ボクちゃんってばロス!アン!ジェルス!にいるんだよー。L.A.よL.A.よ、すごいだろー、ねっ☆」

 ……相変わらずの父親っぷりである。こんな奴でも元はその名を轟かせた刑事にして、柔剣道合わせて十数段の猛者だったりする。現在は数々のスポーツや格闘技や護身術のインストラクターや事業などを世界を股に掛けて手掛ける中年実業家として、派手な成功を収めている。


「『煌ちゃん』はやめろってば。で、何か緊急の重大な用件でもあるんだろうな?わざわざ国際電話なんかかけて来やがって」

 受話器を遠く耳から放しながら応じる煌侍こうじ

「な~に照れちゃってんだか。ひさしぶりにパパンのお声が聞けて嬉しさ爆発のクセにぃ。まったく素直じゃないんだから、煌侍君ったら」

 段々イラついてきた煌侍、右のこめかみの辺りが痙攣を始める。“ある事件”から、彼の父・焼刃勘助やいば かんすけのキャラクターは180度逆転してこんなのになってしまった。それについては煌侍にも多分に原因があるので、あまり強く言えないのだが。

「自分で『ひさしぶり』って言って恥ずかしくないのかよ、この不良親父。父親の務めを正しく果たしやがれ。だーかーらー、用件は何だっつーの!」

「別にぃ。生きてるよー、忘れちゃ嫌だよーって。あー、親の務め云々は全部煌侍君に一任してっから安心♪。じゃあもうチミの声は聞き飽きちゃったからさ、次、絢華あやかちゃんかこよみちゃんに代わってちょーよ」

「……(怒)」


 呆れ果てて返す言葉すら失った煌侍は、絢華と暦に受話器を手渡すと、額を右手で押さえたままソファへとその身を深々と預けた。

「お疲れ様です。お兄様」

 半分苦笑、半分心配の微笑みを魅霧みむが兄へと向ける。

「いや、いつもの事さ」

 感謝の笑顔をたたえた煌侍が空いた左手で魅霧の髪をかいぐってやると、彼女は至福の表情で瞳を潤ませる。それを見つけた絢華と暦が受話器を慌てて放り出して抗議の声を同時に上げる。

「魅霧ちゃんズルーイ!」

「姉さん、そりゃないよ。にいさん、平等に平等にっ!」


 駆け寄って兄と魅霧の間に我先にと割り込む二人。かくしてまた、三姉妹と溺愛兄貴のかしましい宴が開始される事になるのだった。いつもの焼刃家の風景がそこにはあった。明日も明後日もあるであろう風景が。


 床に転がった受話器からは、全く訳が分かっていない父の疑問の声が空しく流れ続けていた。


<了>

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