車の音と、音はないはずの視線。
夏のホラー2026参加作品。
ホラージャンルが苦手な方はご注意ください。
あぁ、朝が来た……。
私は会社に向かうべく、体を起こす。
家を出て、駅まで歩く。夏の暑い日も、冬の寒い日も、駅までの道をひとり。
私を守ってくれるのは、夏はハンディファン、冬はコートくらい。
「車に乗りたい……」
朝の誰もいない道で、ポツリと漏れる独り言。
車に乗っていれば、クーラーやヒーターという私専用の快適設備も付いてくる。
だが、うちの会社は車通勤禁止だ。実家を出た時に車は手放したため、そもそも車を持っていないけど。
今は夏。駅まであと半分以上ある位置で、すでに汗が出ている。
あの交差点を渡ったら、だいたい駅まであと半分。
——ブオォォ
後方から車のエンジン音が聞こえた。
交差点の横断歩道まで、まだ距離がある私は、車の進行方向が交差点で右折だったとしても、その進路を遮る事はない。
車が右折し、私の視界の先にある横断歩道を横切る。
「……え?」
運転手が、何故かぐりんと首を右へ向けて、凝視してきた。
右折により速度を落としている分、その車はゆっくりめに私の視界を横切る。
運転手はその間、目を見開いて、こちらを見ているだけ。
「前、見なよ! 横断歩道に誰かいたら、轢いてるよ!」
思わずツッコミを入れてしまうが、もちろんドライバーに届くわけもなく。
本当に、前を見ずこちらを見ていたため、不気味さと危険しか無い。
それにしても、知らないおじいさんに凝視される理由などなく、ただ不気味さが私の中に残った。
とある日、いつも通り通勤していると、あの車が通り過ぎる。
——ブオォォ
今日の私は、この間の歩道側ではなく、車道を挟んで反対にいる。
信号の兼ね合いで、まだ渡れていないときは、進行方向を正面にすると左側の歩道を歩く。駅は右側の歩道の先にあるので、駅に着くまでには、どこかの信号で右側に行く。
信号の変わり方次第で渡るため、右側の歩道へ行けるタイミングは毎日違う。
今日は左側にいるから、あの交差点であの運転手の、凝視右折を見る事はない。
だが、私の横を通り過ぎた時、運転手は左側に顔を向けていた。
あの車の後ろには、高齢者運転標識——クローバーを模したマークが付いていたのが見えた。なんとも、危ない運転をしているなぁ。そんな思いも浮かぶ。
車の音と共に投げかけられる視線……。
夏の暑い気温も相まって、気持ち悪さが増える。
前見てよ。視線も怖いけど、いつか絶対に誰か轢くよ。
——ある日も、車の音と視線をもらう。
——別の日も……あの日も、あの日も……。
1度や2度なら気のせいと思えるだろう。
何度も見てくる。
よそ見運転も危ないし、何より気持ち悪い。
通勤時間を変えてみる。
少し早く家を出れば、2本くらい早い電車に乗れる時間になる。
ギリギリまで寝ていたいけれど、あの不気味さは味わいたくない。
道を歩いていると、コンビニの駐車場に、高齢運転者標識をつけた、あの車が停まっていた。
車の方を見ないように、足早に通り過ぎよう。
「あの、ハンカチ落としましたよ」
後ろから、女性の声が耳に届く。
周りに人はあまりいない。きっと私のことだろう。
「あ、すみません。ありがとうございま——、す」
ちょうど、あの車の横で止まってしまった。それに気づいてしまい、語尾が弱くなってしまう。
視線を感じる。
運転席に座り、駐車している車のドライバーには、おそらくこちらを見る用事はないはずなのに、顔を窓につけてそうな勢いで、こちらにギシギシとした視線を向けている姿が、視界の端に入る。
声をかけてくれた女性からハンカチを受け取り、頭を下げる。
女性は朝のランニングをしていたようで、爽やかな笑顔で走っていった。
私はそのまま車が視界に入らないよう、車の方をみないよう、反時計回りで体の向きを変え、駅へ向かう。
——ブオォォ
少し歩くと聞こえてきたクルマの音。
私は反射的に、車とは反対側へ顔を向けた。
音も声もなくギシギシと刺さる視線を認識する事が怖い……。
通勤路を、ほんの少しだけ変えた。
家から駅まで、ほぼまっすぐだから、大幅に変えることは難しい。
通りを1本変えたら、駅までの距離が増える。
けれど、あの車の音を、刺さるような視線を私は見たくない。
ただ、見てくるだけ。
声をかけられたり、触られたとかもなく、見てくるだけ。
何がしたいのかわからないけれど、気持ち悪いからやめてと、声を上げる事も怖い……。
通勤路を変えてから、音も聞こえなくなり、視線も見なくなった。
けれど時折、私の脳裏には、あのエンジン音が聞こえてくる気がして、後ろを振り返ってしまう。
そして音がないのに、ギシギシと鳴るような視線が浮かぶ……。




