優越の揺らめき
森の奥深く、苔むした稲荷の社が、月光のヴェールに包まれていた。
古い鳥居の影が長く伸び、杉の葉ずれがささやくように響く。
ここは狐族の秘められた領域――霧が幻を織りなす、時間の流れが緩やかな境。
ココは社の石畳に静かに座り、銀色の毛並みを月明かりに委ねていた。
九つの尾が、控えめに弧を描く。
その瞳は、穏やかな喜びを湛え、訪れた影を見つめていた。
「老師様、私に会いに来てくださるとは嬉しいです。
本日はどうなされたのですか?どんな事でも私におっしゃってください。老師様と共に過ごせるだけでもとてつもなく幸せなのですから」
言葉の余韻が、霧に溶ける。
喜びが抑えきれず、背後から一筋の尻尾がぴょんと現れ、ゆらゆらと揺れた――まるで、子狐の無垢な喜びが、夜風に踊るように。
社の鈴が、かすかに鳴り、森の息づかいを伝える。
九弦は、古い杉の根元に腰を沈めていた。
白銀の毛並みが、長い歳月を語るように淡く輝き、九つの尾は静かに畳まれ、影を落とす。
その眼差しは、深淵を覗く井戸のよう。
ゆっくりと、声が響く。
「まぁ、今日は色々話がありましてな。ココよ、お前は狐族という物をどういった種族と考えておる?」
風が一瞬、止まる。
ココの耳が、微かに動く。
瞳が輝きを増し、胸を張る動作が、月の光に映える。
「狐族は古くからの神聖な種族です。我々は自然と調和し、強い魔力を持っています」
九弦の口元に、微かな笑みが浮かぶ。
霧が二人の間を滑り、狐火の幻影が、木々の隙間を一瞬照らす。
「うんうん。もっと具体的にいこうか。人間や魔族に比べて、狐族はどういう存在だ?」
ココの鼻先が、誇らしげに持ち上がる。
尾の先が、わずかに震える――優越のさざ波が、体を伝うように。
「当然、狐族こそ至高の存在です!人間どもは愚かで弱く、魔族は野蛮。我々こそが最高位なのです」
九弦は小さく頷き、しかしその目に、影が差す。
夜風が再び動き、葉ずれがささやきを増す。
一瞬の間が、森の静寂を深める。
「うん。お前もそう思うか。いや、俺もそういう風に思ってたんだけど、ちょっと最近思う事があってな……」
霧が濃くなり、二人の輪郭をぼかす。
ココの呼吸が、わずかに乱れる。
「……俺ら狐族って浮いてない?」
驚きの波が、ココの体を駆け巡る。
耳がピンと立ち、瞳が揺らぐ――まるで、霧の中の幻が揺らめくように。
「え、浮く……ですか?そんな事はございません!私たちは立派な種族です。他のどんな種族より優れているはずです」
九弦の尾が、静かに一振り。
月の光が、社の屋根を滑る。
「いや、そこは俺も思ってる。俺達は他のどんな種族より優れてる。それは、狐族が一番だ。ナーンバーワーン!」
九弦の声が、わざと大仰に響く。
両手を広げ、森の闇に溶け込む動作が、どこか戯れめく。
「でも、俺達に比べたら、人間とか魔族ってバカだろ?そのせいで、結果的に俺達が浮く形になってないか?」
ココの瞳が、困惑の渦を映す。
尻尾の揺れが、ぴたりと止まる――静かな波紋が、心に広がるように。
「確かに……言われてみれば、私たちの方が圧倒的に優れているのに、孤立してしまうのは望ましくありませんね」
九弦の目が、鋭く光る。
風が強く吹き、社の鈴が、再び鳴る。
「そうそう!俺が言いたいのは、その『孤立』よ!?孤立って漢字考えてみろ!?俺達、狐って漢字が入ってるだろ!?なんか、俺達が浮いた存在の代名詞みたいになってるだろ!?」
森の闇が、深く息を吐く。
ココの表情が、凍りつく――一章の幕が、霧に閉じられる。




