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寮は侍女も住める貴族用のため一人部屋は勿論、侍女用の部屋やお風呂場や簡易キッチンが用意されている。
ここで食事を摂っても、食堂で摂ってもいいらしい。
私は明日からの学院に向けて準備をはじめた。ここは私の好きなように過ごしていいのよね。
一年生は基礎を学び、二年生からは基礎の授業を受けた後、将来に向けた科目を選び、クラスを移動することになっている。
領地経営・経済科、薬学・医学科、淑女科、侍女科、執事科、騎士科、文官科と分かれており、女子の大半は淑女科と侍女科を選び、男子の大半は執事科、騎士科、文官科を選ぶんでいる。
ルーカス様と婚約していたなら領地経営科を専攻していたと思うけれど、これからは違う。
次女の私は将来の相手が居なくなり働かなければならない。だけど侍女を希望しようにも爵位が高すぎる。私は薬学科を専攻することに決めた。
侯爵家は茶葉の一大産地なの。その一部では王宮に卸す薬草も栽培している。幼い頃から領地に住んで視察をしていたおかげで薬草には詳しいわ。
きっと薬草の知識を活かせると思う。将来は薬師なんて良いかもしれない。
うん、そうしよう。薬師を目指してみるわ!
明日から楽しみ。けれど不安もある。
数日のうちに入寮が決まり慌ただしく動いたけれど、私は明日のために気持ちを切り替えて早めに寝る事にした。
翌朝、早くに起きて食堂で食事をした後、少し緊張した面持ちで登校する。二年生になっても変わらないクラスのメンバーに安堵の笑みを浮かべた。
「トレニアさん、話は聞いたわ。グリシーヌ様ほどの美しさならルーカス様の気持ちも分からなくはないですが……。こればかりは縁ですし……。トレニア様からすればたまったものではないですよね。同情致しますわ」
「きっと次は大丈夫ですよ。気落ちしないでくださいね」
やはり予想していた通り姉や婚約者の話が話題に登ってしまった。
批判はされなかったけれど、同情され、可哀想な二番目という二つ名が本当に憐れみを持って言われてしまうこととなる。
うぅっ、同情されていた堪れない事この上ないわ。
けれど、いい面も少しはあったの。
婚約者のいなくなった私はクラスメイトから気を使われ、あまり話さない人も心配して声を掛けてくれるようになった。
その中でも特に親しく接してくれるようになったのはジョシュア・ドナート侯爵子息だ。
彼は侯爵家嫡男なのだが、四年程前に婚約者が病気で亡くなったらしい。彼女を思うあまり新たな婚約者は作らないのだとか。
ジョシュア様の容姿はとても素晴らしく、その上紳士で令嬢だけでなく同性から人気があり、彼の周りを取り囲んでいるのをよく見るわ。私から見ても素晴らしい方だと思うの。
そうは思ってはいても、ただ思うだけ。
たとえ『彼を次の婚約者に』と望んでも私の家族のことを考えればきっと難しいわ。
それに今の私は婚約者探しより就職に向けた勉強を優先しなければいけない。
寮生活を始めて暫く経つと、自分でも出来ることが増えてきて快適に過ごせるようになってきた。
身支度も一人でこなせるようになってきたわ。それに食事も自炊を始めてみたの。まだ野菜をザクッと切って鍋で煮て味付けしたスープしか作れないけれど、出来る事が増えてとても楽しい。
以前は学院の勉強と領地の勉強、週末には視察や婚約者とのお茶会で休む暇が無かったけれど、休みの日は学院の図書室に行くこともある。学院の勉強だけに専念ができる。
それがとても嬉しいと感じているの。
朝、いつものように教室に入り、クラスメイトと話をしている時にジョシュア様が声をかけてきた。
「おはようございます。ドナート侯爵子息」
「ジョシュアだ。君と知り合ってもう二年になる。婚約者もいないのだし、名前で呼んで欲しい」
「分かりましたわ、ジョシュア様」
「トレニア嬢、最近街で流行っているケーキを知っているか?」
「いえ、街に出たことがないので存じ上げませんわ」
「そうか」
「どうかしたのですか?」
「いや、妹に頼まれたんだが、場所がどこかわからなくてな」
「そうでしたか。お役に立てずに申し訳ありません」
「いいんだ。それよりもトレニア嬢は街へ出かけた事がないのか?」
ジョシュア様は妹のケーキよりもそちらの方が気になったようだ。
「ええ。残念ながら。私、ずっと領地で過ごしていましたし、学院に通うために王都に戻ってきてからは勉強で忙しかったもので、街へ出る時間がなかったのです」
「そうか。今度、私と街へ出てみないか?今は隣国のターランドの行商が中央広場に来ているらしい。トレニア嬢の興味を引くものがあるかもしれない」
私はジョシュア様の言葉にどうしようかと考えた。街に一度も出たことがないので行ってみたい。でも、勉強をしなければいけない。
「えっと、ジョシュア様からのお誘いはとても嬉しいのですが、勉強があって……」
私は折角の誘いを断ることがとても申し訳なく思い、尻すぼみになってしまった。
けれど、ジョシュア様は笑顔で話す。
「じゃあ、学院から一番近い商会に行くのはどうかな?ここからすぐだし、妹から聞いた話だと、可愛い筆記用具が揃っているそうだ」
私は可愛い筆記用具という言葉に心が揺さぶられた。どんなものなのかしら? ちょうど黒のインクも無くなりかけていたし、買いに行ってもいいかしら。
「可愛い筆記用具ですか? ちょうど黒のインクが無くなりそうなのでどこかで買おうと思ってはいたのです。ご一緒してもよろしいですか?」
私が遠慮がちにジョシュア様に言うと、ジョシュア様は笑顔で頷いた。
「ああ、もちろんだ。では午後の授業が終わったら一緒に行こう」
「はい。楽しみにしていますね」