5 侯爵家 シガールーム
トレニアの父、マルスは一人葉巻に火を点し紫煙を燻らせている。
陛下からグリシーヌのやったことは冤罪だと認められたが、グリシーヌの我儘が殿下や周りの従者たちから嫌われる程だったとは気づいていなかった。
殿下がグリシーヌに愛想を尽かし、冤罪をかけてまで婚約破棄をしたかったのだと思うと憤りを感じる。
だが元はといえば我が侯爵家から王子妃が出ると周囲が浮かれ、グリシーヌを幼少期より甘やかし過ぎたのがいけなかったのだ。反対にトレニアには我慢をさせ過ぎた。
黙っていたから気づいていなかった。
いや、私のせいでトレニアは黙ることしかできなかったのだろう。
トレニアは見た目で母親から拒否され、領地に住むことになった経緯がある。
王都に帰ってきてからも服は最低限しか買い与えられず、勉強漬けにし、お茶会にも参加させていなかったとは全く気づいていなかった。トレニアが怒るのも無理はない。
むしろそこまでよく我慢していたものだ。
トレニアが小さい頃、私は仕事が忙しく家族を構っている暇はなかった。それをいいことにファナは私にトレニアは病弱なので領地で療養させたと事後報告してきたのだ。
トレニアは健康であったと気づいたのはほんの数年前だ。
領地から報告書を書いて送ってきたのだが、トレニアが視察に周っていると書かれており、疑問を抱いた。
病弱で療養先の邸から出られないのではなかったのか?
ファナに問いただせば『ああ、そんな娘がいたわね』と思い出したように話をしていた。
ファナはもちろんのこと、侍女長やファナに付いている侍女から詳しい話を聞いた。そうしてファナの行いを知ることとなったのだ。
自分の娘の見目を気にして領地送りにする妻に怒りを隠せなかった。
グリシーヌも妹のソニアも傾国の美女と言われる程の令嬢だ。母のファナも鼻が高かったのだろう。
それに加え、学院が始まるために王都に戻ってきた娘のための必要な金を使い、グリシーヌとソニア二人の装飾品やドレスを購入し、肝心のトレニアには化粧品の一つも買い与えていなかった。
私も気づいていない、いや気づかないふりをしていた時点で同罪だ。
―コンコンコン
「入れ」
「義父上、ここにいましたか」
「ルーカスか、どうした?」
ルーカスはトレニアとの婚約解消からどんどん窶れている気がする。トレニアが声を上げてから知った事実は多く、私でさえ驚いたのだ。
ルーカスからすれば相当だろう。それと同時にトレニアを裏切ったことへの罪悪感で一杯のようだ。
「義父上にグリシーヌの散財を止めて欲しくてお願いに上がりました。これでは侯爵家はすぐに立ち行かなくなります」
ルーカスは愚痴を言いにきたのかと思ったマルスだが、グリシーヌが一ヶ月に使った費用の紙を見てその額に驚愕する。
ルーカスはグリシーヌと婚約してから侯爵家へ勉強も兼ねてよく来るようになっている。グリシーヌを好いているのだからと黙っていたが、彼は早々にグリシーヌの我儘に嫌気が差しているようだ。
今まで本当に何も見えていなかったのだろう彼も。私も。
彼は伯爵家の三男だからこの婚約が無くなると平民となる。つまり、後が無いのだ。それはこちらとしても同じだ。
グリシーヌはあれだけ王宮で嫌われる程の我儘。貴族中に知れ渡っているはずでまともな婚約はもう望めないだろう。
ルーカスとの婚約を白紙にしたところで侯爵家に婿養子に入ってくれる男は下位貴族かグリシーヌを金としか見ていない男になる。
それではグリシーヌのプライドは許さない。きっと次に婿に迎える男を追いつめてしまうに違いない。考えただけでもため息が出る。
「分かった。セバスにグリシーヌとファナ、ソニアの買い物を止めるように指示を出しておく。ルーカス君、苦労を掛けるな。私ももっと娘を見ていたらもっと違っていたと思う」
「義父上、俺ももっと知っていれば、もっとよく見ていれば……。トレニアを妻に選んでいたと思います。俺がトレニアを傷つけた、グリシーヌを望んだから。しっかりと責任を取ります」
私はルーカス君に葉巻を渡し、二人で静かに紫煙を燻らせる。
煙はゆっくりと天井へと消えていった。