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私の忙しい感情とは違い、馬車はゆっくりと伯爵邸に着いた。
「ターナおぼっちゃま。お帰りなさい」
燻し銀のような素敵な姿の執事が出迎えてくれている。
「ただいま、ファルム。父上と母上はいるか? 未来の妻を連れて来たと伝えてくれ」
え? 妻!?
ここでも展開が早すぎない? と一瞬固まってしまったわ。私と同じくファルムさんも妻と言う言葉に固まってしまった。やはりそうよね。唐突な言葉で執事も困ってしまうわ。
「ターナ様、私達はまだ婚約も…」「おぼっちゃまの横におられる方が未来の奥様なのですね!!! 急いで邸の皆に知らせて参ります!!!」
私とは違う意味で固まっていた!
ファルムさん感涙し、涙は滝のように流れている。そして後ろにいた侍女さん達も泣きながら去って行ったわ。
え?
どういう事!?
私はターナ様の家の使用人達に驚きを隠せずターナ様に視線を向け口を開いた。
「あ、あの、ターナ様。私はどうすれば……」
「トレニア、サロンはこっちだ。心配しなくていい。ファルムはちょっと涙脆いだけだ」
何かちょっと違う気もするけれど、とりあえずこの場は静かにしているべきよね。
私は猫の子を借りてきたように静かに従者が呼びに来るのを待った。
「おぼっちゃま、旦那様と奥様がサロンでお待ちです」
執事のファルムはそう言うと、私達はサロンに案内される。グレイル家は確か代々文官を輩出している家でグレイル伯爵は今、大臣を務めていたはずだ。
サロンへと続く廊下の壁は白を基調としていて窓から中庭を眺められるようになっている。掛けられてある絵画は趣があってとても素晴らしいわ。
「ここが我が家のサロンだ」
ターナ様はそう言って扉を開けた。
扉を開けた先にはご両親と思われるお二人がソファへと座っている。
グレイル伯爵は王宮で何度かお見かけしたことはある。痩せ型でスーツが似合う方だ。女性の方は優しそうで上品な感じを受ける。
ターナ様はどちらかといえばお母様に似たのだろう。
二人をよく見ると、執事同様に目を真っ赤にしていたわ。
二人とも!?
私はここでも驚きを隠せないでいたけれど、私の動揺に反してターナ様はとても落ち着いている。
「父上、突然の呼び出し申し訳ありません」
「ターナ、構わない。そちらが我が伯爵家へと、ターナのお嫁さんになってくれるというご令嬢かい?」
「ええ。彼女と今すぐにでも結婚したいと思っています」
「不躾でごめんなさいね、お名前を伺ってもよろしいかしら?」
ターナ様のお母様が心配そうに尋ねた。
「私、トレニアと申します。現在マード薬師長の下で薬師として働いていてターナ様には良くしてもらっています」
するとターナ様のお父様は目を見開いて立ち上がり、私の両手を取る。
「君が噂のマード公爵の愛弟子か。噂はかねがね聞いているよ。とても素晴らしい方だと聞く。確かガーランド侯爵家のお嬢さんだったね。
君が我が家に嫁に来てくれるなんて!! ターナ! でかしたぞ! すぐ婚姻届を! 逃げられる前に!」
えええっ!?
私は驚きと共にぶんぶんと振られる手にどうしていいか分からず周りを見ると、ターナ様のお母様も執事のファルムも後ろで控えている侍女達も涙をハンカチで拭いている。
何!?
この状況!?
「父上、トレニアが困っています。まず、手を離して下さい。俺の未来の妻に触れないでいただきたい」
つ、つまっ!
妻って言ったわ!?
ターナ様はお父様を私から切り離し、席に座らせる。
「トレニア、これで分かったかい? 我が家は君を大歓迎なんだ。俺達が婚姻するのに何の障害もない」
「トレニア嬢、驚かせてすまない。我が息子、ターナの何処を気に入ってくれたのだろうか?」
私はターナ様のお父様が被せ気味に聞かれたのでちょっと焦る。
「えっと、ターナ様は職場で優しくて紳士だし、薬の知識がとても豊富でお話ししていても楽しいと思います。
今日は初めてターナ様からお誘いがあって植物園に行ったのですが、ターナ様に言われ、そのまま伯爵家に付いて来てしまい申し訳ありません」
伯爵家の状況に動揺しながらも務めて冷静に話をする。
「もしかして初デートだったのではないかしら!? もうっ、ターナ、お母さんは心配だわ。いつも初日からご令嬢達を怒らせてしまうのだもの。トレニアさんは大丈夫かしら? びっくりしたでしょう? 無理難題を吹っ掛けられていないかしら?」
横からターナ様のお母様が心配したように聞いてくる。
「初めての植物園で『妻に』と言われて驚いてはいますが、ターナ様は素敵な方なので…まずはこのままお付き合いをさせていただきたいと思っています」
私の言葉を聞いたターナ様以外の人達は一斉に拍手し始めた。
どういう事!?
私は何か間違えてしまった?
「ターナ、こちらの素晴らしいご令嬢を逃してはいけない。すぐに婚約の手続きを!」
「……あ、あの。伯爵様」
「何だい? 未来の我が娘」
「私、平民で貴族ではないので婚約は難しいと思うのですが……」
貴族は身分の違いで婚約できないことはよくある話だ。
ターナ様が将来家を継ぐのであれば平民を妻に迎えたと周りは喧しく騒ぎ立てて足を引っ張ろうとするだろう。
やはり私は身を引くべきなのではないかと考えが過った。
「それは大丈夫だよ。我が家は平民でも何ら問題ない。そうだな、強いて言えば夜会の時に君を悪く言う令嬢が居るかもしれんな」
「父上、トレニアの父上、ガーランド侯爵に復籍願いを出せば大丈夫だと思います。トレニア、家に戻りたくなければマード薬師長に頼むかい?」
「そうですね。養女となるには貴族達の顔合わせや紹介等、時間や手続きがありますから薬師長にはお手を煩わせる訳にはいかないですし、父に話しをしてみます」
「旦那様、急いで手続きを行いましょう」
「……そうだな。ではこちらで出来る書類をすぐに用意しよう。ファルム、すぐに執務室へ!!」
ターナ様のお父様と執事は思い立ったら吉日と言わんばかりに忙しなく部屋から出て行ってしまった。
「トレニアさん、書類が出来るまでターナと中庭を散歩してきてはどうかしら?」
ターナ様のお母様はまた目を拭い、微笑みながらターナ様に連れていくように促しているわ。
「そうだ。トレニア、中庭を案内しよう。俺の自慢の植物を紹介しないといけないな」




