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「ローサも疲れたでしょう。私も少し休むからローサも今の間は休んでおいて」
「畏まりました」
私はそう言ってローサを下げてから湯浴みを準備し、ベッドに転がる。
私が案内された客室は飾り気がないものの、家具の一つひとつが上品で素晴らしい。
今まで経験したことがないからか、旅という非日常からくる感情なのかは分からない。
この感覚を表現するとすれば部屋は切り取られたかのような、特別な空間として気持ちが引き締まるようだ。
この滞在は私にとって生涯の思い出となる時間だわ。
お湯も張った所でお風呂に入ろうとした時、ローサが慌てて入ってきた。
「お嬢様、私が準備致しますので次からはお申し付け下さい。身体も洗わせていただきますね」
そう言われて全身をこれでもかという程洗われた。人に洗われるなんていつぶりかしら。王都に戻ってから姉や妹には専属の侍女が付いていたけれど、私には付いていなくていつも自分でやっていたのよね。
お風呂から上がり、ローサは丁寧に髪の毛を乾かし香油を塗る。
「お嬢様、もうすぐお夕食です。軽くお化粧もしますね」
そう言って軽く化粧も始める。私としては化粧をしたところであまり変わらないし、姉達のように絶世の美女にはならないとちゃんと自覚しているわ。
比較され過ぎて化粧をしてもしなくても変わらないとすら思っているもの。
そうこうしているうちに従者が夕食を知らせにきた。私は食堂まで従者に案内され、後をついていく。
窓の外に見える景色は暗い中でも月の光に反射された波が見える。
「ここから海が見えるのね。とても神秘的ね」
「今は月明かりに照らされて幻想的ですが、日中は日の光で煌めいて穏やかに見えますよ」
案内してくれている従者が答えた。明日は海という物をもっと近くで見てみたいわ。
「ジョシュア様、お待たせ致しました」
「トレニア嬢そのワンピースとてもよく似合っている」
「ありがとうございます。嬉しいですわ」
定型文のような言葉をやり取りして席に着く。
「あ、いや、お世辞ではないから」
「? ありがとうございます?」
ジョシュア様は何故か焦ったようにそう話していると、食事が運ばれてきた。
久々に食べる貴族料理は私の目を楽しませた。牛肉の赤ワイン煮は香り高く食欲を掻き立てている。
ゆっくりと一口切り取り、口に運ぶと肉の柔らかさに自然と笑みが零れだす。
……美味しいわ!
私が味わいながら一口、一口、噛み締めていると、その様子を見ていたジョシュア様が微笑んでいる。
「トレニア嬢は美味しそうに食べるんだな」
「ここの食事はとても味わい深く、美味しいですもの。素材の味もさる事ながら料理人の腕も素晴らしいですわ。感謝して食べなくては失礼に当たります」
「口に合って良かった。トレニア嬢が喜んでいたと料理長に伝えておく。そうだ、明日から行きたい所はあるか?」
明日の予定かぁ。先程従者が言っていた月夜に照らされてキラキラ光る海も素敵だけれど、日の光に輝いている海も見てみたいわ。
「明日は海を見てみたいと思います。ジョシュア様は視察へと向かわれるのですか?」
「海か、良いな。朝なら一緒に行ける。ではそのように手配しておく。午後から三日程領地内の視察に出かけるのだが、トレニア嬢も一緒にどうだ? 今まで跡取りとして領地視察に出かけていたんだろう?君の意見も聞いてみたい」
私は特にすることもないし、保養地の視察ができるのは嬉しいわ。
「ジョシュア様、あまりお役には立てないとは思いますが 、私でよければ同行させて頂きます」
「ありがとう。トレニア嬢と一緒に行けると思うと視察も楽しくなる」
私は美味しい食事を終えた後、部屋で明日の準備をしてから眠りにつくことにした。
私は元々荷物が少ないのですぐに準備が出来たわ。
「お嬢様、荷物が少ないとは感じていましたが、本当にこれだけでいいのですか?」
「ローサ、これでいいわ。いつも視察に行くときはこの荷物よ」
「お嬢様、全然足りません。この旅行中、街に出たら買い足しをしていきましょう。お嬢様は磨けば光るのです。もっと着飾りましょう」
「そう? まあ、気が向いたら買い足すわ」
ローサは私の荷物が少な過ぎると文句を言っていたけれどそこは気にしない。
翌日、早朝からローサは従者達と荷物を馬車に運び入れ、既に準備は完了のようだ。
私達は馬車に乗り込み、海に出る道を進んでいく。馬車から海が見えるにつれ、潮の香りや波の音も聞こえてくる。私の気分も高まっていくわ。
砂浜に入る前に馬車を止めてジョシュア様のエスコートで海辺に降り立った。
ローサは敷物を馬車から取り出し、さっと広げて敷いている。
「ジョシュア様、海ってこんなに大きいのですね。日の光で輝いていて見ているだけで胸がいっぱいになります。本で読んだだけでは伝わらないものだらけですわ。
潮の香りや風、波の音、海の青さ本当に素敵です。私を連れて来て下さってありがとうございます」
「トレニア嬢が喜んでくれて良かった。少しの時間しか取れなくてすまない。また時間が取れたらここに来よう」
「ジョシュア様、私はこの景色を目にできただけでも幸せですわ。でも、また来る機会があれば是非お願いしますね」
私はそう言うと、ジョシュア様はふわりと微笑んだ。
「よく見ると、砂浜の砂に交ざって綺麗な貝が落ちているわ」
「ああ。そうだな」
私はこの足元に落ちている綺麗な貝殻を拾って集めることにしたの。王都の装飾品を扱う店では貝殻のアクセサリーを見かけることがある。
漁師が海に出て採ってくるのだと思っていて砂浜に落ちているものだとは知らなかった。ローサにお願いして拾った貝殻を小瓶一杯に入れて持って帰ることにした。
ローサが後で髪飾りの土台部を用意してくれると言っていたわ。
自分でアクセサリーを作ることが出来るだなんて凄い。その様子をジョシュア様が笑顔で見ていることに気づき、少し恥ずかしくなったわ。
少しの時間だったけれど、私はとても楽しめた。