翼の生えた猫〜02〜
私立青代高校から徒歩で数分、住宅街から外れた場所に小さな駅がある。昔からある駅で、所々寂れているが、人の往来は多い。
駅の前には小さな通りがある。10年以上続く個人経営の飲食店に、服屋や電気屋が並んでいる。駅同様、昔ながらの店舗だが、土日祝日などは学生の来店する所をよく見かける。
服屋の前を通り過ぎて横道に逸れる。人気の無い路地に一軒、こじんまりとした喫茶店がある。店の外観は比較的新しいが、外から店内を覗くことが出来ず、入り難い雰囲気がある。
『純喫茶あきら』、若い青年のマスターがひとりで経営している。テーブル席が二席にカウンター席が幾つか。席数は決して多くなく、お世辞にも賑わっているとは言えない、そんな喫茶店。
僕はこの日、部活の先輩の誘いでこの喫茶店に来店していた。
妓詠真先輩は、テーブル席に腰掛けている。僕は向かいに腰掛け、先日、ほずみ先生からの頼まれごとについて話していた。
「なぁるほど。」
先輩は呟くようにそう言い、コーヒーを啜る。
「それで、私達に探偵ごっこをやらせようってワケね。」
「まぁ、そう言うことになりますね。」
僕の手元には、上品なカップがある。中にはカフェラテが入っている。先輩の方はブラックコーヒーだ。
店内には、僕ら以外の客はいない。マスターは退屈そうに眼鏡を拭いている。滅多に見ないような美形な顔立ちであるが、よく見ると頬の辺りに何かが掠めた様な古傷がある。いや、詮索するのは良い趣味ではないだろう。
「その頼み事、やりましょうか。」
「え。」
「あの人の事はあまり好きではないけど、部室の分の借りがあるからね。それに、報酬も出るみたいだしね。」
そう言って先輩は、マスターに声をかける。
「すみません、コーヒーをもう一杯。」
マスターは黙ってコーヒーを淹れる。焙煎やらドリップやら、詳しい事は何一つ分からないが、カップにコーヒーを注ぐ姿は様になっている。
「取り敢えず、今ある情報を整理しましょう。」
先輩はコーヒーを飲み干し、手提げバッグから買ってペンとメモ帳を取り出す。ペンは銀を基調に黒いラインの入った高そうな代物。メモ帳は赤い表紙の、少年心がくすぐられる格好いい物で、如何にも「探偵っぽい」ものだった。
先輩はメモ帳にペンを走らせつつ、話し始める。
「発端は、夏休み中頃。信号を待っていた野球部員が、赤信号にも関わらず横断歩道に踏み出した。一緒にいた生徒が止める為声を掛けようとするも、間に合わずに事故に遭う。結果、野球部は一週間程活動を休むことになった。
次も、夏休みかしらね。被害に遭ったのはサッカー部の部員。練習を終えて、帰りを待っていた所。日が沈み出した頃だったかしら。複数人で信号を待っていた所、ひとりが急に進みだし、あわや事故に。
三度目、四度目はテニス部だったかしら。どれにせよ、日が沈みかける時間帯に起きた事だったわね。
先生の話によると、夏休みに緊急の職員会議が開かれて部活動が原則午後二時までになった。」
ここまでは合ってるわね。先輩はそう言ってカップを口に運ぶ。先輩はコーヒーを飲んだ後、少しだけ舌を出す癖がある。お茶や水を飲む時はそんな仕草をしないので、コーヒー限定なのか、はたまた苦い飲み物全般でそうするのか。たぶん無意識でやっているので説明もつかないだろうけど。
「えぇ。先生から聞いた通りですね。」
僕も飲みかけの紅茶を口に運ぶ。と、飲み干してしまったようだ。
「すみません。僕にもコーヒーを。」
僕ら以外に客が居ないのを良いことに、座ったままマスターに声を掛ける。
マスターはこくりと頷き、カチャカチャとカップを用意し始める。
「コーヒーで良かったの?紅茶じゃなくて。」
「初めての店なんで、色々頼んでみようかと。」
「そう……。」
じゃあ、続きを話しましょう。窓はなく、扉からも外の景色は見えない。喫茶店という非日常のなか、先輩は話し始める。
「夏休みが明けてすぐ、おかしな噂が流れ出した。なんでも、『最近、立て続けに事故が起きているのは、翼の生えた猫のせいらしい。』ってね。誰が噂を流し始めたのかは分からないけど、広めたのは現場にいた運動部員達なのよね。
『そう言えば、猫の鳴き声を聴いた。現場に白い羽が落ちていた。』誰も彼も口を揃えて、奇妙な噂話を肯定したわ。
噂が現実味を帯びてきたのも、すぐのことだったわね。放課後、信号を待っていた生徒数人が、猫の鳴き声を聞いた。その直後、ひとりが赤信号のまま歩道に歩き出し……。現場に白い羽が落ちていた事が、非科学的な現実を認識せざるおえない状況にした。」
「教師達の話し合いの結果、一応、学校にお祓いをしてもらうよう頼んでみるそうです。それと、地域の人達に、事故について聞き取り調査をするんだとか。」
ひと通り振り返ってみて、本当に怪異の仕業ではないかと思い始めた。六月の一件以降、そう言う出来事に出逢っていない訳ではなかった。これまでの体験が、怪異の説を推す判断材料として、充分過ぎたのだ。しかし、翼の生えた猫、それも白い翼だ。姿形はどの様なものだろうか……。
「睦美くん。」
「あ、はい。」
考え込んでいた所、先輩の声で現実に引き戻される。
「地域への聞き取り調査だったり、お祓いだったりは先生方でやるんでしょう。私達は、事故が起こるって言う歩道を見張ってみましょうか。」
「そうですね。誰かが、イタズラをしているのかもしれないですし。」
「それじゃあ、この話はここでお終い。」
先輩は柏手を打つように両手を合わせる。
「せっかくの休日だもの、楽しい話をしましょう。」
丁度、マスターが新しいカップを運んできた。
「空いた容器は、お下げしますね。」
「あぁ、ありがとうございます。」
熱いうちにと、コーヒーをひと口。程よい苦味で、酸味が少ない。僕の好きな味だ。
「そう言えば睦美くん。今日は何か予定があったりするかしら?」
「いえ、課題も無いですし約束事もありませんよ。」
「なら、これから買い物に行かない?近くに、怪しい本屋があるのよ。」
「まぁ、いいですけど。」
「きまりね。」
僕達は早々にコーヒーを飲み干し、会計を済ませる。
「奢るわよ。付き合ってもらってるんだから。」先輩からそう言われたので、素直にご馳走になる事にする。こう言う時に遠慮し合っても、仕方のないものだと互いに理解している。
喫茶店を出た僕らは、少し歩き駅から離れた本屋へ向かう。古ぼけた建物に、ボロボロの看板が立て掛けられている。看板には達筆な字で『ななしのほんや』と筆の運びに似合わない名前が書いてあった。
店内にはくたびれたナリの中年男性がひとり。カウンターに座っている。僕らはいくつか並んだ本棚から何冊か本を物色する。
「何かいい本見つかった?」
「えぇ、昔読んでた作家の詩集を見つけました。」
「収穫ね。」
値札を見ると、75円。学生には嬉しい設定だが、採算は取れているのだろうか。学生が考えることでもないのかも知れないが。
本を数冊買って、僕達の長いようで短い会合は終わった。休みが明けてから、少し忙しくなりそうだ。