不幸なんて蹴っ飛ばした令嬢の話
「私は将来、お父様の後を継いで、女男爵になるの!」
僕の幼馴染、カロリーナは、昔からとっても強かった。帽子が風に攫われれば、自分で木に登って取った。次の日には帽子に紐をくくりつけてきた。ブンブンと頭を振り、夕陽色の髪を揺らしながらこう言った。
「これでもう飛ばないわ!」
村の子供が池に落ちると、ドレスを脱いで飛び込んだ。そうして助けて自分が溺れかけた。すると次の日には泳ぎの本を読んで、その次の日には練習を始めた。
「もう二度と溺れたりなんてしないんだから!」
湖畔を映したようなエメラルドグリーンの瞳は、いつもキラキラと輝いていた。
「お父様方は何をお土産に買ってきてくださるかしら。本や流行りのお菓子だったらいいのに」
「……ドレスとかじゃないかな」
「それも素敵ね! さ、森のベリーを摘みにいきましょう!」
カロリーナはそう言って僕の手を引っ張る。
僕とお付きのメイドは顔を見合わせて苦笑した。
「君のそういう明るいところが好きだよ」
……でも彼女の無邪気な笑顔を見たのは、これが最後だった。
嵐の日の夜、王宮に向かう途中で男爵と夫人が亡くなった。崖が崩れて谷に落ちたのだと、早馬で知らせが来た。僕はその時、カロリーナの側にいた。
彼女の絶望した顔を、初めて見た。
「私が継ぎますわ。お祖母様が後見人としておりますから」
数日後、葬儀が済んだ彼女は、背筋を伸ばしてそう宣言した。齢十二歳だった。
「あんな耄碌している母がなんの頼りになるというんだ!」
「……私こそが、男爵家第九代当主です。その事実は私が生きているかぎり、永劫に変わりません。お引き取りを」
随分と年上の男はたじろいだ。後で彼は親戚だが罪を犯し現在は庶民なのだということを聞いた。毅然として言い放つその姿は、気高くて凛としていて。お転婆娘の彼女の姿を、絶望した彼女の顔を思い出せなかった。
そうしてカロリーナが男爵家を継いだ。
僕も、隣の領の令息として、できるだけ支援した。
「小娘に領地を任せられないって、言われてしまったわ。まずは、領主として信頼を築かなくては」
けど、そう上手くはいかなかった。領主様の愛娘を可愛がっていた村の人々は、新しい領主様であるカロリーナを不信に思った。
その日から、カロリーナは時間の合間を縫っては、領内の村に、領主として通った。これからどうやっていくのかを話し、一緒に問題を解決していった。
「とにかく知識と経験が足りないの」
それだけでなく、家の切り盛りや領地の管理、他領からの信用。問題は山積みだったのを黙々と進めていった。男爵家を存続させるためには、それしか道がなかった。何度も助けようとして、断られた。巻き込むつもりはないと言われた。
そしてとうとう、体を壊した。けど、療養している間でさえも、彼女は学び、考え続けた。
「そうね。この間学んだわ。まずは私が健康でいなくては、全てが瓦解してしまう。私こそがこの領地の資本だもの」
まだ本調子ではなさそうな身体に反して、瞳は闘志に燃えていた。彼女は気合いでどうにか直した後、鍛錬と剣術を始めた。これ以上やることを増やしてどうするのかと心配になった。
「心配しないで。時は金なり。私一人でできることには限りがあるわ。任せられることは任せ、利用できるものは利用する」
僕の心配なんてものともせず、彼女はどこまでも強かった。その日、僕は領主代理になった。
「失敗したわ。でも、おかげで学べた。勉強代だと思っておくわ」
十五歳の時、他領に騙されて損額を負った。彼女は信頼を勝ち取った領に対して提案を持ちかけ、利益を返していく代わりに金を借りた。強気に見せかけておいて、その手が震えていたのを僕は見逃さなかった。
「休む? 馬鹿言わないでちょうだい。立て直せただけ。安定した生活には貯蓄が必要よ。領地の野菜を売るルートを模索してるの」
十八歳になった時、領が安定してきたと思ったら、今度は外に向けて動き出していた。領主にだけ依存していたら、今後もし何かあった時に大変だと言っていた。
「ええ、そうよ。私結婚するの。ここの基本は領主代理……貴方に任せて、私が子爵家に嫁ぐことで縁を結ぶ」
二十歳になったと思ったら、今度は自分で縁談を見つけてきた。お付きのメイドから聞いて、驚きのまま問いただせばケロリとこう言った。
「安心して、男爵家の後継も作っていい契約だから」
そんなことを心配しているんじゃないと言ったら、怒られた。そんなことなんかじゃないって。知らない領民より、カロリーナの方が心配なのは当たり前じゃないか。
「やつれてなんかないわよ。ほんのすこーーし、お義母様が曲者でね。でも、我が領地を見てもう回復したわ」
そうして嫁いでいって、領地を確認しにくるたびにカロリーナは疲れている様子だった。結婚相手も、子爵家も、あまり良くないようだった。カロリーナが天涯孤独の身であるのを良いことに虐め、こき使った。
僕はそんなやつとは離婚した方がいいと言った。カロリーナは首を振った。損害だけ被って帰ることなんてできないと。
何も動かせてもらえないのが、歯痒かった。
「ただいま。まあ色々あったけれど結果としてはよかったわ。慰謝料をたっぷりもぎ取ってきたから」
それから一年後、カロリーナは突然帰ってきた。手には契約書、馬車には金貨を乗せて。
「早めに決断してよかったわ。まだ良縁を探せるもの。今度こそ、我が家にとって益のある契約相手を……」
そしてまた、領地のために働き始めようとしていた。
僕はもう、我慢ならなかった。彼女の腕の傷も、頬のあざも、何より自分を軽んじるカロリーナに。
「それ、僕じゃだめ?」
屋敷に入って仕事をしようとするカロリーナの腕を掴んだ。
「え?」
カロリーナが目を丸くする。
「君が、人の手なんて求めてないのは知っている。一人で輝けるのも知っている。でもどうか、僕の手に落ちてきてくれないかい?」
ずっとずっと、カロリーナを助けたくて仕方がなかったのに。人のために、愛で動く君は、その重さも大変さも知っているから、僕の手を拒絶した。でも、君は知らない。愛を拒絶されることだって辛いんだってことを。
「な、何を言っているの?」
彼女の瞳に、必死な男の姿が映る。
みっともなくたって、なんだって、いい。僕が我慢できないくらい酷く傷ついている今が、一番のチャンスだ。
「僕は、君を支えたいんだよ。僕が結婚相手では不甲斐ないかな?」
「いいえ、十分支えてくれてるわ。だから領主代理をお願いしたの。フィンは有能で、優しくて思慮深いわ」
僕に領主代理を頼もうと、君はこう言った。
『あなたが結婚するまでは、どうかこの領地を一緒に支えて欲しいの』
あの時、どれだけ酷く心が傷ついたか。結婚したら支えないと決めつけられた。それよりも一番心を抉ったのは、ここまでずっと一緒にいて、好きだと伝えて、カロリーナは僕が別の人と結婚すると思っていたことだった。
でもその事を言えば、手一杯の君を追い詰める羽目になる状況が、大嫌いだった。
「わ、私は、男爵家の当主で、あなたは、伯爵家の次男で……」
「僕が、手を打たないと思うかい?」
「でも、私は……」
カロリーナはもう一人で頑張りすぎて、人に頼りかかることができなくなってしまった。
「僕なら、男爵家に婿入りしながら、伯爵家と取り次げる。君を誰よりも知っている」
「カロリーナ、君が僕を愛していなくても、僕は君を愛すよ」
「……私だって、あなたを愛しているわ」
ずっと、頭の上で輝き続けていた星は、ある日ストンと降りてきて。僕の胸元で泣いて、わめいて、抱きしめて。そうして僕の妻になった。
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追記 誤字報告ありがとうございます