捨て犬を見つけましたが
前々作『念願の母になりましたが』と、前作『自慢の姉でしたが』と同じ世界です。
気軽に楽しんでいただければと思います。
よろしくお願いします。
犬が捨てられていた。
雨の日の夕方、ウチの雑貨店の軒下に小汚い箱が置いてあって、仔犬と思われる生き物が一匹ちんまりと座っていた。
典型的な捨て犬スタイルである。
チクショウ、いつの間に……!
戸締まりしようとしていた私は、そいつとうっかり目が合った。そのまま呼吸三つ分ぐらいの時間、あたしはビシッと固まっていた。
が、我に返って思った。
うん。面倒ごとはごめんだ。
わざとらしく目を逸らして、何も見なかったことにした。
すかすかの口笛を吹きながら、雨戸を閉めかけると、キャンキャンいう声がした。
「うおおおい、無視すんなこのやろう! 今、目ぇ合っただろが! 可愛い仔犬ちゃんだぞ。拾えよ! 可哀想だろ俺が! このままここで死んじまうぞ俺が! 将来立派な狼獣人になって世界を救う勇者の仲間予定の俺が! 特別にこの家を住処に選んでやったんだぞ光栄に思え! 今すぐ光の速さで拾えよ!」
発言の主は、信じがたいが目の前の小さな犬ころだ。しっかりした人語である。
しかも、頑是無いはずの仔犬とは思えないひどい言い分に、あたしは苦々しくも憐れな気持ちになった。
こいつは例のアレだな。
「お断りでーす。雨だし一晩なら軒下貸すけど、明日はどっかいって下さーい。巻き込まないでねー」
「……えっ。俺めっちゃめちゃ可愛いのに子供なのに無視かよ! マジでか信じらんねえお前それでも人間か!」
「なんか困ってるなら、司祭様のとこに行ってねー。じゃーねー」
ぴしゃりと戸を閉めると、仔犬はキャンキャン鳴きだした。
「鬼か! 貴様悪魔のような奴だな! 可哀想だと思う憐れみの心は無いのか! 人間の風上にも置けぬ冷血漢め! おい聞いてんのかコラ俺を中に入れろ……!」
あたしは無視して店の明かりをさっさと消すと、今夜は早めに寝ることにした。幸い居住空間は店舗の裏で離れている。華麗にスルーした。
この国に、度々現れる自称転生者なるもの。
彼らは等しく、他の世界の神が厄介払いで我らの神に押しつけた、悔いと未練を宿す者だ。
彼ら自称転生者達は、往々にして病んでいるか拗らせている。時には根拠のない選ばれた人間というプライドを持っていたり、常識外れな言動を堂々と行ったりする問題児だ。
伝承によれば、我らの信奉する男神は異界の女神達と共に、いにしえの遊戯ヤキュウケンなる賭け事勝負をして負け、浄化しきれなかった魂の悔恨を晴らす手伝いをすることになったのだという。
多分この犬もソレであろう。大方、飼い主が面倒臭くなったか、犬が何かやらかしたかして捨てたのだ。雨でウチの店のドアが閉まっている間に、こっそり置いていきやがったのだ。
翌朝、店先で情け無くしょんぼりしている仔犬を、ウチの店の看板娘である姉さんが発見した。
「頼む、俺を拾ってくれ。このままのたれ死ぬのは嫌だ。言っても分からないだろうが、俺は世界を救う使命があるんだ……!」
姉さん(心は兄)は、おろおろしながら言った。
「捨て犬が喋ってる。……やべえ、俺とうとう動物と会話できるスキルを会得した! って、何のフラグこれ?」
「しっかりして姉さん。その犬がやり直しの子で変なだけだから」
犬をジト目で見ながらそう言ってやったら、姉さんは自前のメロンな胸を両腕で抱きかかえながら、おののいた。
「犬もやり直しすんの?! って、お兄ちゃんって呼べよ」
ほんとそれな。あと、呼ばないよ。
一晩放置されてすっかりしおれた様子の犬が、恨みがましくクウンと鳴いた。
「いずれ俺はキャラ人気投票で第一位に輝く男になるってのに、こんな苦労が初期に用意されていたとは……!」
あたしと姉さんは顔を見合わせた。うなずき合う。以心伝心。
「司祭様って、犬にも祈祷してくれっかな?」
「犬でもお布施取るかな?」
「おいお前ら、早く俺を保護しろ!」
「一応俺店開けてくるけど、店番してって母さん呼んできて」
「うん、分かった。姉さん、そいつ首にロープ巻いて引きずってく? それとも籠に押し込んどく?」
「暴れたらしんどいから監禁する籠で」
「はーい。頑丈なの持ってくる」
「うおいいぃ! お前ら何すんだ! 可愛い可愛い仔犬ちゃんだぞやめろ噛みつくぞあっダメそこ触んないであっあっこれ暗いよ怖いよ出せやちくしょう!」
「畜生がチクショウ言ってるよ姉さん」
「とっとと行こうぜ、お客さん来ちゃうぞ」
……結論から言えば、司祭様は祈祷してくれたが、お高いお布施をウチが払うことになった。手痛い出費だった。
「へえ。それがその犬?」
「うん」
あたしと仲の良い近所のやんちゃ坊主が、店の前でお座りしている仔犬を横目でチラッと見て言った。
彼曰く、あたしは将来彼の嫁予定らしい。知らんけど。
仔犬の視線はあたし達子供ではなく、どう見ても店番をしている姉さんの姿、特にけしからん二連山に集中している。尻尾が嬉しげにぴるぴる揺れていた。
「聖句はなんて?」
「ケモミミモエキャラ、だって。相変わらず意味不明だわ」
「おうふ」
奴は口を覆って変な声を出した。
「何か良くわかんないけど、やり直し前の人生で、ノルマ無いしガッコウ無いし犬は気楽でいいよなー犬になりてえ、って言ったみたい」
「それでこんなことに? ばっかじゃねえの」
奴は呆れ顔で言ったが、あんただって人のこと言えないんじゃないの。あ、人じゃなくて犬だったか。
「そんで、なんだっけ。……あ、ジョブナシ。シンカナシ。レベルナシ。スキルナシ。ステータスナシ。ミンナオナジスタート。フツウノジンセイ、ダイジニイキロ、だってさ」
「そこは同じなのか」
「同じって何?」
「あ、いや、ううん、何でもない。で、飼うのか?」
あたしは不本意ながらうなずいた。
「それがさ、犬が言うには、祈祷代を払ってくれた分は働いて返すって。で、看板犬するんで、しばらく置いてくれって。そしたら母さんが、自分で食い扶持を稼ぐならいいよって」
「へー」
「なんかね、今度は絶対借金しないと決めたんだって。昔、ネトゲさんって人にカキンっていう物を貢ぎまくって、娘のオシさん達を何人もお嫁さんにして、オシさん達を愛でるために更にカキンを貢いで、色々いっぱい集めたけど、貢ぐためにすっごく借金しちゃったせいで、怖い人に脅されるようになって、それで仕事を首になって、家が、」
「あー。もういい。なんか分かった」
幼馴染みの奴は、残念なものを見る目で仔犬を眺めた。
「うん、まあ、何のかんの言っても、昔の話なんだし。今はあれ、犬だもんね」
言いながら、あたしはポケットから布を丸めボール状にしたやつを取り出した。
夕べこっそり作ったあたしのお手製だ。長く細い伸縮性のあるヒモが付いているところがミソなのだ。
あたしはとことこ仔犬に近寄って、布ボールを鼻先に突き出した。そしてわざとらしく棒読みで言った。
「これはねー、ものすごい美脚な姉さんのー、履き古した靴下を丸めたやつなんだけどー、もーいらないから捨てよーかなーって思ってるのー」
ほれほれ、姉さんのイイ匂いするだろう? 仔犬の目が布ボールに釘付けになる。
「欲しいかなー? 美脚巨乳美人お姉さんの履きこんだ靴下、どーかなー? やっぱいらないかなー?」
「……ウゥッ」
仔犬がちょっと唸って反応したところで、あたしは布ボールを大きく振りかぶって、勢い良くぶん投げた。
「そーれ。ぽーい!」
「ワワワ!」
慌てて仔犬は布ボール目がけ飛び出した。
やっぱりな。本能には逆らえまい。
あたしはニヤリと笑いながら、手元に残したヒモを引っ張った。当然布ボールは、仔犬をかすめてぴょーんとあたしの方へ戻ってくる。
あとには、呆然とした仔犬だけが取り残されていた。
高らかに笑ってやった。
「ハッハッハ。勝ったわ!」
「! てめえ何してんだ俺にそいつを寄こせコラ! ウウウ!」
「いいよー獲れたらねー。そーれ、とってこーい!」
別の方向へもう一度投げる。仔犬が全力でボールを追う。
いいとこで、あたしはヒモを引っ張った。
仔犬が、急に向きを変えたボールを急いで追う。だがボールは私の手の中へ戻った。
すかさずもう一度違う方向へ「とってこーい」と投げる。
ワフワフと仔犬が追う。
ヒモを引っ張る。
ハアハアしながら仔犬がボールを追って戻ってくる。
そしてやっぱりボールはあたしがゲット。
うふふ。たーのしーい!
幼馴染みが眉間にしわ寄せて、非難がましい声を出した。
「お前……ひでえ奴だな」
「いやあ、あたし犬とか飼ったこと無かったからさ、お手とか、こういうの、やってみたかったんだよね」
「多分、とってこいってのは、こういうのと違うと思うぞ」
むーん、とこめかみを押さえる幼馴染み。
と、店から姉さんがこちらを見て、にっこりと輝く笑顔で手を振った。
「おー楽しそうだな。良かったな、遊び相手が増えて」
「うん! 楽しい!」
あたしが返事すると、ガクリと仔犬は首を垂れた。
やんちゃ坊主の幼馴染みが、仔犬のそばへ寄って頭をわしわし撫でてやりながら、ヒソヒソ言ってるのが聞こえた。
「おい犬、アイツに逆らうな。ここら一帯の悪ガキ共のボスなんだ。あきらめろ」
「くうん……」
「あと、やり直し中だって周りにバレない方がいいぞ。もしかして残念な前世持ちか、黒歴史有りの変人か、って疑われるからな。嫌ならワン以外言うな」
「!」
ご丁寧なアドバイスに、仔犬が固まっているようだ。
あたしはヒモを持って布ボールをブンブン振り回しながら、言ってやった。
「そんなのどうでも良いよ。大事なのは、これからどう生きるかでしょ? 人だろうが犬だろうが、男だろうが女だろうが、死ぬまで精一杯頑張って生きるのよ」
「……おお。お前、なんかすげえ悟ってんな」
ちょっと感動している奴の横で、仔犬の目がきらんと光った。
仔犬は突然ダッシュし、あたしの手からヒモを噛み千切り布ボールを奪った。
あらま。やれば出来るじゃん。
「やったぜ! 獲った。俺の勝ちだ!」
ボールを前足で踏んでドヤ顔の仔犬に向かって、あたしはふっと嗤ってやった。
おもむろにポケットからもう一つ、布ボールを取り出す。
「ふふふ。靴下は二つでひと組よ。両方揃ってないと意味が無いのよ!」
がーん、というショックを受けた顔をする仔犬に、布ボールその二をビシッと見せつけた。
「残念だったわね! 欲しかったら、全力で奪い取れ!」
そして、投げた。
「とってこーい!」
「がるるる!」
むきになって駆け出す仔犬。
ふははは! と笑ってあたしは、ビヨーンと伸びたヒモをぐいっと引っ張った。布ボールが戻ってくる。
「ウウウ、くっそガキめー!」
「あはは。そーれ、とってこーい」
「お前なあ……とんだ飼い主だな」
夕方になるまで、さんざん仔犬とボール遊びをした。満足満足。
……本当はあたし、病気で死ぬ前、ペット欲しかったんだよね。それで、治ったら思い切り遊んでみたかったんだ。
こんな仔犬でも犬は犬だし、折角だから、今世はペットがいる生活を満喫してみようかな。
あたしは、明日になったら、散歩と言う名の全力疾走に挑戦しよう、と思ったのだった。
あと、姉さんには新しい靴下をプレゼントしておいた。古いのが布ボールになって、ぐちゃぐちゃの犬のヨダレまみれになってることには、まだ気付かれてない。